2025年3月12日水曜日

馬籠宿~岐阜・犬山~湖北の旅(1)馬籠宿

 

 馬籠宿、初。

 中山道43番目の宿。中山道は江戸時代に整備された五街道の1つ。江戸日本橋と京都三条大橋を内陸経由で結ぶ。

 そのうち木曾谷に沿って信濃から美濃を結んでいるのが木曽路。11宿あり、馬籠宿はそのいちばん南の宿。


 木曽路はすべて山のなかである。島崎藤村『夜明け前』のあまりにも有名な冒頭でもある。

 古来、木曽路は険しく山姥が出るとされていた。善光寺詣にでかけるにも、木曽路を通れば百里で済むところ、命大切さから二百里ある北陸道を選んでいた。能の「山姥」でも、都の遊女が善光寺に詣でるにあたり、越中・越後の境にある境川を渡っている。

 平家と木曾義仲が合戦をするのに北陸で戦ったのも、そういう事情があったのだろう。

 いまでは国境を越えて、韓国、中国、東南アジアのかたがたがたくさん訪れている。


 芭蕉も、木曽路を2度訪れている。1度目は「野ざらし紀行」、2度目は「更科紀行」の旅のとき。

 前者には記述なし。後者には「木曽路は山深く道さがしく、旅寝の力も心もとなし」「桟橋・寝覚など過ぎて、猿が馬場・立峠などは四十曲りとかや。九折かさなりて、雲路にたどる心地せらる」とある。

 落合宿との中間点あたりに芭蕉の句碑がある。芭蕉は送られるのが大好き。

 送られつ送りつ果ては木曽の穐(あき)  芭蕉

 脇本陣跡横には山口誓子の句碑。どうやら木曽には冬ではなく秋があうらしい。

 街道の坂に熟柿灯を点す  誓子


 宿の背景に雪をかぶった美しい山が見えていた。


 日本百名山の一つ、恵那山(2191m)である。藤村も幼少期にながめていた。『夜明け前』にも描かれているという。

 恵那山には迫田弁護士夫婦とともに15年ほど前に登った。登ったことは覚えているが、山中の記憶はない。下山後の中津川で、かしまし娘の歌江姉さんをお見かけしたことしか覚えていない。

 恵那山が呼んでいたが、冬山登山装備を持参していなかった。しかたなく美しい山容をいつまでもながめていた。ええなぁ。

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