2011年2月28日月曜日
フェイス・トゥ・フェイスブック
フェイスブックのエピソード。
フェイスブックには友達検索という機能があって
親友、同僚、同級生の3つにカテゴライズされています。
同級生を検索していたら、Kyouko Koizumiという人がいたので
まさかね?と思いながらクリックすると、キョンキョンでした。
嵐のメンバーらのほかMasami Nagasawaさんが友達でした。
ためらいなくMasami Nagasawaさんのプロフィールを見てみました。
Ninomiya Kazunariくんと交際中と書いてありました。
そうなんだ。
念のため、Ninomiya Kazunariくんのプロフィールも見てみました。
やはり、Masami Nagasawaさんと交際中と書いてありました。
なぜ、ぼくの同級生検索のなかにKyouko Koizumiさんが入っているのか?
謎ですが、ワイドショーで知るより、フェイス・トゥ・フェイスな感じ。
ダメもとで友達リクエストをしてみようか
という強い誘惑にかられました。
でも「福岡の弁護士、無謀にも友達リクエスト」とか「承認されず」とか
週刊誌に書かれるのもイヤなのでやめました(あはは)。
2011年2月26日土曜日
やけに滑ると思ったら
インターネットやフェイスブックによる情報共有の力が
中東に民主化のうねりをおこしています。
ハンセン病訴訟や薬害肝炎をたたかうなかで
メールなどの威力は知っているつもりでしたが、ここまでとは…。
われわれの人生の後半になってこれらツールが普及してきたわけですが
若いころにあったら人生が変わっていたでしょうか?
これらツールによって知識がより豊富になり
人生が豊かになっていたでしょうか?必ずしもそうでないかも。
若い弁護士と山に登っていて閉口するのは
御嶽山の話をしていて
木曽節(木曽のなぁ~御嶽山はなんじゃらほい)を知らない!
羅臼岳にいっしょに登っていて、知床旅情(しれ~とこ~の岬に~
はななす~の咲くころ~)を知らない!
ことですね。
また若い弁護士+司法修習生と話していて、「夜目遠目傘の内」とか
「コタツのなかはなぜ赤い?」等の雑学を知らないのにもビックリ。
わたくしの冗談はよく滑るのですが、できが悪いのは甘受するとして
共通の素養が欠けているために滑ることが多いと勘ぐってもいます。
共有している(はずの)言葉の意味をズラすことによって生じる違和感を
笑いの源泉にしているのに、そもそも言葉を知らないでは話になりません。
インターネットってあんまり知識拡大には役立ってないのかなぁ?
とか思います。そんなときには。
2011年2月25日金曜日
統一教会・霊感商法事件
久しぶりに統一教会がらみの事件がきました。
20年ぶりでしょうか。
当時、霊感商法などとして社会問題化していました。
被害者を「霊場」に連れて行き、「霊能者」が不幸の原因が先祖の因縁に
あるなどと不安を煽り、法外な値段で壷などを買わせる手口でした。
人間は過去・現在のみならず、将来への思いを胸に日々生きる存在
将来を思うかぎり「不安」はさけられません。
世の中にはこのような人間の弱みにつけ込む卑劣な行為が
あとをたちません。霊感商法もその一つでした。
福岡でも消費者問題委員会を中心に被害対策弁護団が結成され
私も当時の若手委員の一人として参加しました。
1993年福岡地裁は、実質上、統一教会の指揮監督によって
霊感商法をはじめとした経済活動が組織的、計画的に行われたとして
統一教会の使用者責任を認定し、損害賠償を命じました。
(統一教会の責任を認めた初の判決)
使用者責任は、ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の
執行について第3者に加えた損害を賠償する責任を負うもの(民715条)。
関西弁でいえば「責任者でてこい!」という法律
最近では、これに基づき暴力団の組長の責任追求などがなされています。
公務員の不法行為に関する国家賠償法1条の責任もおなじ仕組み
ただ国家の賠償責任は憲法17条に由来しています。
リビアの治安部隊がおこなった殺戮行為についてカダフィ大佐に対して
民事上の責任追求をされる日が来るのでしょうか?
それはともかく霊感商法事件では
執行官を先頭にわれわれは教団の施設に強制執行をかけました。
これに対して教団側は被害対策弁護団の所属弁護士の事務所のちかくで
名誉・信用を毀損する中傷ビラをまく攻撃をしかけてきました。
われわれは刑事告訴をおこない
ビラを巻いた人間らは刑事責任を問われました。
被疑者の調書を読んでいると、二日市の事務所だけは探したけれども
見つかりませんでした…などと書いてありました。
中傷ビラを巻かれるのは名誉毀損だけれども
事務所がわかりにくいなどと公文書に書かれるのはさらなる名誉毀損だ!?
