2026年2月10日火曜日

顧問会社が損害賠償を請求された事件(示談解決)

 

 ハラスメントなど違法行為があったとして、顧問会社が従業員から損害賠償を請求される事案が増えている。

 阿部サダヲ主演の『不適切にもほどがある!』というテレビドラマがある。2年前の1月から3月まで放送された。

 阿部サダヲが昭和(1986年)から令和(2024年)にタイムスリップしてしまう。そこは昭和とちがい、コンプライアンスが厳しい世界である。阿部サダヲの頭は昭和のままであるから、その言動は令和の世にあっては「不適切にもほどがある」ということになってしまう。そこが笑いのツボである。

 このドラマを笑えるということは、頭のなかのコードが令和になっているという証明である。しかしなかには笑いのツボがわからない御仁もおられよう。

 われわれにとって1986年はついこのあいだである。が、両者を引き算すれば明らかなようにもう40年も経ってしまっている。われわれは「巨人の星」、「エースをねらえ」、「サインはV」などスポ根ものをみて育った。上司が部下を叱りつけて教育するのは当たり前だった。しかしいまそれはパワハラであるとしてゆるされない。

 われわれの年代の上司はついつい昔の感覚で部下を叱りつけてしまい、部下から「不適切にもほどがある(パワハラである)」として指弾されることになる。これがいまハラスメント事案が増加している原因である。

 本件も顧問会社Aが従業員Bから損害賠償の請求を受けた事案である。示談で解決することができた。パワハラ事案とはちょっと異なる。

 A社の社長としては従業員Bにある国家資格をとってもらいたかった。会社の仕事上必要な資格ではなかったが、従業員の成長に役にたつと考えた。資格を取得するには国家試験にうかる必要がある。試験を受けるにはある講義を受講する必要があった。

 講義を受講するには、一定の実務経験が必要とされていた。この点について、若干の下駄を履かせた証明書を提出した。社長としては、受講先を騙すという気はなく、受講先と連絡と了解をとりつつ、この程度の脚色は許されるだろうという考えだった。

 Bは厳しいカリキュラム受講を熱心にすませ、狭き門である試験にも合格し、資格を得た。ところが、その後、社長との間でちょっとした口論となり、会社を辞めてしまった。

 その後、上記国家資格取得は、虚偽報告に基づく違法なものであり、精神的苦痛を味わったとして、Bは200万円もの損害賠償を請求してきた(時間外賃金も請求すると言って資料を要求してきたが、こちらは早々にあきらめた。)。

 上記経過であるから、この請求は理由がない。A社の取引先など世間に知られたら困るでしょうなどと脅しまでしている。当社としてはこのような脅しに屈するわけにはいかない。200万円もの理由のないお金は支払えないと突っぱねた。

 まずBの請求は国家試験の受験資格と民間がやっている講座の受講資格を故意に混同している。Bはきちんと競争試験を受けて合格しているのであるから、国家資格取得に違法はない。

 つぎに先例を有無を尋ねた。Bの弁護士は、ブラック企業が行った詐欺事案を1例だけ引き合いにだしてきた。本件とは明らかに事案を異にする。つまり、先例は存在しないということだ。

 こうしたやりとりを踏まえて、当社は示談金30万円の支払いをもって、すべて解決するとの提案をおこなった。本件が裁判になれば、手間・ヒマをとられる上に、訴訟費用として30万円はかかるからである。

 Bはこの提案を蹴って裁判するといきまいた。・・・それから数ヶ月が経過した。結局、Bはこの提案を受諾し、無事に示談解決した。ふう。

2026年2月9日月曜日

設計代金の回収交渉事件(全額回収)

 

 民事事件とは何か。一般の人にはわかりにくく、誤解も多い。まず、刑事事件との区別がついていない人が多い。

 民事事件は弁護士に相談しなければならない。刑事事件は警察に相談しなければならない。刑事事件は犯罪でなければならない。

 たとえば、ラーメン屋で無銭飲食をしたとする。ラーメン屋に入る前に財布が空であることを知っていれば詐欺である。しかし、食べたあと財布が空であることに気づけば詐欺ではない。

