2025年5月28日水曜日

ナチュラルセレクション(2)森林・自然セラピー

 

 森林セラピーというのがある。セラピーというのは治療とか療法とかいう意味である。森林を散策し、自然に触れると治療効果が得られるということである。

 このようなことはむかしから体感・実感としてあったと思う。近時、計測方法の進化により、リラックス効果、血圧の正常化、ストレスを感じると分泌量が増加するコルチゾール(副腎皮質ホルモン)の減少、免疫系のナチュラルキラー細胞の活性化などが測定できるようになっている。

 心身に疲れを感じたとき、いきなり薬物を頼るのはいかがなものか。まずは森林を散策して自然に触れ、リラックス効果、免疫効果を得るほうが望ましいだろう。

 人類は類人猿の時代はもちろん、600万年前に直立二足歩行をはじめてからも基本的に森林や森林ちかくで生活してきた。都市生活、テレビやパソコンに向かう生活はたかだかここ100年未満のことだ。だからストレスを感じる。森林を散策すると逆にリラックスする。

 さいきんでは森林セラピーの考えがさらに拡張・深化され、別に森林を散策しなくても、自然に触れていればリラックス効果があることが分かってきている。自然セラピーという。

 たとえば、プラスチックでできた櫛をつかうのではなく、つげの櫛をつかう。デスクのうえに木製品を置いて、ときおり触れてみる。それだけでもリラックス効果が得られるそうだ。

 これをナチュラルセレクションというと言葉が強すぎるけれども、われわれ人類は長らく自然のなかで暮らしてきたのであるから、不自然な生活ではなく、自然な生活を送る時間を増やしたほうがいいよねと思う。さいきんますますそう思うようになった。

2025年5月27日火曜日

ナチュラルセレクション(1)イソヒヨドリ


 しばらくまえに天拝山のソウシチョウ(相思鳥)について書いた。

 http://blog.chikushi-lo.jp/2025/04/blog-post.html

 もともとはインド、中国、ベトナム、ミャンマーなどに分布しているが、江戸期いこう持ち込まれ、日本で繁殖している。日本の自然環境に適合したのだろう。

 天拝山ではエサをやっている人もいるようだ。動植物が繁殖するうえで、人間に気にいられることも重要な要素である。


 さいきん街中をあるいていると、イソヒヨドリ(磯鵯)が美しくさえずっている(あまりよい写真ではないが、手持ちのカメラの倍率ではこれが限界)。ビルの屋上や電線などにとまって鳴き、ビルの谷間に美声が反響してとても美しい。

 https://www.youtube.com/watch?v=1D7bhJGU7dk

 みなさんもイソヒヨドリとは認識していないだけで、さえずりは聞いたことがあるのではなかろうか。

 名前のとおり、もともとは磯の崖の岩場などで暮らしていた。それがいまではビルの屋上、屋根の隙間、通風口など人が造った物に営巣して繁殖しているらしい。なぜかというと、磯の崖の岩場と環境が似ているからである。

 最も強い者が生き残るのではない、最も賢い者が残るのでもない、唯一生き残るのは変化に適合できる者である(C・ダーウイン)。

 地球温暖化、プーチン戦争、トランプ関税、AI技術の劇的進化、日本の少子高齢化、円安・物価高など、めまぐるしく変化していく環境のなかで、うまく環境に適応できたイソヒヨドリの美声にしばし聞き惚れた。

2025年5月23日金曜日

歩いて日本縦断!

 

 ①ちくし法律事務所のメンバー6人でウォーキング同好会を結成し、夜の散歩を楽しんでいること、②沖縄の南端から北海道の知床岬まで4850kmを歩く企画(Vitalityジャーニー)があり、去年6月の時点で853km歩き山口県を歩いていたことは、すでに報告した。

 ①http://blog.chikushi-lo.jp/2023/11/

 ②http://blog.chikushi-lo.jp/2024/06/blog-post_13.html

 このたび、メンバーの1人が4850kmを完歩し、知床まで到達した。わが事務所でフルタイム働きながら、3人の子育てまっさい中の女性である。どこにそんな時間と体力があるのか。すごい。パチパチ。

