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2024年3月7日木曜日

「世界遺産 大シルクロード展」@アジア美術館(3)

 
(駱駝俑)

(女子俑) 

 シルクロードのうち中国領内の部分が2014年「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」として世界遺産に認定された。西からいうと順に、新疆地域→敦煌→蘭州→西安→洛陽の各都市、各地域を結ぶ。

シルクロードは新疆地域からさらに西に延び、中央アジア、ペルシア、中東、トルコを経てローマに及ぶ。先の第一号ののち、第二号としてタジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンの関連遺跡など計34件が「シルクロード:ザラフシャン=カラクム回廊」の名で世界遺産に認定されている。それでもまだ全長6,400キロメートルの一部だ。

シルクロード上をいろいろな文物が東へ西へ行き来した。シルクロードというぐらいだから東から西へ絹が運ばれたことは間違いない。

東から西へは陶磁器も運ばれた。唐代の陶器は唐三彩だ。鉛釉を施した陶器で、主に副葬用に制作された(副葬品として墳墓から出土している。)。クリーム色・緑・白など三色を組み合わせていることから唐三彩と呼ばれる。

唐三彩は、物そのものだけでなく、技術も日本にも伝来している。あるいは、日本でその技術を真似ようとした。奈良三彩として有名。九州国立博物館にも所蔵されている。

https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&webView=&content_base_id=101343&content_part_id=0&content_pict_id=0

「光る君へ」の放送にあわせてか、越前市で越前国府の発掘に取り組んでいるニュースが放送されていた。越前は紫式部の父である藤原為時(岸谷五朗)が県知事として赴任したところ。式部も同行したとされる。

https://artexhibition.jp/topics/news/20240205-AEJ1848029/

その際、発掘のボランティアが語っていたのだが、緑釉のかかった陶片を発掘するとお宝発見なのだそう。当時一般的には須恵器、土師器の時代であるから、緑釉陶器は国府など重要施設だけで使用されていたから。当時は宝石ほどの価値があったことだろう。

シルクロードで発見される唐三彩は、場所柄からラクダ。日本の動物園にいるラクダくんたちとはちよっと違う。頼れる存在だったのだろう、力強い表現になっている。

そして唐美人。ふくよかな顔と優雅な立ち姿。鮮やかな釉に輝くショールは、三越のショーウインドウに輝く高級ブランドをもしのぐ魅力を放っている。

2021年8月26日木曜日

福井ー夕顔







 福井は三里ばかりなれば、夕飯したためて出づるに、黄昏の道たどたどし。
 ここに等栽といふ古き隠士あり。いづれの年にか江戸に来たりて予を尋ぬ。遙か十年余りなり。いかに老いさらばひてあるにや、はた死にけるにやと、人に尋ねはべれば、いまだ存命してそこそこと教ふ。
 市中ひそかに引き入りて、あやしの小家に夕顔・へちまの延へかかりて、鶏頭・箒木に戸ぼそを隠す。さてはこの内にこそと、門をたたけば、詫しげなる女の出でて、「いづくよりわたりたまふ道心の御坊にや。あるじはこのあたり何某といふ者のかたに行きぬ。もし用あらば尋ねたまへ」と言ふ。かれが妻なるべしと知らる。
 昔物語にこそかかる風情ははべれと、やがて尋ね会ひて、その家に二夜泊まりて、名月は敦賀の港にと旅立つ。等栽もともに送らんと、裾をかしうからげて、道の枝折りと浮かれ立つ。

 福井駅の西口をでると駅前に恐竜広場。そこから北に行くと福井城跡があります。徳川家康が縄張りをし、江戸時代・越前松平氏の居城跡ですが、天守閣は残っていません。

そこから南に商店街を抜けると、北の庄の城跡があります。柴田勝家の居城跡です。ここはもう石垣の跡が残っているだけです。写真中央に柴田勝家像がちいさく見えています。

福井駅から越美北線で東に向かうと5つめに一条谷駅があります。しばらく歩くと一条谷で、朝倉氏の居館跡などがあります。『麒麟が来る』で、長谷川博己がユースケサンタマリアの世話になったところです。

それぞれ、戦国時代に朝倉→柴田(織田)→豊臣→徳川の各大名が興っては滅びた兵どもが夢の跡です。

勝家の北の庄城跡からさらに南に足羽川をわたり、すこし行くと左内公園に着きます。幕末の志士、橋本左内の墓があります。越前は松平春嶽をはじめ、明治維新の原動力になりましたが、薩長土肥に比べ影が薄いですね。

芭蕉が世話になった等栽の家は、この左内公園にありました。「市中ひそかに引き入りて、あやしの小家に夕顔・へちまの延へかかりて、鶏頭・箒木に戸ぼそを隠す」とあったものの、いまは子どもの遊具になっています。

芭蕉の描写は、源氏物語の夕顔の段を俤にしています。

「かの白く咲けるをなむ夕顔と申し侍る。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になん咲き侍りける。」と申す。
 げにいと小いへがちに、むつかしげなるわたりの、このもかのも、あやしくうちよろぼひてむねむねしからぬ軒のつまなどに這ひまつはれたる・・むかしの物語などにこそかかる事は聞け、といとめづらかに・・・

関西が近づいてきたせいでしょうか、須賀川の栗斎などとちがい、隠士といっても、等栽はずいぶん関西テイストです。

左内公園にいま等栽の家のあとは残っていませんが、芭蕉の句碑はあります。

 名月の見所問ん旅寝せむ

句碑もおしゃれ、名月のデザインです。

さて本日もクイズ、本日の投稿にあきらかな誤りがあります。どこでしょう?