2017年12月5日火曜日

『水戸黄門』のように,なぜ正義が勝たないのか?筑紫野市の弁護士の回答


          (嵐山・亀山の紅葉)

 「正義は必ず勝つ」といわれる。たしかに『水戸黄門』や『遠山の金さん』などではそうなっている。しかし,実務ではそうならないことも多い。みなさんは,日ごろから『水戸黄門』や『遠山の金さん』などをご覧になっていて,「正義は必ず勝つ」世界観になじんでいられるので,そのギャップに唖然とされることが多い。このギャップはどこから来るのだろうか。

 たとえば,1週間前の午後9時,家の前の暗がりで,Bに殴打され,全治2週間の怪我を負わされたとする。民事裁判でBに対し損害賠償が認められるには,上記殴打の事実について,(Bが否認すれば)こちらが証明しなければならない。たまたま目撃者がいればよい。でもいないことが多い。たまたま目撃者がいたとしても,どこの誰だか分からないことも多い。どこの誰だか分かっているのに,関わりあいになることを恐れて協力してくれないことも多い。そうすると,たかだか1週間前の事件なのに,正義が実現されないことになってしまう。

 では『水戸黄門』や『遠山の金さん』では,なぜ「正義が勝つ」ことになっているのであろうか?それにはこのようなカラクリがある。すなわち,『水戸黄門』では,風車の弥七が天井裏にひそんでいて,悪代官と越後屋の悪だくみを目撃している。『遠山の金さん』ではなんと,裁判官じしんが庶民のふりをして事件現場を目撃している。

 しかし,実際の裁判ではこのようなことはありえない。裁判官が事件の現場に偶然いあわせることは100%ありえないし,みずから捜査みたいのことをすることもありえない。また,仮に風車の弥七みたいな手下がいたとしても,悪代官の天井裏にいる時点で住居侵入罪で逮捕である。

 そうなると,悪事や事件を証明することができない。すなわち,正義が勝つことが難しい。みなさんは,ほかならぬ自分が見聞きし,体験した事実であるから,証明は十分と思っておられる。残念ながら,民事裁判では当事者の証言は証拠価値が著しく低い。加害者が嘘をついていると被害者が言っても,裁判官にはどちらが嘘をついているかの判定が難しいのである(このことも理解していただくことが難しい。でも自分が裁判官であったとして,Aが赤信号だったといい,Bが青信号だったといったときに,どう判定するのか想像していただきたい。)。

 かくて今日も正義が必ず勝つとはいえず,『水戸黄門』的世界観からして不満な人々が事務所をあとにしていかれることになる・・・。

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