 ほぼ毎日2万歩あるいた計算になる。1000歩あるくのにおよそ10分かかるから、2万歩あるくためには3時間20分も歩かなくてはならない。

 1年間歩いてみればわかるが、雨が続くときもあれば、これからは猛暑日も続く。体調不良のことだってすくなくない。そうしたなか、毎日平均2万歩あるくのは並大抵でない。偉業といってよいだろう。

 先に書いたように、運動をつづけるのは難しい。それをグループで楽しむ、毎週ルーレットでコンビニの飲み物などが賞品としてゲットできるなどの工夫で背中を押してもらいながら、なんとか続けることができる。ぼくのばあい、血圧、中性脂肪の検査結果が正常値に戻るという効果もあった。

 それにくわえて、この歩いて日本縦断企画である。累計歩行距離がわかるだけでなく、沖縄、鹿児島、宮﨑、熊本・・・と各県を達成するごとに記念のバッチをもらえる。

 バッチをもらえるといっても、スマホのアプリ上のことにすぎない。しかし、各県を歩ききった名誉と達成感をえることができ、目でみて確認することができる。とてもよい企画だと思う。

 欲をいえば、各県の観光施設、神社仏閣や100名山に立ち寄るイベントなどでもてなしてもらえると、もっと楽しいと思う。が、月200円程度のアプリなので、あまりぜいたくもいえない。


 さて自分はというと、いま青森県を歩いている。全行程4850kmのうち、4328kmの地点である(今日時点)。あと522km。ふぅ。
 
 アプリ上部には岩木山が見えている。岩木山に登ったことは2回ある。1度目は2014年に100名山を達成したときだった。あのときの達成感も半端なかった。岩木山に励まされながらのウォーキングである。青森県は250kmだ。あと171km。

 青森のあとは広大な北海道がまちかまえている。全行程350kmである。幸い、いまからはよい季節である。北海道に梅雨はない。いざ。ヒグマやエゾシカ、キタキツネ、ナキウサギたちにであえるといいな。

2025年5月22日木曜日

日本人・ユダヤ人同祖論

 


 NHKの番組でダークサイドミステリーというのがある。ふだんはまず見ない。が、タイトルが「神秘の古代ミステリー徹底検証!日本・ユダヤ同祖論」だったので、つい見てしまった。

 https://www.nhk.jp/p/darkside/ts/4847XJM6K8/episode/te/MP1M81N4XL/

 なぜなら、今年の正月に諏訪大社を参拝した際、大社の祭りの責任者をつとめたことがあるというタクシーの運転手さんの話を聞いたから。彼によると、縄文時代、諏訪盆地にユダヤ人が移り住んできて、それが諏訪大社信仰のもととなっているという。

 「ああ、あれね。」とわかったかたには、わがブログの「ディープなファン賞」をさしあげよう。


 運転手さんの論拠は、記事にあるとおり祝詞とユダヤ語の共通性などだったが、詳しいことはもはや覚えていない。

 ダークサイドミステリーによると、同祖論の論拠はいろいろある。

 ①謎めいた「かごめかごめ」はヘブライ語の暗号か?
  「かごめかごめ」の歌詞がヘブライ語とそっくりだという。

 ②京都に古代イスラエル・ダビデ王をまつる神社がある?
  古代秦族は、ユダヤ12族のうち行方不明となったものの末裔であるという。

 ③「ダビデの星」が各地の神社にある?
    「ダビデの星」というのは△と▽をあわせて星形にしたやつだけれども、日本各地の神社にそれが飾られているという。

 ④赤い鳥居やこま犬の存在?
  
 「これらの共通点はとうてい偶然とは思えない。だから、日本人とユダヤ人はおなじ祖先をもつのだ。」これが古代ミステリーとしてネットや本で話題の日ユ同祖論である。

 番組にはヘブライ語の専門家が出演して、ヘブライ語との共通性を否定。片言隻句をとらえるという表現があるが、「かごめかごめ」の歌詞はどうやらその類のよう。その他の論拠についても、全否定。いちいち納得。

 つづいて歴史的検証。そもそも同祖論は明治期から。訪日した外国人が日本の結婚式を目撃して、「これってユダヤの結婚式とそっくりじゃん。」と同祖論を展開した。

 その後、時代の変化につれて隆盛したり下火になったり。論者たちがなぜ同祖論を信じたいかといえば、日本人のルーツを旧約聖書で基礎づけたいから。日本民族は神に認められた民族である、と。