と話が脱線した覚えがあります。
それから20年、ニュースで耳にすることはあったものの依頼は久しぶり。
いま事実関係を調査中。大過なく解決できそうな感じではあります。
2011年2月24日木曜日
大峰山(つづき)
翌朝暗いうちに一丸旅館を出発
登り口は大峯(清浄)大橋。
「懺悔懺悔、六根清浄(さんげさんげ、ろっこんしょうじょう)」
と先達のリードで繰り返し唱えながら登ります。
六根とは、視、聴、嗅、味、触覚の五感と意識
六根清浄とは、我欲などの執着を断ち、魂を清らかな状態にすること。
しだいにトランス状態になり
セロトニンが分泌されます。
大峰山は、いまなお宗教上の理由から日本で唯一、女人禁制の山
登山道からすぐのところに「これより女人結界」の門があります。
男女共同参画社会基本法に抵触するかどうか頭をよぎりましたが
トランス状態のまま通過。
(女性の読者のみなさま、あいすみません)
おそらくはご異論もあるのでしょうが
心弱き男どもは女人といっしょでは魂が清らかにならぬのでせうね。
途中、一の瀬茶屋跡、一本松茶屋という茶屋が設けられ
しばらく行くと「役行者お助け水」と称する水場があります。
尾根筋まで登ると洞辻茶屋があり
いよいよ世界遺産の大峯奥駈道と合流。
そこからはいわゆる表行場で
難所の連続です。とくに高所恐怖症の人にはお勧めしません。
まずは鐘掛岩。釣鐘状の巨岩に登っていくのですが
右左の足を出す順序を間違うと、行き詰まり進めなくなります。
つぎが西ノ覗岩。断崖絶壁から真下を覗き見る修行
その名も捨て身行。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という空也聖人の歌がありますが
身を捨てて生まれ変わる(再生する)行。
命綱ひとつに身と命をゆだねて、断崖絶壁の先に身を突き出されます
綱はランドセルのひものように肩にかけるだけで、いまにも外れそう…。
この状態で、後ろから突き出している人がいろいろと要求してきます
「親孝行するかぁ!」「夫婦仲よくするかぁ!」…
「はいっ!」と答えないと、数センチほど先へ押しやられます
これはもう「はいっ!」と答えるしかありません。
山の神に誓ったことではあるものの
強迫による意思表示なので取り消すことができるはず(民法96条)。
などと考えているうちにほどなく、世界遺産登録の大峯山寺に着
役小角(えんのおづぬ、役行者)を伝承的な開祖とする修験道の寺院です。
ここで朝食
あたたかい味噌汁が疲れた体と心を解放します。
1007年、かの藤原道長が山頂に自筆の般若心経などを銅の筺に納めて
埋経しました。「御堂関白記」の記載のほか物も出土しているとか。
ひといきついたのち、裏行場を巡拝し、山頂で記念撮影
そして登ってきた道を引き返します。
同行のKさんが、あとすこしで女人結界というところでおおきく転倒
みなから「邪心、邪心、まだまだ修行が足りぬ」と冷やかされていました。
下山後は温泉で汗を流し、鯉料理に舌鼓をうったのち帰路
橿原神宮で近鉄特急、京都から新幹線に乗って帰福。
修行の数々により、懺悔懺悔、六根清浄
下界のうさを忘れることができました(ほんのいっときですが)。
2011年2月23日水曜日
大峰山~“癒す”聖地~
(大台ヶ原からみた大峰山系、右が吉野、左が熊野方面)
「聖地はなぜ“癒す”のか」の番組では
熊野古道を歩くことが“癒す”のにいいということでした。
熊野までの道にはもうひとつ、大峯奥駈道があります。
吉野から熊野まで大峯山系を南北に縦走しています。
その中心にあるのが大峰山
日本百名山の一つで、奈良県南部にあります。
「峯」の字は「山久しくして平らかなり。」という意味だそう
修験道の山です。
大峰山は、宗教的には山上ヶ岳(1719m)のことで
山頂に史跡「大峯山寺」があります。
他方、日本百名山としては、深田久弥さんの書いている標高からか
八経ヶ岳(1915m、別名「八剣山」)が紹介されることが一般的。
ユネスコの世界遺産に、「紀伊山地の霊場と参詣道」の文化的景観を示す
主要な構成要素として史跡「大峯山寺」、史跡「大峯奥駈道」ほかが登録。
奈良大宮ロータリークラブの山の会のみなさんが毎年9月の第1週に山行
されており、われわれも5年ほどまえからご招待をうけ参加しています。
奈良大宮クラブと太宰府クラブは姉妹クラブで、山だけでなく
ゴルフや周年行事で交流をはかっています。
奈良大宮クラブの方は本格的で、行者装束の方もおられ
参拝講をつくられているそうです。
立山などの修験者が霊山への登山を勧めて全国を廻り
各地に参拝講が作られたとか。
「先達」がリーダーをつとめ
登った回数により、小先達、中先達、大先達と資格がすすみます。
徒然草第52段で、仁和寺にある法師がひとり石清水八幡宮に参詣し
麓の下院のみを詣でるという失敗をおかし
「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」
と兼好法師があったほうがいいよといった、あの先達のことです。
うちのクラブからはK添さんが5回参加され、小先達になられたはず
私はまだ2度しか参加できていません。
