2025年4月2日水曜日

天拝山(4)山頂からの景色

 

 登山口から1時間ほどで山頂である。257.4m。

 展望台にのぼる。風が冷たい。

 展望台からは筑紫野、太宰府、大野城、春日、那珂川、さらには福岡市の街並みが広がる。 


 鬼門、東北の方角。

 右上、いちばん高い山は宝満山830m。そこから左手にかけて仏頂山、三郡山、砥石山、若杉山の連なり。われわれの縦走訓練コース。天満宮のご神牛の背中は、この連なりをモデルとしたという。

 中央、麓に青く光る屋根は九州国立博物館。
 その左下あたりに天満宮があるはずだが、はっきりしない。
 その左下に第一経済大学が見える。
 さらにその左下に二日市公園が見えている。
 その左下あたりに、わが事務所があるはずだ。
 
 手前左から斜めに横切っているのは九州縦貫自動車道(高速)。
 その向こうに右から、大丸別荘、大観荘が見えている。


 北の方角。四王寺山410m。山内にはかって大野城が築かれていた。

 手前麓に大宰府政庁跡。その右、白くなっているところは桜が咲いている。 


 北西の方角。


 奥に三日月山272m・立花山367.1mが見えている。その手前は井野山236m。

 さらにその手前のグリーンの横線は水木堤防。中央部分を高速道が分断してしまっている。分断した先が太宰府IC。

 左隅に福岡空港。その奥には香椎・千早副都心のビル群が見えている。 


 奥に博多湾。右から志賀島、玄海島が見えている。その向こうは玄界灘、そして壱岐・対馬、朝鮮半島である(見えないが)。

 玄海島のこちら側に見えているのは、ペイペイドームとシーホークだろうか。その手前の緑は赤坂台地か。昔は鴻臚館がよくみえただろう。

 ここのところ、大陸からの来訪者である黄砂で視界が効かないことが増えている。きょうは比較的よく見えたほうだろう。

2025年4月1日火曜日

天拝山(3)ソウシチョウ

 




 天拝山を登っていると、中腹で、鳥たちの鳴き声がする。みればソウシチョウ(相思鳥)である。たくさんいる。あまり人を恐れず、近くまで寄ってくる。

 かわいい。残念ながら外来種。江戸時代から飼い鳥として輸入された。本格的に日本へ入ってきたのは日中国交正常化のあとらしい。

 つがいのオスとメスを引き離すと互いに鳴き交わすため、相思鳥と呼ばれる。

 天に在りては願はくは比翼の鳥となり・・・

 人間の都合で連れてこられて、規制・防除の対象とされているあわれな人生、もとい鳥生である。とはいえ、生態系維持のためにはやむをえない。

 つい先日、NHK高校講座 生物で生態系の話をやっていた。10種ほどの生物がいる磯で、実験的にヒトデを取り除いたところ、たちまち生物の多様性が失われてしまったという(あくまで個人の要約です、)。

 なぜかというと、その10種のなかで、ヒトデは食物連鎖の頂点に位置した。それが失われたために、食物連鎖の下位にいる生物たちが大量繁殖した。そしてその下位にいる藻類を食べつくしてしまった。こうして、その磯の生物たちがみな絶滅してしまったのだ。

 かわいいからといって、放置することはできない。

 北方に佳人有り
 絶世に而て獨り立つ
 一たび顧みれば人の城を傾け
 再び顧みれば人の國を傾く・・・

2025年3月31日月曜日

天拝山(2)御自作天満宮

 


 芭蕉翁之碑。

 鶯の笠落としたる椿かな

 残念ながら、芭蕉は武蔵寺というか九州を訪れていない。元禄3年2月6日、伊賀上野の西島百歳亭で詠んだ句。椿の縁。

 古来、鶯は梅の花を縫って笠にしたてるのがお約束。百歳亭を訪れると、鶯がさかんに啼き、庭には椿の落花がたくさんあった。花はさかさまに落ちている。鶯が落とした笠なのだなぁ。