 日独伊三国同盟が締結されると、ドイツに遠慮して下火に。ユダヤ陰謀論との関係も、つまみ食い的に信じたいところだけ信じる。みたいな。

 いまの科学水準からすれば、同祖論は遺伝子レベルで立証できるはずだ。

 しかし現状、ネット上でそうとう流布しているらしい。なぜなら、そのほうが楽しいから。たしかに、諏訪大社に参拝してきました!というだけより、諏訪大社はユダヤが起源らしいと書いたほうが、へぇ!?と興味をひきそうだ。

 が、まだ娯楽でそのような言説を消費しているうちはいい。しかし、自分が信じたいものを信じるという心性は危険。

 弁護士をやっていると、こういう心性の人によくでくわす。ただもう信じたいものだけを信じて生きている感じ。裁判制度は、これら盲信をディベートや客観的な証拠により排除していく努力のあらわれであるといってよい。

 こうした心性は自分のアイデンティティーの弱いところ、不安定なところに発しているという自覚が必要だろう。そうでなければ、ナチスのユダヤ人虐殺や関東大震災のときの朝鮮人虐殺のようなことをふたたびしでかしてしまうことになるかもしれない。

2025年5月20日火曜日

健康づくりのための睡眠ガイド2023

 

 加齢にともない睡眠力が減退した。若いころはいくらでも眠れた。休日など9時ころまで寝ていることが普通だった。しかし加齢に伴い、寝入りが悪くなり、途中で目が覚めることも増え、朝も5時をすぎると目が覚めてしまう。どうやら眠るのにも力が必要である。

 NHKでも、よい睡眠をとるための啓発番組をしょっちゅうやっている。むかしなら鼻もひっかけなかったが、いまは必ず録画してみるようにしている。

 といっても、内容は同工異曲である。なぜなら、いまのタネ本は「健康づくりのための睡眠ガイド 2023」だからである(グーグル検索すれば、トップにでてくる。)。

 厚労省が音頭をとって、「健康づくりのための睡眠指針の改訂に関する検討会」が作成したものだ。2003年(平成15年度)に「健康づくりのための睡眠指針~快適な睡眠のための7箇条~」が策定されたのが皮切りで、ほぼ10年ごとに改訂されている。

 改訂されるということは、その時々で言っていることが違うということである。しかし、しかたがない。人類の知見は不完全であり、進歩するものだから。

 なぜ自分の流儀で好きなように寝てはいけないかというと、質・量とも十分でない睡眠は健康を損なうからである。

 睡眠時間が短いと、肥満、高血圧、糖尿病、心疾患、脳血管疾患、認知症、うつ病などの発症リスクが高まることが明らかになっている。睡眠時間5時間のグループ100人と睡眠時間6時間のグループ100人を10年ほど継続して観察し比較すれば、この点は明らかになるだろう。

 うちの相談者・依頼者も、うつ状態・うつ病のかたがすくなくない。対人トラブルなど大きなストレスを抱えて眠れなくなり、うつ状態・うつ病になるのだろう。またうつ状態・うつ病がさらにトラブルを引き寄せることにもなる。うつ状態・うつ病になると、難しい決断を要する紛争解決も困難になってしまう。

 もちろん個人差はある。が、質・量ともに十分な睡眠を確保することが、心身の健康を維持するためにも重要なようだ。

 ではどうすればよいか。高齢者、成人、こどものそれぞれで注意事項は異なるのであるが、高齢者の注意事項はつぎの3つ。

1 長い床上時間が健康リスクになるため、床上時間が8時間以上にならないことを目安に、必要な睡眠時間を確保する。

 眠れないからといって、早くから、あるいは、いつまでも、布団に入っているのはよくないのだ。血流が悪くなり、健康リスクを高めるのかもしれない。

2 食生活や運動等の生活習慣や寝室の睡眠環境等を見直して、睡眠休養感を高める。

 野菜の多い食事や適度な運動もたいせつだし、寝室の照明等にも気を配ろうということだ。

3 長い昼寝は夜間の良眠を妨げるため、日中は長時間の昼寝は避け、活動的に過ごす。

 短時間の昼寝がよいことも言われているが、30分未満にしたほうがよいそうだ。休日に外出しないと30分以上の昼寝をしてしまうこともおおい。30分以上昼寝していたら電流が流れて目が覚めるスマートウォッチを開発してほしい。

