2025年5月19日月曜日

ホトトギスの初鳴きと卯の花

 

 きのう四王寺山を歩いていたら、ホトトギスが鳴いていた。今季初。

 「テッペンカケタカ」とか「特許許可局」と鳴いているといわれるが、「ホ・ト・ト・ギ・ス」と鳴いているようにしか聞こえない。聞きなしというくらいだから、いちどそう思うと他の聞きなしができなくなる。

 ホトトギスは夏(初夏)の季語。枕草子にもでてくる。第99段。

 一日から雨ばかりでうっとうしい日がつづき、たいくつしていたので、「ほとどぎすの声をききにいきましょうよ。」というと、みんな我もわれもということになった。・・・「ほととぎすの歌はここで詠むのがいいんですわね。」という声もあったが、「道のとちゅうでも詠めますわ。」などともいって、けっきょく歌は詠まずにあたふたと車にのった(大庭みな子・少年少女古典文学館4)。

 初夏の季語といえば卯の花(ウツギ)もそう。先のつづき。

 卯の花のさきこぼれた枝を折り、車の簾やその横にさしても、さしきれず、屋根などにも長い枝をさしこんだので、卯の花の垣根を牛にひかせたようなありさまになった。共の男たちも大喜びで、わらいながら、「まだここがたりないぞ。ここもだ。」などといって、まだ足したりした。・・・(同)。

 「光る君へ」をみるまえは、1000年前の人も初夏の風物を楽しんだのだなぁという感想で終わりだった。でもいまはそれ以上の感慨が浮かぶ。

 それというのも第99段の冒頭に「中宮職の御曹司に宮さまがいらっしゃるころだったが」(同)とあるから。中宮職の御曹司とは、中宮に関わる公務を司る役所のこと。大内裏の内、内裏の外にある。長徳の変(伊周と隆家が花山法皇を襲った事件)で、中宮定子は髪を落として、内裏に戻ることができなくなり、この御曹司に住んでいた。

 つまり、第99段の出来事は、中宮定子らが道長から蹴落とされて没落中の出来事。それなのに、そのような悲劇の片鱗も感じさせない。どこまでも明るく楽しい後宮生活として描ききっている。清少納言の矜持を示す書きぶりである。

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