2025年12月12日金曜日

顧問会社の研修旅行@壱岐(2)辰の島遊覧船

 

 研修旅行2日目。

 平山旅館から10分で勝本漁港である。沖に見えているのが若宮島。きょうの目当てである辰の島は、その西側奥である。


 この日はお祭りがあるとかで、どの漁船にも大漁旗が掲げられていた。いまやプレバトでおなじみである。


 きょう第1の目的は、辰の島遊覧である。われわれの乗る船が前の回の客を乗せて帰ってきた。


 辰の島海岸。上陸することができる。旅客の20%くらいが上陸した。


 オオカミ岩。


 海の宮殿。海がエメラレルド色に沸き立ち、美しい。


 アブラメ瀬戸。ここから先、水深の浅いところに岩岩が見えていて、シロウト目にも危険。


 断崖絶壁、ドーバー海峡のよう。



 船は波しぶきたつ危険な海域まで接近する。船底を岩が削る音が聞こえそうな気がする。

 われわれのスリルをいやがおうにも高めているのは船長の風采である。80歳は優に超えていらっしゃる。昨晩は一杯やり、アルコール検知器にひっかかりそうな感じである。操縦は大丈夫か・・・。とても心配である。

2025年12月11日木曜日

顧問会社の研修旅行@壱岐(1)猿岩、バナナファーム、月読神社、平山旅館

 

 顧問会社の研修旅行に同行して、壱岐へ行った。船の時間まですこし間があったので、天神から博多港まで歩いた。

 2kmほど、30分弱。とても気持ちのよい朝だった。弁天橋で那珂川を渡る。目印となるポートタワーが見えた。


 博多港。海は凪いでいるようだ。乗るのは向こうに停泊しているジェットフォイルである。


 壱岐には郷ノ浦と芦辺のふたつの大きな港がある。ジェットフォイルは、博多港と両港の間を交互に結んでいる。われわれの船は芦辺港へ着岸した。

 壱岐には高い山がないのでひさしぶり、四度目の上陸である。


 レンタカーで20分、いきなり人気観光地である猿岩に着いた。猿はなぜか南を望んでいる。九州本土に恋人でもいるのだろうか。


 北はるかには対馬がみえていた。距離は80kmほど。


 黒崎砲台跡。猿岩からほど近い丘のうえにある。東洋一といわれ、巨大。

 第一次世界大戦後のワシントン軍縮会議で米英日の主力艦の保有率が5:5:3と決められた。建造中の艦はキャンセルされ、主砲は要塞砲となった。

 最大射程35km。対馬海峡を通過する敵艦を攻撃するため設置されたが、一度も実戦で使用されることはなかった。

 小説『坂上の雲』の海戦場面や、映画『ナバロンの嵐』を思い浮かべた。


 バナナファーム壱岐。猿岩から車で20分。猿岩にいた優しげなおじさんの紹介で行ってみた。栄養価満点のバナナジュースやジェラートをいただいた。


 月読神社。バナナファームから車で7分。ジェットフォイルが着岸した芦辺港のちかく。鳥居をくぐり階段をのぼる。ここでも話し好きなおじさんがいて、あれこれと解説してくれた。

 祭神は月読命(つくよみのみこと)。イザナギとイザナミにより天照大神の次にうまれたとされる。暦・潮の干満など月にまつわるすべての行い、航海の安全などの願いごとを聞きいれてくれるという。さすが漁師の島の神だけある。


 境内にはアマガエル。あすの雨模様を占っていた。


 宿は奥壱岐の千年湯 平山旅館。月読神社から車で6分。

 湯本温泉は古く5世紀神功皇后が発見し、応神天皇に産湯を使わせたという。宇美町の伝承とは矛盾するようにも思えるが、気にしない気にしない。

 玄関にはザクロが飾られていた。ギリシャ神話にも登場し、豊穣と多産の象徴である。写真なのに絵画のよう。


 夜はもちろん海鮮ざんまいである。

 昔、壱岐の人から事件の依頼を受けたことがあった。打合せのつど、アワビやサザエの海鮮を持参されたことを思い出した。

2025年12月10日水曜日

ある家賃請求事件

 

