2025年8月21日木曜日

デフリンピックを知っていますか?

 

 「デフリンピックを知っていますか?」 

 「申しわけありません。知りませんでした。」

 デフリンピックとは、聴覚障がい者のための世界規模のスポーツ競技大会。デフとは聴覚障がい者という意味で、オリンピックとおなじく4年に1度開催されている。

 ことしは日本で開催され、東京2025大会である。11月15日~11月26日の12日間の予定である。

 オリンピックやパラリンピックにくらべ知名度が低く40%弱なのだそう。太宰府ロータリークラブでは、大会の機運をたかめ、(福岡県勢を中心に)選手たちを応援するための活動をしている。

 以前パラリンピックで視覚障がい者マラソンのメダリスト道下選手を応援したことがあり、こんかいはデフリンピックの応援に取り組もうというのである。

 先日はバトミントン選手の矢ヶ部さん(筑紫地区在)にクラブで卓話をしていただいた。全部、通訳をつうじた手話である。こちらも拍手ではなく、(あらかじめご指導を受けた)手話でお応えした。

 かつて福祉のほうのご依頼で、聴覚障がい者向けに法律講座をおこなったことがある。手話通訳をしていただくのだが、「財産」も、「不動産」も、「遺産」もみなおなじしぐさのようだった。われわれがおこなっているコミュニケーションのうち、相当部分のニュアンスが脱落してしまうだろうと感じられた。

 それを補うためだろう、パワーポイントも用意されていた。アスリート活動をしながら、このような啓発活動とその準備をされるのはたいへんなことだろうなとお察しした(オリンピックなどにくらべてスケジュールが密で、体調管理が重要なのだそうだ。)。

 9月20日13:00~16:00クローバープラザ(春日市原町3-1-7)で、選手たちの応援会を計画している。県下の学校にはそれに向けた応援幕の作製などをお願いしている。

 デフリンピックをより多くの人に知ってもらい、より多くの人とともに応援していければと願う。

2025年8月19日火曜日

『コラテラル 真実の行方』、「新米刑事ヴァンダラー」、街角ピアノ「ベルリン」

 

 お盆の間、山に登らなかったので、テレビやネットフリックスで、たくさんドラマやその他の番組をみた。

 そのなかから、まず『コラテラル 真実の行方』。ネットフリックでみた。ネットフリックスの作品紹介によると「ロンドンで発生したピザ配達人殺害事件の背後に潜む黒い影・・・。ドラッグ売人や密入国業者、スパイたちの思惑が複雑に絡み合う陰謀に一人の刑事が立ち向かう。」

 一人の刑事はキャリー・マリガン演じるグラスピー刑事。キャリー・マリガンはカズオ・イシグロ原作の映画『わたしを放さないで』で主演していた。

 さすが英国ドラマと思ったのは、主役の刑事(本人、同僚、上司)だけでなく、犯人(実行犯、指示者)、被害者(本人、家族)、目撃証人(本人、同性の恋人)、関係者(マスコミ、政治家)など登場人物ひとりひとりが丁寧に描かれていたこと。

 それを通じて、現代イギリス社会そのものも立体的に描かれていた。被害者は移民なのだが、シリアからの政治亡命者なのか、それともイラクからの経済難民なのかでマスコミや社会の色づけが変えられてしまう。

 イギリスも他の欧州諸国と同様、移民を受け入れてきたが、ここにきて政治難民の受入は人道上やむを得ないとしても、英国人の職を奪う経済難民は受け入れがたいという論調である。

 「新米刑事ヴァンダラー」は、ところ変わって北欧はスウェーデンの刑事もの。これもネットフリックスでみた。むかしヘニング・マンケルが書いたクルト・ヴァンダラー刑事を主役とする警察小説を何冊も読んだ。同刑事の新米のころのドラマ。

 移民に関連する残忍な事件に居合わせたクルト・ヴァンダラーは新米刑事に昇進するとともに移民問題で対立する国民感情の大きな騒動へ巻き込まれていく。ここでも背景をなしているのは移民問題だ。

 NHKで駅ピアノ、空港ピアノ、街角ピアノをやっている。大好きな番組でかかさず見ている。どの駅、どの空港、どの街角にも、戦火から逃れてきたウクライナ人、そしてロシア人が登場する。

