きょうはわが事務所2025の仕事納めである。午前中は大掃除、午後はリクリエーションをして忘年会である。例年、大掃除のあとに締めの会議を行うが、ことしはスケジュールの都合で、昨夕おこなった。
2025年12月26日金曜日
ちくし法律事務所2025仕事納め
きょうはわが事務所2025の仕事納めである。午前中は大掃除、午後はリクリエーションをして忘年会である。例年、大掃除のあとに締めの会議を行うが、ことしはスケジュールの都合で、昨夕おこなった。
2025年12月25日木曜日
六本松界隈今昔(4)受験のころ
現在、博多駅、天神南から六本松をとおり西区橋本まで、福岡市営地下鉄七隈線が走っている。教養部時代、地下鉄が通じていなかったため、博多駅から六本松まではバスだった。
高校を卒業するまで大阪で育ったので、福岡の地理には疎かった。受験の際、博多駅バスセンターの券売のおばちゃんに「六本木まで!」と注文したら、「そんなバス停ありません!」と返された。・・・そりゃ、「六本松まで!」の言い間違いに決まっているやろ!
途中、渡辺通り一丁目から六本松までは、いわゆる城南線という道路である。1978年当時、七隈線の工事のため(地下を掘り進めば交通への影響は少ない。が、予算を節約する都合で露天掘りである。)、片側交通だった。そのため大渋滞だった。いまの福大生の交通利便性はわれわれ先人の苦難のうえに成り立っているのだ。
試験には、「久留米絣は井上伝女がはじめました。」の英作文や、「筑前はいまの何県でしょう?」という地元の受験生に有利な問題が複数出題された。
久留米絣をはじめたのは井上伝という女性だということは後に知った。筑前はいまの佐賀県だと回答した。
受験のときはJR鹿児島線の東郷駅にある親戚の家から通った。試験の帰りに博多駅から普通電車に乗ったら途中、筑前新宮という駅があった。「あれま、落ちたな。」と思った。
2025年12月24日水曜日
六本松界隈今昔(3)教養部
教養部の跡地は科学館、JRマンション、裁判所になってしまっているのだが、この像は当時のまま残されている(場所は校舎前から六本松交差点前に移されている)。
青陵乱舞の像という。旧制福岡高等学校の光栄を偲び、同校同窓会『青陵会』が寄贈したものである。
旧制福高は1921年(大正10年)創立。当時、六本松は見わたす限りの田園地帯であったという。つまり、六本松の発展は、最初から学生街としての発展であった。
1949年(昭和24年)に新制大学制度が実施され、旧制福高は九州大学に包括され、九州大学第一分校となった。
1963年(昭和38年)4月、第一分校は廃止され、教養部となり、一般教養を教える場となった。
昭和30年代後半~40年代は、高度経済成長に伴う経済復興が顕著となる一方、古い大学制度への反発や反戦などの機運が高まり、学生運動が活発におこなわれた。
1970年代以降、かつて重視された人間形成や人格陶冶のための教養は、大学の大衆化、新中間層の出現、価値観の多様化、専門化の進展などにより、その規範的地位を失い、形骸化・希薄化が進んだ(竹内洋著『教養主義の没落』)。
そして2009年(平成21年)、キャンパスは伊都地区へ移転、その歴史に幕をおろした。
教養部もそれぞれの時代の流れと無縁ではなく、時代の要請により変貌をとげている。
われわれは教養主義が没落しつつあった1978年(昭和53年)に入学し、1984年(昭和59年)に卒業した。医学部でもないのに、6年間もお世話になった。
当時、学生運動はごく一部の人たちのものとなり、授業にはでないで部室でたむろし、空き教室でドストエフスキーやバルザックの大著を片端から読破する日々だった。
いまや教養主義どころか、読書人口とともに本屋も急減してしまい、寂しいかぎりである。
2025年12月23日火曜日
六本松界隈今昔(2)大濠公園ランニングコース
部活のランニングコース、いつもは教養部から南へ向けて走っていた。しかしいつもおなじだと飽きがくると思われたのか、ときどき北へ向かって走ることもあった。北には大濠公園がある。
国体道路をわたる。こんなところも国体道路というとは知らなかった。
大濠公園だ。平日の昼間だというのに、何人もの人々が走っている。
2025年12月22日月曜日
六本松界隈今昔(1)谷から山の上へのランニングコース
六本松界隈。学生時代、教養部があったところ。いまは、科学館、JRマンション、裁判所、検察庁、弁護士会館になっている。
50年ちかく経って、ふたたびこの地に出入りするようになるとは思わなかった。
