2024年10月1日火曜日

ある遺産分割調停事件(調停成立)

 

 ある遺産分割調停事件の調停が成立した。調停でよく問題となる論点を複数含んでいたので紹介する(守秘義務との関係で、以下、事案は変えている。)。

 遺言書は存在しない。法律は遺言によるオーダーメイドの相続と、それ以外のレディメイドな法定相続の2とおりを用意している。遺言書が存在しなければ、法律の定めた法定相続となる。

 法定相続では、まず相続人の構成が問題となる。被相続人に配偶者がいるかどうか、子がいるかどうか。本件は配偶者がいない、子が複数いるという場合である。配偶者がいなければ、子らが平等に相続することになる。

 法定相続人はABCDEFの6人の子。うち1人は養子である。養子も実子と同じ法定相続分である。よって、各6分の1の相続分を有する。なお、養子は実親の相続権も失わない。

 Fが遺産分割調停を申し立てた。当職の依頼者はCである。Cは被相続人である亡母と同居して実家のめんどうをみていた。両親と同居して実家のめんどうをみていた者には法定相続分を多くするか、寄与分を認めてよいように思うが、法律と実務はこれを認めていない(その場合、遺言書を書いておかなければならない。)。

 「虎に翼」でみたとおり、日本国憲法のもと家制度を廃止して、長子相続制ではなく平等な相続に移行した結果である。が、実際20年間寝たきりの親のめんどうをみた長男夫婦がなんの見返りもないというケースについて悲憤慷慨することもすくなくない。

 Aが遺産分割には参加しないということだったので、その相続分をCに譲渡してもらった。これによりCの相続分は6分の2=3分の1となった。

 調停で問題となった第一は、遺産のなかに存在した不動産の評価とこれを誰が相続するかである。

 調停前の時点では、Eが固定資産税評価額で取得する旨申し出ていた。調停になりCが取得したい旨申し出た。現状Cがここを利用していたからである。

 その場合、不動産の評価が問題となる。不動産を売って分けるということであれば、評価は問題とならない。しかし法定相続人のうちの誰かが取得するとなれば、いくらで取得するのかを評価しなければならない。不動産の評価は難しく、近年争いになることが多い。 

 まず入手可能なのは市町村が行っている固定資産税評価である。宅地の評価は時価の70パーセントである。実際に不動産を売却することになれば、売却に要する費用や譲渡所得税等がかかるので手もとに時価全額が残るわけではない。したがって、固定資産税評価額で分割することには一定の合理性があると思われる。

 しかし他の相続人がこれを争えば時価で分けるべきという考えが実務では一般的なようだ。本件でも不動産業者が査定した価格=固定資産税の倍額以上が相当とする意見が強かった。Cはその価格だと取得できないとし、その結果、両者の中間値で妥協が成立した。

 次に最大の問題となったのは生前贈与・特別受益の問題である。預貯金の履歴を調べると、①C及びその子たちに対する送金履歴があり、②それ以外にも少なからぬ金額の引き出しがみられたからである。

 ①については、Cに対する送金は特別受益として認めたが、その子らに対する送金は特別受益ではないとして争った。相手は、少なくとも未成年者に対する送金は、実態としてはCに対する贈与と考えるべきであると主張した。この点、裁判所はCの主張どおり認めた(調停であるので、判決文にはならないが、調停委員会の考えとして示された。)。

 ②については、いつからCが実家の、被相続人の預貯金の管理をはじめたのかが争われた。当方はある事件をきっかけに預貯金の管理をはじめたと主張し、相手はそれより以前から管理していたはずであると主張した。

 この点については、調停委員会から一定の定額解決金を支払って解決する案が示された。Cは一歩も譲歩しない構えで、審判をされたいと主張していたが、裁判所の熱心な勧めもあり、これに応じることにした。

 かくて長く続いた調停は解決をみた。FとCの争いを中心に、B、D、Eの利害もからんで錯綜としたが、調停委員会のねばりづよい説得もあって無事解決することができた。

2024年9月30日月曜日

あるセクシャルハラスメント事案への対応

 

