越前の境、吉崎の入江を舟に棹して、汐越の松を尋ぬ。
よもすがら嵐に波を運ばせて 月を垂れたる汐越の松 西行
この一首にて数景尽きたり。もし一弁を加ふるものは、無用の指を立つるがごとし。
大聖寺川を川に沿ってさらに下ると、日本海に出ます。その直前、加賀の境を越えて越前(南)側に北潟湖が広がり、その東岸に吉崎があります。吉崎は吉崎御坊があったところです。
わが家もご多分にもれず浄土真宗。真宗は親鸞聖人がはじめたられたことはみなさんご存じでしょう。室町時代には真宗は衰退していました。それを中興したのが蓮如で、その拠点となったのが吉崎御坊です。蓮如がいなければ、わが家が真宗に帰依することもなかったでしょう。
教科書にでてきた加賀一向一揆も蓮如や吉崎御坊が中心。そういえば、曽良が養生におもむいた伊勢長島も戦国時代、一向一揆の拠点でした。なにか関連があるのでしょうか。
吉崎御坊跡から北潟湖を越えて西岸にでると、芦原ゴルフクラブがあります。汐越の松はその敷地の中にあります。無断では入れません。受付で承諾をとりコースのなかをしばらくいく必要があります。いまでは月が垂れるかわりに、ゴルフボールが降ってきます。
汐越の松と聞いて、なにやら思いだしませんか。そう、一つは末の松山ですね。
君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ 東歌
ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波こさじとは 清原元輔
もう一つは象潟の汐越。曽良の句
波越えぬ契りありてや雎鳩の巣 曽良
二人の愛が続く限り末の松山を波が越えることはないとの断言から、すこしずつ崩れて、ここでついに汐が越えてしまいました。女房役の曽良と離ればなれになったことを表しているのでしょうか。
なお、汐越の松からすこし南に下ったところに東尋坊があります。松本清張の『ゼロの焦点』の舞台です。最近は(といっても10年以上前ですが)広末涼子主演で映画化されましたね。
2008年10月15日事務所の旅行で行きました(加賀屋に泊まったのと同じとき)。その際の写真ですが、この西方浄土にあこがれ・たそがれている女人が誰だったか思い出せません(笑)。
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