2025年12月16日火曜日

地域の子どもたちが置かれた現状(事務所研修会)

 

 地域の子どもたちが置かれた現状について、事務所独自の研修会をおこなった。参加は弁護士8人と事務局4人。

 講師は厳しい環境にいる子どもたちや母たちを支援するNPO法人の代表者。法人は児童育成支援拠点事業、子育て訪問家事支援、女性シェルター一時保護委託、児童相談所一時保護委託などの事業を受託している。

 これら事業の受託を通じて、シングルマザーの就労・自立、住居の支援、産前産後のこももティエ宿直、特定妊婦の就労・生活サポート、不登校の学習・就労支援、母子支援施設内就労などの実績がある。

 われわれ弁護士も、少年事件、若年者の刑事事件、自己破産、離婚、子どもの面会交流、親権喪失の申立てなどの事件への取組みを通じて、厳しい状況にある母子に接し、支援することはある。

 またテレビや新聞というメディアを通じて、望まぬ妊娠をしてしまった母が予期せぬ場所で出産したり、出産したばかりの子を遺棄したり、子どもたちがSNSを通じて性的被害にあったり、警固界隈といわれる場所で性被害や薬物中毒におぼれているなどという情報に断片的に接することもある。

 今般の研修ではそうした個別の・島状のケースの背後に広がる面的な・地域的な情況を学習することができた。

 ひと言でいうと、困難な情況にある子どもたち、母子たちが例外的存在ではなく、もはや例外的存在といえぬボリュームで存在しているという実態である。

 大きな潮流となって押し寄せる情勢に対し、かなわぬまでも抗わなければならないと思われた。

 またこうした理解が深まったことにより、今後の弁護士活動をおこなううえで、より充実した理解にもとづく子どもたちや母子の支援ができるようになるだろう。

2025年12月15日月曜日

顧問会社の研修旅行@壱岐(3)少弐公園・龍蛇神社、一支国博物館・原の辻遺跡

 

 壱岐は、対馬とともに、朝鮮半島や中国大陸と近く、交易や軍事的できごとの現場となってきた。

 勝本港から15分で少弐公園。ここは元寇「弘安の役」の古戦場である。1281年(弘安4年)、4万もの蒙古軍が対馬、次いで壱岐に攻め込んできた。


 北西部海岸と勝浦に上陸した元軍を迎え撃ったのは、当時の壱岐守護代19歳の少弐資時。船匿城で全滅したという。少弐公園内にはその墓がある。




 少弐公園に隣接して龍蛇神社。平山旅館おかみのお奨めスポット。2025年の干支は蛇なので、参拝。海中につきだした岩山の上にある。一般の神社の静謐な雰囲気とは大違いのパワースポット。


 少弐公園から12分で一支国博物館。市立の建物とは思えぬ豪勢な建築。一支国は、三国志のうちの『魏志倭人伝』に記されている。


 特別史跡・原の辻遺跡に接しており、博物館の屋上からは同遺跡を遠望することができる。高床式倉庫や望楼が復元されている。原の辻遺跡は一支国の国都とされる。三重の堀をめぐらせた大規模な環濠集落。


 内海湾遠望。原の辻遺跡の北東方向。

 原の辻遺跡については、今年7月「英雄たちの選択」シリーズ 知られざる島の歴史旅 壱岐島~古代ニッポンの最前線~でとりあげていた。

 壕の外西北では日本最古の船着き場の跡も発掘された。船着き場から内海湾へ。そこから朝鮮半島や九州北部へ交易ルートが延びていたらしい。 


 博物館から15分で郷ノ浦港。二日間だったが充実した研修。島を離れるのが名残惜しい。

2025年12月12日金曜日

顧問会社の研修旅行@壱岐(2)辰の島遊覧船

 