 お盆休み中だったと思うが、街角ピアノ「ベルリン」をやっていた。メルケルによる積極的な難民受入政策の結果か、ベルリンの人口の25%が外国人らしい。

 しかしここでも排外主義の風潮が顕著なようで、ウクライナから移住してきたミュージシャンの女性が、年々住みにくくなってきたとこぼしていた。

 日本も他人事ではない。難民・移民の受入では欧州に遠くおよばないにもかかわらず、排外主義的な言説を耳にするようになってきた。先の参院選の争点にもなった。失業率が増加するようになれば、不寛容さはさらに高まるだろう。ちなみに日本の完全失業率は2.5%。イギリスの失業率は4.7%、ドイツは6.3%、スウェーデンは8.7%。

2025年8月18日月曜日

羅臼岳ヒグマ事故

 

2018年大雪山系にて

2008年羅臼岳

 お盆をすぎたせいか、今朝は通勤中あるいていても空気が涼しく感じられた。このまま涼しくなっていってくれればよいが、9月いっぱいは残暑が続く予報である。

 ことしのお盆は、北アルプスの槍ヶ岳~穂高岳縦走を計画していた。しかし九州地方観測史上最大の大雨に見舞われ中止に。

 昔であれば天気の回復をまって出発すればよかった。さいきんは山小屋が完全予約制となり、新幹線のぞみや上高地までのバスも予約が必要となったため、そうもいかなくなってしまった。その他の理由もあって、ことしのお盆は家で過ごすことに。

 そうしていたら、14日羅臼岳を下山中にヒグマに襲われたとのニュースが流れた。羅臼岳は北海道の東端、知床半島の付け根の部分にある。標高1661メートル、日本百名山の一つである。

 われわれも4人グループで2008年に登頂した。知床半島には400~500頭のヒグマが生息しており、クマ密度が非常に高い。2008年当時もビクビクしながら登ったが、出会うことはなかった。

 ヒグマは臆病な動物で自然状態であれば、人を襲うことはないとされる。危険なのは出合い頭でパニックになったときや子グマを守ろうとするとき。出合い頭の事故を減らすため、クマ鈴やラジオで人の存在をあらかじめ知らせてやるとよいとされている。

 クマは逃げるものを追う性質があるので、出会ってしまったときに背中をみせて逃げてはいけないとされる。クマの目をみながら、すこしずつ後ろにズリさがらなければならない。

 その後、大雪山を縦走する際、3度ほどヒグマに遭遇した。いずれもその気になればこちらを襲うことができたはずだが、襲ってくることはなかった。

 大雪山のヒグマも知床のヒグマもおなじヒグマだが、知床のヒグマのほうが危ない。なぜなら、知床のほうがより観光化し、知識の乏しい観光客がヒグマと接する機会が多くなり、ヒグマが人慣れし、人は超おいしいエサを持っている存在であると認識している可能性がたかいから。

 ヒグマにエサをやってはいけない。人の食べ物はヒグマにとってとてもおいしく感じられるらしい。そのつもりがなくても、弁当の食べかすなどを放置することやザックごと弁当を盗まれることなどにより、人が超おいしいエサを持つ存在であることを教えることになる。

 ま、それも相対的なちがいでしかないかもしれない。大雪山にだって本格的な登山者だけでなく、かぎりなく観光客にちかい登山者もたくさんいるから。

 クマのリスクをまったく考えなくてもよいのは九州の山だけだ。九州にはクマがいないとされているから。本州にはツキノワグマがいる。クマのリスクは考えておかなければならない。じつは上高地でさえ、クマの目撃情報は多い。

 SNS上の議論をみると、山に入ること自体がいかんなどという極論もみられる。しかし上高地を散策したことがある人であれば、クマに遭遇するリスクゆえ上高地を歩いてはならないとはいわないだろう。道路を歩けば交通事故の危険性があるけれども、道路を歩いてはならないとはならないだろう。

 とはいえ、今後はより慎重なリスク判断が求められることになるだろう。

2025年8月8日金曜日

日傘男子デビュー

 

 ついに日傘男子デビューした。

 先日、筑紫公証役場で、公正証書遺言の証人となった。筑紫公証役場は福岡法務局・筑紫支局の向かい。ちくし法律事務所から歩いて10分弱である。10分弱であるが、熱中症警戒アラート発令中の昼時のことであり、灼熱の太陽に灼かれた。

https://www.google.com/maps/place/%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%97%E6%B3%95%E5%BE%8B%E4%BA%8B%E5%8B%99%E6%89%80/@33.5011789,130.515563,18.25z/data=!4m6!3m5!1s0x35419bd170d5f7ad:0xabb242e8d993c621!8m2!3d33.5012221!4d130.5187119!16s%2Fg%2F1thnlkkk!5m1!1e4?entry=ttu&g_ep=EgoyMDI1MDgwNS4wIKXMDSoASAFQAw%3D%3D