 生老病死。お釈迦様のころから生きていくうえで避けられない4つの苦しみである。老病のなかに睡眠が入ってくるとは驚きである。ま、生きていくうえで避けられないのであるから、できるだけうまくつきあっていくほかあるまい。

2025年5月19日月曜日

ホトトギスの初鳴きと卯の花

 

 きのう四王寺山を歩いていたら、ホトトギスが鳴いていた。今季初。

 「テッペンカケタカ」とか「特許許可局」と鳴いているといわれるが、「ホ・ト・ト・ギ・ス」と鳴いているようにしか聞こえない。聞きなしというくらいだから、いちどそう思うと他の聞きなしができなくなる。

 ホトトギスは夏(初夏)の季語。枕草子にもでてくる。第99段。

 一日から雨ばかりでうっとうしい日がつづき、たいくつしていたので、「ほとどぎすの声をききにいきましょうよ。」というと、みんな我もわれもということになった。・・・「ほととぎすの歌はここで詠むのがいいんですわね。」という声もあったが、「道のとちゅうでも詠めますわ。」などともいって、けっきょく歌は詠まずにあたふたと車にのった(大庭みな子・少年少女古典文学館4)。

 初夏の季語といえば卯の花(ウツギ)もそう。先のつづき。

 卯の花のさきこぼれた枝を折り、車の簾やその横にさしても、さしきれず、屋根などにも長い枝をさしこんだので、卯の花の垣根を牛にひかせたようなありさまになった。共の男たちも大喜びで、わらいながら、「まだここがたりないぞ。ここもだ。」などといって、まだ足したりした。・・・(同)。

 「光る君へ」をみるまえは、1000年前の人も初夏の風物を楽しんだのだなぁという感想で終わりだった。でもいまはそれ以上の感慨が浮かぶ。

 それというのも第99段の冒頭に「中宮職の御曹司に宮さまがいらっしゃるころだったが」(同)とあるから。中宮職の御曹司とは、中宮に関わる公務を司る役所のこと。大内裏の内、内裏の外にある。長徳の変(伊周と隆家が花山法皇を襲った事件)で、中宮定子は髪を落として、内裏に戻ることができなくなり、この御曹司に住んでいた。

 つまり、第99段の出来事は、中宮定子らが道長から蹴落とされて没落中の出来事。それなのに、そのような悲劇の片鱗も感じさせない。どこまでも明るく楽しい後宮生活として描ききっている。清少納言の矜持を示す書きぶりである。

2025年5月16日金曜日

貸金請求と債務整理(2)債務整理ビジネス

 

 NHKの番組で、投資詐欺、国際ロマンス詐欺の被害者ら多数から着手金50億円集めた弁護士の実態が紹介されていた。

 被害者たちは、弁護士に高額の着手金を支払っただけで、なんの仕事もしてもらえていない。投資詐欺、国際ロマンス詐欺に遭い、ふたたび着手金詐欺に遭ったわけだ。泣きっ面に蜂である。

 投資詐欺、国際ロマンス詐欺にかぎらず、詐欺被害の法的回復はむずかしい。そもそも加害者の実名や住所が分からないし、分かったところで民事裁判・民事執行により満足を受けられることはまずない。

 これは昔からそうだったのであるが、最近、東南アジアの奥深くに拠点を置く詐欺集団の実態が報道されるようになって、一般の人にも理解しやすくなったと思う。

 刑事事件となれば、なにがしかの返済は受けられるだろう。しかし一般に警察は詐欺被害にうてあってはくれない。被害者が1000人ともなれば動いてくれることもある。しかしその場合、被害者が多数であるがゆえに被害者に返金されるものはわずかである。

 それほど詐欺被害について加害者に責任追及することはむずかしい。これに費用をかけることは泥棒に追銭である。そのため、自分のところへ相談に来られたときは、あきらめるよう説得するようにしている。泣き寝入りであるが、やむをえない。

 NHKの番組に登場した弁護士たちも、はなから詐欺被害を回収できると考えていたわけではなさそう。背後に詐欺を企画・主導した主犯がいて、弁護士はその名義を利用されただけのようだ。すくなくとも本人たちはそう弁解している。しかし責任はおおきい。

