法律顧問をおひきうけしている訪問看護ステーションはるかの幹部社員むけにセミナー第4回をおこなった。
テーマは訪問看護事業の背骨をなす社会保障制度。ただし、タイトルは訪問看護ステーションの乗る「箱船」としての社会保障制度とした。背骨というと頼れる屋台骨という感じだが、水に浮かぶ子の葉のように制度がガタついて毎年のように揺れ動いているからである。
それは社会保障制度の歴史を概観するだけで明らかである。
社会保障制度の歴史は、明治以降たかだか150年である。1874年、生活困窮者の救済に関する恤救(じゅうきゅう)規則にはじまる。
実際のスタートは、第一次世界大戦後の1922年には健康保険法制定から。それからだとわずか100年である。健康保険はいまも、われわれ国民にとってもっとも身近な社会保障制度である。
1946年制定の日本国憲法は社会権を保障し、まさに社会保障制度にバックボーンが与えられた。
1950年、社会保障制度審議会勧告は、社会保障制度について、疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、多子その他困窮の原因に対し、保険的方法又は直接公の負担において経済保障の途を講じ、生活困窮に陥った者に対しては国家扶助によって最低限度を保障するとともに、公衆衛生および社会福祉の向上を図り、もってすべての国民が文化的社会の成員たるに値する生活を営むことができるようにすることであると定義した。
1961年、国民皆保険が実施され、1973年、老人医療費が無償化されるなど社会保障制度が拡充された。これにより、世界的にも評価される医療保険制度ができあがった。1973年は「福祉元年」と呼ばれる。
だが皮肉なことに同年、第4次中東戦争を機にオイルショックが発生、経済が低成長となるとともに財政難が生じるようになった。社会的にも少子高齢化が進んだ。1980年ころはじまった新自由主義的な日本をとりまく国際環境にも影響された。
その結果、社会保障制度は毎年のように、制度の見直しがおこなわれるようになった。それらは1980年代には社会保障制度の再編、1990年代には社会保障制度の構造改革、2012年以降は全世代型社会保障改革と呼ばれている。
日本は病床数の多さ、入院期間の長さが世界的にみて問題とされ、入院医療を抑制し、在宅医療を推進するようになった。訪問看護事業の推進はその一環である。
OECD対日審査報告は、医療制度改革に一節をさき、GDP増を上まわる医療費増加、老人医療費対応が鍵であるとした。2008年には高齢者医療確保法が実施され、先に無償化された老人医療も一部有償化された。同年の高齢化率が22%であった。高齢化は世界的にも例をみないスピードで進み、2065年の40%まで進むと見込まれている。
今年2025年は団塊の世代が後期高齢者となり、医療・介護への需要が増大することが見込まれている。厚労省は、重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支障が一体的に提供される地域包括ケアシステムの構築を急いでいる。
これが美しい看板どおりなのか、医療費削減のための弥縫策にすぎないかは、運用の実態しだいだろう。今年から高齢者の仲間入りした者としては、前者であることを祈るばかりである。
0 件のコメント:
コメントを投稿