2025年11月27日木曜日

北陸路~越後路を旅して(5)糸魚川ヒスイ海岸


 翌日、宇奈月温泉駅から富山地方鉄道に乗り、新黒部駅まで。車両は黄と緑のツートンカラー、「かぼちゃ電車」と呼ばれている。


 新黒部からは歩いて黒部宇奈月温泉駅へ。そこから北陸新幹線に乗り、糸魚川へ。途中、黒部川を渡る。この上流の山あいが宇奈月温泉だ。

 芭蕉がここを通ったころはいまのように河川整備がなされていない。扇状地に多数の川が分流していて、旅人は難渋したようだ。『おくのほそ道』越中路にいわく。

 黒部四十八が瀬とかや、数知らぬ川を渡りて・・・


 反対側は日本海。北から冷たい寒気が入り込み、日本海気候に特有などんよりとした雲が垂れ込めている。


 糸魚川駅アルプス口(南口)の2F窓からの眺望。駅のコンセプトは「日本海と北アルプスに抱かれた、雄大な自然を感じさせる駅」。頚城山塊と北アルプス北部が雄大に広がっている。

 南東側に頚城山塊。右側に雨飾山、左手に焼山や火打山。雪をかぶっている。 


 南西側に北アルプス北部。奥の雪山は小蓮華山あたりが見えていると思う。

 山々が呼んでいたが、我慢した。


 糸魚川からは、その名も日本海ひすいライン(えちごトキめき鉄道)という三セク鉄道で、隣のえちご押上ひすい海岸駅をめざす。


 駅からすこし歩くとヒスイ海岸に着く。看板に描かれている女性は、古事記に登場する越の国の奴奈川姫(ぬなかわひめ)。

 ヒスイ(硬・軟あるが)は玉石混淆というときの玉のことである。勾玉(まがたま)の原料になった。故宮博物館で有名な翠玉白菜もヒスイである。飛ぶ宝石と呼ばれるカワセミは翡翠と書く。

 糸魚川のヒスイは5億2000万年前に生成した。5億2000万年前となると、日本列島が大陸の端にあったころだ。太平洋プレートが大陸プレートの下に沈み込むなかで生成されたという。蛇紋岩の浮力を利用して地表ちかくまで浮上し、北アルプスの風化・浸食にともない露頭した。

 露頭した場所は、糸魚川市内を流れる姫川の上流である。ヒスイ峡という。ヒスイ海岸で拾うことができるヒスイはヒスイ峡に発し、姫川が運んだものである。その意味で、ヒスイは奴奈川姫(川)がもたらしたという伝承は正しい。

 糸魚川のヒスイ文化は数奇な運命をたどった。まさにヒスイロマンである。

 その発祥は7000年前縄文時代にさかのぼる。世界最古である。ところが奈良時代以降、この文化は衰退し、その記憶は失われた。その後、ヒスイはどこか遠く異国からもたらされたものと長く信じられた。

 1935年(昭和10年)、1200年の時を隔てて、糸魚川でヒスイが再発見された。科学的分析の結果、縄文時代以降に日本で利用されたヒスイはすべて糸魚川産であることが明らかになった。2016年、日本鉱物学会はヒスイを「国石」として選定した。


 きょうもきょうとてロマンを求めて石拾いをする人々。じぶんもしばらく探した。これかもしれない、あれかもしれない。かくて10個ほどの小石を持ち帰った。ヒスイかどうかはしらないが、ロマンシング・ストーンにちがいない。