 ネット社会がこれに拍車をかけている。ネット社会でなければ50億もの着手金を集めることはできなかっただろう。被害者たちはネット広告や電話で担当者と話しただけで、弁護士とは会ってもいないし、話してもいない。

 会ったこともない弁護士を信頼するというのもいかがなものかと思うけれども、それがネット社会というものだろう。われわれだってカードを利用したり、インターネットを利用して航空券や書籍を購入したりして高額な取引をしているが、カード会社や航空会社の社長と面談などしていないから。

 債務整理や自己破産の分野でも似たようなことが起こっている。派手な広告をうっている東京の事務所に、高額の費用を支払って依頼したものの、うまくいかないで途中で放り出されたという相談が増えている。

 借金で首がまわらなくなったのに、さらにいいかげんな弁護士や司法書士に高額な費用を支払わされている。いいかげんな仕事をして途中で放り出されて、別の弁護士に救済を求めてきている(もちろん、むずかしい事案というのはある。われわれがやっても事案の難しさゆえ、うまくいかないこともある。でもそれとは次元がちがう信じられないようないいかげんさである。)。

 筑紫地域の人たちが東京の弁護士や司法書士にこんなめにあわされたと知って憤りを覚える。しかしそれはわれわれの努力が足りなかったせいでもある。こうした被害がすこしでも減るよう努力をつづけていくしかない。

2025年5月14日水曜日

貸金請求と債務整理(1)ある債務整理事件(解決)

 

 ある債務整理事件が解決した。

 総額約1470万円の保証債務の請求を依頼人は受け、この債務整理を引き受けた。交渉の結果、示談金として600万円を支払い、残870万円を免除してもらう内容で示談が成立した。債権額のほぼ60%カットが実現したので依頼人には満足してもらったことと思う。

 本債務は数奇な運命をたどってここまでやってきた。依頼人はかつて会社を経営していた。経営がうまくいかず会社は倒産した。主債務者はこの会社である。経営者が個人保証をすることが一般的な時期のことなので、依頼人はその保証人になっていた。

 依頼人は、東京の弁護士2人に、会社と個人とについて自己破産を依頼した。依頼人としてはこれで済んだと思っていた。にもかかわらず、今般、保証会社から上記請求を受けた。

 調べてみると、会社の破産手続は終了していたが、個人については破産・免責まで終了していなかった。依頼人にはうまくいっていると説明があったのみで、このような説明はなされていなかった。

 主債務者である会社の破産手続の終了時が消滅時効の起算点となるので、ギリギリ消滅時効が完成していなかった。

 東京の弁護士のうち主任は懲戒処分を受けて行方が分からなかった。所属事務所に問い合わせるも、個人で受任した事件だから知らないなどと責任逃れをする。

 もう一人の弁護士も主任弁護士からいいような説明を受けていたので詳しいことは分からないなどと、やはり責任逃れをする。どうやら上記債務は依頼人が自分で支払わなければならないもののようだ。

 依頼人は東京から福岡へ戻ってきていて、福岡で働き、ようやく生活を立て直しができたところであった。一定額であれば金策ができそうだったので、債務減額の交渉をおこなった。ふたたび自己破産申立の依頼を受けることも考えたが、ある事情があってできなかった。

 民法は1000条以上の条文があるが、一言でいえば、約束は守りましょうの世界である。本件でいえば、残元金とこれに対する利息・損害金を支払う約束(契約)であるので、総額1470万円を支払わなければならない。

 民法上はそうなのであるが、実務上は、民事訴訟・民事執行のハードルのほうが高く難しい。そこに債務整理をする足がかりができる。

 民事訴訟は裁判を起こし判決をとるということ、民事執行は判決に基づき財産を差し押さえて現金に換え支払いを受けることである。このうち、債務者の財産を探し出して、これを差し押さえることがいちばん難しい。

 本件でもあまり無理を言われると自己破産をせざるを得ない。実際上は困難な事情があったのであるが、債権者にはまずそう伝えた。債務整理は自己破産されて債務が帳消しになるよりマシだというところが出発点である。

 債権者は交渉のなかで、依頼人の現在の職場を知っているようなことを匂わせた。つまり、話が決裂すれば、裁判所を起こして、給料を差し押さえるぞということを遠回しに伝えてきたのである。依頼人としては福岡で再就職してようやく生活を再建したところであるので、これは避けたい。

