やうやう白根が岳隠れて、比那が嵩現る。あさむづの橋を渡りて、玉江の蘆は穂に出でにけり。鶯の関を過ぎて、湯尾峠を越ゆれば、燧が城、帰山に初雁を聞きて、十四日の夕暮れ、敦賀の津に宿を求む。
その夜、月殊に晴れたり。「明日の夜もかくあるべきにや」と言へば、「越路の習ひ、なほ明夜の陰晴はかりがたし」と、あるじに酒勧められて、気比の明神に夜参す。仲哀天皇の御廟なり。社頭神さびて、松の木の間に月の漏り入りたる、御前の白砂、霜を敷けるがごとし。
往昔、遊行二世の上人、大願発起のことありて、自ら草を刈り、土石を荷ひ、泥濘をかわかせて、参詣往来の煩ひなし。古例今に絶えず、神前に真砂を荷ひたまふ。これを遊行の砂持ちと申しはべる、と亭主の語りける。
月清し遊行の持てる砂の上
十五日、亭主のことばにたがはず雨降る。
名月や北国日和定めなき
白根が岳は白山、奈良大宮ロータリーのご招待で、みなさんと登りました。けれども、ずっと雨で、残念ながら写真はありません。小松のイオンや、勝山駅から見た記憶はあるのですが、写真は見つかりませんでした。すみませぬ。
敦賀はだいぶ京都にちかいですが、なお福井。敦賀湾が南に入り込んでいるため、天然の良港。大陸、日本海にも面し、陸路でも近畿と北国を結ぶ交通の要衝です。
敦賀駅からすこし北に行くと気比神宮があります。
仲哀天皇はヤマトタケルの子で、神功皇后のだんな様。そのため九州ともご縁があり、香椎宮や宇美八幡でもお祀りされています。
遊行上人は、蘆野の柳ー西行の遊行柳の段でもでてきました。一遍上人が創始した時宗の僧のことです。いまは時宗の僧にお目にかかりませんが、江戸期まではたくさんおられたのでしょうね。そして廃仏毀釈までは、ここにあるように、神社に僧が奉仕するということも普通におこなわれていたのでしょう。
気比神宮をさらに北に行くと、金ケ崎城跡があります。ご存じですか。織田信長が浅井長政に裏切られて、北陸の朝倉に挟撃され、絶体絶命のピンチ。秀吉と光秀がしんがりをつとめて、無事難を逃れた場所です。
駅前には『銀河鉄道999』のモニュメントが多数設置されています。そうかそうか、松本零士は敦賀出身か・・・いやまてよ、久留米出身だったのでは。
敦賀は、松本零士とは関係なく、交通の要衝ということで鉄道にちなんでいるそうです。むむむ、我田引水ならぬ我田引鉄・・(以下、自粛)。
この写真をフェイスブックにアップしたら、鉄郎が男前すぎるとのご批判を多数いただきました。すみませぬ。その理由は敦賀市のホームページなどをご覧くだされ。
鉄郎の後ろには999号が見えています。999号を見ると、思い出すのは山陰某駅前のモニュメント。やあ999号と思いきや、これがちがうのだそうです。鉄郎が男前すぎるどころではありません。これこそ我田引水ならぬ我田引鉄・・(以下、再自粛)。
とまれ、岩手でジョバンニ、カンパネルラとともに銀河鉄道に乗車し、宇宙パートで佐渡に横たふ天の川を間近に見てきたわれわれですが、ようやくゴールの大垣が間近に見えてきたようです。
※昨日のクイズの答え。間違いは花の写真、夕顔ではなく昼顔の写真になっていました。アサガオ、ヒルガオ、ヨルガオはみな同じ仲間ですが、ユウガオはウリの仲間です。どこで見分けるのか。アサガオなどは花びらが1つですが、ユウガオは白い花で花びらが分かれています。
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