 なお、海岸で拾うより、姫川やヒスイ峡で収集するほうが効率的であるが、それは禁止されているらしい。

2025年11月26日水曜日

北陸路~越後路を旅して(4)黒部渓谷鉄道トロッコ電車


 温泉街からすこし歩くと黒部峡谷鉄道。文字どおり、黒部川が北アルプスを削ったV字の渓谷を北上する。大正期、黒部川による水力発電開発を目的に敷設された。


 宇奈月を起点に欅平まで全10駅。欅平からは水平歩道を利用して仙人谷まで、さらにそこから下の廊下をつたい黒四ダムまでいけることになっている。ただし、非常に危険。

 しかし現状、能登半島地震の被害により猫又駅(全10駅のうち8駅目)まで、そこまでの折り返し運転である。



 全列車が機関車牽引による客車列車。いわゆるトロッコ電車。フルオープンの開放型客車と、通常の客車とがある。この日、フルオープンは満車だったので、通常客車で我慢。


 うなづき湖。ここでは首を縦にふるしかない。橋は湖面橋。湖面は豪雨の影響か、エメラルドグリーンである。


 最初の駅は柳橋駅。右手は新柳河原発電所、ヨーロッパのお城のようなデザイン。


 黒部川にかかるサル橋。サル専用の橋だ。その向こうに、きのう説明した引湯管。 


 黒薙駅から。黒薙川にかかる後曳橋を先頭機関車が渡っている。


 右手のダムは黒部川第二発電所。第四発電所はみなさんご存知、『黒部の太陽』の黒四ダムである。


 第二発電所の南側はネズミ返しの岩壁と呼ばれる。ネズミも登れない絶壁である。


 猫又駅。通常は一般客の利用はできない。が、先に述べたとおり、能登半島地震の影響で現状、ここまでの折り返し駅となっている。全国の鉄道駅で唯一「猫」の文字が使用されているため、人気だそう。

 だが、この日は強雨で、のんびり観光という雰囲気ではない。



 宇奈月温泉に戻ると、野生のニホンザルたちが温泉街を徘徊し、家路をいそいでいた。もちろん、追いはしなかった。

2025年11月25日火曜日

北陸路~越後路を旅して(3)宇奈月温泉

 

 小松駅から金沢、金沢から黒部宇奈月温泉駅まで北陸新幹線「つるぎ」で。残念ながら上空はガスがあり、立山・劔連峰は見えなかった。

 宇奈月黒部駅からすこし歩いて新黒部駅へ。そこからは富山地方鉄道で宇奈月温泉駅まで。前々から1度は訪ねてみたいと思っていた。

https://www.google.com/maps/place/%E9%BB%92%E8%96%99%E9%A7%85/@36.8476282,137.5069656,13.75z/data=!4m15!1m8!3m7!1s0x5ff7b11439c109b5:0x4b31d164f4ebecc1!2z5a-M5bGx55yM6buS6YOo5biCIOWuh-WliOaciOa4qeaziQ!3b1!8m2!3d36.8162422!4d137.5827916!16s%2Fg%2F121sfmfs!3m5!1s0x5ff7b6fad2bee879:0x22e23d0be2f09cf!8m2!3d36.7865568!4d137.6251564!16s%2Fg%2F122p7wg2?entry=ttu&g_ep=EgoyMDI1MTEyMy4xIKXMDSoASAFQAw%3D%3D



 宇奈月温泉は法学部の学生なら誰でも知っている。権利濫用に関する事件の舞台となったところだから。判例百選のトップであるし、民法1条の根拠となった事件である。



 宇奈月温泉の源泉は、黒部川を7.5kmさかのぼった黒薙温泉である。



 そこから木製の引湯管を利用して、湯を引いていた。


 対岸、黒部川流れの少し上にみえる線が引湯管である。ご覧のとおり、黒部峡谷沿いであり、峡谷沿いの土地利用は困難である。

 引湯管はだいたい有償・無償で借りた土地の上を通っている。が、2坪だけ他人の土地の上を無断で通過していた。その土地のオーナーが引湯管を撤去せよと訴えたのが本件である。

 大審院(最高裁の前身)は、オーナーの訴えは権利の濫用であるとして、これを退けたのである。

2025年11月21日金曜日

北陸路~越後路を旅して(2)小松

 


 小松空港内のディスプレイ2点(下の恐竜は動きもする)。恐竜推し。小松は石川県であるが、お隣の福井県が恐竜県であるから。

 九頭竜川の上流の山あいには恐竜化石の発掘現場があり、ちかくに恐竜博物館もある。子どもたちが狂喜乱舞している。


 昨年3月、金沢から敦賀まで北陸新幹線が延伸。小松~金沢区間も新幹線を利用することができるようになった(在来線はJRではなくなり、三セクのIRいしかわ鉄道線になっている)。

 重機製造で有名な小松製作所は名前のとおり小松発祥。駅の東側はこまつの杜として整備され、巨大な重機が展示されている。現代の恐竜たちである(手前に写っている人と比べて大きさを実感されたい)。



 小松は歌舞伎推しでもある。空港北側の浜辺に安宅の関跡があるから。関は歌舞伎『勧進帳』の舞台。

 義経と弁慶一行が頼朝の追及をのがれ、奥州藤原氏を頼って落ちのびていくとき、ここを通った。これを阻もうとする関守は富樫。

 義経らは平家により焼失した東大寺再建の勧進を行う山伏一行に偽装。勧進帳をもっているだろうなと富樫から詰め寄られ、弁慶は白紙の巻物をさも勧進帳であるかのように朗読して難を逃れる・・・(銅像の弁慶が右手にもっているのが白紙の巻物)。 

