金峰山小屋からのぞむ
雲海に沈む夕日です。
右手、雲間にみえている山塊は
八ヶ岳連峰です。
夕日や紅葉をみると、感動したり
もの悲しくなったりするのは、なぜでしょう?
太古、狩猟採集時代の記憶が
呼びさまされるからでしょうか?
これから夜になり
人類にとっては危険な夜がはじまることへの畏れ?
それとも、
ミレーの「晩鐘」に表現されたような
農耕時代、一日のなりわいを終えることができた神への感謝?
航空機が存在しなかった、むかしの人は
誰もが雲海を見ることができたわけではないでしょうね。
おそらく修行のために高山に登った
修験者や宗教者、それに猟師らが見ることができただけしょう。
これらの人たちが雲海に沈む夕日を見て
ハイヤーパワーの存在を体感したことは間違いないでしょう。
私も体感しました。
そして感謝しました。
かぎられた人生であと何度体験できるかわかりません。
でもまた来たい、体験したい、と強く祷りました。
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