2026年4月2日木曜日

【相続・コラム】いわゆる使途不明金問題について① 相続開始前の払戻し

 【事例】

 被相続人Aは、平成26年10月11日に死亡したところ、その子であるYは、Aの生前に、Aの預貯金を引き出したり、Aの保険契約の保険金受取人を変更したりし、それによりYは9844万0804円の利益を得たところ、同額のうち9433万5315円は、Aの許諾を得ていたものではなかった。被相続人Aの子であるX(相続人はXとYの2名のみ)は、Yに対して、何らかの請求をすることができるだろうか。


【解説】

1 概要

 相続開始の前後に被相続人名義の預金が払い戻されていることがあり、使途不明金問題と呼ばれている。

2 相続開始前の払戻し

⑴ 無断での払戻し

 被相続人の生前に、被相続人の一人が被相続人の預貯金を無断で払い戻した場合、被相続人の当該相続人に対する不当利得返還請求権(又は不法行為に基づく損害賠償請求権)が発生し、これが、被相続人の死亡により、各共同相続人に当然分割されるのが原則である。

⑵ 委託を受けた払戻し

 払戻しが無断ではなければ、寄託金返還の問題となる(裁判例②)。

⑶ 被相続人からの贈与

 被相続人の了解のもと預貯金が払い戻され、特定の相続人が贈与を受けた場合は、特別受益の問題になる。

3 分割の対象となる遺産の範囲-金銭債権

 上記2⑴⑵の場合、共同相続人は被相続人の有する金銭債権を相続することになる。そして、金銭その他の可分債権は、相続開始とともに法律上当然に分割される(判例①)。

4 事例について

 被相続人Aの生前にYがAの許諾なく預貯金を引き出したりした使途不明金の額は、9433万5315円であった。そのため、Xは、法定相続分2分の1に相当する4716万7657円をYに対して請求できると判断された。




【発展】※専門職向け


【判例・裁判例】

■最高裁判所

①最小判昭和29年4月8日・民集6巻4号819頁

■高等裁判所

②東京高判令和4年4月28日・判タ1517号105頁

■地方裁判所

③東京地判令和3年9月28日・判時2528号72頁(事例)


【参考文献】

■調査官解説

■条解・コンメンタール等

■裁判官・元裁判官

①井上繁規『遺産分割の理論と審理(第3版)』(2021、新日本法規)183~187頁

②岡口基一『要件事実マニュアル第5巻 家事事件・人事訴訟(第7版)』(2024、ぎょうせい)451~452頁

③司法研修所『遺産分割事件の処理をめぐる諸問題』(1994、法曹会)245~246頁

④片岡武、管野眞一『家庭裁判所における遺産分割・遺留分の実務(第4版)』(2021、日本加除出版)76~78頁

⑤田村洋三、小圷眞史ほか『実務 相続関係訴訟 遺産分割の前提問題等に係る民事訴訟実務マニュアル(第3版)』(2020、日本加除出版)214~219頁

⑥松本哲泓『設例解説 遺産分割の実務 ー裁判官の視点による事例研究-』(2024、新日本法規)184~188頁

⑦山城司『Q&A 遺産分割事件の手引き』(2022、日本加除出版)159~162頁

■立案担当者見解

■学説

■弁護士・その他

⑧関戸勉、福澤武文ほか『相続・遺言を巡る法律問題 弁護士が知識と経験で解決した困難事例』(2020、第一法規)3~11頁

⑨本橋総合法律事務所『Q&Aと事例 相続における使途不明金をめぐる実務』(2025、新日本法規)


富永

2026年4月1日水曜日

【労働問題・コラム】賃金債権の放棄・賃金減額の合意

 【事例1】シンガー・ソーイング・メシーン・カンパニー事件

 株式会社Yに雇用されたXは、退職に際し、「Xは、株式会社Yに対し、いかなる性質の請求権をも有しないことを確認する」旨の記載のある書面に署名して株式会社Yに差し入れた。Xは退職金の請求をすることはできないのだろうか。

【事例2】更生会社三井埠頭事件

 株式会社Yは、管理職従業員Xらの賃金を20%減額するとの通知をした。Xらは、賃金減額を甘んじて受け入れるしかないのだろうか。


【解説】

 労働契約関係は、労働者と使用者が対等な立場で合意によって成立させ、内容を定めるべきものである(労契法1条、同3条1項)。そのため、契約内容(労働条件)の変更も、それら当事者の合意によるべきことが原則である。

