2012年6月7日木曜日

猪鹿狼寺・本堂跡 by.福岡県筑紫野市の弁護士ブログ



 九重山を南登山口(南麓,花公園のある側)から
 登ると,最初の休憩ポイントが猪鹿狼寺・本堂跡。

 石祠と礎石類があるだけで
 建物等は残っていません。

 でも,動物名を連ねた寺の由来は
 なかなか興味深いものが(以下,説明板によります)。

 もともと天台宗の寺院で
 伝教大師・最澄が開基とも伝わるとか。

 最澄さん,宝満山には渡唐前に登ったと思いますが
 九重山まで来たかはちょっときびしい気がします。

 NHK大河で苦戦がつづく平清盛は
 歴史的にも,玉木宏の息子・源頼朝に倒されます。

 平家を打倒した頼朝は,自己の軍事力を誇示し
 東国武士の心をまとめるため富士山の麓で「巻狩り」を企画します。

 曾我兄弟の仇討ちで
 有名です(『曽我物語』)。

 いまでいえば
 オリンピックで国威を高揚させるようなものでしょうか。

 巻狩りは,鹿や猪などが生息する狩場を多人数で四方から取り囲み
 囲いを縮めながら獲物を追いつめて射止める大規模な狩猟のこと。

 さて頼朝の側近たちも,巻狩りなどはじめて。
 ルールや作法もわからず,どうすればいいんじゃ~。

 すると,九州の阿蘇神宮が
 どうやら巻狩りの作法に詳しいらしい。 

 というわけで,梶原景高,新田忠常を派遣し
 ルールや作法を習得させます。

 2人は,座学だけでなく
 久住高原で実習をやってみます。

 九重山には,牧ノ戸とか,鉾立峠とか
 巻狩りにちなむ地名が残っています。

 どちらも,鹿や猪を一網打尽にするため
 追い込んだ峠です。

 さて九重山は,天台宗の寺院もある霊峰ですから
 殺生禁止。

 そこで,彼らはお寺に,猪,鹿,狼を殺してゴメンなさい
 と多額の寄進をしたのだとか。

 中世ヨーロッパでいえば免罪符の販売,現代刑事事件でいえば
 贖罪寄付というところでしょう。

 こうして,武家の寄進を受けて
 一時は隆盛した寺も,戦国末期,島津軍の侵攻により消失。

 大分県という場所がら
 大友家と仲がよかったからでしょうね。

 これは,やはり島津軍の侵攻を受けて全滅した
 四王寺山・岩屋城の高橋紹運の運命とおなじですね。

 猪鹿狼寺・本堂跡は,こんな意味で
 九重山と宝満山・四王寺山を関連づける史跡なのでした。

          ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

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