2025年2月27日木曜日

倉敷~岡山城~尾道~福山城の旅(2)岡山城

 

 雪交じりの雨がふりだしたので倉敷観光を切り上げ、岡山へ。駅前では例の人たち、もとい人と動物たちが迎えてくれた。

 この像があるからといって、桃太郎が岡山の話であるとはかぎらない。岡山のほかにも、うちこそが本家だと名乗っているところがある。しかし文化庁は『「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま』の名称で日本遺産として認定している。

 桃太郎が岡山の話であることの根拠とされるのは、①吉備団子、②桃、③吉備津彦命の温羅胎児伝説である。

 ①は岡山の旧国名=吉備と吉備団子を結びつける説。しかし、吉備団子は古くはとう団子と書かれていて本来的な関係はないらしい。その他も同様。なにせ、にほんむかし話の登場人物であるゆえ、決め手はないようだ。


 岡山城は国指定の史跡。城主は、戦国時代の宇喜多氏、関ヶ原後の小早川氏、江戸時代の池田氏と変遷している。

 北側から東側へ迂回して旭川が流れ、天然の堀をなしている。北側の川向こうに後楽園がある。
 

 別名、烏城。黒漆塗りの下見板に白い格子窓のとりあわせが美しい。

 明治に入り、御殿・櫓・門の大半が取り壊され、天守も大戦時に消失している。

 国破れて山河あり、城春にして草青みたり。

2025年2月26日水曜日

倉敷~岡山城~尾道~福山城の旅(1)倉敷

 

 週末は東北雪山の山行を予定していたが、大雪予報のため断念。代わりに倉敷~岡山城~尾道~福山城を旅してきた。

 大寒波襲来でお隣の安芸の宮島などでも雪景色がニュースになっていたが、倉敷あたりはときおり雪まじりの雨が降った程度。

 三連休の中日だったが、思ったほどの人出にはあわず、新幹線も観光地もそれほどストレスなく旅することができた。

 倉敷旧市街は江戸幕府の天領。高梁川と児島湾を結ぶ運河として倉敷川が作られ内陸の港町として栄えた。

 倉敷といえば美観地区、美観地区といえば大原美術館だ。

 美術館は倉敷の実業家(紡績業)大原孫三郎(1880-1943年)が西洋美術等を展示するため1930年に開館。日本初の近代美術を展示する美術館である。イニシャルな作品群は洋画家児島虎次郎(1881-1929年)が収集した。

 残念ながら内部は撮影禁止なので外観のみ。本館は古代ギリシアのイオニア式柱を有する古典様式。和様の美観地区においてひときわ異彩をはなち目をひく。


 本館左右を守護するのは二体のブゾンズ像。向かって左は『洗礼者ヨハネ』。『考える人』で有名なロダンの作品。座って考えるのではなく、歩いて活動している。そしてイエスに洗礼を授けた。

 洗礼者ヨハネ像としてはダ・ビンチの謎の微笑みのほうが好きだ。どちらも天を指さしているのだが。



 向かって右は『カレーの市民 ジャン・ダール』。やはりロダン作。国立西洋美術館前にも6人の群像がある。こちらはその1人、ジャン・ダール。

 カレーの市民は1347年百年戦争のときの故事に基づく。百年戦争は英仏の王家を中心とする争い。英王エドワード3世はフランスの重要港カレーを1年以上包囲し、市のリーダー6人が出頭すれば人々の命は救うともちかけた。6人は処刑を免れないと覚悟を決めていた(実際には王妃の嘆願により助命された。)。


 美術館のあとは今橋を渡り、大原本邸へ。雛めぐりをやっていた。こちらは古代日本の王と王妃像。実際には「光る君へ」で描かれたように権力争いがあったはずだが、ロダンに比してなんとも優雅で平和な造形だ。

2025年2月25日火曜日

日常生活自立支援事業・暮らしのサポートセンター事業

 

 先日、家計相談支援事業@生活困窮者自立支援法について書いた。

 http://blog.chikushi-lo.jp/2025/02/blog-post_14.html

 きょうは日常生活自立支援事業及び暮らしのサポートセンター事業について書こう。

 日常生活自立支援事業は、認知機能が十分でない認知症高齢者や知的障害者、精神障害者を対象とした権利擁護のための制度である。

 われわれ弁護士にとって馴染みのあるのは、成年後見制度である。やはり認知症、知的障害、精神障害などにより物事を判断する能力が十分でない人について、本人の権利を守る援助者を選ぶことで、本人を法律的に支援する制度である。援助者は、本人の判断能力が少ない順に、後見人、補佐人、補助人となっている。