 梅を椿にしたところが俳諧。梅より椿のほうが笠っぽい。ここだと、天満宮、太宰府の梅にたいする武蔵寺、筑紫野の椿も表現されてさらにおもしろい。


 御自作天満宮。大宰府に左遷された道真が天を拝して無実を訴えたのが天拝山。山頂には祠がある。その下宮。自らを刻んだ像がご身体。


 紫藤の滝。道真が天拝山で無実を訴える前、身を清めたという。

 いま無実を訴えるなら、まず、ちくし法律事務所に相談してほしい。榎社から天拝山へ行くなら、途中であるし。

2025年3月28日金曜日

天拝山(1)武蔵寺


 ちくし事務所のウォーキング同好会で、天拝山トレッキングに行くことになったので、下見に行った。

 二日市温泉湯町から高速高架下を南西に入る。梅の花がかろうじて残っていた。


 登山口は武蔵寺。九州最古の仏跡である。

 天智天皇の3年、釈祚蓮勅命により九州に一宇を建立しようと筑紫にくだった天皇に協力して、土地の豪族で藤原鎌足の子孫、藤原虎麿が七堂伽藍を建立、椿の木で薬師如来を刻んで安置したのが始まりという。

 天智天皇が筑紫にくだったのは唐新羅と戦ったときのことだろうか。天智天皇の3年という年とあわない気がする。天智天皇は中大兄皇子のことで、かれは藤原鎌足とともに大化改新をなしとげたのであるから、藤原鎌足の子孫というのもどうなのだろう。


 天台宗。山号は椿花山。椿の木で薬師如来を刻んだ縁起にちなむものだろう。薬師如来は二日市温泉の温泉効果(薬効)とかかわりがあるだろう。椿は筑紫野市の木となっている。


 この写真撮影位置の右手には藤の木があり、長者の藤と呼ばれている。樹齢700年余。藤氏にちなむという。藤の花がさがるのはまだまだ先だ。 


 般若心経が石に刻まれている。

 般若心経は三蔵法師・玄奘がインドから持ち帰って中国語に翻訳したもの。時あたかも中大兄皇子と中臣鎌足が大化改新をおこなったころ(一方は仏典の翻訳、他方は殺戮。前者で世のなかを変えるほうが平和的)。

 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空・・・(♪かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう・・・)

 観音菩薩は、悟りをえる(=彼岸にわたる)智慧の修行をおこなった時、この世のすべてはみな空であると見きわめた・・・

 三蔵法師の第一弟子は、孫悟空。読んで字のとおり、孫が空を悟った。

 この世のすべてはみな空であり、彼岸にこそ実がある。それを悟ることができれば、この世の苦しみから逃れることができる。

 それはそうなんでしょうが・・・。悟りを求めて、山に登って修行します。

2025年3月27日木曜日

多良岳~経ヶ岳縦走@怪鳥会(3)ヒメ・シャラ

 


 NHK高校講座 日本史で「平氏政権の登場」をやっていた。

https://www.nhk.or.jp/kokokoza/nihonshi/contents/resume/resume_0000000571.html?lib=on

 日本史上初の武家政権だったが、おごれるものは久しからず、あっけなく歴史から姿を消してしまった。

 「平家物語」は有名な冒頭、平家の運命を沙羅双樹の花の色にたとえている。

 沙羅双樹の花は、朝に開花し夕方には落下する一日花。はかない。無常。まさしく平家の運命のようである。

 日本の寺院において沙羅の樹は、ナツツバキ(夏椿)をもってあてられている。ナツツバキは、読んで字のごとく、夏にツバキと似た花を咲かせる(ツバキの花期が冬~春であるのに対し)。 

 ただし、本場インドや中国の沙羅の樹は別物。これはやむを得ない。沙羅の樹の知識は日本の留学僧たちが持ち帰ったものだろう。

 いまでいえば彼らは宗教学の学生だったかもしれないが、生物学の学生ではない。中国でこれが沙羅の樹だよと学んだものを、日本のナツツバキと混同してしまったのかもしれない。

 ヒメシャラは、ヒメ・シャラである。ナツツバキの花より小ぶりな花を咲かせる。よってヒメ・シャラである。いまどきこのような命名をすると、男女平等理念との整合性を指摘されそうだ。

