(シュウメイギク@山中温泉街)
温泉に浴す。その効有馬に次ぐといふ。
山中や菊はたをらぬ湯の匂ひ
あるじとする者は、久米之助とて、いまだ小童なり。かれが父、俳諧を好み、洛の貞室若輩の昔、ここに来たりしころ、風雅に辱められて、洛に帰りて貞徳の門人となって世に知らる。功名の後、この一村判詞の料を請けずといふ。今更昔語とはなりぬ。
山中温泉は大昌寺川の上流、文字どおり山の中。川べりを散歩するコースが美しく、お奨めです。
芭蕉によれば、温泉の効能は神戸の有馬温泉につぐらしい。しかし、念のためググってみると、日本三名湯は、有馬温泉のほか、草津温泉(群馬)、下呂温泉(岐阜)らしい。
子どものころは関西に住んでいたので、父か母の会社の家族旅行で有馬には行きました。草津はハンセン病訴訟の際に栗生楽泉園を訪問したときに入浴しました。下呂温泉は日本二百名山の小秀山に登ったときに泊まりました。
温泉のよさは泉質だけでなく、由緒、旅館街の情緒や、いまなら食事・お酒の味や接客のよさ等も考慮すべきでしょうが、ぼく的にはなんといっても露天風呂のポイントが大きい。川べりなど大自然と接し、山が望めるところに露天風呂がしつらえられていて、しかも硫黄泉、入浴するや疲れが溶け出していくときが最高です。
北陸も名湯の多いところです。石川の加賀屋には事務所旅行で泊まったことがあります。いろいろ問題も発生しましたが(笑)、よい思い出です。
山中を含む、粟津、片山津、山代の、いわゆる加賀四湯を全部つないで入れたら、どれだけ幸せでしょう。
こうしたそうそうたる競合のなかで、芭蕉が山中温泉を贔屓にしているのは、久米之助さんがお弟子さん(桃夭)になったことによるものでしょう。ぼくらもこれら温泉街、温泉旅館のなかで、どこかが顧問弁護士にしてくれれば、そこを一推しにするでしょうから(笑)。
旧暦9月9日(新暦10月14日)は重陽の節句。またの名を菊の節句。邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべたお酒を飲んで祝いました(桃の節句、菖蒲の節句に比べて、最近は人気薄。少子高齢化の影響でしょうか)。句の意味は、山中温泉に入れば、長寿のために菊を手折る必要がないということです。
貞徳は松永。江戸時代の俳諧・貞門派の祖。貞門派は室町時代の作風を刷新したものの、やがてマンネリ化し、談林派にお株を奪われました。それをさらに改革したのが芭蕉率いる蕉風です。
芭蕉は北村季吟に師事していますが、季吟は貞徳門下です。なので、貞室は先輩格にあたるのでしょう。
俳諧のことで恥をかく、それをバネとして修業に励む、成長できたのちは恥をかかせてくれた人につながる人たちの指導料はとらない。先輩の美談として紹介されています。
われわれがご恩のある先輩やお世話になったかたの紹介者から相談料をいただかないのと似ていますね。
※シュウメイギクは、じつはアネモネの仲間で、キクの仲間ではないそうです。
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