 その他、依頼人の預貯金やその他財産の存在を債権者がどこまで知っていたかは不明のままだった。これを知られるとなかなか交渉が難しい。知っていれば仮差押えなどの手段をとるのが常套手段なので、これをしてこないところをみると知らないのだろうと推測した。

 昨年3月に受任し、ねばり強い交渉のすえ昨年10月には、同年11月末までに600万円を支払う内容での解決で条件がおりあった。

 ところが、その後、依頼人の金策がうまくいかず、支払時期が2転3転し、一時は債権者から上記条件を白紙に戻すなどとも言われた。そこをなんとかといいつつ、本年3月末までに600万円全額を支払うことができ、無事、本件は解決した。

2025年5月13日火曜日

出町柳~瓜生山~比叡山@京都一周トレイル東山コース(完)

 

 3日目の最終日は京阪電車の出町柳駅に集合。そこからまずきのう解散した銀閣寺方面へ今出川通を歩く。京大界隈を抜けると、前方に大文字が見える。


 白河疏水。ここにも疏水が流れている。きのうの堀川といい、京都中を疏水が流れている。あたりまえといえば、あたりまえか。

 白河通を左折し、志賀越道を右折、御蔭通を左折、北白川仕伏町のバス停の先を右折、しばらくすると登山口に到着。街中をグルグルするので迷いやすい。われわれも一度行きすぎてしまった。


 京都市街の喧噪が嘘のような閑静な山道である。時折、登山者と行きかう。




 瓜生山。301m。東山36峰の8番目。午頭天皇(ごずてんのう)が八坂神社に移されるまえしばらくここに鎮座したという。午頭天が胡瓜好きだったことから瓜生山だという。ほんとうだろうか。





 瓜生山から尾根道をたどれば比叡山848.3m。ケーブルカーの比叡駅がゴール。ケーブルカーで下山する際、子鹿があらわれたのだが写真に撮りそこねた。


 八瀬からは京阪電車に乗り換え。東福寺駅でJR線に乗り換え。京都駅からは新幹線で帰福。なかなか充実した3日間であった。

2025年5月9日金曜日

龍谷ミュージアム、西本願寺、樂美術館、先斗町@京都一周トレイル東山コース(10)

 

 京都一周トレイル東山コースの2日目の行事としては、銀閣寺前で中締め。いったん解散して、それぞれの希望するところへ。

 あとで聞いたところでは、①銀閣寺拝観→京セラ美術館「モネ展」、②法然院→南禅寺→京セラ美術館、③京大時代の部活練習場など旧跡めぐりをそれぞれ楽しんだようだ。

 自分はまずバスで京都駅に戻り、そこから歩いて龍谷ミュージアムに向かった。ミュージアムは龍谷大学が運営している仏教総合博物館。ここも例のフランス人が薦める美術館である。いちど行こうとしたが休刊日だった。きょうはOK。

 企画展は「大谷探検隊 吉川小一郎展」。明治時代の後期、西本願寺が仏教の伝播をさぐるべく西域に派遣したのが大谷探検隊。当時の熱情と情熱が伝わってくる。

 https://museum.ryukoku.ac.jp/

 常設展は仏教の誕生と伝来、日本における各宗派の発展に関する展示だった。


 仏教美術を学んだあとは西本願寺を参拝。ミュージアムとは堀川通をはさんだ向こう側にある。御影堂内ではなにやら行事が行われていた。



 国宝「唐門」。極彩色の彫刻で飾られている。一日中眺めていてもあきない「日暮らし門」。


 唐門を一日中眺めているわけにもいかないので、切り上げて堀川通をバスで北へ。堀川中立売で下車。堀川では車椅子のご老人が憩っておられた。ここの水はなんと疏水のもののようだ。


 つぎのお目当ては樂美術館。初代からの楽焼茶碗等を鑑賞できる美術館。楽焼は一楽二萩三唐津の筆頭。ここは2度目の訪問である。

 日本人2割、インバウンド8割。インバウンドの観光コースに組み込まれているようで、いかがなものかという雰囲気であった。 

 なお、この日、京都国立博物館では、万博にあわせた企画「日本、美のるつぼ」特別展の初日。こちらも行きたかったが、初日ゆえの人出を敬遠した。

 怪鳥会のメンバーはこのあと鴨川べりに再集結して、先斗町での夕食を堪能した。

2025年5月8日木曜日

如意ヶ嶽・大文字山@京都一周トレイル東山コース(9)