 ある家賃請求事件が解決した(和解)。

 ときどきいる人柄のよい大家さんである。賃借人による家賃の滞納がもう何年もつづいている。借主本人に請求するのはよいのであるが、問題は連帯保証人に対する請求である。

 過去の裁判例によると、連帯保証人に対する請求について、信義則を根拠に制限する例がみられる。相手方はその制限を主張した。

 信義則による制限というのは、知らないうちに連帯保証人の責任が過大になっては気の毒であるという理由である。しかし、相手方は主債務者の両親もしくは兄弟であり、賃借時もいまもおなじ町内に居住している。知らないはずはあるまいと反論した。

 また連帯保証人は賃借人の父だったのであるが、ご本人は亡くなり、妻と子2人が相続人であった。連帯保証人の責任のうち妻が1/2、子がそれぞれ1/4相続することになる。

 子のうち1人は賃借人本人である。この1/4の責任については、主債務者の責任とかぶってしまう。つまり、連帯保証人の責任として追及可能なのは3/4の部分である。

 残る子1人は、今般はじめて負債の存在を知ったとして相続放棄をおこなった。相続放棄は被相続人が亡くなってから3か月以内に行わなければならない。しかし3か月経過後に負債の存在を知った時は知ったときから3か月以内という特例があり、相手方はそれを主張した。

 この点も親子、兄弟なのであるから、滞納賃料の存在を知らないはずはない。また父には自宅建物という遺産があり、その相続がなされているのであるから、単純承認がなされているはずだと反論した。

 裁判所から和解勧告がなされ、連帯保証人の責任はほぼ半額程度で解決をみた。

 賃料滞納への対処の目安としては「3か月」である。賃料が3か月滞納したときは、内容証明郵便にて催告を行い、支払いがなければ内容証明郵便で解除通知を行う。そして弁護士に賃貸物件明渡しの訴訟を依頼すべきである。そうしないと、上記のような訴訟を余儀なくされてしまうだろう。

2025年12月9日火曜日

紅葉の大興禅寺~基山(2)基山

 

 大興禅寺参拝のあとは基山に登った。ひさしぶりである。子どもたちが小さいころはよく一緒に登った。一番下の子の弁当の唐揚げをカラスに盗まれたのは懐かしい思い出である。

 きょうはよい天気である。遠くまでよく見える。

 基山も九重とおなじでややこしくて、基山町というばあいは「きやま」、山の名としては「きざん」である。

 基山は佐賀県基山町と福岡県筑紫野市にまたがる県境の山。標高404.5m。白村江で唐・新羅との戦いに敗れたあと、大野城・水城とおなじくして基肄城が築かれた。もちろん大宰府の防衛拠点としてである。国の特別史跡に指定されている。

 山頂部は草原になっていて、草スキーができる。


 山頂からの眺め。左は筑紫野市、右は基山町である。その奥は筑後平野である。

 山頂ではボランティアガイドのご婦人が大野城市から来るという団体客を待っていた。待つあいだ、なにかと情報を教えていただいた。


 北東方面。筑紫野市原田方面へ登山道がのびている。丸尾礎石群、東北門跡、小滝の行場を経て原田のタマゴ、原田駅へとくだっていける。奥の山は宝満山である。

 南側のコースをくだれば、ギャラリー風の木(大場先生のところ)、山口の集落、筑紫野市総合公園を経て天拝山に達することができる。九州自然歩道のコースである。

2025年12月8日月曜日

紅葉の大興禅寺~基山(1)大興禅寺

 

 ご招待を受けていたので、基山に遊びにいくついでに、大興禅寺に紅葉をみにいった(2週間前)。

 ツツジが有名なのであるが、紅葉もなかなかのものである。ただし、長い階段を登る必要がある。

 寺伝によれば、聖武天皇の勅願により、行基により創建。平安時代に円仁(慈覚大師)により中興されたとの伝承あり。1530年ころの兵火により堂塔は焼失、1542年に当地を領した筑紫惟門が本堂を再建、江戸時代に入り基山が対馬藩領となると領主の宗氏により堂宇の整備がなされ、寺領を寄進した(以上、ウィキ)。

