2018年3月12日月曜日

平家の太宰府落


 土曜日は玄海ロイヤルホテルで薬害C型肝炎の九州原告団総会と懇親会でした。

 日曜日は,同ホテルを出発して,宗像四塚(湯川山471m,孔大寺山499m,金山317m,城山369m)を縦走しました。
 300~400mの山なので,すこしなめてかかったら,たいへんな縦走でした。
 よく考えたら,標高を全部足すと1656m,上高地から槍ヶ岳なみの標高差があります。しかも,アップ・ダウンするので,上高地から槍に登って降りてくるのと同じ。たいへんなはずです。きょうは足がぱんぱんです。

 湯川山と孔大寺山をわかつ峠を垂水峠といいます。垂水峠は由緒あるところです。屋島の戦いに敗れた平家は,太宰府(親平家)に身を寄せていました。ところが源氏の意を受けた緒方三郎が攻めてくると聞いて,北九州方面へ落ちていきました。その際,通ったのがこの峠だとされています。

 「平家は,緒方三郎維義が三万余騎の勢にて既に寄すと聞こえしかば,取る物も取りあへず,太宰府をこそ落ち給へ。さしも頼もしかりつる天満天神の注連の辺を,心細くも立ち離れ,
 ・・・
 住吉,箱崎,宗像伏し拝み,ただ主上,旧都の還幸とのみぞ祈られける。
 垂水山,鶉浜などという,険しくそびえる難所を乗り越え,広く果てしない砂原へ赴きなさる。」(平家物語巻八)。

 峠から孔大寺山にむかって登っていると,「五位の石」があります。なんでしょう?
 やはり平家物語のなかに,醍醐天皇の宣旨にしたがい取らえられたサギが正五位を授けられたという五位鷺の由来が紹介されています(巻第五)。その類でしょうか?

 調べたら,安徳天皇を擁する平家の一行が難儀してこの岩陰で雨宿りすると,たちまち晴れたことから五位の位が授けられたらしい。なるほど。

 そう思って平家物語をもういちど読むと,峠をとおったのではなく,山越えをしたのかもしれないなぁと思いました。孔大寺山はむかし垂水山と呼ばれていたのかも。

 というわけで,バテバテながら楽しい山歩きでした。

 湯川山苦吟したるや初音かな

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