ベースキャンプは、吉野郡天川村の洞川(どろかわ)温泉
百名山に登るのは、全国の温泉をめぐる旅でもあり、ほんと癒されます。
天川村は、内田康夫さんの「天河伝説殺人事件」により、一躍有名に。
洞川湧水群があり、水の郷百選にも撰ばれ、水の清浄なところ。
まずは龍泉寺で、般若心経をとなえつつ護摩焚き
その後、フンドシ1つになり、滝行、そして水行の修行。
9月といえども湧水ゆえ水温は低く寒冷
でも滝行、水行のあとはなぜか気分が清浄になりすっきりとします。
大阪は泉佐野にある犬鳴山で女性の滝行が人気だとか(TV番組)
みなさん、同じような感想を述べられていました。
ただ竜泉寺境内は女性観光客も。フンドシ姿を見られることに心を乱した
I村さんは足もとを乱してしまいました。まだまだ修行が足りません。
食後、温泉街を散策。上品にひなびていて、とても風情があります。
(温泉街特有の猥雑さがありません。)
ある店で(名前が思い出せません)、金平糖と葛湯をいただき
「陀羅尼助丸」という漢方薬(胃腸薬)のおみやげを購入。
宿は一丸旅館
酒宴が盛り上がるなか、夜は更けていきます。
(明日は早立ちなのに、大丈夫か?ぼくたち…)
2011年2月22日火曜日
聖地はなぜ“癒す”のか
NHK教育テレビで「千住明さんの聖地学」をやっています。
わが意を得たりという内容だったのは第2回
「聖地はなぜ“癒す”のか」
センロトニン研究の第一人者とされる
有田秀穂さんのお説は以下のとおり。
現代の日本人はおおくのストレスにさらされ
精神的・心理的に疲れ、癒されたいと望んでいます。
3万3000人もの人が自死し
うつ病がその原因の3割にのぼっています。
うつ病の原因は、脳内のセロトニンの減少にあり
脳内からストレスを消すにはセロトニンを活性化させる必要あり。
セロトニン(神経)を活性化させるには歩行が一番
サプリや薬は必要なし。
セロトニン(神経)を活性化させる達人は空海で
熊野古道や大自然を歩くことがもっとも有効。
四国遍路は弘法大師のご利益もさることながら
歩くことによるセロトニン(神経)の活性化こそが健康の秘訣だとか。
空海・修験道の行者らの修行、お遍路さんの健康などの諸現象を
医学的、脳神経的に説明すると、そういうことなのでしょう。
たしかに、山道を歩いていると、大自然に癒されて脳が活性化し
心身がリフレッシュしたように感じられます。
2011年2月21日月曜日
梅花の歌
天平2年(730年)正月13日(いまの2月16日ころ)
大伴旅人は管下の国司や高官を招いて宴を開きました(万葉集・巻第五)。
旅人は大宰の帥として大宰府に妻と子(家持・書持)を伴って赴任し
山上憶良とともに筑紫歌壇を形成しました。
奈良時代のことですから
菅原道真公の左遷(901年)に先立つこと170余年です。
この宴はいまの裁判所でいえば、福岡高裁長官が自宅に九州各県の
地方裁判所長や事務局長を招いて花見の酒宴という感じでしょうか。
出席したものたちがそれぞれに、梅を題にして歌を詠みました。
それが太宰帥の宅に宴して詠める「梅花の歌」32首
序
天平二年正月の十三日に、帥老の宅にあつまりて、宴会をのぶ。
時に、初春の令月にして、気淑く風和ぐ。
梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。
しかのみにあらず、曙は嶺に雲を移し、松は羅を掛けて蓋を傾け
夕の岫に霧を結び、鳥はうすものに封ぢられて林に迷ふ。
庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。
ここに、天を蓋にし地を坐にして、膝を促けて觴を飛ばす。
言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。
淡然として自ら放し、快然として自ら足る。
もし翰苑にあらずは、何をもちてか情をのベむ。
詩に落梅の篇を紀す、古今それ何ぞ異ならむ。
よろしく園梅を賦して
いささかに短詠を成すベし。
そして旅人の歌(32首のなかの1首)
わが園に 梅の花散る ひさかたの
天より雪の 流れ来るかも
旅人の子・大伴家持が万葉集を編纂したとすると、身びいきも
あったかもしれませんが、私も好きな歌です。
旅人は妻を太宰府で亡くしています。また政治的には長屋王派だとか。
王は前年2月に藤原氏の陰謀により自害させられています。
天より流れ来た雪には故人のメッセージが含まれていたことでしょう
追悼の歌として詠まないほうが広がりがあっていいかもしれませんが。
2011年2月19日土曜日
休日のちくし法律事務所
ちくし法律事務所は1階から3階まであり
1階と2階が執務スペースと相談室
3階は会議室と書庫になっています。
弁護士8人と事務局11人の19人体制なので
各階弁護士4人、事務局5~6人の配置。
写真は1階の執務スペース
手前が事務局、奥が弁護士の執務スペースです。
よくテレビドラマなどででてくる法律事務所とは
イメージがちょっと違うと思います。
むかしながらの法律事務所はいまも少なくありませんが
執務上の機能性と事務所の結束を重視したレイアウトにしています。