 これまたウィキによれば、行基は関西で活躍したようで、九州まで来たとの記載はない。が、百済に帰化していた中国人の氏族らしいので、九州と縁がなかったわけでもあるまい。

 本尊は行基の作と伝えられる十一面観世音菩薩。秘仏となっており、12年に1度の午年にのみ開扉される。直近では2014年。九州三十三観音霊場第4番札所(以上、ウィキ)。

 ということは、来年開扉があるということだ。13年後に長い階段を登れるかどうか不明であるので、是非とも来年の開扉の際に再訪したい。





2025年12月5日金曜日

ある葬儀社建物返還請求事件(勝訴的和解)

 

 ある葬儀社Xからの依頼事件。自社の元従業員であったYに店舗を賃貸していた。事情があって同店舗の返還を求めたところ、当初は承諾されたが、後に拒絶された。本件は交渉のすえ裁判となった。

 賃貸借契約の場合、相手方が承諾すれば終了する。合意解除と呼ばれる。本件で、Yは承諾していないと主張した。たしかに、承諾したことを裏付ける客観証拠は存在しない。

 調べてみると、本件店舗ではYだけでなく、AやBも葬儀を行っているようだ。Xはこれを承諾していない。民法612条は、賃借人は、賃貸人の承諾を得なければ、その賃借権を譲り渡し、又は賃借物を転貸することができない。賃借人がこれに違反して第三者に賃借物の使用又は収益をさせたときは、賃貸人は、契約の解除をすることができる。と定めている。

 そこでYがAやBに葬儀場を使用させているのは、本条に違反しているので、契約を解除して白紙にする、本件店舗を返還せよと主張した。

 Yは、Aは自社のアドバイザーであるから第三者ではない、Bは年に数回しか利用していないから信頼関係を破壊していないなどと主張して争った。

 さらに調べてみると、Aは某市の創業事業の援助を受け、独立して葬祭業を営んでいることや、Yが身内の法人の事務局をしていることなどが判明した。

 そこでAが「第三者」であるかどうかを明らかにするため、Yに対し、YとAの過去の営業状態について釈明を求め、確定申告書などの証拠の提出を求めた。

 提出された資料等によると、本件店舗における営業について、ある年まではYの名義で申告されていたが、その後はAの名義で申告されていたことなどが判明した。

 裁判では互いの主張事実について、書証を提出するほか、人証で立証することになる。しかし本件では上記事情が明らかになったのであるから、勝訴を確信することができ、これ以上の立証は不要であると判断した。

 裁判所もおなじ心証を形成したと思われ、和解を勧告し、Yは本件店舗を退去する、Xは解決金30万円を支払うとの和解が成立した。

 解除権が認められないときは営業補償を含む高額の立退料を支払わなければならないので、この程度の解決金は和解をするうえでやむを得ない。かくて一件落着。めでたし、めでたし。

2025年12月4日木曜日

北陸路~越後路を旅して(10)ふたたび小松

 

 那谷寺から小松駅に帰ってきた。上は北陸新幹線の駅である。

 飛行機の時間までしばし間がある。ミニ観光をしよう。



 まずは例の駅横にある、こまつの杜。巨大な重機が展示されている。上の写真に人が写っている。比較すれば大きさが実感できるだろう。 





 こまつ曳山交流館みよっさ。駅から西へすこし歩く。

 こまつでは町衆文化の「曳山子供歌舞伎」が有名。安宅の関を抱える土地がらである。その写真や曳山が展示されていた。


 小松市立本陣記念美術館。曳山交流館から北へすこし歩く。途中、城下町としての面影が残る。

 美術館は小松城跡・芦城公園の一画にある。小松城は加賀前田藩の支城である。


 「小松の至宝」展をやっていた。加賀前田家三代・前田利常にまつわる品々などを展示していた。


 いきなり最終回ではないけれども、美術館から途中省略して博多湾上空。まもなく着陸だ。北陸路~越後路を旅して、筑紫路のよさを再確認することができた。

 『おくのほそ道』の旅のゴールは大垣だった。芭蕉はそこからあらたに伊勢へ旅だっていった。ひとつの旅が終わったばかりだが、あらたな旅をしたくなった。旅が好きである。