 詐欺罪で有罪にするには店に入る前に財布が空であることを証明しなければならない。人の頭のなかを観察することはできないので、なかなか詐欺で立件することは難しい。つまり、警察はうてあってくれない。

 この場合でも、ラーメン屋は無銭飲食者に代金もしくは損害賠償を請求することはできる。これが民事事件である。

 刑事事件は国家対個人、民事事件は個人対個人(ときに国家賠償請求事件など国や自治体が相手となることはある。)である。

 刑事事件では有罪が確定した被告人に罰金や懲役刑などを命じ、これを強制することができる。副産物として被害者に対する謝罪や被害弁償をひきだすこともできる。

 民事事件は基本的に金銭的な解決にかぎられる(謝罪広告や、家・土地に明け渡しの強制執行など例外はある。)。相手方に謝ってほしいという人もいるが、裁判官であっても民事事件でこれを命じることはできない。せいぜい慰謝料額を増額するぐらいである。

 金銭的な解決(判決)は債務者が任意に履行しなければ、民事(強制)執行によることになる。民事執行は債務者の財産の差押えである。

 債務者に不動産、預貯金、給料などの財産があれば、これらを差し押さえることができる。しかし、財産をもたなければこれをすることができない。

 財産をもたない人が最強の債務者である。われわれも債権回収を頼まれることが多い。債務者に財産がないために回収ができないことも多い。自己破産されれば、なおさらである。

 福祉施設の経営者Aは設計士が経営する設計会社Bに福祉施設の建設を依頼し約500万円を支払った。1年が経ったが、約束どおりに進行していない。

 設計図面はできていないし、役所の許認可も得られていない、補助金を得るのに必要な建設業者の見積もそろわない。このままでは補助金や銀行融資の内諾も打ち切られてしまう。危機的な状況だ。

 かくてAから代金回収の依頼を受けた。まず、この種の事件でいつも世話になっている建築士Cに相談して業界の実情をきいた。そのうえで、Bに対し内容証明郵便をだし、現在までに作成済みの図面等の持参し、現状を説明するよう要求した。

 Aの立会いのもと数度の交渉を経て、建築確認に必要な図面さえ未完成であることが判明した。やむを得ず契約を解除し、上記代金と損害賠償を請求した。

 Aはとても寛容な人で、上記契約代金さえ返してもらえば損害賠償のほうは免除してもよいという意向を示された。いささか寛容すぎるとは助言したが、依頼人の意向には逆らえない。

 一括返済は難しいとのことで、3回に分割して支払い、約束が果たされないときは損害賠償金を含めて支払ってもらうという示談をした。

 分割金は3か月にわたり支払われた。Aの被害回復として万全ではなかったが、早期に最低限の賠償を得ることはできた。肝心の福祉施設の建設のほうも、上記建築士Cの関与のもと順調に進行しているようだ。よかった。

2026年2月6日金曜日

預貯金の無断引出など相続争い(和解成立)

 

 相続争いは争族といわれる。むかしは、①前妻の子たちと後妻、②亡くなった長男の妻子と長男の弟たちのような、もめる原因が分かりやすい対立構造が多かった。

 類型①は、前妻の子たちは父をとられたという想いがあるし、あるいは、前妻vs後妻の代理戦争の意味合いもあったりする。

 類型②は、たとえば、田中家の田畑を長男であるという理由で長男が継いだところ、長男が早逝してしまった。そうすると、長男の弟たちとしては、田中家の男子として、なぜ田中家累代の遺産を外から来た長男の嫁たちにむざむざと渡さなければならないのかという想いがあった。