写真のさらに右側に相談室が3つ(2階は4つ)
待合室が1つあります。
現在の弁護士の配置は
1階が浦田、迫田、田中、井上
2階が稲村、吉野、徳田、落合となっています。
いまはプラスして1階に司法修習生
2階にロースクール生が来られています。
3階の会議室では当事務所の事務所会議、弁護士会議のほか
士業交流会、有明訴訟など弁護団会議や顧問先の研修などを開催。
地域の催しや学習会などで会議室がご入り用のときは
お声かけください。
休日、事務所は閉めていますが
何人かの弁護士は執務していることがほとんど。
事務所ではなくとも会議やイベントに出ていることも
少なくありません。
ウイークデーは電話がほぼ鳴りっぱなしですが
休日はときどき留守番電話が応接するぐらいで静かです。
いつもわれわれを完璧にサポート、バックアップしてくれている
事務局がいないと心許ないオフィスです。
BGMは有線で、いまはビーズのオルゴール曲が流れています。
う~ん、ちょっと曲名を思い出せません。
休日に電話されて留守電が応接したときは
写真のような状態とご容赦ください。
屋上は、晴さんの強い希望で焼き肉パーティくらいはできる
ようになっていますが、いまだ実現していません。
これから花見の季節
ぜひとも実現したいものです。
2011年2月18日金曜日
フェイスブック・ネットワーク
「ソーシャルネットワーク」の映画評を書いたてまえ
フェイスブックをやってみないといかんなぁ~と思っていました。
子どもに教えてもらおうと訊くと、mixiはやっているけど
フェイスブックはやっていないとのことでした。
それでまたどうしようかと悩んでいると
中小企業家同友会・筑紫支部の次期役員会で昼食にでたとき
H内さんがH口さんにフェイスブックで友達リクエストしたけど
承認してもらえん!などと楽しそうに話していました。
それで15日(火)、思いきって登録してみました。
すると翌朝にはさっそく米国在住でボストン大学に通っている
Mさんからリクエストが届いてビックリ!
さっそく友達になりました。
彼女は以前、ちくし法律事務所で秘書(事務局)をしてもらっていました。
お連れあいは現在、ハーバード・ロースクールで勉学中。
フェイスブックは、ハーバード大学生が交流を図るためのサービスとして
開始され、他大学、そして一般に開放されたという経緯があります。
ボストン(ケンブリッジ)は、フェイスブックのメッカというべきところ
そこから最初の友達リクエストが届いたというのは出来すぎな展開。
小説のなかで、このような筋立てになっていたら
「それはちょっと安易でしょう!」と突っ込みを入れるところです。
ちなみに、2番目のリクエストはシドニー小林さんの大学の後輩
N川弁護士でした。
N川弁護士の仲人により昨日、N間弁護士と友達になりました。
今朝みたら、H内さんが友達として承認してくれていました。
たかがe-つながり、されどe-つながり
ポケモンカードをゲットし、集めるような楽しさがあります。
(ポケモンカードを集めた経験はないけれども)
2011年2月17日木曜日
「KARA」の自由
韓国女性グループ「KARA」のメンバーが所属事務所との専属契約の無効
を求める訴えを起こしたと報じられています。
正当な利益を受け取っていなかったというのが理由で
昨年1~6月の報酬はメンバー1人月額約1万円だったとか。
お尻を突き出して左右に振る“お尻ダンス”で売れたわけですが
あまりの低報酬に首を左右に振ることになったのでしょうか。
でも例によって約束は守られなければなりません。
事務所側の主張は、専属契約を守れということでしょう。
専属契約の経済的な基礎としては、アイドルを育てるのに相当額の先行投資
が必要であり、その回収をはかりたいということがありましょう。
アイドルが売れるか売れないかは分からないわけですから
そのリスクにみあうリターンも必要でしょう。
これに対してメンバー側の主張としては
専属契約が公序良俗に違反するゆえに無効という論拠が一つ考えられます。
民法90条は、公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為
は無効とすると定めています。
「公の秩序又は善良の風俗(公序良俗)」違反といっても抽象的なので
権利濫用の法理とおなじ一般条項です。
つまり、先に紹介した司法研修所の民事裁判教官の言によれば
これまた言い出したほうの負けです。
ですが、負けると分かっていても
闘わなければならないときがあるのです。
どのような場合が公序良俗に違反するかはケース・バイ・ケースですが
たとえば以下のような場合がこれにあたるとされています。
1 人倫・正義に反する行為、犯罪行為
2 自由を制限する行為
3 暴利行為
4 個人の尊厳、人権を侵害する行為
…
いずれの項目についても興味深い判例の集積がありますが
「KARA」との関係でいうと、②自由を制限する行為が問題。
自由を制限するゆえに公序良俗に反するとの判例は
芸娼妓契約について積み重ねられています。
芸娼妓契約は、①親が置屋から金銭を借り(借金契約)、②その返済方法
