2025年2月5日水曜日

社会保障制度@顧問会社セミナー(2)朝令暮改・朝三暮四・五公五民

 

 社会保障制度の方法と財源としては、1950年社会保障審議会勧告の定義にあるとおり、保険的方法と直接公の負担(税金)とがある。

 本セミナーを準備しながら、頭のなかを朝令暮改、朝三暮四という中国古代の故事に由来する四字成語がなんども去来した。

 朝令暮改とは、命令や政令などが頻繁に変更されて、一定しないこと。朝出した命令が夕方にはもう改められるという意から。▽「朝に令して暮れに改む」と訓読する。出典:漢書 食貨志(goo辞書)。

 社会保障制度は、1973年に「福祉元年」を迎えたものの、その後の経済の低成長、財政逼迫から場当たり的に、かつ、毎年のように改正を重ねてきている。事務所にあった古い教科書はほとんど役に立たない。社会保障法の改廃があまりにも頻繁であることは、どの教科書の筆者も嘆かせている。

 朝三暮四とは、目先の違いにとらわれて、結局は同じ結果であることを理解しないこと。また、言葉巧みに人を欺くこと。転じて、変わりやすく一定しないことや生計の意味でも使われる。出典:列子 黄帝。中国宋の狙公が猿を飼っていたが、その猿たちにトチの実を朝三つ晩四つ与えると言ったら猿たちは怒ったが、朝四つ晩三つにすると言ったら喜んだという故事から(goo辞書)。

 介護保険法は2000年4月スタート。それまで老人介護は老人福祉法による措置(税金による救貧)によっていた。後期高齢者医療制度は2008年の高齢者の医療の確保に関する法律に基づく。こちらもやはりそれまでは高齢者福祉法による措置によっていた。

 もちろん表向きの美しい看板もかかっているのであるが、どちらも根本的には税金だけではまかなえなくなったので、保険的方法への負担を求める対症療法といえる。

 税金という使途不明なものより、介護費・医療費という使途が明確なものになったという利点がないわけではない。しかし、負担増となった保険料分だけ税金が安くなったわけではない。まさに朝三暮四の感をぬぐえない。

 このことをはっきりさせるため、国民負担率という概念がある。国民負担率とは、国民所得に対する税金と社会保障負担の合計額の割合をいう。

 財務省によれば、2024年の国民負担率は45%である。日本史の教科書で、江戸時代の百姓が搾取されていたことを現す言葉として五公五民を習った。百姓は5割の米を年貢として納めさせられていたが、これは税負担として重すぎるだろうというのである。

 もちろん、武士階級がほぼ全部搾取していた江戸時代と違い、介護サービスや医療給付として国民に還元されているところはある。しかし赤字国債の増大など、現在の負担を将来の子や孫に先送りしながらの45%負担である。無借金経営に切り替えれば、どれだけの負担増になるのか考えるだけでも恐ろしい。

 ・・・明るく楽しいブログをめざしているのに、社会保障制度を話題にすると暗くなるなぁ。

2025年2月4日火曜日

社会保障制度@顧問会社セミナー(1)社会保障制度の歴史

 

 法律顧問をおひきうけしている訪問看護ステーションはるかの幹部社員むけにセミナー第4回をおこなった。

 テーマは訪問看護事業の背骨をなす社会保障制度。ただし、タイトルは訪問看護ステーションの乗る「箱船」としての社会保障制度とした。背骨というと頼れる屋台骨という感じだが、水に浮かぶ子の葉のように制度がガタついて毎年のように揺れ動いているからである。

 それは社会保障制度の歴史を概観するだけで明らかである。

 社会保障制度の歴史は、明治以降たかだか150年である。1874年、生活困窮者の救済に関する恤救(じゅうきゅう)規則にはじまる。

 実際のスタートは、第一次世界大戦後の1922年には健康保険法制定から。それからだとわずか100年である。健康保険はいまも、われわれ国民にとってもっとも身近な社会保障制度である。