 では、合意(ないし労働者の意思表示)があれば、いかなる労働条件も変更可能か。

 例えば、経営危機に際し、役員や管理職等が報酬や賃金の一部を返上する措置がとられることがある(裁判例④)。経営危機に瀕した企業が個々の労働者の同意を取り付けて賃金減額を行う場合には、同意は労働者の自由意思に基づく明確なものであることを必要とし、とくに黙示の合意の場合にはその成立や有効性は容易には認められない(裁判例③⑤)。

 【事例1】のように、労働者が何らかの理由により賃金債権を放棄(賃金債務の免除、民法519条)する旨の意思表示をした場合でも、労基法24条1項に定める賃金全額払の原則の趣旨から、その意思表示が有効というためには、それが労働者の自由な意思に基づいてされたものであることが明確でなければならないとするのが判例(判例①②)である。




【発展】※専門職向け


【判例・裁判例】

■最高裁判所

①最小判昭和48年1月19日・民集27巻1号27頁(事例1)

②最小判平成15年12月18日・労判866号14頁(北海道国際空港事件)

■高等裁判所

③東京高判平成12年12月27日・労判809号82頁(事例2)

■地方裁判所

④大阪地判平成9年5月28日・労経速1641号22頁(ティーエム事件)

⑤東京地判平成20年1月25日・労判961号56頁(日本構造技術事件)


【参考文献】

■調査官解説

■条解・コンメンタール等

■裁判官・元裁判官

■立案担当者見解

■学説

①菅野和夫『労働法(第12版)』(2019、弘文堂)455~456頁

■弁護士・その他


富永

2026年2月18日水曜日

『山姥(上・下)』(坂東眞砂子著・新潮文庫)(5)

 

 謡曲『山姥』の舞台は、「越中・越後の国境にある境川に至り、そこから上路山を徒歩で越えようとしますが・・・」とあるとおり、越中・越後の国境にある境川の上流にある上路山ふきんである。上路には集落があり、ズバリ山姥神社もある。

https://www.google.com/maps/place/%E6%96%B0%E6%BD%9F%E7%9C%8C%E6%96%B0%E6%BD%9F%E5%B8%82/@36.9779188,137.6541829,14.75z/data=!4m6!3m5!1s0x5ff4c5c255c7c0f7:0xf1509bcbc990230d!8m2!3d37.9185345!4d139.069444!16zL20vMGdwNmJu?entry=ttu&g_ep=EgoyMDI2MDIxMS4wIKXMDSoASAFQAw%3D%3D

 越中・越後の国境、境川。そこは人界と魔界の境でもある。そこから先は山姥が出現する異界をなしている。

 越中から越後へ、上路を行かないで、海沿いに下路を行くと市振(いちぶり)がある(市振の先は昨年11月に訪ねた親不知である)。『おくのほそ道』の市振の段を引用しよう。芭蕉は逆に越後から越中へむかっている。

 今日は親知らず・子知らず・犬戻り・駒返しなどという北国一の難所を越えて疲れはべれば、枕引き寄せて寝たるに、一間隔てて面のかたに、若き女の声、ふたりばかりと聞こゆ、年老いたる男の声も交じりて物語するを聞けば、越後の国新潟といふ所の遊女なりし・・・。

 芭蕉に同道した曽良の旅日記によれば、市振の宿でこのような遊女との出会いはなかったようである。つまり、この部分は芭蕉の創作である。

 芭蕉も坂東眞砂子も意識していなかったかもしれないが、越後の山中、遊女、山姥が共鳴しあっている。国はずれ、国ざかいは人の支配が行き届かず、遊女や山姥といったマージナルな存在が行きかう世界である。

 新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』。東京四谷の男子高校生と飛騨の山深い糸守町の女子高校生が入れ替わることから物語がスタートする。2人がそれぞれ生きている世界には3年のタイムラグがあるため直接会って話ができない。ひかれあいながら、もどかしい・・・

 しかし終盤のたそがれ(誰ぞ彼、糸守の方言でカタワレ)時、ご神体の境界域をなす外輪山で、2人は互いの姿が見え、入れ替わりが元に戻り、はじめて時を超えて会話をすることができた!とても印象深いシーン。超常現象・奇跡はマージナルな時間、マージナルな場所で起きるのである。