として娘を芸娼妓として働かせ、その収入から返済するもの(稼働契約)。
芸娼妓契約の効力についての判例は、明治のはじめから
しばしば変転してきました。
大正10年の大審院(旧最高裁)は、芸娼妓契約のうち、②の稼働契約に
ついてだけいちじるしく個人の自由を拘束するから無効だけれども
①の借金契約については必ずしも無効にならないとの考えでした。
日本国憲法は、個人の尊重(13条)、奴隷的拘束および苦役からの自由
(18条)を保障し、昭和31年に売春防止法が成立しました。
かくて最高裁は昭和30年、稼働契約と借金契約は不可分の関係にあり
稼働契約の無効は契約全体の無効をもたらすと判断しました。
もちろん芸娼妓契約と「KARA」の専属契約を同一視することは飛躍
があります。
でも労働の自由などを過度に制限する行為も公序良俗違反となります。
そう、以前、水嶋ヒロさんの競業避止義務について書いたとおりです。
総合的に自由制限の程度を検討して、合理的な限度を超えた拘束かどうか
が判断されることになります(韓国法も日本法とそう変わらないはず)。
事務所側の先行投資やリスク等を勘案するとしても
ほんとうに報酬が月1万円だったとすると低額にすぎるように思いますね。
ただ働きならぬ、「KARA」(空)ばたらきというところでしょうか。
2011年2月16日水曜日
武士と遊女と自由
いま、ちくし法律事務所には司法修習生、九州大学のロースクール生の
それぞれ1名が研修にきています。
彼女・彼とはなしをすると、記憶がタイム・スリップし
つい受験時代のことを思い出してしまいます。
話を戻すと、「漂砂のうたう」です。
主人公の定九郎は、根津遊郭の妓楼の立番という
底辺の生活からいつ逃げだそうかときっかけをさぐる毎日です。
しかし物語がすすむにつれ、定九郎の逃げ道はつぎつぎに
ふさがれてしまいます。
定九郎はもと武士ですから、手っとり早い逃げ道としては
西南戦争で反政府軍に参加することです。
賭場で働いていた同僚の山公は
これに参加していきます。
しかし「戊辰の戦で官軍の先頭にいた西郷は『賊』となり、田原坂や
山鹿の戦いも、新聞各紙は西郷たち賊軍を無様に報じる」情勢に。
かくて時代に逆行し、武士に戻るという逃げ道は断たれてしまいます。
他方、小野菊ら遊女には、芸娼妓解放令が明治政府からくだされます。
明治5年(1872)、遊女の人身売買の規制などを目的とした法令です。
ペルーのマリア・ルーズ号事件がきっかけ。同船で苦力として捕らわれ
ていた清国人が横浜港の英国船に助けを求めました。
英国代理公使は明治政府に「人身売買は違法であるからペルー船を差し
止めるように」と命じます。
アヘン戦争(1840-42)の余燼さめやらぬころのことですから、代理公使の
腹には人権のほかに関心があったはずですが、それは書かれていません。
明治政府はペルー船に対し、苦力を解放するよう申し渡しました。
すると、ペルー側は日本も人身売買を行っているではないか!と反論。
明治政府は、それならばということで
芸娼妓解放令をだしたわけです。
外国にいわれて付け刃で形だけ自由を差し下す姿勢は
明治のはじめからのことのようです。
問題は、前借金を免除させる理由で
「娼妓芸妓は牛馬と同じ。牛馬に借金の返済を迫る理由はない」とか。
「牛馬解き放ち令」と揶揄されるゆえんです。
令を発した司法卿(法務大臣)は江藤新平。さすが佐賀藩士
芸人はなわが知っていれば「佐賀県」の歌詞になったことでしょう。
江藤じしんは明治6年に下野、翌7年いわゆる佐賀の乱をおこし
西郷より先に刑死しています。
政治の世界が「一寸先は闇」であることも
明治のはじめからのことのようです。
2011年2月15日火曜日
シンボルのハードル
教養選択の政治学のはなしが出たところで余談をもう一つ
政治学の口述試験が落第点だったことを自白しておきます。
20年以上前のはなしで、いまさら司法試験合格の取消し
ということもないと思うので。
(どうしても取り消すというのであれば
時効、除斥で争わなければなりません。できるかな?)
これもいまの司法試験にはなくなった口述試験でのこと
口述試験は択一、論文試験のあとにひかえる口頭試験でした。
法律科目(憲法、民法、刑法、商法、刑事訴訟法)、法律選択(行政法)
そして教養選択の政治学の順にあります。
優秀な成績ながら口述試験が苦手だった、いまは亡きFさんの
体験談と指導のもと、予行練習を重ねました。
択一試験、論文試験は福岡で受験できるのですが
口述試験は東京の受験会場まで出むかなければなりませんでした。
松法会という受験サークルに所属している受験なかまと
渋谷のホテルに宿泊し、3日間くらいの受験期間でした。
いまは高等検察庁の検察官をしているOさんと渋谷の街をジョギング
して気晴らしをしました。
試験部屋に入ると研究者と実務家の試験委員がペアで待ちかまえていて
次々に質問し、これにうまく答えなければなりません。
異常な緊張状態のもとでのコミュニケーション能力が問われます
反対尋問や法廷でのやりとりをする能力をためすのに必要な試験です。
たとえば、刑事訴訟法の口述試験はこうでした。
問:自由心証主義ってなに?