 しかし、最近は、兄と妹、姉と妹のような普通の兄弟間でも激烈な相続争いがある。

 今般、その一つが和解解決した。当事者はAB姉妹。妹のBから依頼を受けた。

 事案は複雑で争点は多岐にわたる。主に争われたのは亡父の遺産について。だが、亡母の遺産についても争われた。

 亡父は遺言書をのこし、遺言執行者にはAを指定していた。

 亡父は遺言書で、Bには実家の土地・建物と甲銀行の預金をのこした。Aが東京に在住しているのに対しBが地元に残っているので、実家の土地・建物をBにのこしたものと思われる。

 問題は甲銀行預金である。Aは亡父の生前からこの預金を管理していて、無断で払い戻してつかっていたし、亡くなった後もこれをつかった。預金残は40万円ほどだった。

 Bの代理人として、Aに対し、無断で払い戻した預金の返還を請求した。あわせて、預金残40万円を交付するよう要求するとともに、実家からの退去(私物の撤去)を請求した。しかしAはこれに一切応じなかった。

 遺産分割は家裁の管轄で、まずは調停を申し立てなければならない(調停前置主義)。裁判所はむやみに家庭に入らないという考えによる。本件でもまずは調停を申し立てたが、裁判所は遺言書があるのであれば、調停の対象にならないとして受理しなかった。 

 そこで、地方裁判所に対し、Aに対する損害賠償もしくは不当利得返還を請求する裁判を提起した。あわせて、上記預金の交付と実家からの退去を請求した。

 預金の無断引出については、あれに使った、これに使ったなどと未整理なまま主張してきた。預金残については自分で回収するればよい、退去はこちらでかってにやれなどと反論してきた。さらには亡母の預金も返せという。かくて争点がはっきりしないまま期日を重ねることになった。

 相手方には、頭がよい、あるいは、じぶんで頭がよいと思っていて、はやくから争点をしぼりこんでくるタイプの弁護士がついてほしい。速球をバンバン投げ込んでくるタイプはたたかいやすい。これに対し、軟投型でいつまでも事案がふわふわしているタイプの弁護士は苦手である。本件は後者だった。いつまでたっても争点がぼやっとしている。

 本訴の管轄は福岡地裁本庁(福岡市中央区六本松)ではなく、普通電車で2時間以上、前後をあわせると3時間以上かかる支部であった。むかしであれば、毎回出頭するのに時間と労力をとられたことであろう。いまは、事務所にいながらにしてオンラインで手続をすることができる。これで助かった。これがなければ、延々と出張を強いられたことだろう。

 裁判官も、途中から業を煮やし、和解案を示した。そして途中で和解案は修正された。和解案はむやみに修正してはいけない。権威を失い、したがう気持ちがなくなるからである。しかし、修正が行われた。相手方が主張する使途について細かな認定を強いられる判決は書きたくなかったのだろう。気持ちはよくわかる。

 さらに問題を難しくしたのは地裁と家庭裁判所の管轄問題である。地方裁判所は遺産分割事件には手を出せない仕組みになっている。亡母の遺産分割のことは手を出せないのである。

 (中略)

 裁判所の積極的な和解勧奨もあり、なんとか和解をすることができた。亡母の遺産分割も含めてである。少々時間を要したが亡母の遺産分割事件を家庭裁判所でやることを思えば、まずまずの解決であったと思う。

2026年2月5日木曜日

ペットの所有者責任・交渉事件(示談解決)

 

 飼っていたペットが知人の手~腕を咬んで怪我を負わせてしまい、後遺障害がのこったとして損害賠償を請求された事案。ペットのオーナー(加害者)側から交渉の依頼を受けた。

 オーナーも被害者も医療専門職であり、被害者側にも弁護士がついていた。オーナーは九州南部、被害者は関西在住で、コミュニケーションの困難が予想されたが、郵送だけでなく、メールやファックスなどで補いつつ交渉を進めることができた。