桜坂山手どおり。正面右手にその名も「山の上ホテル」がある。動・植物園、花見公園まで、あとわずかだ。
2025年12月19日金曜日
福岡市動・植物園(3)花見公園の長い階段
動物園の正門をでて右に行くと花見公園があり、植物園の入口方面にむけて長い階段がある。ついでにそこへ行ってみた。そして階段をのぼった。120メートルくらいあるだろう(段数は数えていない)。下から上にのぼるだけで、ふうとなった。
2025年12月18日木曜日
福岡市動・植物園(2)植物園
つづいて植物園へ。この日は動物園だけの予定だった。クマの檻のあたりを歩いていたら、植物園でクリスマスリースづくりのイベントをやると繰り返し放送があった。それなら行ってみようということになった。
芝生広場。木々は紅葉して芝生は枯れ、秋~冬の粧いである。コローの『モルトフォンテーヌの想い出』を思い浮かべてしまう。
植物園に行くならやはりマンサクが咲く春先~バラが咲く春である。次々に新しい花が芽吹いて、春がやってきた~と思えるから。
東を望む。遠い山なみは香椎の背後にそびえる立花山あたり。展望がきいて、頭のなかのモヤモヤもすかっとする。
2025年12月17日水曜日
福岡市動・植物園(1)動物園
福岡市動・植物園をおとずれた。まずは動物園から。
その後、ゾウがやってきたとか、数回脱走したとかいうニュースが流れた。気になっていたが、なかなか来ることができなかった。ようやく来ることができた。
当初の設計では、ゾウの檻はオープンなものが計画されていたようだ。しかしゾウの知恵もあなどれない。何度か脱走事件が続いたので、いまでは鎖やなにやで非常に閉鎖的な檻になってしまっている。残念。
トラ。ときおり吠え声をあげながら、檻のなかを狭しと徘徊していた。
2025年12月16日火曜日
地域の子どもたちが置かれた現状(事務所研修会)
地域の子どもたちが置かれた現状について、事務所独自の研修会をおこなった。参加は弁護士8人と事務局4人。
講師は厳しい環境にいる子どもたちや母たちを支援するNPO法人の代表者。法人は児童育成支援拠点事業、子育て訪問家事支援、女性シェルター一時保護委託、児童相談所一時保護委託などの事業を受託している。
これら事業の受託を通じて、シングルマザーの就労・自立、住居の支援、産前産後のこももティエ宿直、特定妊婦の就労・生活サポート、不登校の学習・就労支援、母子支援施設内就労などの実績がある。
われわれ弁護士も、少年事件、若年者の刑事事件、自己破産、離婚、子どもの面会交流、親権喪失の申立てなどの事件への取組みを通じて、厳しい状況にある母子に接し、支援することはある。
またテレビや新聞というメディアを通じて、望まぬ妊娠をしてしまった母が予期せぬ場所で出産したり、出産したばかりの子を遺棄したり、子どもたちがSNSを通じて性的被害にあったり、警固界隈といわれる場所で性被害や薬物中毒におぼれているなどという情報に断片的に接することもある。
今般の研修ではそうした個別の・島状のケースの背後に広がる面的な・地域的な情況を学習することができた。
ひと言でいうと、困難な情況にある子どもたち、母子たちが例外的存在ではなく、もはや例外的存在といえぬボリュームで存在しているという実態である。
大きな潮流となって押し寄せる情勢に対し、かなわぬまでも抗わなければならないと思われた。
またこうした理解が深まったことにより、今後の弁護士活動をおこなううえで、より充実した理解にもとづく子どもたちや母子の支援ができるようになるだろう。
2025年12月15日月曜日
顧問会社の研修旅行@壱岐(3)少弐公園・龍蛇神社、一支国博物館・原の辻遺跡
壱岐は、対馬とともに、朝鮮半島や中国大陸と近く、交易や軍事的できごとの現場となってきた。
勝本港から15分で少弐公園。ここは元寇「弘安の役」の古戦場である。1281年(弘安4年)、4万もの蒙古軍が対馬、次いで壱岐に攻め込んできた。
少弐公園から12分で一支国博物館。市立の建物とは思えぬ豪勢な建築。一支国は、三国志のうちの『魏志倭人伝』に記されている。
特別史跡・原の辻遺跡に接しており、博物館の屋上からは同遺跡を遠望することができる。高床式倉庫や望楼が復元されている。原の辻遺跡は一支国の国都とされる。三重の堀をめぐらせた大規模な環濠集落。
博物館から15分で郷ノ浦港。二日間だったが充実した研修。島を離れるのが名残惜しい。
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