 

 花の道を行くと如意ヶ嶽に着いた。472m。東山36峰の11番目。

 そこからひとくだりすると、大文字山。465.4m。如意ヶ嶽の西側の支峰。怪鳥会メンバーには京大出身者が2人。うち1人は合気道部、部活の訓練でこの山に駆け上がっていたとか。


 絶景である。左上の緑は御所。その手前を北南に長い緑は鴨川。御所の北東の緑地は下鴨神社。中央左上の緑地は吉田山である。

 大文字山は、文字どおり、京都五山送り火のうち「大文字」が灯される。手前にコンクリートの構造物がある。これが火床である。


 火床が並んでいる横を下る。このあたりは「大」の字の2画目の書き始めのあたりである。


 1画目の中央部を過ぎると、3画目の右はらいの部分になる。


 右はらいの部分をくだりきって下から見上げると、こんな感じ。


 千人塚。太平洋戦争中に掘ったところ多数の遺骨が出土した。1549年、足利義輝が京都奪還のための戦で三好長慶に敗れた際の戦死者らしい。


 大文字を下りきると、慈照寺銀閣寺前にでる。そこから西に進むと京大界隈である。振り返ると、大文字山の大の字が見える。2画目の上部から、1画目の中央点を経て、3画目のはらい終わりまで下りてきたことになる。

 2画目のはらいに沿って下りたほうが近道だった気がする。合気道部のメンバーはいつもこの山を駆け上っていたのであるから覚えていてもよさそうなものであるが、コースの詳細を覚えていないらしい。30年前のことであるから。

 人のことは責められない。自分も教養部時代、毎日のように南公園の階段を駆け上っていたのであるが、いまやどのコースをたどっていたのか思い出せないのであるから。

2025年5月7日水曜日

花の道@京都一周トレイル東山コース(8)

 











 日向大神宮から如意ヶ嶽にかけては花の道だった。シデコブシ、ミツバツツジ、ヤブツバキ。なかでもミツバツツジがたくさん。花言葉は節度なのだが。

 そうしたなか、尾根尾根、谷谷ごとに、ちがうウグイスが鳴いていた。京都のウグイスのは1000年前から都人にめでられてきたゆえか、どこか雅びなひびきだった。

2025年5月2日金曜日

蹴上乗船下船場、日向大神宮@京都一周トレイル東山コース(7)

 

 2日目。各自が宿泊しているホテルから蹴上駅に集合。

 駅から琵琶湖方面に数分、左手に日向大神宮の鳥居をくぐれば大神宮橋。橋上から琵琶湖側をみる。右手に、琵琶湖疎水の蹴上乗船下船場・旧御所水道ポンプ室。琵琶湖からここまで、びわ湖疏水船に乗船することができる。

https://biwakososui.kyoto.travel/midokoro/



 橋上から南禅寺側を見る。右手に台車が見えている。琵琶湖からやってきた船は台車に乗せてインクラインで南禅寺船溜まで降ろすことになる。


 日向大神宮の参道をのぼる。花がきれいに植えられている。ヤエヤマブキ。

 ヤエヤマブキは実をつけない。江戸城を築いた太田道灌の山吹の逸話のとおり。道灌が狩りにでかけたところ雨に遭った。農家で簑を借りようとしたところ、娘がさしだしたのがヤエヤマブキ。

 七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだに無きぞ悲しき


 シャガ。シャガも種子が発生しない。そのため日本中のシャガはおなじクローンである。四王寺山のふもとにたくさん咲いているが、人為的な植栽による。


 参道を登りきると広場。まずは厳島神社。新緑が美しい。


 枝垂れ桜も終わりかけ。でも美しい。


 階段をのぼると日向大神宮。京の伊勢と称せられるだけあって、作りが同じだ。


 落花してもなお美しい。京セラ美術館ではモネ展をやっていたが、ここでもコラボな感じ。


 これがあの天の岩戸だそうな。天照大神も、こんな狭い場所だと長居はしたくなかったでしょうね。