 動物の所有者の責任は民法718条に定めがある。すなわち、動物の占有者・所有者は、その動物が他人に加えた損害を賠償する責任を負う。オーナーに責任があることは当初から争いがなかった。

 問題は、その責任と相当因果関係がある損害の範囲である。金○○○万円を請求するとして金額を特定・明示した請求がなされるのが通例である。これに対し本件では、後遺障害が12級もしくは14級に相当し、被害者の年収1200万円を前提として計算すれば損害は「相当額」になるという、請求額を特定・明示しないものだった。

 加害者と被害者が知人であること、ペットによる傷害事件であることを考慮して、請求金額を特定・明示しなかったのであろうが、これは悩ましい。12級だとすると最大3550万円、14級だとすると最低385万円となり、10倍もの幅のある議論になってしまう。

 被害者側が後遺障害12級等に該当するというのは、右手のこわばり、右肘のしびれ、神経伝導速度の低下が残存しているからであるという。

 しかし、そのような残存症状と当初の症状が整合しているのかは疑問があった。その点を指摘し、100万円の示談金を提示した。これに対し、相手方からは200万円という対案の提示があり、既払医療費を考慮して160万円の支払いで示談解決した。

 被害者の治療が長引いたこともあり、解決まで2年余を要した。裁判になっていれば、さらに関西の裁判所で1年以上を要したと思われる。そうなれば、互いに多大な時間と手間と費用を要したことであろう。必ずしも長くはない人生において、3年間以上も他人と争うのはどうだろう。上記解決は互いの譲歩によるものであり、よい決着だったと思う。

2026年2月4日水曜日

年末の山旅(13)八ヶ岳②

 

 一夜明けても31日はC判定のままだった。その日登る予定だった赤岳は2899m。天気予報によると、3000m付近は28m/sの猛烈な風が吹いている。最大風速17m/s以上のものを台風というので、台風に匹敵する非常に強い風である。

 風速28m/sをAIに訊くと「何かにつかまっていないと立っていられないレベルの非常に危険な風です。高速運転中のトラックが横転したり、看板が落下・飛散するほか、固定の不十分な金属屋根がめくれるなどの重大な被害が出る可能性があるため、不要不急の外出は控えるべきです。


 テント場から赤岳を望む。


 横岳の大同心稜。クライマー憧れの岩場。高さ150メートルを超える特異な形状。冬はもちろん、夏でも一般登山者は登れない。


 中央は小同心。右手が横岳の山頂である。


 きょう登るとすればこのコースしかないと考えていた地蔵尾根の上部。


 右手の直線が赤岳展望荘である。

 写真では分かりにくいが、雲がちぎれるような速さで飛ばされていく。やはり上空は28m/s程度の強風が吹いているようだ。


 こうしたなか、多くの登山者たちは地蔵尾根や文三郎道を登っていった。グループはまだよい。他方、単独行の人を中心に撤退を決め、早々に下山していく。

 かなり迷ったが、自身はソロでもあり未熟でもあるので、撤退することに決めた。ここまで来て残念。

 昨夜は小屋に長野県警(遭難対策協議会)の人たちも泊まり込み、しきりに安全登山を訴えていた。安全登山手ぬぐいまでプレゼントしてもらった。

 仮に遭難確率20%として、5回のうち4回は無事に展望荘までたどりつけるだろう。しかし5回のうち1回は遭難する可能性がある。そのようなリスクをおかして登ることに意味があるだろうか。そう考えた結果である。


 山は逃げない。また来よう。


 赤岳がどんどん遠ざかっていく。


 この日、3000m付近の上空に強風は吹いていたが、天気じたいはよかった。後ろ髪をひかれたが、しかたがない。

2026年2月3日火曜日

年末の山旅(12)八ヶ岳①

 