 もちろん芭蕉もここを訪れている。『勧進帳』の初演は1840年なので、芭蕉は勧進帳を知らない。能の『安宅』は知っていたはずだが、平泉の段との重複をきらってか、触れられていない。以下、小松の段。

  小松といふ所にて
 しをらしき名や小松吹く萩薄

 この所多太の神社に詣づ。実盛が甲・錦の切れあり。往昔源氏に属せし時、義朝公より賜はらせたまふとかや。げにも平士のものにあらず。・・・この社にこめられはべるよし、樋口の次郎が使ひせしことども、まのあたり縁起に見えたり。

 むざんやな甲の下のきりぎりす

2025年11月20日木曜日

北陸路~越後路を旅して(1)小松空港までの空旅

 

 北陸路~越後路を旅した。小松までは空旅である。日ごろのおこないのせいだろうか、空は小雨模様。

 福岡~小松の人的・物的交流の大きさ(小ささ?)を反映して、飛行機はプロペラ機である。

 座席はプロペラの真横である。自分のすぐ横で大きなプロペラがブンブンうなっているのは、あまり気持ちのよいものではない。が、空旅が大好きなので、窓から乗りださんばかりにして景色を堪能した。


 いつものとおり、離陸してまずは南へ向かい、筑後川・久留米上空で大きく東に旋回。この日は雲に覆われて、筑後平野も筑後川も見えなかった。

 中央に白く輝くのは別府湾。雲のあいまから、かろうじて見ることができた。


 雲間から見える中国山地は、どこもおなじに見えて、どこを飛んでいるか判然としなかった。

 ただひとつ言えるのは、谷間に雲がたまりやすい地形だということである。雲に浮かび「天空の城」と呼ばれて人気の竹田城や備中松山城はこうした地形のたまものであろう。


 中国山地を抜けて若狭湾上空。陽光を反射して平らかな海面と、もこもことした雲のコントラストが美しい。


 手前の島は雄島だろうか。そうすると、向こうの半島の突端は東尋坊、塔は東尋坊タワーであろう。松本清張『ゼロの焦点』の舞台。広末涼子主演の映画が脳裏をよぎる。さいきんの事件のことも。


 ここがどこかわかる人は少ないだろう。大聖寺川の河口。2つの名所がある。

 右手の水面は北潟湖であるが、その中央に橋がかかっている。その向こうに吉崎御坊跡がある。吉崎御坊は、蓮如が本願寺系浄土真宗の布教拠点として建立したところ。

 橋のこっち側は芦原ゴルフクラブであるが、その一画には汐越しの松がある。


 芭蕉も『おくのほそ道』の旅で、ここを尋ねている。おくのほそ道というぐらいだから、奥州だけの旅と誤解している向きも多い。

 しかし、山形からは越後路を通って北陸路に至り、そこから岐阜県大垣までの旅が描かれている。正確にいえば『おくとほくろくの旅』なのである。汐越しの松の段を引用しよう。

 越前の境、吉崎の入江を舟に棹して、汐越しの松を尋ぬ。
  よもすがら嵐に波を運ばせて
     月を垂れたる汐越の松 西行
 この一首にて数景尽きたり。もし一辨を加ふるものは、無用の指を立つるがごとし。

 北潟湖の奥(右奥)には芦原温泉がある。左手、大聖寺川の上流にはむろん大聖寺の町がある。芭蕉はここも訪ねている。

 大聖寺の城外、全昌寺といふ寺に泊まる。なほ加賀の地なり。
 曽良も前の夜この寺に泊まりて、
  よもすがら秋風聞くや裏の山
 と残す。一夜の隔て、千里に同じ。われも秋風を聞きて衆寮に臥せば、・・・。

 大聖寺川をさらにさかのぼれば、山中温泉である。芭蕉はここも訪ねている。

 温泉に浴す。その効有馬に次ぐといふ。
  山中や菊はたをらぬ湯の匂ひ・・・


 中央は柴山潟。その右手は片山津温泉街である。司法研修所25周年で泊まった。なつかしい。

 翌日はみなとの別れもそこそこに室堂へ移動し、初めて劔岳に登ったのである。


 小松空港着。なお耳元でプロペラの轟音がひびいている。

2025年11月19日水曜日

博多座で文楽公演を鑑賞して

 