 作成を終えて、おなじく証人となった秘書さんと依頼人と3人で事務所にひきかえしていたら、秘書さんから日傘を奨められた。

 それからも日傘なしの生活を送っていたのであるが、しばらくして顧問会社の公平委員会が開催された。外部委員を委嘱されている。

 年一回の開催。なぜかいつもこの時期に開催され、なぜこの時期なのかといつも恨めしくなる。

 同社は博多駅から歩いて15分くらいである。やはり熱中症警戒アラート発令中、灼熱の太陽である。

 熱中症警戒アラートが発令されると、天気予報で「危険な暑さ」とか、「耐えがたい暑さ」などと警告される。これら字ヅラを見ただけで、耐えがたい気持ちになる。

 たまらんなぁと思いつつ、秘書さんのアドバイスを思い出した。駅構内のコンビニをのぞくと2200円で晴雨兼用の傘が売られていたので、買った(写真はその後プレゼントされたモンベル製品である。街山兼用。)。

 これが良かった。体感温度で2~3度は外気より低く感じる。日傘男子デビューである。すばらしい。

 なんでもっと早く利用しなかったのかと悔やまれた。そのような心境になって周りを見回すと、日傘男子は意外と多い。デスクが隣の向井弁護士も日傘男子らしい。

2025年8月7日木曜日

日本全国踏破を達成!

  ウォーキング同好会の報告第4段・完結編である。

 これまで、 ①ちくし法律事務所のメンバー6人でウォーキング同好会を結成し、夜の散歩を楽しんでいること、②沖縄の南端から北海道の知床岬まで4850kmを歩く企画(Vitalityジャーニー)があり、去年6月の時点で853km歩き山口県を歩いていたこと、③メンバーのうちの1人が全国踏破を達成したこと、その時点(今年5月23日)でぼくが青森県をあるいていたことは、すでに報告した。

 ①http://blog.chikushi-lo.jp/2023/11/

 ②http://blog.chikushi-lo.jp/2024/06/blog-post_13.html

 ③http://blog.chikushi-lo.jp/2025/05/blog-post_23.html




 そしてこのたび自分も全国踏破を達成した。ばんざい!

 沖縄南端から北海道知床岬の先端まで4850km。一日あたり1万~1.2万歩である。歩幅は77cmであるから、距離にして一日あたり9kmほどである。ざっと540日間(約1年半)の道のりである。日本百名山を踏破した田中陽気は山だけでなく山と山の間も歩いていたが、やはりすごいというほかない。

 このアプリ上で北海道の中央部を歩いていたころ、リアルでも北海道の中央部である大雪山を歩いていた。リアル北海道はアプリとちがって、デコボコしていたし、花もたくさん咲いていた。アプリ上での全国踏破は達成したが、リアルでの山歩きはつづけていきたい。

2025年8月6日水曜日

大雪山~トムラウシ山縦走(14)化雲岳~天人峡温泉

 

 化雲岳山頂。右手の岩が化雲岩。大雪山系の中央部に位置することから、大雪山のへそと呼ばれる。しばし休憩したのち出発。


 左方向へお鉢を巻いていく。ピークは小化雲岳。登りは化雲岳までと思っていたら、もうひと登りあった。ふう。


 しばし歩いて、振り返る。尖っているのが化雲岩。


 さらに南をのぞむ。トムラウシ山が遠くなっていく。


 ミネズオウ。


 旭岳~白雲岳を望みながら下っていく。


 ポン沼上部。ここがいちばん迷いやすいポイントだろう。右か左か、あるいはまっすぐか。どちらへ進むのが正解か。


 正解は右である。左側の雪渓の向こうに、かすかにポン沼が見えている。


 ポン沼。雪渓の雪解け水である。向こうは旭岳。



 ずっとお花畑がつづく。



 第一公園。女子が木道に寝そべって自然と一体化していた(撮影は遠慮した。)。


 ワタスゲ。


 滝見台から羽衣の滝。忠別川が削った渓谷が天人峡。そのいっかく。

 ようやく天界から人界に帰還することができた。日帰り入浴のため、天人峡温泉のしきしま荘に入った途端、土砂降りとなった。セーフ(じぃさんたちは大丈夫だったろうか)。

2025年8月5日火曜日

大雪山~トムラウシ山縦走(13)ヒサゴ沼~化雲岳

 

