2021年8月6日金曜日

市振の関ー遊女との別れ


(市振から、親知らず子知らずを望む)
 

(いちぶりの関跡)



 今日は親知らず・子知らず・犬戻り・駒返しなどいふ北国一の難所を越えて疲れはべれば、枕引き寄せて寝たるに、一間隔てて面のかたに、若き女の声、ふたりばかり聞こゆ、年老いたる男の声も交じりて物語するを聞けば、越後の国新潟といふ所の遊女なりし。伊勢参宮するとて、この関まで男の送りて、明日は故郷に返す文したためて、はかなき言伝などしやるなり。白波の寄する汀に身をはふらかし、海士のこの世をあさましう下りて、定めなき契り、日々の業因いかにつたなしと、物いふを聞く寝入りて、
  朝旅立つに、われわれに向かひて、「行方知らぬ旅路の憂さ、あまりおぼつかなう悲しくはべれば、見え隠れにも御跡を慕ひはべらん。衣の上の御情けに大慈の恵みを垂れて、結縁させたまへ」と涙を落とす。不便のことにははべれども、「われわれは所々にてとどまるかた多し。ただ人の行くにまかせて行くべし。神明の加護、必ず恙なかるべし」と言ひ捨てて出でつつ、あはれさしばらくやまざりけらし。

 一つ家に遊女も寝たり萩と月

曾良に語れば、書きとどめはべる。

 おくのほそ道が歌仙の構造を俤にしているとすれば、市振の関は、名残りの折りの表と裏の境。これから起承転結の転から結へ。テーマは宇宙から別れへ。

親知らず子知らずは、北アルプス(飛騨山脈)の北端であり、峻険な山が海に突き出ています。そのため平地がなく、街道が海の際を通っています。日本海の荒い波のあいまをぬって、通過しなければなりません。ときには子どもが大波にさらわれたこともあったといいます。それが名称の由来です。古くから交通の難所として恐れられていました。

親知らずは、地形的に軍事的な要衝でもあり、承久の乱でも激戦がたたかわれました(朝廷軍の敗北)。隠岐にながされる途中、順徳院はそのことに思いをはせたのでしょうか。

子が波にさらわれて親子が離別してしまうという親知らず子知らずは、おくのほそ道のテーマが宇宙から別れへ変わることを告げるには絶好の名前です。

そういえば、一つ前の直江津も、森鴎外の『山椒大夫』の舞台として知られていました。これも、母子が人さらいにより引き裂かれる話でした。すでに別れのモチーフは、文月はの句のなかに潜んでいたわけです。

親知らず子知らずは、北アルプスの北端ですが、「糸魚川静岡構造線」の北端でもあります(その東側がいわゆるフォッサマグナ)。ここに西南日本と東北日本との地学上の境もあります。ひょっこりひょうたん島のように、西南日本と東北日本が別々のところから流れてきて、ここで合体し日本列島が誕生したわけです。

市振へは「あいの風とやま鉄道」で向かいます。糸魚川からだと20分弱、富山からだと1時間半の行程です。

市振で、芭蕉は艶っぽい体験をしています。遊女から同道を求められたのです。でも芭蕉はこれを断っています。求道の妨げになると考えたのでしょう。そんなぁ、いっしょに行ってやればよいのに・・・。別れのテーマのエピソード・ワンです。

芭蕉が色恋を話題にすることに違和感をおぼえる人もいるかもしれません。ですが芭蕉はこのとき46歳。まだまだ恋や愛を語れる歳でしょう。

それに連句(歌仙)には、すでに紹介した初折れの表・裏、名残りトランプや将棋のように細かいルール(式目)があって、きまったあたりで月や恋に関する句を詠まなければなりません。市振の段は、歌仙でいう「恋の座」なのです。

もちろん、遊女が萩で芭蕉が月だとか、そうじゃないとか、いろいろな鑑賞があります。萩の花言葉は「思案」です。

結びに「曾良に語れば、書きとどめはべる」とありますが、曾良の随行日記にはその記述はありません。ここから、このエピソードじたいが芭蕉の創作であるといわれています。

芭蕉がここで遊女を登場させたわけは能の『山姥』にあるのではないでしょうか。市振の関のすこし西側に境川が流れているからです。

「山姥の山廻り」という曲舞をうまく演じて人気を博した都の遊女が善光寺詣でを思い立ちました。境川から山越えをしようとしたところ日が暮れてしまいました。宿を貸そうという女があらわれたのですが、実はそれがほんものの山姥でした。山姥は境涯を語り舞っていずこかへ消えていったのでした。

もちろん境川の名前の由来は越後と越中の境を流れる川だからですが、この曲では現世と異界との境でもあったのでした。

おくのほそ道の場面転換を行ううえで、市振の関以上の舞台はありません。

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