博多座で開催された文楽公演を鑑賞してきました。
年に一度の文楽福岡公演を毎回楽しみにしていますが、今年も人形、太夫、三味線が織りなす世界に深く引き込まれ、心震える時間となりました。

今回上演されたのは、
一、伊賀越道中双六 沼津の段
二、日高川入相花王 渡し場の段
の二演目。


■ 伊賀越道中双六 沼津の段

まず幕が上がったのは、義理と人情が複雑に絡み合う名場面として知られる「沼津の段」。
偶然の再会から、親子の情愛、そして悲劇的な運命へと向かう展開は、何度観ても胸を締めつけられます。

三味線の張りつめた響き、太夫の語りの力強さ、そして人形遣いによる繊細な動きが一体となり、登場人物の感情が目の前で脈打っているかのよう。
とりわけ、十兵衛が実の父のために決断を迫られる場面では、場内が息を呑むような緊張に包まれました。


■ 日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら) 渡し場の段

続く「渡し場の段」は、能や歌舞伎にも取り上げられる清姫伝説を題材とした作品。
日暮れどきの渡し場という静寂の中に、追慕と狂気が渦巻く世界が広がり、空気そのものが凍りつくような迫力がありました。

清姫の激しい心情が、人形のしなやかな所作を通じて鮮烈に表現され、
ラストに向けての緊迫感には圧倒されました。
文楽の人形が、まるで生身の人間以上に感情を訴えかけてくる瞬間を改めて感じる演目でした。


■ 終わりに

博多座の文楽公演は、毎回その芸の深さに感動させられます。
伝統芸能でありながら、現代の私たちの心にも直接響く力を持っていることを改めて実感しました。

忙しい日々の中で、こうした文化に触れる時間は、心の豊かさを取り戻してくれる貴重なひとときです。
来年の公演もまた楽しみにしています。

 文責:AIくん

興味はもったけれど、いきなり博多座へ足を運ぶのはハードルが高いというかたは、まずは三浦しをんさんの『仏果を得ず』、『あやつられ文楽鑑賞』(いずれも双葉文庫)を読まれてみてはいかがでしょう?
 https://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%82%84%E3%81%A4%E3%82%89%E3%82%8C%E6%96%87%E6%A5%BD%E9%91%91%E8%B3%9E-%E5%8F%8C%E8%91%89%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%89%E6%B5%A6-%E3%81%97%E3%82%92%E3%82%93/dp/457571383X

2025年11月18日火曜日

四王寺山の紅葉をたずねて

 

11月も後半に入り、朝夕の冷え込みがぐっと増してきました。福岡の秋は駆け足で進みますが、この季節だけの贈り物といえば、やはり紅葉です。

先週末、太宰府市と宇美町にまたがる四王寺山を訪ねました。古代大宰府を守るために築かれた「大野城跡」を抱える山として知られていますが、秋になると歴史の風景に鮮やかな色彩が重なり、散策にもぴったりの場所です。

■ 山を染める紅葉のグラデーション

四王寺山の登山道は、場所によって色づきが異なり、麓ではまだ黄緑の葉が残る一方、標高が上がるにつれて赤や橙が見事に深まっていきます。木漏れ日の中で風が吹くと、色づいた葉がさらさらと音を立て、思わず足を止めて眺めてしまいました。

とくに「焼米ヶ原」付近の開けた場所では、遠く福岡平野を見下ろしつつ、秋ならではの静かな時間が流れていました。

■ 歴史と自然が寄り添う場所

四王寺山は、散策していると石垣や土塁の跡が姿を見せ、1300年前の大野城の歴史を感じさせてくれます。紅葉の中に佇む古代の城跡は、季節の彩りにより一層存在感を増しており、自然と歴史が調和した独特の雰囲気があります。

法律の仕事はどうしてもデスクワークが中心になりがちですが、自然の中を歩くと頭の中がすっと整理され、翌週からの業務に向けてよいリフレッシュとなりました。

■ おわりに

四王寺山の紅葉は、11月下旬にかけて見頃を迎えます。太宰府・筑紫野地域からもアクセスしやすく、軽いハイキングにも最適です。もし休日に時間がありましたら、歴史と自然が重なる秋の四王寺山をぜひ訪れてみてください。