 成年後見が民法に基づくのに対し、日常生活自立支援事業は社会福祉法に基づく制度である。前者を運営するのは家庭裁判所であり、後者を運営するのは福岡県社会福祉協議会である。

 前者の支援内容は、別の機会に書こう。後者の支援内容は、福祉サービスの利用援助や苦情解決制度の利用援助、住宅改造、居住家屋の賃借、日常生活上の消費契約及び住民票の届出等の行政手続に関する援助など。具体的には預金の払い戻しや解約などの金銭管理、定期訪問などにより生活変化を察知することなどである。

 本事業の利用は契約による。そのため、本事業の対象者は、認知症、知的障害、精神障害などにより判断能力が不十分でありながら、かつ、本事業の契約内容が判断できるレベルの能力は維持している必要がある。

 筑紫野市の社会福祉協議会は、福岡県から委託を受けて、本事業を実施している。筑紫野市社協は、同事業だけでなく、暮らしのサポートセンターを設置し、独自事業として暮らしのサポートセンター事業を実施している。生活保護を受給している人は前者を、そうでない人は後者を利用していただいている。

 暮らしのサポートセンターは運営審議会を設け、運営に関する事項について審議している。当職はその審議会の委員長をおおせつかっている。

 たとえば、自宅で独居生活をしているものの、高齢化がすすみ支払いの滞納や二重払いが見られるようになった高齢者について、手続き代行サービス・財産保全サービスを契約する。具体的な支援の内容は毎月2回の訪問(生活費の払戻等)、通帳・はんこ等の預りである。

 成年後見が必要になった高齢者宅を訪問すると、日常生活が維持できず、財産管理が悲惨な状況になっていることがある。このサービスを受けることができれば心強い。配偶者や子どもがなく、東京や大阪で姪がひとり心配しているなどというケースなどではうってつけな制度である。

 費用もビックリするくらい低廉である。自分も判断力が怪しくなってきたら、社協にお世話になろうと思う。

2025年2月21日金曜日

「はにわ」展@九州国立博物館(4)宗像大社沖の島、五郎山古墳、大宰府政庁跡、天満宮・飛梅


 「はにわ」特別展のあとは、いちおう九博の常設展(文化交流展示室)へ。

 この島は沖ノ島。島には世界遺産宗像大社の沖津宮がある。先日孫と一緒に登った城山の遙拝所からその日は見えなかったところだ。


 沖ノ島から発見された8万点に及ぶ膨大な数の神宝はすべて国宝に指定され、宗像大社神宝館に所蔵されている。上記写真の手前にあるものは、その一部。もちろんすべて国宝である。


 五郎山古墳装飾壁画(レプリカ)。五郎山古墳は、うちの近所にある。径約35メートルの円墳。1947年に発見され、2年後に国の史跡に指定された。

 壁画は、人物、動物、船、家など具象画で構成されているという(筑紫野市HP)。筑紫野市HPは具象画だというのであるが、この画を見るとミロの抽象画を思い浮かべてしまう。


 大宰府政庁跡の鬼瓦。国宝。左下側がななめに失われている。残念ながらではない。失われたからこそ美しく感じる。ミロのビーナスだって、腕が失われたからこそ美しい。

 

 大宰府政庁跡南門復元模型。常設展の入り口に展示している。

 「光る君へ」で、まひろは大宰府政庁を訪れた。刀伊の入寇、藤原隆家(道長のライバル伊周の弟)によるその撃退などのエピソードをドラマに盛り込みたかったのだろう。が、まひろにとってはいささか強引な西下。でもおかげで当時の大宰府はかくあったろうというイメージはふくらんだ。


