馬籠宿、初。
中山道43番目の宿。中山道は江戸時代に整備された五街道の1つ。江戸日本橋と京都三条大橋を内陸経由で結ぶ。
そのうち木曾谷に沿って信濃から美濃を結んでいるのが木曽路。11宿あり、馬籠宿はそのいちばん南の宿。
木曽路はすべて山のなかである。島崎藤村『夜明け前』のあまりにも有名な冒頭でもある。
古来、木曽路は険しく山姥が出るとされていた。善光寺詣にでかけるにも、木曽路を通れば百里で済むところ、命大切さから二百里ある北陸道を選んでいた。能の「山姥」でも、都の遊女が善光寺に詣でるにあたり、越中・越後の境にある境川を渡っている。
平家と木曾義仲が合戦をするのに北陸で戦ったのも、そういう事情があったのだろう。
いまでは国境を越えて、韓国、中国、東南アジアのかたがたがたくさん訪れている。
芭蕉も、木曽路を2度訪れている。1度目は「野ざらし紀行」、2度目は「更科紀行」の旅のとき。
前者には記述なし。後者には「木曽路は山深く道さがしく、旅寝の力も心もとなし」「桟橋・寝覚など過ぎて、猿が馬場・立峠などは四十曲りとかや。九折かさなりて、雲路にたどる心地せらる」とある。
落合宿との中間点あたりに芭蕉の句碑がある。芭蕉は送られるのが大好き。
送られつ送りつ果ては木曽の穐(あき) 芭蕉
脇本陣跡横には山口誓子の句碑。どうやら木曽には冬ではなく秋があうらしい。
街道の坂に熟柿灯を点す 誓子
恵那山には迫田弁護士夫婦とともに15年ほど前に登った。登ったことは覚えているが、山中の記憶はない。下山後の中津川で、かしまし娘の歌江姉さんをお見かけしたことしか覚えていない。
恵那山が呼んでいたが、冬山登山装備を持参していなかった。しかたなく美しい山容をいつまでもながめていた。ええなぁ。
恵那山が呼んでいたが、冬山登山装備を持参していなかった。しかたなく美しい山容をいつまでもながめていた。ええなぁ。
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