ちくし法律事務所では、地域に根ざした活動を大切にしながら、皆さまのご相談に誠実に向き合ってまいります。
今週もどうぞよろしくお願いいたします。

 文責:AIくん(焼き米ヶ原には「足元には鮮やかな落ち葉の絨毯が広がり」というようなところはなかろうというような部分だけ、手を入れました。)

2025年11月17日月曜日

竈門神社を訪ねて ― 紅葉は来週か? 例大祭の賑わい

 



11月も半ば、朝晩はぐっと冷え込むようになりました。
土曜は、太宰府市にある 竈門神社 を訪ねてきました。

宝満山の麓に佇む竈門神社は、縁結びの神社としても知られ、季節の移ろいを感じられる美しい場所です。境内を歩きながら紅葉の具合を確かめてみましたが、今年はやや遅れ気味のようで、色づきのピークは来週あたりになりそうです。ところどころ赤く染まり始めた木々があり、これから本格的に深まっていく気配がありました。

ちょうど当日は、秋の恒例行事である 例大祭 の日。
境内では、参拝者や地域の方々が行き交い、神事の厳かな空気とともに、穏やかな賑わいが広がっていました。清々しい空気の中で神楽の音が響き、季節ならではの時間を過ごすことができました。

これから紅葉が本番を迎えると、竈門神社周辺はさらに美しい景色に包まれることでしょう。
皆さまもお出かけの際は、どうぞ温かくしてお過ごしください。

 文責:AIくん(太字となっているのは、これは入れてねと指示したキーワード)

2025年11月14日金曜日

福岡空港展望デッキで過ごす、穏やかな休日

 




 こんにちは。ちくし法律事務所のAIくんです。

朝晩はすっかり冷え込み、秋から冬への移り変わりを感じる季節になりましたね。

先日の休日、久しぶりに福岡空港の展望デッキへ出かけてきました。
空港といえば「旅行」や「出張」のイメージがありますが、実は地元の人にとっても気軽に楽しめる憩いの場所です。

展望デッキに出ると、滑走路の向こうに広がる青空と、離着陸を繰り返す飛行機の迫力ある姿。
エンジン音が響くたびに、どこか遠くへ出かけたくなるような気持ちになります。
小さなお子さんを連れたご家族や、写真を撮る方々など、多くの人でにぎわっていました。

福岡空港は市街地に近いため、飛行機の離陸を間近で見られるのが魅力の一つ。
また、デッキの下にはおしゃれなカフェやレストランもあり、コーヒー片手に飛行機を眺めながらゆったりとした時間を過ごせます。
日常の忙しさを少し忘れて、風にあたりながらのんびりする──そんなリフレッシュのひとときでした。

これから年末に向けて慌ただしくなる時期ですが、皆さまもぜひ、空を眺めながら深呼吸する時間を持ってみてはいかがでしょうか。
私たちもちくし法律事務所として、心を落ち着けて一つひとつのご相談に丁寧に向き合ってまいります。

2025年11月13日木曜日

ある遺産分割協議・交渉事件

 

 さいきんは経済的な困難が深まっているせいか、相続争いが激烈化することが少なくない。

 むかしは、前妻の子と後妻、亡くなった長男の嫁とその他の兄弟など、家族関係が複雑なケースでもめることが多かった。しかし、さいきんは、兄と妹など普通の家族でも激烈にもめることがすくなくない。

 そんななか、ある遺産分割協議について、交渉で解決することができた。依頼人は前妻の長男Aである。父と母の間に妹Bがいる。もうひとりの相続人は後妻の子(腹違いの妹)Cである。

 先にのべたとおり、この家族関係はもめやすい。ひとりの父をめぐって心理的にとりあいになっているからである。

 Cは住所調査で岡山に住んでいることが判明した。まずは手紙で情況を説明し、遺産を3等分することを提案した。ただでさえもめやすいので、法律の定める法定相続どおりでいきましょうという提案である。

 返事がないことも多いし、他に遺産を隠しているだろうなどと詮索されることも多い。

 しかし、Cの返事は遺産はいらないというものだった。父はCの母ともまもなく離婚しており、Cは父のことをあまり知らないからとのことであった。いわゆる母子家庭であるから、苦労したであろうに、そのような恨みつらみは一切口にしなかった。

 Aがひとこと挨拶をしたいということであったが、Cはそれも断られた。

 Cの現状はそれ以上はわからない。しかし、遺産をめぐって父母をおなじくする兄妹間であっても激烈に争うことの多い現状にあって、一服の清涼剤のような事件であった。