 研修旅行2日目。

 平山旅館から10分で勝本漁港である。沖に見えているのが若宮島。きょうの目当てである辰の島は、その西側奥である。


 この日はお祭りがあるとかで、どの漁船にも大漁旗が掲げられていた。いまやプレバトでおなじみである。


 きょう第1の目的は、辰の島遊覧である。われわれの乗る船が前の回の客を乗せて帰ってきた。


 辰の島海岸。上陸することができる。旅客の20%くらいが上陸した。


 オオカミ岩。


 海の宮殿。海がエメラレルド色に沸き立ち、美しい。


 アブラメ瀬戸。ここから先、水深の浅いところに岩岩が見えていて、シロウト目にも危険。


 断崖絶壁、ドーバー海峡のよう。



 船は波しぶきたつ危険な海域まで接近する。船底を岩が削る音が聞こえそうな気がする。

 われわれのスリルをいやがおうにも高めているのは船長の風采である。80歳は優に超えていらっしゃる。昨晩は一杯やり、アルコール検知器にひっかかりそうな感じである。操縦は大丈夫か・・・。とても心配である。

2025年12月11日木曜日

顧問会社の研修旅行@壱岐(1)猿岩、バナナファーム、月読神社、平山旅館

 

 顧問会社の研修旅行に同行して、壱岐へ行った。船の時間まですこし間があったので、天神から博多港まで歩いた。

 2kmほど、30分弱。とても気持ちのよい朝だった。弁天橋で那珂川を渡る。目印となるポートタワーが見えた。


 博多港。海は凪いでいるようだ。乗るのは向こうに停泊しているジェットフォイルである。


 壱岐には郷ノ浦と芦辺のふたつの大きな港がある。ジェットフォイルは、博多港と両港の間を交互に結んでいる。われわれの船は芦辺港へ着岸した。

 壱岐には高い山がないのでひさしぶり、四度目の上陸である。


 レンタカーで20分、いきなり人気観光地である猿岩に着いた。猿はなぜか南を望んでいる。九州本土に恋人でもいるのだろうか。


 北はるかには対馬がみえていた。距離は80kmほど。


 黒崎砲台跡。猿岩からほど近い丘のうえにある。東洋一といわれ、巨大。

 第一次世界大戦後のワシントン軍縮会議で米英日の主力艦の保有率が5:5:3と決められた。建造中の艦はキャンセルされ、主砲は要塞砲となった。

 最大射程35km。対馬海峡を通過する敵艦を攻撃するため設置されたが、一度も実戦で使用されることはなかった。

 小説『坂上の雲』の海戦場面や、映画『ナバロンの嵐』を思い浮かべた。


 バナナファーム壱岐。猿岩から車で20分。猿岩にいた優しげなおじさんの紹介で行ってみた。栄養価満点のバナナジュースやジェラートをいただいた。


 月読神社。バナナファームから車で7分。ジェットフォイルが着岸した芦辺港のちかく。鳥居をくぐり階段をのぼる。ここでも話し好きなおじさんがいて、あれこれと解説してくれた。

 祭神は月読命(つくよみのみこと)。イザナギとイザナミにより天照大神の次にうまれたとされる。暦・潮の干満など月にまつわるすべての行い、航海の安全などの願いごとを聞きいれてくれるという。さすが漁師の島の神だけある。


 境内にはアマガエル。あすの雨模様を占っていた。


 宿は奥壱岐の千年湯 平山旅館。月読神社から車で6分。

 湯本温泉は古く5世紀神功皇后が発見し、応神天皇に産湯を使わせたという。宇美町の伝承とは矛盾するようにも思えるが、気にしない気にしない。

 玄関にはザクロが飾られていた。ギリシャ神話にも登場し、豊穣と多産の象徴である。写真なのに絵画のよう。


 夜はもちろん海鮮ざんまいである。

 昔、壱岐の人から事件の依頼を受けたことがあった。打合せのつど、アワビやサザエの海鮮を持参されたことを思い出した。

2025年12月10日水曜日

ある家賃請求事件

 

 ある家賃請求事件が解決した(和解)。

 ときどきいる人柄のよい大家さんである。賃借人による家賃の滞納がもう何年もつづいている。借主本人に請求するのはよいのであるが、問題は連帯保証人に対する請求である。

 過去の裁判例によると、連帯保証人に対する請求について、信義則を根拠に制限する例がみられる。相手方はその制限を主張した。

 信義則による制限というのは、知らないうちに連帯保証人の責任が過大になっては気の毒であるという理由である。しかし、相手方は主債務者の両親もしくは兄弟であり、賃借時もいまもおなじ町内に居住している。知らないはずはあるまいと反論した。