 現在の大宰府政庁跡。手前の石が南門の基壇跡。いつもは馴染んでいるのはこのような風景であるので、古代の活気ある政庁の雰囲気はイメージしづらいのである。

 一部が欠けた鬼瓦は、このような過去の繁栄とその後の喪失を端的に象徴している。


 常設展のあとは天満宮参拝。本殿改修中ゆえ仮殿参拝。仮殿も当初おぼえた違和感も消え、そこに植えられた草木が馴染むように、われわれのイメージにも馴染んだ。

 本殿改修後はすべて撤去されるのだろうか。いまや惜しい気がする。


 飛梅。

 東風吹かばにほひをこせよ梅花 主なしとて春を忘るな 菅原道真

 こう語りかけられた梅の木が主を慕って飛び来たったという。ことしは1か月遅れである。

 じつは週末東北の雪山行きを計画していたが、大雪予報となっているため断念。八甲田山の登山口酸ヶ湯は20日、12年ぶりの大雪で5メートルも積もったという。


 梅の花言葉「忍耐」。

2025年2月20日木曜日

「はにわ」展@九州国立博物館(3)多様性(ダイバーシティ)

 

 本展のハイライトは挂甲の武人たち。これは国宝2体が含まれていることからしても順当な選である。

 しかしなにがおもしろかったかと問われれば、人物埴輪たちの多様性だったと答えよう。武人たちは気品をかもしつつも類似の表現になってしまっていた。これにたいし武人たち以外の人物像は多様性にあふれていた。現代的な表現でもある。

 上の像がかぶる帽子は、中世ヨーロッパの宮廷道化師のよう。まじめな表情とのギャップが萌えポイントである。

 これなどは北欧風である。立派なヒゲをたくわえ、帽子はモミの木をデザインしたよう。「こんなところに展示されてしまって、困ったものよのう。」というつぶやきが聞こえてくる。

 中米インディオふう。マヤ文明展の写真といわれれば、なるほどと思ってしまうだろう。髪は天をつく怒髪ふうだが、表情は困惑ぎみ。

 こちらは小学校のときの友だち、Nくんにそっくり。当時流行った大魔神になりきっている。


 動作もさまざま。

 いちばん共感をおぼえたのはこれ。毎晩寝る前にストレットをしているのだが、まずやるのはこのストレッチ。肩甲骨がのびる。


 これもストレッチだろうか。この動作で肩甲骨がひらくような気がする(実際は左肩にかけているものがヒント)。


 礼儀?


 お茶出し?


 これは授乳にまちがいない。


 腕のしぐさもさまざま。

 はーい(もしくは、やぁ)。


 おーっ。


 あれっ?


 顔の表情もさまざま。沈思黙考、考え中。


 泣く。現代アニメにも採用されている。実際はタトゥーかも。


 こちらも。涙がまっすぐに流れていないので、ますますタトゥーかも。


 これは泣いているのにちがいなかろう。いま遺産分割事件で引き合いになっている相手方の弁護士にそっくり。


 結びは笑い。これは中世ヨーロッパの王様の薄笑い。顔の線はタトゥーだろうか。


 うへへ。


 いひひ。


 では、さようなら。

2025年2月19日水曜日

「はにわ」展@九州国立博物館(2)挂甲の武人

 






 挂甲の武人たち。本展のハイライトとされている(のちに述べるとおり、マイハイライトは別にあった。)。挂甲(けいこう)とは、鉄製や革製の短冊状の小板である小札(こざね)に穿孔し、組紐・革紐で縦横に縅して連接する構造のよろいをいう。

 武人といっても、モデルは身分の高い権力者とされる。始皇帝陵のように武人たちに古墳を守らせるというのではなく、この古墳に眠る権力者は生前、このような立派なかたでしたという意味らしい。

 挂甲の武人はわれわれにはなじみぶかい。なぜなら、昭和40年代に『大魔神』『大魔神怒る』『大魔神逆襲』という大映映画があったから。

 戦国時代、悪人が民衆を虐げると穏やかな表情の石像(挂甲の武人)が憤怒の表情の大魔神に変身して悪人を倒す。というストーリー。ま、水戸黄門とおなじ。

 日ごろニコニコと笑って穏やかな人がいったん怒ると激しい、そのギャップが効果的ということがある。あの効果をねらっている。

 写真のなかには国宝が2体含まれている。どれだか分かるかな?