 1946年制定の日本国憲法は社会権を保障し、まさに社会保障制度にバックボーンが与えられた。

 1950年、社会保障制度審議会勧告は、社会保障制度について、疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、多子その他困窮の原因に対し、保険的方法又は直接公の負担において経済保障の途を講じ、生活困窮に陥った者に対しては国家扶助によって最低限度を保障するとともに、公衆衛生および社会福祉の向上を図り、もってすべての国民が文化的社会の成員たるに値する生活を営むことができるようにすることであると定義した。

 1961年、国民皆保険が実施され、1973年、老人医療費が無償化されるなど社会保障制度が拡充された。これにより、世界的にも評価される医療保険制度ができあがった。1973年は「福祉元年」と呼ばれる。

 だが皮肉なことに同年、第4次中東戦争を機にオイルショックが発生、経済が低成長となるとともに財政難が生じるようになった。社会的にも少子高齢化が進んだ。1980年ころはじまった新自由主義的な日本をとりまく国際環境にも影響された。

 その結果、社会保障制度は毎年のように、制度の見直しがおこなわれるようになった。それらは1980年代には社会保障制度の再編、1990年代には社会保障制度の構造改革、2012年以降は全世代型社会保障改革と呼ばれている。

 日本は病床数の多さ、入院期間の長さが世界的にみて問題とされ、入院医療を抑制し、在宅医療を推進するようになった。訪問看護事業の推進はその一環である。

 OECD対日審査報告は、医療制度改革に一節をさき、GDP増を上まわる医療費増加、老人医療費対応が鍵であるとした。2008年には高齢者医療確保法が実施され、先に無償化された老人医療も一部有償化された。同年の高齢化率が22%であった。高齢化は世界的にも例をみないスピードで進み、2065年の40%まで進むと見込まれている。

 今年2025年は団塊の世代が後期高齢者となり、医療・介護への需要が増大することが見込まれている。厚労省は、重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支障が一体的に提供される地域包括ケアシステムの構築を急いでいる。

 これが美しい看板どおりなのか、医療費削減のための弥縫策にすぎないかは、運用の実態しだいだろう。今年から高齢者の仲間入りした者としては、前者であることを祈るばかりである。

2025年2月3日月曜日

ちくし法律事務所40周年パーティ

 


 1日土曜日は、ちくし法律事務所40年記念パーティをおこなった。タイトルは〝 くらしを守り未来を創る 新たな挑戦”。

 わが事務所は1984年創立、当初稲村晴夫弁護士1人、事務局1人でスタートし、いまや弁護士8人、事務局10人の事務所になっている。地域に根差しつつ、国民的課題解決にも尽力していくという理念が、地域のみなさんに支持された結果であろう。

 過去に15周年と25周年のレセプションをおこなった。25周年のときは、顧客や日ごろご支援をいただいている方々など総勢300人を超える人たちに集まっていただいて盛大におこなった。

 その後、弁護士業界の変化もあって30周年と35周年は実施しなかった。そうした折り、昨年本流事務所が20周年をおこなった。その席に当事務所を退所された稲村弁護士も来られていて、ちくし法律事務所も40周年だねという話をなんどもされた。

 そうしたことにも背中を押され、わが事務所も40周年記念パーティを実施することとした。ただし、地域の皆様をご招待することとすれば500人を超える規模になりそうだったので、いつもわれわれを支えてもらっている事務局とそのご家族を招待して内輪のパーティとした。

 福岡市内のおしゃれなお店を借り切り、弁護士とその家族、事務局とその家族45人の参加であった。あたたかくアットホームな会となった。

 井上弁護士による開会宣言ののち、はじまりのおはなし。迫田弁護士が本パーティの趣旨を説明した。
 
 ご招待した稲村弁護士が40周年に寄せてと題するスピーチをおこない、乾杯した。

 そのあとは、佐々木事務局長のスピーチとそのファミリーのスピーチ。つづいて、次長の柴田ファミリーのスピーチ、以下、もと事務局だった原さん、行田さんとスピーチは続いた。

