尊属殺重罰規定に関する1950年(昭和25年)最高裁判決は合憲判断だった。
それが最高裁で違憲と変更されたのは1973年(昭和48年)である。新憲法の平等原則が社会に浸透するのに23年の年月を必要としたのである。1973年といえば、当職が14歳のときだ。
ただし諸手を挙げてバンザイというわけにもいかない。違憲とされた理由はこうだから。
尊属の殺害は、通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとして、このことをその処罰に反映させ、法律上、刑の加重要件とする規定を設けても、直ちに不合理な差別的取扱いとはいえない。
しかし、旧刑法200条は、尊属殺の法定刑を死刑または無期懲役のみに限っているので、その立法目的達成のため必要な限度をはるかに超え、普通殺に関する刑法199条の法定刑に比して著しく不合理な差別的取扱いをするものと認められ、本条(憲法14条)1項に違反して無効である。
すなわち、孝の考えから重く処罰するという目的そのものはよかろう、しかし、その手段はちと重すぎるのうというのである。
ともあれ、旧刑法200条はその後、最高裁が求めたところの量刑を軽くするという法改正ではなく、削除された。刑を軽くする法改正では、再び違憲訴訟が提起されることを避けられないからだろう。
国会議員が定める法律より、憲法が上位の規範として存在することを立憲主義という。そして裁判所が憲法違反の法律を違憲として判定していく仕組みを違憲立法審査制度という。
この場合の裁判所には2種類ある。欧州大陸では、一般の裁判所とは別に憲法裁判所がもうけられ、そこで一般的抽象的に合憲性/違憲性が判断されている。これに対し、コモンローの伝統のある英米法では一般の裁判所が一般の裁判の前提問題として合憲性/違憲性を判断する仕組みとなっている。
戦後日本は、米国流の憲法を受容したので、後者を採用している(憲法81条)。
前者は抽象的判断対、抽象的判断の対決だから、憲法裁判所の裁判官の資質等についてよほど配慮がなされないと、政治的な緊張が生じるだろう。
後者は抽象的判断に対し、個別事件解決を通じた具体的判断であるから、立法側の納得が得られやすいかもしれない。
それでも後者の違憲判断は、何百人という国会議員がつくった法律を5人(小法廷)~15人(大法廷)の裁判官が間違っていると判定することになる。だから、できるだけ謙抑的に運用していこうという傾向が生じることになる(司法消極主義)。
先輩の米国では、共和党と民主党との間を政権がスイングするにつれ、最高裁の判断も保守からリベラルへ揺れ動いてきた。トランプ元大統領に関する最高裁判決などは、かれが任命した判事たちの判断だなぁと妙に納得させられるところがある(ほめてない。法の支配ではなく、人の支配の臭いがプンプンするから。)。
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