答:証拠の証明力は裁判官の自由な判断力に委ねるという原則です。
問:立証趣旨ってなに?
答:証拠調べを請求する際に、具体的に明示しなければならない
証拠と証明すべき事実との関係のことです。
問:立証趣旨に拘束力を認めるべき?
答:いいえ。立証趣旨に拘束力はないと解します。
問:えーっ、そうなの?(ものすごく不満そうに)
答:(動揺しつつも)はい…。
問:現行刑事訴訟法は当事者主義、それとも職権主義?
答:当事者主義です。(消え入りそうな声で)
問:当事者主義なら、当事者が明示した立証趣旨どおりに
証拠を調べるべきではないの?(意地悪そうに)
答:(改説しようかどうか迷いつつ)いいえ。
問:なぜ、そう考えるの?
答:うーん…
自由心証主義が原則だからです。
問:(にっこり)はい、ごくろうさん。
というわけで、起承転結の質問を5つぐらいクリアすると
ゴールできるというハードル競技みたいな試験でした。
法律科目、法律選択については、合格ラインに達した手応えがあり
最終日の最後、政治学のハードルを残すのみでした。
部屋に入って挨拶するや、最初の質問はこうでした。
問:象徴にはどんなものがある?
答:えー天皇です。(法学部生の答としてはまっとう)
問:ほかには?
答:(うん?ちがったか?)国旗、国歌?
問:ほかには?
答:(これもちがったか?)
ペン?(The pen is mightier than the sword.)
問:ほかには?
答:(えーっと混乱しつつ)ハト、バラ、ユリ…。
口述試験は極度の緊張状態のもとでのコミュニケーション能力をみる
試験なので、会話が中断したらアウトといわれていました。
試験要領に書いてあるわけではなく、都市伝説なみの噂でしたが
否定する根拠もないため15分間、思いつく限りの例を挙げ続けました。
「天使と悪魔」「ダヴィンチ・コード」に出てくる象徴学者のロバート・
ラングドンであれば2時間でも3時間でも例を挙げたでしょう。
が、当時はまだダン・ブラウンもラングドンを創作していません。
私の想像力も枯渇しようかという寸前…
問:「言葉」はそうじゃないの?
答:…あっ、そうですね…。
(ピンとはこなかったものの、とりあえずあわせる)
問:はい、結構です。
あーっ、これで口述試験に落ちた~
と思いました。用意されたハードルを一つも越えられなかったからです。
でも結果は合格(まさかの)。
ハードルが高すぎて、他の受験生も越えられなかったのでしょうか?
それとも、そういう試験だったのでしょうか?
いまから思うと、「言葉」をなりわいとする職業につくにあたり
なかなか含蓄のある試練だったなぁと思う、きょうこのごろです。
2011年2月14日月曜日
「漂砂のうたう」
「あんた『自由』ってぇ新語をどう思うえ」
(「漂砂のうたう」より小野菊)
われわれのころの司法試験には、いまとちがって
教養選択科目というのがありました。
法律学ではない社会学、教育学や心理学などの教養科目なかから
1科目を選択して受験するのです。
私が選択したのは政治学。
憲法、民法、刑法、商法、刑事訴訟法、行政法と法律科目だけでも
膨大な勉強量になるので、教養選択まではなかなか手が回りません。
対処法として先輩から伝授された受験術が
「砂粒(すなつぶ)理論」のマスター。
19世紀はじめ市民社会が成立し、自由と平等という普遍的価値が
各国に普及しました。
その後、産業化(階級分化)・政治の平等化(普通選挙)がすすみ
財産をもたない大衆が政治に参加する大衆社会が成立。
大衆は自分のことを砂粒のように感じ、無気力・無感動(アパシー)
孤独で匿名で操作されやすいという負の特性をもつというのが砂粒理論。
どんな問題が出されてもまず砂粒理論を展開し、そのうえで出題に対する
答えらしきものを書けば、及第点をもらえるーとかいう受験術でした。
「漂砂のうたう」(木内昇さん、集英社)の舞台は根津遊郭
時代背景は明治初年です。
刻々と西南戦争の報が入ってくるので
明治10年ころのことです。
八幡製鉄が創業を開始したのが明治34年、成年男子による普通選挙法が
成立したのが大正14年ですから、いまだ大衆社会とはいえません。
ですが、維新により旧来の価値観は崩れさり、新しい価値である「自由」
は空疎でなじめないーそんな登場人物たちの気持ちが「漂砂」です。
「『自由』なんぞといきなり言われても、のう」
「へぇ。かえって厄介でさぁね。
わっちの身にもなんの係り合いもありません」
いくらでも滑り落ちることはできる。
だが、今よりわずかでもマシな場所に上ることはできない。
横に流れるのがせいぜいだ。
漂砂のなかでも底の底を漂っていたのが遊女たち。そのなか
なんとか「うたう」ことを指向していたのが花魁・小野菊です。
「わちきら花魁にとっちゃ、『自由』ってのは路頭に迷うのと同じことさ。
生きる場を無くすってことだ。
でもね、花魁が籠の中の鳥なのは、廓に閉じ込められてっからじゃあない
んだよ。外の世界を信じてないからさ。…」
では、いかに「自由」にむかって「うたう」のか?