 茅野駅からバスで美濃戸口まで入る。そこからは徒歩である。林道が氷っていて歩きにくい。

 1時間ほどで美濃戸に着く。美濃戸からは赤岳がみえる。また赤岳山荘、美濃戸山荘があり、四駆であればここまで車でこれる。


 美濃戸山荘まえでチェーンスパイクを装着する。3人連れとソロの人も装備をととのえている。ここからは本格的な登山道となるからだ。

 山荘のさきで道は二手にわかれる。道なりにいけば、北沢経由で赤岳鉱泉にたどりつく。まっすぐ進めば南沢経由で行者小屋である。こんかいは後者をいく。

 3人連れとソロの人は北沢へ向かった。南沢をいくのは自分ひとりだ。

 登山道は、名前のとおり、南側の沢沿いにつかず離れずに登っていく。






 南沢が氷りはじめる。天工のなせるわざ。さまざまな模様をえがきながら氷っている。




 上流にいくにしたがい、氷っている部分が多くなる。ついには雪の下にもぐってしまい、沢はなくなってしまう。そこからは沢音も聞こえず、しんとした世界がどこまでもつづいている。深い雪が音を吸収するようだ。


 赤岳と横岳の麓に立地する行者小屋に着いた。いつもは赤岳鉱泉の小屋を利用するので、行者小屋の利用ははじめて。除雪に使用したユンボが置かれたままである。


 受付でチェックイン。写真は食堂。畳の間である。


 寝室は2階。夏とちがい、利用率は40%ほど。人影もすくない。2~4人にひとつコタツ利用ができる。灯りも明るく読書もできる。快適な居住空間である。


 夕食。ご飯と味噌汁はおかわり自由。戸外は氷点下であるから、あたたかい食事がありがたい。

 あすは悪天予報であるが、どうなるであろうか。山の天気は変わりやすいので、よいほうへ変わることを期待しつつ就寝。

2026年2月2日月曜日

年末の山旅(11)小海線(八ヶ岳高原線)

 

 黒斑山を下山して小諸でもう一泊。翌30日はJR茅野駅経由で八ヶ岳麓の行者小屋をめざす。

 茅野駅は八ヶ岳の向こう側(西南側)であるので、長大な山並みを大きく迂回しなければならない。本当は小海線の松原湖駅でおりて、稲子湯、本沢温泉小屋経由で八ヶ岳をめざすつもりが、小屋の宿泊日を間違えてしまい、大迂回を余儀なくされた。

 大迂回には反時計回りに松本や塩尻を経由するルートもある。だが、車窓の情緒を重視してJR小海線を利用した。小淵沢駅(山梨県)まで行き、そこから中央線に乗り換え茅野駅まで行くことにした。


 このコースは『千曲川のスケッチ』で、秋の修学旅行がおこなわれたコースである。

 「十月のはじめ、私は植物の教師T君と一緒に学生を引き連れて、千曲川の上流を指して出掛けた。秋の日和で楽しい旅を続けることが出来た。この修学旅行には、八つが岳の裾から甲州へ下り、甲府へ出、それから諏訪へ廻って、・・・。この旅には殆ど一週間を費やした。私達は蓼科、八つが岳の長い山脈について、あの周囲を一回りしたのだ。」 


 小海線は、八ヶ岳の東麓を走る。千曲川に沿って、その上流へとのぼっていく。千曲川の向こうには八ヶ岳のたおやかな稜線が見えるはずだが、この日は残念ながらガスがかかっていた。


 野辺山駅。標高1345.67m。JRの駅および日本の普通鉄道の駅としては日本一高い位置にある。この先にはJRの最高標高地点1375mもある。

 福岡県弁護士会随一の鉄ちゃんであるH弁護士にこの写真を送ったら、すかさず「野辺山駅」と回答してきた。さすがである。

 このちかくに国立の野辺山電波観測所がある。名探偵コナンの2025年の映画「隻眼の残像」の舞台となった。「聖地巡礼」とおぼしき人たちがかなりいる。残念ながら、足をのばす時間はなかった。