 みな、わが事務所がアット・ホームな雰囲気でよい事務所であると、(お世辞半分であろうが)ユーモアたっぷりに誉めてくれた。ありがとうございます。

 弁護士業界にはあまた法律事務所が存在する。そのなかで、わが事務所はもっとも事務局を頼りにし、事務局を大事にしている事務所である(と、少なくともわれわれ弁護士サイドは考えている。)。

 日ごろ、事務局も家族にどんな仕事をしているのか、どんな人たちと活動をしているのかを意外と伝えられていない。参加されたご家族は、各人のスピーチを聞くなかで、そうした点についてよく理解できたようだった。

 わが孫も1人参加した。日ごろからあまり泣かず、機嫌のよいことの多い子ではある。この日は終始にこやかであったことにくわえ、しよっちゅうキャッキャと笑い声をあげていた。いまだ1歳になったばかりで言葉もしゃべれないのであるが、じぃじがとても楽しい人たちと楽しい会に参加していることは敏感にさとったようである。

 わが事務所の来しかた、到達点、そして今後どう進んでいくべきか各自考えることができたと思う。情勢は簡単ではないだろうが、難局にあたる結束を確認できたことは何よりの成果だった。

2025年2月2日日曜日

春日市黒塗り行政を正す訴訟 その後・・・

「国民が情報を持たず、またそれを獲得する手段を持たぬ国民の政治は、道化芝居の序幕か悲劇の序幕であり、或いはその双方以外の何ものでもない。」


先日(1月30日)、森友学園に関する財務省の決算文書の改ざんに関連する文書開示の裁判で、大阪高裁は、文書の存否さえ明らかにせず不開示とした国の決定の違法性を認めた。情報の公開は民主主義の基盤である。


ところで、先日このブログでも浦田弁護士が紹介していた春日市の情報公開訴訟。福岡地裁が春日市に対して情報非開示決定の取消しを命じた判決は、春日市の控訴なく確定した。訴訟の概要は、浦田弁護士のブログを参照されたい。

ちくし法律事務所ブログ: 春日市黒塗り行政を正す訴訟(勝訴)情報公開請求訴訟


確定からまもなく1か月になる。が、いっこうに春日市からの情報公開はない。原告本人に改めて通知し直すそうだ。


以前、当事務所が太宰府市に対して情報公開請求訴訟をした際は、福岡地裁の判決を受けて、控訴期限内である9日後には市長が会見。すみやかに文書が開示された。

令和4年4月8日楠田市長臨時記者会見 - 福岡県太宰府市公式ホームページ


自治体によって、かくも対応が違うものなのか。


聞くところによると、春日市は、今回の判決について、市がすでに取り組んでいる情報公開の方向性と実態に即した司法判断がなされた、と市議会に報告したそうだ。


はて?


今回の訴訟は、春日市の指定管理者の令和3年度収支報告書と令和4年度の収支計画書の支出項目の内訳の開示を求めるもの。ただ、春日市は、令和4年度収支報告書以降の分については、判決を待たずに情報を開示する運用に切り替えていた。上記の報告は、どうやらこのことを言っているらしい。


はて?


もとはといえば、令和2年度の収支計画書までは、黒塗りなど一切なかった。それを黒塗りに切り替えたのが違法だと提訴されたのが今回の裁判である。春日市の運用は、市政の前進ではない。3歩下がって2歩進んだだけなのだ。それに輪をかけて、確定判決に従った情報公開の対応のこの遅さである。


冒頭の言は、第4代アメリカ合衆国大統領のジェームズ・マディソンのものだそうだ。

確定判決後の春日市の対応が、春日市の道化芝居か、春日市民の悲劇の序幕にならないことを祈るほかあるまい。


富永