ご一読ください。
なお、「漂砂のうたう」のカバーは小村雪岱の「春告鳥」
ウグイスが小野菊に春を告げる(うたう)という趣向でしょうか?
2011年2月12日土曜日
誰にでも安息と眠りを~ゴッホ展~
特別鑑賞券を知人からいただいたので九州国立博物館へ
「ゴッホ展」に行ってきました。
ゴッホは1853年3月30日~1890年7月29日まで
37歳でピストル自死するまでの生涯。
日本では幕末ペリー来航から明治23年商法、民事・刑事訴訟法公布
までという時代です。
27歳で画家を志し、10年間でおよそ1800点もの作品を描いた
というのですから、2日に1点創造していた計算になります。
眉村卓さんが大腸がんで死去した妻・悦子さんに宛てた1778物語
に匹敵するビックリです(「僕と妻の1778の物語」)。
若いころは印象派が好きでしたが、最近はちょっと…
と距離を置いていたところ、ふたたびの出会いという感じでした。
人間精神のぎりぎりの危うい明るさを表現する「アイリス」
療養の静謐さを表現する「サン=レミの療養院の庭」など。
でもいちばんのお気に入りは月並みかもしれませんが
「アルルの寝室」。
「安息と眠り」を絵画によって表現しようとした姿勢と
その達成に脱帽。
やすらかな気持ちになれました。
※まだやすらぎを得ていない方は明日13日(日)まで。
2011年2月11日金曜日
難所が滝~宝満の滝~
2011年2月10日木曜日
ピツァとベルリーニとプロセルピナ
だいぶ脱線しましたが、そもそもの謎はピツァの食べ分け場面でした。
僕がよく行くピツァ・ハウスに彼女をつれていって生ビールとアンチョビの
ピツァを注文した。僕はそれほど腹が減っていなかったので十二ピースの
うち四つだけを食べ、残りを緑が全部食べた。
(村上春樹「ノルウェイの森」第九章)
緑が残りを全部食べたのは、お腹が減っていたからでしょうか
それとも、ほかになにか意味があるのでしょうか?という謎でした。
僕にとって最高の書物はジョン・アップダイクの「ケンタウロス」だった
ならば、ピツァの話もギリシャ神話をベースにしているはず…。
ローマを観光すると教会、泉・噴水に彫刻がおおいことにきづきます。
一番有名な泉は「ローマの休日」に出てきた「トレヴィの泉」でしょう。
最近では、①バルベリーニ広場の「トリトーネ」や
②ナヴォーナ広場の「四大河の噴水」の彫刻が有名でしょうか?
教会彫刻だと、③サンタ・マリア・デル・ポポロ教会の「ハバククと天使」
④サンタ・マリア・デラ・ヴィットリア教会の「聖女テレサの法悦」。
こうなると、知らないなぁという人も多いはず。①~④の共通点は
「天使と悪魔」に出てきたベルニーニの彫刻作品だということです。
ベルニーニ(1598~1680)は、バロックの時期を代表する彫刻家で
江戸時代はじめの狩野探幽(1602~74)らと同時代人です。
「天使と悪魔」には出てきませんでしたが、おなじベルニーニの作品に
「プロセルピナの略奪」があります。
バルベリーニ広場から北にいくとボルゲーゼ公園があり
そのなかにある国立ボルゲーゼ美術館で見ることができます。
冥界の王プルートが一目ぼれした女神の娘プロセルピナを連れ去ろうとする
瞬間を彫刻化したものです。
ギリシャ・ローマ神話は前に書いたとおり親分のゼウス(ジュピター)から
肉食系なので略奪愛の話がいっぱいです。
よく似た作品に「アポロとダフネ」があります。ダフネが月桂樹に変身する
瞬間を彫刻化したもので、腕が枝葉になりつつところが印象的です。
ベルニーニが日本人であれば、在原業平による藤原高子の略奪愛をテーマに
彫刻をつくったかもしれません。
略奪されたプロセルピナは、ギリシャ神話ではペルセポネー
その母は豊饒神「母なる大地」のデメテルです(トレヴィの泉の左像)。
母デメテルはゼウスに抗議するも、取りあってもらえなかったため激怒し
オリュンポスを去って身を隠し、大地に実りをもたらすのをやめます。
このエピソードはアマテラスがスサノオの乱暴に激怒し
天岩戸に隠れてしまった話とよく似ています。
ゼウスはハーデス(プルート)にペルセポネーを解放するように伝え
ハーデスはこれに応じる形でペルセポネーを解放します。
その際、ペルセポネーはハーデスが差し出したザクロの実12粒のうち
4粒を空腹から食べてしまったのです。
冥界の食べ物を食べた者は、冥界に属するという神々の取り決めがあり
ペルセポネーは1年12月のうち4月を冥界で暮らすようになりました。
