2024年7月19日金曜日

虎に翼(4)ー旧優生保護法違憲判決

 

 朝ドラの世界で寅子が尊属殺重罰規定合憲判決の報せを聞き、その不条理に歯ぎしりしていたころ、われわれの世界では最高裁判決が旧優生保護法が違憲であると判断した。

旧優生保護法の立法目的が立法当時の社会状況をいかに勘案したとしても、正当とはいえない。旧優生保護法に基づく強制手術規定が特定の個人に対して生殖能力の喪失という重大な犠牲を求める点において、個人の尊厳と人格の尊重の精神に反する。旧優生保護法に基づく強制手術が憲法13条、同14条1項に反する。このように判示した。

ある法律が違憲かどうかは、①立法の目的の正当性の有無、②その目的を達成するための手段・方法の合理性・相当性という2段階で判断される。すでに見たように、1973年(昭和48年)の尊属殺重罰規定違憲判決は、立法の目的は是認したうえで、その手段・方法が行きすぎだと判断した。

本件では、立法目的そのものが正当でないと判断された。旧優生保護法が立法されたのは1948年(昭和23年)であるから(議員立法)、いまから考えればどこをどう間違ったのかと思う。優生思想はナチス・ドイツにより強力に推進された。それをナチスが敗れた戦後新憲法のもとで立法したというのであるから救いがたい。

強制手術(断種・堕胎)は、ハンセン病患者に対しても強制された。ハンセン病は感染症であることは明らかであった(だからこそ強制隔離を行ったはず。)にもかかわらず、患者たちは断種・堕胎を強制された。優生思想どころか、科学的根拠は皆無である(障害者については科学的根拠があるという趣旨ではない。)。

ハンセン病患者に対する人権制限の違憲性については、われわれが勝ち取った熊本地裁平成13年判決がある。いわく。

らい予防法の隔離規定によってもたらされる人権の制限は、人としての社会生活全般にわたるもので、憲法13条に根拠を有する人格権そのものに対するものととらえるのが相当である(注、らい予防法の隔離規定によってもたらされる人権制限が、人としての社会生活全般にわたったため、同法が憲法何条により違憲なのかが議論された。)。当時のハンセン病医学の状況等に照らせば、らい予防法の隔離規定は、その制定当時からすでに、公共の福祉による合理的な制限を逸脱していたというべきである。

熊本地裁判決について政府は控訴を断念し、確定した。したがって、政府としては、らい予防法の隔離規定の違憲性については、一審判決ながら政府の認めるところとなったのである。

旧優生保護法の裁判の詳細は承知していないが、恐らく旧優生保護法の違憲性についても、政府は強くは争わなかったのではないか。つまり、問題は、不法行為から20年を経過すると権利の行使が出来なくなるという除斥期間(旧民法724条)の適用/不適用が最大の問題だったと思われる。

この点について、前記最高裁判決は、本件規定の立法行為に係る国の責任は極めて重大であり、被害者の被害回復のための立法措置も不十分であるとした上で、本件各事件の訴えが除斥期間の経過後に提起されたということの一事をもって、請求権が消滅したとして国が損害賠償責任を免れることは著しく正義・公平の理念に反し、到底容認することができないと判示した。

民法の規定どおりに法を解釈することを文理解釈という。解釈の基本である。司法というのは法を執行する機関であるから当然である。

法制定から時間が経過したりなどすると、法規範が実態からズレてしまうことがある。文理どおりに解釈すると、正義・公平の理念に照らし不都合を生じる場合があるのである。このような場合、文意をふくらませたり(拡大解釈)、制限したりする(縮小解釈)。

本件では除斥規定をそのまま適用すると「著しく正義・公平の理念に反するので」、同条の適用を制限するというのである。今回の最高裁判決の最大の凄みはこの部分の判示だろう(なお、無制限に除斥期間の制限を認めたのではない。①本件規定の立法行為に係る国の責任は極めて重大であること、②被害者の被害回復のための立法措置も不十分であることなど、本件事案の特性による限定を加えている。)。

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