 顧問先の団体で、あるセクシャルハラスメント事案が発生した。顧問弁護士として、その担当委員会の委員に就任し、調査と処分決定に関与した。一般の民事事件や刑事事件よりずっと苦労したので、その苦労話を書きたい。

 守秘義務の関係で内容の紹介はできない。そのため話が抽象的で分かりにくいとは思うが、我慢されたい。

 われわれ法律家は、事実が固まるまでは、主張されている内容は嫌疑、加害者と名指しされている人物は容疑者にすぎないと考えている。それらが事実となり、加害者となるまでには審理や認否・証拠調べが必要である。そのように訓練されている。しかし一般人にとってこのようなことは初めての体験であり、なかなか難しい問題である。

 裁判であれば、訴訟法や証拠法が存在し、審理の進め方や証拠調べの方法が確立している。しかし一般の団体においてセクハラの存否を調べるとなると、そのような方法論も存在しない。どうのようにして事実を認定してよいのか迷う。ま、民事事件の証拠法を参照しながら、できるだけ真相を究明するほかなかろう。

 当該事案では容疑者が全面的に容疑を否認していた。そうなると、一般的には事実認定がとても難しい。

 幸い本件ではメールのやりとりが多数存在し、その存在や内容は客観的なものとして依拠してよいと思われた。主張されてた事実のなかには、もちろんメールが存在しない部分もあった。どこかの場所で容疑者が○○したというようなことである。これについては、被害者側が主張しているものの、容疑者が認めないのである。ここは抑制的に判断するしかないが、メールの内容に沿う部分は事実認定ができた。

 双方の証言を聴取した。これにより、メール記載の事実以外の事実についても一部認めることができた。かくて大部分のところで主張にそったセクハラ行為があったと事実を認定した。

 そして当該事実に基づく相当な処分を行った。処分の内容についても議論があった。刑事事件でいえば、いわゆる量刑の部分である。前例もないため、処分については軽いものから重いものまでとても広い幅が生じた。これもなんとか中取りで決することがきた。

 処分内容については、双方の反発も予想されたが、そのようなことはなかった。ひと安心した。しかし事件はおさまらず、容疑者がほんとうはこうだったなどと周りに話して回るなどして場外乱闘が続いた。

 ことほどさようにセクハラ問題の解決は難しい。やはり事が起こってしまってからでは遅い。その意味で、事前の研修が必要である。しかし事件の根は深く、そう簡単に意識や認識を変えられないところが難しい・・・。

2024年9月27日金曜日

ハラスメント研修@顧問企業

 

 顧問先企業のご依頼で、職場におけるハラスメント研修を予定している。

 中小企業においても、職場における①セクシャルハラスメント、②妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメント、③パワーハラスメントなどを防止することが義務づけられるようになった。これもまた厚生労働省の守備範囲である。

 ハラスメントとは、いわゆる嫌がらせのことである。相手を不快にさせる、尊厳を傷つける、不利益を与えるなどの行為全般をいう。

 古典的な違法行為は、相手に対する物理的・身体的暴力だった。モーセの十戒のなかにはないけれども、殺してはならない、盗んではならないなどと並び、古くから共同体の禁止事項だったと思われる。暴力が横行するような共同体は維持・発展が困難だろうから。物理的・身体的暴力は外形的にはっきりしているから、誰の目にも分かりやすい。

 そのうち、手は出さないけれども、あの発言はひどい、あの言い方は人を傷つけるというものも問題とされるようになった。言語的・精神的なものでも、物理的・身体的暴力と同視できるものがある。つまり、それらも違法行為とされるようになった。

 違法行為の範囲が広がったのはよいが、今度はどこまでがよくて、どこまでがよくないのか境界が不明確になった。そのため、ハラスメントとは?について、長々しくて難しい定義がなされている。

 厚生労働省による、セクシャルハラスメントの定義は、「職場」において行われる、「労働者」の意に反する「性的な言動」に対する労働者の対応によりその労働者が労働条件について不利益を受けたり、「性的な言動」により就業環境が害されることとである。

