2011年9月29日木曜日
生活や仕事への実感を失ったあとに開いた穴をなにで埋めるのか?
(中央手前が焼岳、後ろが乗鞍岳)
キンモクセイが香っています。
高校時代の彼女との初デートがいまの季節でした。
キンモクセイが香ると当時の情景が浮かびます。
国語の授業中、その気持ちを表現したりしました。
先生からはたくさん文章を書くよう指導されました。
気持ちがからまわりして伝える力が不足していました。
ま、いまから考えると赤面ものです。
若いというのは恐ろしいことです。
ただ通勤電車中の高校生たちを見ても
そんなもんかなとも思います。
「マークスの山」の流れで、いま高村薫さんの
「レディ・ジョーカー(下巻)」(新潮文庫)を読んでいます。
ビール会社恐喝犯たちに、合田刑事がいつものように
組織の論理にしばられながら、静かな怒りを燃やしつつ挑んでいます。
その際、合田は犯人の生きる世界と自分の生きる世界を対比させます。
どちらが人間として豊かなのか?
合田はおもうように進まぬ捜査のあいま、心に開いた穴を埋めるため
バイオリンを弾き、読書をします。
代わりに、時間があれば、学生時代に読んだ古い本を手当たり次第に
引っ張り出しては読み耽ることをやっていたが、
現実の生活や仕事への実感を失ってしまったあとに開いた穴を
活字で埋めていかなければ、一秒もじっとしていられなかった。
そうして7月には『ブッデンブローク家の人々』と『ユリシーズ』と
『大菩薩峠』を読み、
8月は『カラマーゾフの兄弟』『ジャン・クリストフ』『チボー家の
人々』と続いてきて、いまは5巻目の3分の2まで来たところだった。
このラインナップをみただけで
合田刑事といちど話をしてみたいという気になります。
「ファイト!」「いっぱーつ!」による交情とは
ちがう種類のものでしょうが。
最近ちょっと気になるのは
若い弁護士たちがあまり読書をしていないことです。
若いときに、上記ラインナップのうち
半分は読んでいてほしい気がします。
やはり若いころから本を読んできた人間のほうが好ましいな
と思うきょうこのごろです。
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