 板東版『山姥』のワキ主人公である凉之助。東京から招かれ、不毛の肉体を持て余す美貌の役者である。凉之助はふたなり。ふたなりとは、一つのものが二つの形状をもつことをいい、特に一人で男性と女性の性器を兼ねそなえた、いわゆる両性具有をさす。

 その凉之助と、雪に閉ざされた村の暮らしに倦いている地主の嫁・てる。二人の密通が序曲となり、悲劇の幕が開いたー。しかも2人の関係は実は・・・。

 謡曲の山姥は、妄執を逃れられない苦しさを訴える一方で「善悪不二」「邪正一如」「煩悩即菩提」といった禅の思想(仏法の深淵な哲理)を説いた。この主題も坂東眞砂子の『山姥』は取り込んでいる。

 板東版『山姥』は、男女の入れ替わり、両性具有、人即山姥。男女不二、男女一如、煩悩即菩提の世界である。

2026年2月17日火曜日

『山姥(上・下)』(坂東眞砂子著・新潮文庫)(4)

 

 写真は越後駒ヶ岳である(2018.5.12)。

 坂東眞砂子の『山姥』は、駒ヶ岳の北麓の村、その近くの鉱山と白銀の狼吠山を舞台にしている。

 「・・・青く澄んだ空の縁を切り取る白銀の山嶺。白い斜面に荒い刷毛で撫ぜたような墨色の線を描いているのは、葉を落とした木々の影。・・・よく晴れているおかげで、遠くの山まで見晴らせた。南の山々の向こうにちょこんと飛びでているのは駒ヶ岳、北のほうで狼の歯のようにぎざぎざした山頂を聳えさせているのは、狼吠山だ。狼吠山から流れてくる童子川は氷りつき、知っている者でないと、どこを流れているかわかりはしない。一年も、この季節ともなると、妙の住む明夜村の家々はすっぽりと雪に埋まり、・・・」(上巻13頁)。

 越後駒ヶ岳には3度登ったことがある。標高2003mの日本百名山。八海山、中ノ岳とともに越後三山を構成し、どっしりとした山容。豪雪地帯にある山であるから、遅くまで雪が残り、高山植物が咲き乱れるときは別天地である。大好きな山である。

 越後三山の西麓はあの魚沼である。コシヒカリで有名な。豪雪は二義的。厳しくつらい冬ももたらすが、おいしい雪解け水、おいしい米ももたらす。さらに八海山というお酒をご存知のかたも多かろう。おいしい水とおいしい米はおいしいお酒ももたらすのである。

 駒ヶ岳に登るときは、いつも北麓にある駒ノ湯温泉を登山口としているので、北嶺の地理には比較的あかるい。小説を読みながら、あのへんかな、このへんかなと考える。駒ヶ岳の東麓には銀山平という鉱山跡もある。 

 しかしながら狼吠山という山は実際にはない。作者の創作である。狼吠山という名前、ぎざぎざした山頂、山岳信仰の山であること、東峰と西峰があることなどからすれば、モデルは秩父(埼玉)にある両神山かと思う。

 両神山も百名山。やはり山岳信仰の山であるし、山中、山麓の神社では、狛犬のかわりに狼の石像が鎮座している。山頂もぎざぎざしている。

 狼吠山のモデルが両神山だとすると、坂東眞砂子はかなり山に登っているはずだ。あるいは、取材するなかで、山に詳しい人物に出会ったか。

 大学の部活の友だちがライングループにアップしていた写真。かれは両神山のふもとに住んでいる。山好きのDNAは健在である。両神山のむこうに日が沈み、西の空が美しくやけている。たしかに山頂はぎざぎざしている。狼や神が跋扈していてもおかしくない神々しい姿である。

2026年2月16日月曜日

『山姥(上・下)』(坂東眞砂子著・新潮文庫)(3)