 同じくパワーハラスメントは、次の3つの要素をすべてみたす言動と定義されている。
①優越的な関係に基づいて行われること
②業務の適正な範囲を超えて行われること
③身体的若しくは精神的な苦痛を与えること、又は就業環境を害すること

 研修の性格上、ハラスメントの定義を説明するところからはじめることになるだろう。が、このような難しい定義を聞かされると、それだけで思考停止してしまいそうだ。毎日の職場で使えるものでなければならないから、こんな複雑なものは使えないように思う。

 なぜ複雑な定義になっているのか。定義を定めるとなると、過去の裁判例等を収集・整理して、ハラスメントと認められたものの最大公約数を抽出することになる。その場合、ハラスメントではないものを排除していくから、どうしてもものごとの中核でなく、外延の線引き作業になってしまう。

 たとえば、①平社員どうしの口喧嘩はパワハラではない。なぜなら、優越的な関係に基づいて行われていないから。
②課長の業務命令は原則としてパワハラではない。業務の適正な範囲を超えた場合にかぎりパワハラとなる。
③の要件は、一般人を基準とするとされる。当該言動に精神的な苦痛を受けたと訴えても、一般人がそう感じないのであれば、パワハラから除外されるのである。・・・

 しかし、これでよいのだろうか。思うに、ハラスメントが問題にされる場面には段階がある。①当該言動がなされ、労働者が精神的苦痛を受けた場面、②当該言動を受けた者が同僚などに相談する場面、③当該言動を受けた者が相談窓口に相談し、相談窓口が調査する場面、④当該言動を受けた者が裁判所に訴え、裁判官が判決を書く場面など。

 厚生労働省の定義は、過去の裁判例等を収集して抽出したものであるから、④の場面のものである。しかし、それでは狭すぎる、あるいは、そこまで行ったら遅すぎるのではなかろうか。問題とすべきは①の場面である。事件は現場で起きているのだから。

 図式的に言えば、上司が職場でセクハラ発言をして、10人の部下の働くモチベーションが40パーセント下がったら、企業としては損失だろう。1人当たりの平均年収は458万円であるから、その40パーセントである183万円もの損害に発生しているといえなくもない。部下10人の職場であるから、企業としての損失は年額1830万円にも及ぶ。

 企業としては、このような損害を回避するためにも積極的に対策をしたほうがよいと思う。それで働きやすい職場になるのであるから、従業員にとってもハッピーである。

 ただし、上司はたいへんである。一方で、企業からは業績の達成を要求される、他方で、それをそのまま業務命令として部下に伝えたらパワハラと言われかねない。つまり、パワハラと言われないよう部下とうまくコミュニケーションをとらなければならない。

 そうした工夫がコーチングや1on1ミーティングなどのコミュニケーション手法なのだろう。コーチングとは、相手の話に耳を傾け、観察や質問、ときに提案などをして相手の内面にある答えを引き出す目的達成の手法である。1on1ミーティングとは、文字どおり、定期的に上司と部下が1対1で話し合うことをいう。

 厚生労働省に言われてハラスメント研修をするより、これらコミュニケーション手法の研修を行ったほうがより生産的だと思うのだが、どうだろう?

2024年9月26日木曜日

「待ち望まれた日」@「光る君へ」


 大雪山~トムラウシ山を長旅したり、訪問看護ステーション研修をしたりしているうちに、NHKの大河ドラマ「光る君へ」がずいぶん進行してしまった。


 ムードを盛り上げるためにNHKがやっている関連番組も興味深い。とくに曲水の宴のセットづくりの楽屋裏に潜入した100カメはとても面白かった。


 われわれは、裁判所に提出する文書について、「切れば血が出るようなものを書け」と言われることがある。そういう観点からいえば、『源氏物語』、『枕草子』をはじめ、『蜻蛉日記』、『更級日記』、『御堂関白記』、『紫式部日記』など平安時代の作品は、いささか縁遠い話のように従来受けとめていた。中世以前は別世界というし、貴族たちの書いたものであるから。
 
