2025年6月3日火曜日

『たたかいの論理 馬奈木昭雄弁護士オーラル・ヒストリー』(1)「ジョニーへの伝言」

 

 久留米第一法律事務所創立50周年記念祝賀会にて、『たたかいの論理  馬奈木昭雄弁護士オーラル・ヒストリー』(土肥勲嗣著・花伝社刊)という本をいただいた。

 1 筑豊じん肺訴訟

 2 廃棄物処分場問題

 3 水俣病とは何か

 4 水俣病の責任の考え方

 5 なぜ、よみがえれ!有明訴訟なのか

 6 よみがえれ!有明訴訟開門確定判決

 7 住民訴訟から住民決定へ

 8 公害の教訓を原発に生かす

 9 なぜ、たたかいを続けるのか

 馬奈木弁護士は、企業城下町だったころの水俣に事務所を開き、水俣病とは何か、水俣病の責任はどう考えればよいのかを考え抜かれた。国とチッソが徹底して原因隠蔽を行うなかでの苦闘なので、論旨は強靱にならざるを得ない。

 国やチッソなどの大企業を相手にする裁判は、国や大企業だけが相手になるのではない。その2つだけでも物的にも人的にも十二分に強敵であるのだが、なんと裁判所も国や大企業の味方である。

 法廷傍聴をすればわかるが、露骨である(心情的にそうであるし、判検交流という仕組みを通じて裁判官が国の代理人をやっている。)。裁判所の運営やものの考え方も批判の対象とならざるを得ない。

 そんな国やチッソ、そして裁判所を敵にまわす訴訟で、味方となるのは国民世論の常識だけである。国民とは何か、国民世論とは何か、どうすれば味方につけることができるのか?これらについての考察も深まらざるを得ない。

 などなど。とても興味深く、実践的な論考(についての座談録)が並んでいる。当職も不肖の弟子であることを自負している。不肖であることは、このような本の読みにもあらわれてくる。

 裁判所・裁判官批判の論旨がある。要件事実教育(裁判の対象を要件事実のみに制限し、加害の背景をなす国家による産業政策等に言及することを制限する。)批判、事実認定の内容をなす経験則不足(大学を出てそのまま裁判官になってしまうので、社会のことを知らない。)批判など。

 このうち経験則不足の部分をとても面白く読んだ。不肖の弟子だから。例として挙げられているのは、ひとつは「ジョニーへの伝言」、ふたつは「サラダ記念日」。これらが裁判官の経験則不足の例として適切かどうかはおくとして・・・。

 まず「ジョニーへの伝言」。1973年ペドロ・アンド・カプリシャス、1989年高橋真梨子が歌って大ヒット。カラオケでもよく歌われた。作詞は阿久悠。

 著作権の関係で全歌詞を紹介できない。文意を理解するうえで必要最小限だけ紹介すると

 ジョニーがきたなら伝えてよ
 2時間待ってたと・・・

 わたしは大丈夫
 もとの踊り子でまた稼げるわ・・・ 

 ちなみに馬奈木弁護士はお酒もよく嗜まれ、よく歌い、座談の名手でもある。バーのカウンターで歌や歌手のウンチクを語られることも多い。

 太田裕美が歌っていた「木綿のハンカチーフ」が実は男女のかけあいの歌詞になっていて、デュエット曲でして歌える。などということも馬奈木弁護士に教えていただいた。

 さて問題は「ジョニーへの伝言」の歌詞にでてくるジョニーとは誰なのか?、歌い手である主人公は何者なのか?2人の関係は何か?である。

 馬奈木弁護士は法科大学院で教えていたこともあるのであるが、学生たちはまったく情景を描くことができなかったという(ま、やむを得ないと思うが。)。

 まず、ジョニーとは何者なのか?手がかりはイギリスで有名な作家ルース・レンデルの推理小説(馬奈木弁護士は大量の推理小説を読まれている。)。シェイクスピア劇の女優さん同士が楽屋で話している。

 「今日はあなたのジョニーは来るの?」
 「来るんじゃないの。さっき楽屋に花が届いたから」

 そしてイギリスでジョニーというのは、俳優のパトロンの隠語なのだそう。阿久悠はイギリスでシェイクスピア劇の俳優のパトロンをジョニーと呼ぶのを知っていたはず・・・。

 つぎに、踊り子とはどんな仕事なのか?日本舞踊を踊る女性やバレリーナではない。そのような人を踊り子とは呼ばない。日本で踊り子とはストリッパーのことである。

 つまり、「ジョニーへの伝言」は、ストリッパーがパトロンと駆け落ちしようとして2時間待っていたけれど、パトロンに裏切られて、友だちに伝言を残す歌である。その情景を頭に描きつつ歌わないと、ほんとうに歌ったことにはならない。・・・なるほど。

 さてつぎは「サラダ記念日」。ほんとうに語りたかったのは、こちら。「ジョニーへの伝言」はその枕。つづきはまた。

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