 3日目の朝。日の出である。

 結局、トムラウシ山には登らないで、天人峡温泉へエスケープすることに決めた。一つは体調不良で、昨日の脱水症状が尾をひいていた。もう一つは天候不良で、昼から大雨の予報であった。

 天人峡温泉へエスケープといっても7時間のコースである。トムラウシ山コースは8時間であるから1時間短いだけである。天人峡温泉コースは登山道が分かりにくく初心者には不適であるところ、トムラウシ山コースはこれまで3度歩いた経験があるので道はよく知っていた。

 悩んだが、天人峡温泉コースを選択した。一つは、その日小屋に泊まった12人のうち11人がこのコースだったので、道迷いの点はなんとかなると考えた。もう一つは、昼からの大雨である。午前5時に出発して7時間であればギリギリ間に合うかもしれない。8時間だと到着予定は午後になり、その1時間が生死を分けるかもしれないから。


 さて、出発。トムラウシ山コースは正面右手の雪渓を登るのだが、天人峡温泉コースはこのすぐ右手の雪渓を登っていくことになる。


 天人峡温泉コースは基本的には下りである。が最初、化雲岳までは登らなければならない。

 雪渓にたたずむのは、じぃさんである。ヒサゴ沼の美しさに名残がつきないようだ。


 だいぶ登ってきた。じぃさんはまだ名残を惜しんでいる(雪渓のやや右手)。


 雪渓のいちばん上にポコリと岩が見えている。あれが目印だ。晴れているからよいようなものの、ガスっていれば向かうべき方向も判然としない。きょうは昼から大雨予報だったので朝からガスっているかと思ったが、いまのところまだよい天気だ。


 さらに登った。前山の奥にトムラウシ山が見えてきた。ヒサゴ沼ともお別れだ。


 雪渓が切れると登山道は木道に。両側は高山植物のお花畑がつづいている。


 エゾウサギだ。しきりと高山植物を食んでいる。


 さらに木道とお花畑。


 おや、向こうにエゾウサギがまた2匹。仲よく遊んでいる。


 左手上部、なだらかな頂きにポツンと見えている岩が化雲岳山頂である。小屋2階に泊まっていた青年が軽快に追い抜いていった。


 写真では分かりにくいが、あたりいちめん花畑である。


 振り返るとトムラウシ山。こんかいは登れなくて残念。


 ようやく化雲岳山頂(1945.5m)。緑の線の向こう側は切れ落ちている。その奥の山並みは大雪山系の旭岳から白雲岳。きのうは、このお鉢の縁の右手をぐるりと登ってきた。きょうは、左手の縁をくだっていくことになる(第二公園、第一公園をへて御やど しきしま荘まで)。さてどうなりますことやら。


2025年8月4日月曜日

大雪山~トムラウシ山縦走(12)ヒサゴ沼避難小屋

 

 ヒサゴ沼避難小屋。2階建て。収容人数30人。奥の建物がトイレ棟。

 右手がテント場とヒサゴ沼である。小屋周りには木道があるが、長期間メンテナンスがおこなわれておらず、痛んでいてとても危ない状態である。

 ヒサゴ沼はヒサゴ=ひょうたんのような形をしているから。小屋はひょうたんのくびれの位置の手前側に建っている。水場は200メートルほど戻ったところに、雪渓が溶けた小川が流れている。というか、ヒサゴ沼自体が化雲岳方面から流れ来るこの大きな雪渓を水源としている。


 トムラウシ山はこの景色の右手のほうに鎮座している。

 この日、避難小屋に泊まったのは、1階に7人。うち2組・5人は前日からの連泊組である。1組は夫婦で、1組は男性3人組だった。前日から泊まり、トムラウシ山をピストンしたり、五色岳方面へ行って花を楽しんだようだ。

 あと一人は1階すぐ右手に場所を確保した仙人ふうの男性。鼻と顎に白いヒゲをたくわえていた。心のなかで、じぃさんと呼ぶことにした。小屋に着いたときには、すでに1階の大半はこの6人がスリーピングシーツなどをひいて場所を占拠していた。右奥にスペースがあったので、自分はそこを寝床にすることにした。