 『山姥』といえば、本家はやはり謡曲。能・演目事典によるあらすじはこう。 

 都に、山姥の山廻りの曲舞をつくってうまく演じたことから、百ま山姥(百萬山姥または百魔山姥とも)という異名を取って、人気を博していた遊女がいました。ある時、遊女は善光寺参詣を志し、従者とともに信濃国を目指して旅に出ます。その途中で、越中・越後の国境にある境川に至り、そこから上路山を徒歩で越えようとしますが、急に日が暮れてしまいます。一同が困り果てているところに、やや年嵩の女が現れて、一夜の宿を貸そうと申し出て来ました。庵に一同を案内した女は真の山姥であることを明かし、自分を題材にして遊女が名声を得た山姥の曲舞を一節謡ってほしい、日を暮れさせて庵に連れてきたのもそのためだと訴えます。遊女が恐ろしくなって謡おうとすると、女は押し止め、今宵の月の上がった夜半に謡ってくれるなら、真の姿を現して舞おうと告げて、消えてしまいます。

 夜更けになって遊女らが舞曲を奏でつつ待っていると、山姥が異形の姿を現します。深山幽谷に日々を送る山姥の境涯を語り、仏法の深淵な哲理を説き、さらに真の山廻りの様子を表して舞ううちに、山姥の姿はいずこかへ消え、見えなくなりました。


 この謡曲からインスパイアされて坂東眞砂子が『山姥』を書いたことは疑いないように思える。もう一度、新潮文庫のブックカバー裏の紹介文を引用しよう。

 「明治末期、文明開化の波も遠い越後の山里。小正月と山神への奉納芝居の準備で活気づく村に、東京から旅芸人が招かれる。不毛の肉体を持て余す美貌の役者・凉之助と、雪に閉ざされた村の暮らしに倦いている地主の嫁・てる。二人の密通が序曲となり、悲劇の幕が開いたー人間の業が生みだす壮絶な運命を未曾有の濃密さで描き、伝奇小説の枠を破った直木賞受賞作。」

 こうしてみると、両作品は越後の山中という舞台、都からやってきた旅芸人2人のワキ、そしてシテが山姥ということなどの道具立てを共有している。『山姥』が謡曲に基づき書かれたといっても間違いではないように思える。

 さらに、謡曲の山姥は、妄執を逃れられない苦しさを訴える一方で「善悪不二」「邪正一如」「煩悩即菩提」といった禅の思想(先のあらすじによれば、仏法の深淵な哲理)を説く。ここらあたりの主題も坂東眞砂子の『山姥』は取り込んでいるようである。

 もちろん板東版『山姥』だけでも十分に楽しめる。が、「本歌」のほうも知っていると、作品により深みが増すようである。

 山姥に襲われるという言説は、一般人をして山に入るのを躊躇させたであろう。子どもに夜出歩くと鬼がでるぞと注意するようなものである。熊に襲われるというのも怖いが、山姥に襲われるというのはもっと怖い。

2026年2月13日金曜日

『山姥(上・下)』(坂東眞砂子著・新潮文庫)(2)

 

 板東真佐子は1958年3月30日生まれであるから、われわれと同年代、自分より半年だけ年長である。

 高知県出身。高知県出身の小説家といえば、宮尾登美子。『櫂』で注目されて以来、緻密な構成と、時代に翻弄されながらも逞しく生きる女性を描いた作風で多くの読者に支持された。高知の花柳界で育った体験を生かした自伝的作品のほか、芸道物、歴史物のモデル小説に優れるとされる(ウィキ)。『山姥』が宮尾作品の影響を受けていることは間違いないだろう。

 高知県出身者といえば、いずれもNHK朝ドラ主人公のモデルである牧野富太郎博士(植物学者)ややなせたかし(漫画家)もいるが、彼らの影響を受けていることは感じられない。

 坂東眞砂子は奈良女子大出身。小説家としては異色なことに学部は家政学部住居学科である。その後イタリアに留学し、ミラノ工科大学等でイタリアデザインを学んでいる(ウィキ)。

 ジブリアニメ『耳をすませば』で、読書好きの主人公の中三女子・雫が知り合ったやはり読書好きの青年・聖司はヴァイオリン職人になるためイタリアのクレモーナに留学してしまう。映画をみたときは唐突な感じがしたが、自分の世界観が狭かっただけなのかもしれない。

 いまどきはビジネスでさえ基本にはデザインが必要とされているので、『山姥』の構成や細部の描写に、イタリアで培ったデザインセンスが生きているといわれれば(誰も言っていないかもしれないが)、それはそのような気がする。