 しかしこの時代のことがはじめて大河ドラマ化されてみると、やはり切れば血が出るものであると感じられるようになった。やはり教科書の口絵などにより喚起されるイメージの豊富さが違うからだろう。

 道長についても、人口に膾炙した「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」という歌ばかりが想起されて鼻につくと思っていた。しかし今般いささか認識をあらためた。

 

 昨年末、滋賀県甲賀市にあるミホミュージアムを訪れた。企画展は(たまたま)「金峯山の遺宝と神仏」をやっていた。昨年末の時点では、大河ドラマに『源氏物語』や紫式部をとりあげるということについて、あまり意識はなかった。

 金峯山は、いまでいえば吉野山~山上ヶ岳あたり。世界遺産に認定された大峰奥駆道の北部だ。弥勒菩薩が生まれる場所であり、役小角が修行中に蔵王権現が示現した場所でもある。斎戒沐浴して登れば願いがかなうとされていた。 

 金峯山の遺宝のなかには、藤原道長の経筒(日本最古の経筒。国宝)や道長筆の埋経(金字で写経したもの。重文)があった。昨年末の時点では、道長といえば「この世をば我が世とぞ思ふ」人物であるから、極楽浄土に行けるよう部下どもに命じて埋納させたものだと思っていた(個人の感想です。)。

 今般、ドラマを見ていて、道長が自ら苦心惨憺はるばる京都から訪れたものであることや、時期が彰子懐妊の前年であること、彰子懐妊を願ってのことであることなどが分かった。かくて娘や孫をもつ父親どうしとして、道長と仲よくなったような気がした。


 前回の「光る君へ」は「待ち望まれた日」だった。道長が倫子に彰子懐妊を伝える場面に始まり、紫式部が出産記録係を命ぜられ、安産祈祷、無事出産、50日の祝い。いささかベタな展開。と思っていたら・・・

 番組の最後に現代とのつながりを解説するところ。『紫式部日記』にこれら場面が記述されていますと解説があった。あっ、そうか。

 式部の日記は冒頭から中宮の懐妊・出産のことばかりが記述されている。中宮つきの女房であるとはいえ、いささかヨイショがすぎるのではないかと、これまで思っていた。

 しかし、33歳の式部が記録係を命じられていたと考えると、そうでもない。ベタな展開も日記に書いてあるとおりやんと思えば、紫式部の栄えある気持ちに気持ちよく共感することができたのだった。

2024年9月25日水曜日

訪問看護ステーション研修(5)

  厚生労働省はミニマムスタンダードを定め、それを適宜改正して訪問看護ステーションのレベルアップを図っている。もってわれわれの生命・健康に直結する看護がきちんとなされるよう配慮がなされているのである。

 「指定訪問看護の事業の人員及び運営に関する基準」(以下「本運営基準」という。)には、その目的を正面からうたった条項は見当たらない。しかし、保健師助産師看護師法の冒頭第一条は、この法律は、保健師、助産師及び看護師の資質を向上し、もって医療及び公衆衛生の普及向上を図ることを目的とすると定めている。ここから訪問看護ステーションについても、その資質を向上し、もって医療及び公衆衛生の普及向上を図ることを目的とすることは当然であると考えられているのかもしれない。

 本運営基準には、もう一つ大きな目的がある。訪問看護の利用者に情報を開示・提供し、その適切な選択権を保障しようという目的である。

 この点も、本運営基準には明示されていない。しかし、この点は医療法の第一条に規定がある。すなわち、この法律は、医療を受ける者による医療に関する適切な選択を支援するために必要な事項、医療の安全を確保するために必要な事項・・・を定めること等により、医療を受ける者の利益の保護及び良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制の確保を図り、もって国民の健康の保持に寄与することを目的とする。訪問看護ステーションについて定める本運営基準も、これらの目的を有することは当然であるという理解であろう。