2025年2月18日火曜日

「はにわ」展@九州国立博物館(1)

 九州国立博物館特別展「はにわ」に行ってきた。

 はにわ(埴輪)は、3世紀後半から6世紀後半まで古墳時代の日本特有の器物。祭祀や魔除けなどのため古墳の墳丘を取り囲んで並べ立てられた。埴とは「赤い土」、「輪」とは「取り囲む」の意。

 3世紀前半は、魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の邪馬台国の時代。6世紀後半は、蘇我馬子が石川の宅に仏殿を造った時代。古墳時代はその中間の時代で、ヤマトの大王が前方後円墳に代表される巨大な古墳を盛んに造り、埴輪を並べ立てた。卑弥呼の鬼道とも、蘇我氏が尊崇した仏教とも違う時代だ。

 

 埴輪は、大きく円筒埴輪と形象埴輪に大別される。写真は巨大な円筒埴輪。いまの技術でもってしても、これほど大きな焼き物を焼くのは難しいのでは。茶褐色のグラデーションが安野光雅の水彩画のよう。 


 形象埴輪。鎧、馬、船。大王の武力・権力を誇示するためか。いまでも武器、高級車、クルーザーで身を飾ることが好きな人たちはいる。




 馬のほかにも、水鳥、鹿や猿。鳥、鹿や猿に仮託して親子の情などを表現したともいわれる。このへんの情は2000年経っても変わらないように思う。

2025年2月17日月曜日

渡邊直子講演会~大野城から日本人女性初8000m峰14座完全制覇へ~

 


 渡邊直子さんの講演会に行ってきた。渡邊さんは日本人女性で初めて8000m峰14座をすべて登った人。とても愉快な講演だった。

 地球上で8000mを超える山は14座しかない。エベレスト、K2、カンチェンジュンガ、ローツェ、マカルー、チョ・オユー、ダウラギリ、マナスル、ナンガ・パルバット、アンナプルナ、ガッシャーブルムⅠ峰、ブロードピーク、ガッシャーブルムⅡ峰、シシャパンマ。すべてヒマラヤ山脈にある。シシャパンマ登頂が渡邊さんの14座目である。

 他に七大陸最高峰というのもある。アジア:エベレスト、ヨーロッパ:モンブラン、北アメリカ:デナリ、南アメリカ:アクアコンガ、アフリカ:キリマンジャロ、オーストラリア:コジオスコ、南極:ヴィンソン・マシフ。こちらのほうがよく耳にする。「世界の果てまでイッテQ」でイモトアヤコが挑戦していたりするし。

 日本でも3000m峰というのがある。日本で3000mを超える山は21座ある。富士山、北岳、奥穗高岳、間ノ岳、槍ヶ岳、悪沢岳、赤石岳、涸沢岳、北穗高岳、大喰岳、前穂高岳、中岳、荒川中岳、御嶽山、塩見岳、農鳥岳、南岳、仙丈ヶ岳、乗鞍岳、立山、聖岳。富士山と御嶽山以外は南と北アルプスに属している。日本の21座でさえもなかなか難しい。

 高山登頂の話というと、とてもつらく厳しく死ぬ思いをしたことが中心になりがちだ。でも渡邊さんの講演は違った。

 登山思想の違いだ。14サミットを目指すのか、山好きの結果14サミットに登ってしまうのか。目的なのか結果なのか。大きな違いがある。

 渡邊さんは山が好きでシェルパたちが好きで入りびったっていた結果、14サミッターになった。そのことは、世界女性初「K2最多登頂(3回)」「マナスル最多登頂(4回)」でもあることに現れている。14サミッターをめざすのであれば、K2の2回、マナスルの3回を削れば、5回分は早く記録獲得ができたはずだ。

 さらに記録獲得が目的であれば、七大陸最高峰登頂もなしうるだろう。けれども、渡邊さんはシェルパたちと交流できなければ行く意味がないという。

 他の登山者たちとは資金力の違いもある。世界の高山に登ろうとすると、1座あたり千万円単位のお金がかかる。14サミッターはいま60人だが、そのほとんどはお金持ちである。お金があれば装備でもガイドでも思いのままである。対する渡邊さんは看護師であり、看護師として貯めた稼ぎを山につぎ込んでいる。つい最近までスポンサーに資金を頼るということもしてこなかった。

 なぜそこまでするのかは山が好きだから。幼少のころから山に登り、雪山にはまるのも早く、海外遠征も早い。山好きにはめぐまれた人生である。

 シェルパたちとの交流エピソードも楽しい。講演は大野城市出身ということで、市の男女共同参画事業の一環としておこなわれた。講演の主眼は、もっと多くの人に山に親しんでほしいということにあった。

 家に帰ってさっそくクレイジージャーニーをみた。講演とはちがい、厳しいシシャパンマ登頂の様子が描かれていた。 

 写真は週刊文春のグラビアページから。女性登山家のグラビア目当てに週刊誌を買ったのは初めてである。