 男性3人組は研究者とおぼしき人たちで自分たちでまとまっていた。うち一人はインシュリンと思われる自己注射をはじめた。そこまでして登山を楽しみたいのかと深く感じ入った。

 その後、ニュージーランドからの男女カップル4人組と単独行の若い男性2人が到着した。かれらは2階に寝床を求めた。

 ニュージーランドからの4人組は2階に場所を確保すると、沼で水浴したようだ。自分で見たわけではないが、上記夫婦組の夫がそう報告してきた。水着も着けず、男性はフリ○○だったそう。沼は衛生状態もさることながら、雪渓が溶けた水だから水温は相当低いと思われる。日本人には到底できない芸当だ。われわれは風呂に入らぬ生活2~3日目であるから、とてもうらやましく思った。

 知ってのとおり、ニュージーランドにはミルホード・トラックなど有名なトレッキングコースがいくつもある。ロード・オブ・ザ・リングのロケ地としても有名だ。わざわざ日本の大雪山まで来なくてもという気もしたが、ニュージーランド人からも一目置かれていると思うと悪い気はしなかった。

 夕食は小屋のなかでなく、沼べりととった。すると、先の仙人のようなじぃさんが先客としていた。じぃさんは、このコースは初めてで、こんな美しいところは初めてだと何度も感嘆していた。

 話すと名古屋から来たという。福岡からというと、今回の旅で出会った最遠と認定された。年齢は60歳という。なんと自分より年下だった。さいきんのあるあるである。

 じぃさんは疲れたので、明日はトムラウシ山に登らないで、天人峡温泉にくだるという。地図をみると、そのコースは道迷いしやすく、ぬかるむので、誰か知っている人といくようにと特筆されていた。大丈夫かと訊くも、大丈夫だろうという返事だった。ほんとうに大丈夫だろうか。

2025年7月31日木曜日

大雪山~トムラウシ山縦走(11) 五色岳~ヒサゴ沼

 

 五色沼をすぎると、ハイマツ帯。向こうにトムラウシ山。だいぶ近づいてきた。だがこちらもバテバテである。


 途中、お花畑が広がっていたのだが、バテていたので写真を撮る余裕がなく、いきなりヒサゴ沼。はや日が暮れかかっている。テントは5張りほど。もちろん携帯電話は通じない。


 いままさに日が沈もうとしている。山影と雪渓の縞模様と夕陽が沼を鏡として上下対称になっている。荘厳。


 エゾハクサンコザクラ。きょう最後の日光をせいいっぱい浴びようとしている。


 沼の反対側にエゾシカのつがいがあらわれた。しきりに高山植物をはんでいる。


 なぜか一頭だけ残された。沼を渡っている。静かだ。背後の山は二ペソツとウペペサンケ。二ペソツは200名山。いちど挑戦してみたい。

2025年7月30日水曜日

大雪山~トムラウシ山縦走(10)忠別岳~五色岳

 

 忠別岳を登る。暑い。北海道には梅雨がないはずだが、もはや温暖化の影響で暑いし湿度も高い。この日持ち運ぶ水の量を見誤り、軽い脱水症となってしまった。道半ばにして、すでにバテバテである。


 ウコンウツギ(鬱金空木)。鬱金はカレーの色の素となっているターメリックのこと。飲み会のまえにお世話になる人もいるだろう。空木は枝が中空だから。


 振り返ると忠別沼。とりかこむ雪渓の雪形は白馬か白龍か。背後は大雪山、左が旭岳、右が白雲岳。遥かにとおくきたもんだ。


 ミヤマダイコンソウ。



 忠別岳(1963m)登頂!山頂標識の向こうは、深い谷が切れ落ちている。


 谷の向こうは化雲岳、その奥はトムラウシ山である。


 北を望むと、右手に旭岳。手前の台地はなだらかで簡単そうだが、登山者が迷いこんで遭難し、何人もの死者を出している。その左手(写真の外)には忠別湖や旭川市街が見えている。ここは携帯電話が通じる。とりあえずここまでの無事をラインで連絡する。



 忠別岳と五色岳の鞍部。忠別岳がせりあがる。疲れていたためか道迷いしてしまった。この右手をくだると避難小屋がある。水場があるので補給するか迷ったが、疲れていたので先に進むことにした。


 五色岳の登りはハイマツの藪。バテてなんども休憩した。ときおりイソツヅジが慰めてくれる。


 五色岳山頂部から振り返る。右手の忠別岳がはるか後方となってしまった。もう戻れない、先に進むしかない。