 ここから、本運営基準は「医療を受ける者による医療に関する適切な選択を支援するために必要な事項」や、「医療の安全を確保するために必要な事項」についても定めている。

 まず「医療を受ける者による医療に関する適切な選択を支援するために必要な事項」。この点は、①事業の運営についての重要事項に関する規程=運営規程をステーションごとに定めておけという第21条、②運営規程等の利用申込者の指定訪問看護の選択に資すると認められる重要事項をステーションの見やすい場所やウェブサイトに掲載しなければならないという第24条、③訪問看護の提供の開始に際し、あらかじめ利用申込者らに対し、運営規程等の利用申込者の指定訪問看護の選択に資すると認められる重要事項を記した文書を交付して説明を行い、当該提供の開始について利用申込者の同意を得なければならないと定める第5条等がそれである。

 つぎに「医療の安全を確保するために必要な事項」。この点は、①看護師等の行う指定訪問看護の方針について、緊急やむを得ない場合を除き、身体的拘束等を行ってはならず、身体的拘束等を行う場合は、その態様及び時間、その際の利用者の心身の状況並びに緊急やむを得ない理由を記録しなければならないと定める第15条、②虐待防止のための措置に関する事項を運営規程に定めておけという第21条等がそれである。

 かくて国会ないし国民によるコントロールの届きにくい地下2階に展示されている作品たちなのであるが、なかなかよい作品がそろっていると思うのである。

2024年9月24日火曜日

訪問看護ステーション研修(4)

 

 「指定訪問看護の事業の人員及び運営に関する基準」(平成12年3月31日)(厚生省令第80号)のなかから、身体的拘束の原則禁止、虐待防止及び事業継続計画の策定を運営規程、重要事項説明書及び契約書に反映させるのに必要な部分を抜粋する。

 第四章 運営に関する基準

(内容及び手続の説明及び同意)
第5条 指定訪問看護事業者は、指定訪問看護の提供の開始に際し、あらかじめ、当該指定  訪問看護を受けるために申込みを行う者(以下「利用申込者」という。)又はその家族に対し、第21条に規程する運営規程の概要、看護師等の勤務の体制その他の利用申込者の指定訪問看護の選択に資すると認められる重要事項を記した文書を交付して説明を行い、当該提供の開始について利用申込者の同意を得なければならない。

(指定訪問看護の具体的取扱方針)
第15条 看護師等の行う指定訪問看護の方針は、次に掲げるところによるものとする。
 三 指定訪問看護の提供に当たっては、利用者又は他の利用者等の生命又は身体を保護するため緊急やむを得ない場合を除き、身体的拘束その他利用者の行動を制限する行為(以下「身体的拘束等」という。)を行ってはならない。
 四 前号の身体的拘束等を行う場合は、その態様及び時間、その際の利用者の心身の状況並びに緊急やむを得ない理由を記録しなければならない。
(令和六年厚生労働省令35一部改正)

(運営規程)
第21条 指定訪問看護事業者は、指定訪問看護ステーションごとに、次に掲げる事業の運営についての重要事項に関する規程(以下「運営規程」という。)を定めておかなければならない。
 七 虐待の防止のための措置に関する事項
(令和六年厚生労働省令35一部改正)

(事業継続計画の策定等)
第22条の2 指定訪問看護事業者は、感染症及び非常災害の発生時において、利用者に対する指定訪問看護の提供を継続的に実施するための、及び非常時の体制で早期の業務再開を図るための計画(以下この条において「事業継続計画」という。)を策定し、当該事業継続計画に従い必要な措置を講じなければならない。
(以下、略)

(掲示)
第24条 指定訪問看護事業者は、指定訪問看護ステーションの見やすい場所に、運営規程の概要、看護師等の勤務の体制その他の利用申込者の指定訪問看護の選択に資すると認められる重要事項を掲示しなければならない。
2 指定訪問看護事業者は、原則として、重要事項をウェブサイトに掲載しなければならない。(令和六年厚生労働省令35一部改正) 

 本基準は、訪問看護ステーションのミニマムスタンダードを定めるもの。これを充たせば、Cランク、最低限、訪問看護ステーションとして認めましょうという基準である。

 本基準は平成12年に定められた。それで終わりではなく、世の要請に応じて改定が繰り返されてきた。かくて令和6年の改正が、身体的拘束の原則禁止、虐待防止、それらの運営規程、重要事項説明書への反映とウェブサイトへの掲示なのである。