 また連帯保証人は賃借人の父だったのであるが、ご本人は亡くなり、妻と子2人が相続人であった。連帯保証人の責任のうち妻が1/2、子がそれぞれ1/4相続することになる。

 子のうち1人は賃借人本人である。この1/4の責任については、主債務者の責任とかぶってしまう。つまり、連帯保証人の責任として追及可能なのは3/4の部分である。

 残る子1人は、今般はじめて負債の存在を知ったとして相続放棄をおこなった。相続放棄は被相続人が亡くなってから3か月以内に行わなければならない。しかし3か月経過後に負債の存在を知った時は知ったときから3か月以内という特例があり、相手方はそれを主張した。

 この点も親子、兄弟なのであるから、滞納賃料の存在を知らないはずはない。また父には自宅建物という遺産があり、その相続がなされているのであるから、単純承認がなされているはずだと反論した。

 裁判所から和解勧告がなされ、連帯保証人の責任はほぼ半額程度で解決をみた。

 賃料滞納への対処の目安としては「3か月」である。賃料が3か月滞納したときは、内容証明郵便にて催告を行い、支払いがなければ内容証明郵便で解除通知を行う。そして弁護士に賃貸物件明渡しの訴訟を依頼すべきである。そうしないと、上記のような訴訟を余儀なくされてしまうだろう。

2025年12月9日火曜日

紅葉の大興禅寺~基山(2)基山

 

 大興禅寺参拝のあとは基山に登った。ひさしぶりである。子どもたちが小さいころはよく一緒に登った。一番下の子の弁当の唐揚げをカラスに盗まれたのは懐かしい思い出である。

 きょうはよい天気である。遠くまでよく見える。

 基山も九重とおなじでややこしくて、基山町というばあいは「きやま」、山の名としては「きざん」である。

 基山は佐賀県基山町と福岡県筑紫野市にまたがる県境の山。標高404.5m。白村江で唐・新羅との戦いに敗れたあと、大野城・水城とおなじくして基肄城が築かれた。もちろん大宰府の防衛拠点としてである。国の特別史跡に指定されている。

 山頂部は草原になっていて、草スキーができる。


 山頂からの眺め。左は筑紫野市、右は基山町である。その奥は筑後平野である。

 山頂ではボランティアガイドのご婦人が大野城市から来るという団体客を待っていた。待つあいだ、なにかと情報を教えていただいた。


 北東方面。筑紫野市原田方面へ登山道がのびている。丸尾礎石群、東北門跡、小滝の行場を経て原田のタマゴ、原田駅へとくだっていける。奥の山は宝満山である。

 南側のコースをくだれば、ギャラリー風の木(大場先生のところ)、山口の集落、筑紫野市総合公園を経て天拝山に達することができる。九州自然歩道のコースである。

2025年12月8日月曜日

紅葉の大興禅寺~基山(1)大興禅寺

 

 ご招待を受けていたので、基山に遊びにいくついでに、大興禅寺に紅葉をみにいった(2週間前)。

 ツツジが有名なのであるが、紅葉もなかなかのものである。ただし、長い階段を登る必要がある。

 寺伝によれば、聖武天皇の勅願により、行基により創建。平安時代に円仁(慈覚大師)により中興されたとの伝承あり。1530年ころの兵火により堂塔は焼失、1542年に当地を領した筑紫惟門が本堂を再建、江戸時代に入り基山が対馬藩領となると領主の宗氏により堂宇の整備がなされ、寺領を寄進した(以上、ウィキ)。

 これまたウィキによれば、行基は関西で活躍したようで、九州まで来たとの記載はない。が、百済に帰化していた中国人の氏族らしいので、九州と縁がなかったわけでもあるまい。

 本尊は行基の作と伝えられる十一面観世音菩薩。秘仏となっており、12年に1度の午年にのみ開扉される。直近では2014年。九州三十三観音霊場第4番札所(以上、ウィキ)。

 ということは、来年開扉があるということだ。13年後に長い階段を登れるかどうか不明であるので、是非とも来年の開扉の際に再訪したい。