2024年7月12日金曜日

虎に翼(1)ー尊属殺重罰合憲判決

 

 毎日、NHKの朝ドラ「虎に翼」をみている。虎に翼とは、鬼に金棒と同じ意味、中国古代の法家・韓非子から。主人公は猪爪(佐田)寅子、日本ではじめて女性として弁護士、判事、裁判所長をつとめた三淵嘉子をモデルとする。

とても勉強になる。われわれが法律の勉強をはじめたのは1980年(昭和55年)ころである。日本国憲法制定が1946年(昭和21年)であるから、30年以上経っている。

戦前の状況や、日本国憲法の理念は、同時代の話というより、過去の出来事として教科書の記述をとおして勉強し理解した。

ドラマをみていると、憲法の理念が、同時代の法曹たちの目をとおして、どれほど輝かしくまぶしいものであったかがとてもよく分かる。

当時だって人間社会だから、そのように感じない人たちだっている。憲法の理念を社会に広く浸透させたいと思う人もいれば、日本社会に適さないと考える人もいる。そこはせめぎ合いである。

その象徴的な事件として、尊属殺重罰規定の合憲判決が描かれた。ときは1950年(昭和25年)のこと。憲法制定から4年しか経っていない。

尊属とは、父母や祖父母など自分より上の世代の親族のことである。尊属殺とは、この人たちを殺すことである。もちろん、父母や祖父母を殺してはいけないが、問題はその量刑である。

一般的な殺人については、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処するとされている。一口に人を殺すといっても、そこに至る事情はさまざまである。仏さまのような被害者もいれば、極悪非道の被害者もいる。偶発的なこともあれば計画的なこともある。それを考慮して、懲役5年から死刑まで幅広い刑罰が用意されている。

ところがである。旧刑法200条は、尊属殺の法定刑について、死刑又は無期懲役のみに限定していた。どんな極悪な親でも殺せば、法定刑が死刑又は無期となってしまう。どんなに減刑をおこなっても執行猶予をつけることができない。

その理由は、一般人を殺すより、尊属を殺すほうが道徳的にけしからんというにある。一言で言えば、孝である。『論語』に書かれた孔子の教えである。南総里見八犬伝にもでてくる。

国家がなぜ、孝を推奨するかというと、忠につながるから。親孝行の子は主君にも忠義を尽くすだろうということである。『論語』でも両者はセットになっている。「子曰く。出でては即ち公卿に事え、入りては即ち父兄に事う。」

道徳と刑罰の関係は、中国古代の孔子と韓非のころから付かず離れず。人民を支配するに前者は道徳をもってせよと言い、後者はそんな甘いことを言ってちゃダメだ法で厳しく処罰せよという。刑罰は最低限の道徳ともいわれ、刑法学の通説は道義的責任論である。

こうしたことを背景としつつ、旧刑法200条の合憲性が争われたのである。理由は、憲法14条の平等権違反である。尊属の命を一般人の命より重いとするのは平等原則に違反するというのである。

しかし、当時の最高裁はこれを合憲とした。憲法制定から4年、その理念は日本社会にいまだ浸透できていなかったのである。せめぎあいの第1ラウンドは負けである。

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