 厚生労働省は、他の省令において、Aランク、Bランクのステーションとなるための基準も定めており、それらの基準をクリアすればより高額な療養費(診療報酬)を受領できる仕組みになっている。ニンジンをぶらさげて馬を走らせる感じだ。

 本来、自由経済のもとでは、多数のサービス供給者が価格競争を通じてサービスの向上を図っている。したがって、厚生労働省によるこのような基準設定は必要ない。基本的に市場にまかせておけばよい。

 しかし日本は世界に誇る保険医療制度を確立・維持している(WHOによりNo1と認定されている)。日本国民は世界の人々がうらやむようほど平等な医療を受けられる仕組みになっている(もちろん例外はある)。そこに市場は存在せず、価格競争が行われない。ほおっておけば、みな現状に甘んじ向上心が働かない。

 そこで厚生労働省がこのようなミニマムスタンダードを定め、それを適宜改正してレベルアップを図っている。もってわれわれの生命・健康に直結する看護がきちんとなされるよう配慮がなされているのである。

2024年9月20日金曜日

訪問看護ステーション研修(3)

 

 顧問先から依頼を受けた身体的拘束の原則禁止、虐待防止、事業継続計画の策定に関する条項を運営規程、重要事項説明書及び契約書に反映させることになれば、「指定訪問看護の事業の人員及び運営に関する基準」(平成12年3月31日)(厚生省令第80号)を参照しなければならない。

 同基準は4項目からなっていて、第一章第一条は、基本方針を定める。

 指定訪問看護の事業は、その利用者が可能な限りその居宅において、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、その療養生活を支援し、心身の機能の維持回復を目指すものでなければならない。

 健康保険法という建物の地下2階まできて、ようやく理解しやすい条項に出会うことができた。地上1階、地下1階では抽象画が1枚かかっているだけで、何のことかよく分からなかったが。

 訪問看護事業、訪問看護ステーションに関する法令(法律と厚生労働省令)はこれほど分かりにくい仕組みになっている。

 歴史的にも、訪問看護事業法という基本法が制定されないまま、寝たきり老人のためであるとしてまず老人保健法の片隅にそれに関する事項が記載され、ついで一般の人にも必要であるとして健康保険法の片隅にこれが記載され、さらに介護保険法の制定に伴いその片隅にも導入された。

 それぞれの法律を読んだだけでは何のことやらよく分からず、施行規則や「指定訪問看護の事業の人員及び運営に関する基準」等の省令まで読んでようやく何のことか理解できる仕組み。

 なぜこうなっているのか。これは推測だが、在宅医療を推進するうえでの厚生労働省の深謀遠慮な作戦だったのかもしれない。

 在宅医療は、病気になっても、病院ではなく、自分の家で家族に囲まれいままで通り生活しながら治療を受けたいという国民の切なる願いに応えるという王道の目的がある。重ねて大きな声ではいいにくいが、増大する医療費の削減に資するという「副次的な」「隠された」目的もある。

 訪問看護を含む在宅医療を推進する前の医療は、入院医療・病院での医療がすべてだった。膨大な数の病院、膨大な数の病院経営者とスタッフがそれをにない、それによって職と収入をえていたのである。

 在宅医療を推進するとなれば、それら病院経営者やスタッフの仕事と収入が院外に流出し、大幅に減ってしまうことになる。

 もし厚生労働省が、正面きって訪問看護事業法や在宅医療推進法を制定して、大々的に在宅医療を推進すると言い出せば、それまでの既得権益を有する勢力に反対されて潰されていたかもしれない。

 それを寝たきり老人のためと称して老人保健法の片隅に在宅医療のことをちょこっと記述することからはじめ、すこしずつ領域を広げていった・・・。

 ・・・のかもしれない。小さく産んで大きく育てる作戦。霞ヶ関の常套手段だ。このように理解すれば、分かりにくい訪問看護事業の仕組みもすこしは分かったような気がする。