2024年7月8日月曜日

新潟の旅(12)フォッサ・マグナのなかの清津峡

 

 さて先週末の宿題は、清津峡はどのようにしてできたのか?NHKの番組「ジオジャパン」の「清津峡と八海山」からの受け売りであるが、答えはこうである。

まず1500万年前、清津峡のあたりは海の底だった。大陸から分離してひょっこりひょうたん島のように日本海を移動してきた東日本と西日本はいまだ離ればなれで、その中央部分には大きな海が存在していた。これがフォッサ・マグナである。

http://www.ueis.ed.jp/kyouzai/h27_rika/naritachi/narimain.htm

https://www.mapple.net/articles/cms/wp-content/uploads/2022/03/003-nagano_001.jpg

フォッサ・マグナは、明治のお雇い外国人ナウマンが発見した。ナウマンは、名前のとおりナウマン象の発見者でもある。東大の地質学の初代教授であるが、来日したときは21歳、滞日はわずか10年ほど。その間、日本列島を1万キロメートルも調査したというのだからすごい。


フォッサ・マグナとは大きな溝の意味である。文字どおり、日本列島の中央に存在した大きな溝である。明治期といえども、地理的にはいまのようにつながっていたけれども、西日本、東日本とその中央のフォッサ・マグナ部分が地質的に違っていたことから発見された。


(安曇野、この下をフォッサマグナの西端が走る)

フォッサマグナの西縁は糸魚川静岡構造線と呼ばれる。糸魚川から安曇野~諏訪湖~大鹿村(南アルプス塩見岳の麓)を経由して静岡に抜ける。

これに対し、東縁はあまりはっきりしないようだ。諸説あるが、一般的には新発田から八海山~谷川岳を経由して千葉に抜けるラインが想定されている。


(越後駒ヶ岳から八海山をのぞむ。
その向こうをフォッサマグナの東端が走る)

八海山は丸い石でできた岩でできている。そこからかつては東日本の海辺に近い河原だったことが推測され、それが隆起したものだとされる。


さて1500万年前、海の底だった清津峡。海底火山が爆発して火山灰が数千メートルも降り積もる。そうしてできた岩(緑色凝灰岩)が緑色をしているのでグリーンタフと呼ばれる。清津峡をやや下がるとこの地層がみられる。

そうして700万年前、この緑色凝灰岩に地下からマグマが貫入した。マグマは冷やされ、規則的な角柱の並びである柱状節理を形成した。

その後、大陸プレートにフィリピン海プレートが潜りこむことにより、東西圧縮がおき、現在のように隆起した。そして清津川の浸食作用により、現在の地形となった。

・・・というのだが、ほんとうだろうか。

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