 考えすぎかもしれないが、植物界における接頭辞には注意が必要だ。カラスザンショウ・カラスウリとか、イヌビワ・イヌマキとか。カラスやイヌなどの接頭辞がつくものは、本物に似ているが劣ったもの、人間のものではないというニュアンスが含まれているから。

 沙羅、あるいは姫沙羅は、夏に花を咲かせるぐらいだから、落葉広葉樹・夏緑樹である。いまは葉を落としている。他の木々が暗色であるのに、ひとり褐色系で、しかもお肌つるつる。花がない季節でも目立つ。

 幹のお肌がつるつるであるところはサルスベリやリョウブにも似ている。この樹をサルスベリと呼ぶ地方もあるようだ。

 夏には花を咲かせるのであるが、実は花を見つけるのはむずかしい。高木であるし、夏には葉が茂っているから。落花をみて気づくことが多い。

 ナツツバキの花言葉は、「愛らしさ」「はかない美しさ」「哀愁」。

2025年3月26日水曜日

多良岳~経ヶ岳縦走@怪鳥会(2)経ヶ岳

 

 多良岳山頂から経ヶ岳山頂をめざす。もったいないが、まずはくだらなければならない。残雪がわずかに残る斜面を慎重にくだっていく。


 金泉寺。HPによると

 金泉寺は、空海が平安時代の初めころ行基菩薩の遺跡を訪ね、ここに錫を留め山頂よりやや下った西側の清水のこんこんと湧き出る所に、身の丈四尺余りの不動明王と二童子立像を刻んで本尊として建立した寺である。・・・

 全国にある弘法大師伝説にそっくりである。島原にちかい場所柄か、キリシタン教徒の焼き打ちに遭ったなどと物騒な来歴も書かれている。


 金泉寺の横には山小屋もある。営業中。Tシャツなど販売していた。中で数人が食事をしていた。

 われわれは小屋の外で昼食にした。ちょうどよい気候である。


 金泉寺前のウバユリ。種をとばした跡。枯れても趣がある。

 金泉寺からは多良岳と西岳の稜線を乗り越して、西の越の斜面をくだる。立派なヒメシャラが急斜面で頑張っている。


 さらにくだると、やや小ぶりながら奇異な枝振りのヒメシャラ。根方の土が浸食された結果だろうか。

 ここらあたりからはトラバース道(巻き道)となる。


 西岳の東北斜面の岩場。氷柱がさがっている。 


 笹ヶ岳、中山峠を越えて急斜面を登ると、経ヶ岳山頂である。山頂付近のマンサク。


 山頂から多良岳方面をのぞむ。


 下山中、目をひいた。アオダモの蕾だろうか。

 こんかい、怪鳥会初参加の女性弁護士もまじえての山行。新しい風が春を予感させた。

2025年3月25日火曜日

多良岳~経ヶ岳縦走@怪鳥会(1)多良岳

 

 多良岳~経ヶ岳を怪鳥会のメンバーで縦走した。

 多良岳~経ヶ岳は、佐賀と長崎の県境に位置する。多良岳は標高996m、経が岳は1076m。両者を含む大きな成層火山が著しく開析して現在の姿となったという。それだけ古い山の形だ。

 登山口の中山キャンプ場を出発。谷が常緑樹林帯から落葉樹林帯に変わるころ、左手に山頂が見えた。春まだき、落葉樹は裸のままである。足もとには火山岩がごろごろ。安山岩だろうか。


 多良岳はかって修験の山だった。山中にはいまなお宗教的な雰囲気が色濃い。修験道は山岳宗教に神道と仏教を混淆したものだから、鳥居もある。


 役小角。または役行者。修験道の開祖。鬼神を使役できたという。九州では関西ほど馴染みがない。


 修験道は仏教も混淆しているから、仏像もここかしこにあった。苔むしていてありがたみを感じる。


 山頂には多良嶽神社上宮の石の祠がある。多良岳大権現がまつられている。権現というのは修験道的。仏・菩薩が仮の姿をとって現れたもの。



 この時期の目当てはマンサクの花。他の花々に先駆けて、まず咲く。まず咲くがなまってマンサク。奇妙な花のかたちだが、春を呼んでいるようで可憐。