 帰国後は、フリーライターを経て、寺村輝夫の主催する童話作家育成雑誌『のん』で認められ、児童向けファンタジー小説で作家としてデビュー。ホラー小説と呼ばれるジャンルの作品も多いが、「死」と「性」を主題とした作品が特徴である(ウィキ)。

 寺村輝夫は、『王さまシリーズ』『こまったさん』『わかったさん』の各シリーズ、『かいぞくポケット』など、子どもたちが小さいころ世話になった。少なくとも、『山姥』に寺村輝夫の影響は感じられない。前日に書いた『うまかたやまんば』や『くわずにょうぼう』などを通じた間接的なものは知らないが。

 1996年に本作で直木賞を受賞している。ちょうど30年前である。30年前といえば坂東眞砂子は37歳になっていただろうか(当職は36歳)。37歳当時の自身と引き比べ、30代で直木賞を受賞するとはすごい。

 当時、本屋で平積みになっていた記憶はある。だが、弁護士として多忙であった時期であるせいか購入には至らなかった。なにごとも出会い、本とも出会いである。

 著者は残念ながら2014年1月佐川町で没している。55歳の若さ。舌癌だったようだ(ウィキ)。若い人たちにはどうということのない話だ。だが、ほぼ同い年の筆者にとっては他人ごととは思えぬ話である。

 こんかい『山姥(上・下)』はAmazonを通じて古本を購入した。新刊の在庫がなかったからである。これほど面白い本で、かつ直木賞受賞作にして、30年で新刊の在庫がなくなるとは寂しいかぎりである。

2026年2月12日木曜日

『山姥(上・下)』(坂東眞砂子著・新潮文庫)(1)


 ある遺産分割調停の依頼人の奨めで『山姥(上・下)』(坂東眞砂子著・新潮文庫)を読んだ。依頼人がなぜこの本を薦めたのか、動機は最後まで不明のままだったが。ぐいぐいひきこまれて、とても面白かった。

 ネタバレになると困るけれども、ブックカバーの裏にある紹介文の引用であれば許されるであろう。

 「明治末期、文明開化の波も遠い越後の山里。小正月と山神への奉納芝居の準備で活気づく村に、東京から旅芸人が招かれる。不毛の肉体を持て余す美貌の役者・凉之助と、雪に閉ざされた村の暮らしに倦いている地主の嫁・てる。二人の密通が序曲となり、悲劇の幕が開いたー人間の業が生みだす壮絶な運命を未曾有の濃密さで描き、伝奇小説の枠を破った直木賞受賞作。」

 この紹介文を読んだだけでは、誰が、なぜ、「山姥」なのかさっぱりわからない。地主の嫁・てるが山姥なのだろうか。

 山姥(やまんば)といえば、子どもの絵本『うまかたやまんば』。福音館書店HPの紹介はこう。

 ある日、馬方は浜辺でたくさんの魚を仕入れ、馬に乗せて歩いていました。すると峠にさしかかったとき、山姥に「魚をおいてけ」といわれ、追いかけられます。馬方は怖くなり、魚の荷を投げて、山姥に差し出します。しかし、山姥はまだ追いかけてきて、馬方といた馬まで、すっかり食べてしまいます。さて、馬方の仕返しは・・・。はらはら、どきどきの連続、痛快な昔話絵本です。

 おなじく『くわずにょうぼう』。おなじく福音館書店HPの紹介はこう。

 欲張り男のところに、よく働くが飯を食わない美しい女がやってきて女房になりました。最初は喜んだ男でしたが、ある日、蔵の米がごっそり減っているので、隠れて見ていると、女房は男の留守に米を炊き握り飯を作ると、髪をほどいて頭のてっぺんの大きな口から食べてしまっていました。女の正体が鬼婆だったことを知った男は、鬼婆にとらえられ・・・。赤羽末吉の絵によるスリリングな昔話の絵本。

 どちらも子どもたちが小さいころ繰り返し読んだ。

 子どもたちにとって、母親はときに優しい女神であり、ときに恐ろしい山姥だったりする。山姥は後者のイメージを具象化したもの。それにより子どもたちのこんがらがった頭のなかが整理されるというような話を読んだことがある。河合隼雄だったか、あるいは、その他ユング派の流れを汲む誰かだったか。

 坂東眞砂子の小説のタイトルの読み方は「やまんば」ではなく「やまはは」である。その理由は読めばわかる。