2025年2月7日金曜日

三歳の孫と城山登山

 

 三歳の孫とともに宗像四塚の一角、城山(じょうやま)369mに登った。山頂に宗像氏の蔦ヶ嶽城があったことから城山と呼ばれる。

 山城が日本全国あちこちにあったため、城山という名の山も日本全国あちこちにある。でも、ここが日本一であることは間違いない(あくまで私見。全国を廻ったわけでもない。)。

 宗像氏は宗像大社の大宮司家である。古代からの豪族で、中世には武士化し、戦国大名宗像氏貞がここを居城とした。しかし豊臣秀吉の命により廃城となった。宗像氏も氏貞の急死により途絶した。 

 登山口は3つあるが、この日は福岡教育大前から。子どもに登山を教えるのに最適な登山口である。

 途中階段もある。自分の足で登るとたいした階段ではないが、三歳児のコンパスで測ると相当な段差(われわれの2倍以上)である。


 真冬なので、孫が喜ぶ昆虫はいない。昨秋、三日月山に登ったときは、カマキリや蛾の死骸、蜂の巣の残骸に驚喜していたのだが。

 それでも樹齢100年を超える巨木の姿にはパワーをもらっていたようだ。自然のなかで自己を解放し、ひっきりなしになにごとか大声で喋っていた。


 山頂部ではロウバイが香っていた。花言葉は、奥ゆかしさ、慈しみ、慈愛、先導、先見。山奥にひっそりと咲いている奥ゆかしさ、孫に対する慈しみ、慈愛、いまだ来ぬ春に先だって咲く先導、先見だろうか。


 山頂。蔦ヶ嶽城があったあたりは野積みの石塁のほか、土塁、堀切、竪堀の痕跡が残っているのみである。


 沖の島の遙拝所がある。右の山の向こうには沖ノ島が存在するはずだが、この日は見えなかった。
 
 沖ノ島には宗像大社沖津宮がある。世界遺産。戦国大名宗像氏は途絶しても、宗像大社の名は残った。

 登山後、孫は生き生きとしていた。夕食をしながら寝てしまったが。

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