デメテルは娘が冥界にいる時期だけ地上に実りをもたらすのを中止
これが冬という季節の始まりなのです。
くだんのピツァを食べ分けるシーンは、このギリシャ神話を踏まえ
緑がその名前のとおり地上に実りをもたらす存在であることを
示唆しているわけです(たぶん)。
宮崎アニメ「千と千尋の神かくし」のなかではトンネルのむこうで
両親が神々の料理を食べ、豚になってしまいます。
食事をすると、ただ単に空腹をいやすという以上の
浅からぬ意味が生じるようです。
高校生のときのデートで彼女の手作りのサンドイッチを食べたときのことは
今でも鮮明に覚えています。
2011年2月9日水曜日
春の女神とアドニスと金星
村上春樹さんの「ノルウェイの森」に
18歳の年の僕にとって最高の書物はジョン・アップダイクの
「ケンタウロス」だった…。
とあることから「ケンタウロス」をぜひ読みたいと思ったところ
残念ながら絶版中でした。
Amazonで検索すると3566円で古本がでており
(けっこうなお値段にひるみましたが)買いました。
「ケンタウロス」の舞台は、現代アメリカの田舎町と
ギリシャ神話のオリンポスのハイブリッド。
物語の途中で、いつの間にかオリンポスの世界になったり
いつの間にか現代アメリカに戻ったり。
「ノルウェイの森」の執筆はギリシャ等でなされているので
村上さんの頭のなかもギリシャの神々が行き交っていたことでしょう。
ギリシャ神話の親分はゼウス、その親分からして異常に好色な神なので
ギリシャ神話全体がどうしてもエロチックにならざるをえません。
それを現代アメリカ社会にもちこむのですから
「ケンタウロス」もいい感じにエロチックです。
うっかり読んでいると、主人公の高校教師コールドウェル(ケイロン)は
校舎内を歩いていたはずなのに…
ヴェラが蒸気に包まれて目の前に立っていた。青いタオルが体からなまめ
かしくずり落ちると、琥珀色の陰部が露のしずくに白く光っていたっけ。
「わたくしの兄のケイロンはなぜサテュロスのように口をあけたまま立っ
ているのでしょう?神々の姿はケイロンも見なれているはずですのに。」
「女神アプロディテよ。」
…という具合に、おなじ高校の女性教師ベェラがたちまち
愛と美と性を司る女神アフロディテに変身してしまいます。
アフロディテは生殖と豊穣を司り
ということは春の女神でもあります。
わが法律事務所では年2回
春と夏にニュースを発行しています。
今春号はご遺族のご厚意で小川蓮太郎先生の画を2枚
掲載させていただきました、そのうちの1枚が「アネモネ」。
アフロディテはアドニスの美しさに惹かれ、かわいがっていたところ
彼は狩猟の最中に野猪の牙にかかって死んでしまいました。
女神は嘆き悲しみ、自らの血をアドニスの倒れた大地に注ぎ
その地から芽生えたのがアネモネです。
ひとつの花の由来さえ、このように
美しく説明する古代ギリシャ人の感性に親近感をおぼえます。
古代ギリシャ人たちがアフロディテと呼んでいた神を
古代ローマ人たちはヴィーナスと呼びました。
古代ローマ人やヨーロッパの人々がキリスト教を信仰するようになり
異教となったギリシャ・ローマの神々への信仰は廃れました。
ギリシャ・ローマの神々が再生(再誕生)したのはルネッサンス期
ボッティチェリは「ヴィーナスの誕生」を描きました。
先ほどのケイロンがアフロディテと遭遇した場面も
「ヴィーナスの誕生」を彷彿とさせます。
おなじく「春(プリマベーラ)」もまたヴィーナスを中心に描いたもの
どちらもフィレンツェのウフィッツィ美術館でみることができます。
ボッティチェリ(1445-1510)はガリレオ(1564-1642)より1世紀以上
前の人ですから、異教の神を描くことにかなり勇気がいったと思います。
それでもボッティチェリがヴィーナスを描いたのは
その愛と豊饒の力に魅せられたからでしょうか?
昨年、事務所のメンバーで神戸に行ったさい、
夜景をみようということになりました。
ビュー・ポイントを地元の人に尋ねると、
「キンセイダイ」という人と「ヴィーナスブリッジ」という人と…。
迷ったすえに「キンセイダイ」に言ってみると「ヴィーナスブリッジ」と
おなじところでした。
金星台とは神戸市中央区の諏訪山にある展望台。ここと諏訪山展望台を繋ぐ
螺旋橋の愛称がヴィーナスブリッジ。
1874年にフランスの天体観測隊が、金星の太陽面通過の観測をこの地で
おこない、それにちなんで命名されたとのことです。
ギリシャ・ローマ神話の素養がしっかりしていて
金星=ビーナスとピンとくれば、簡単にとけた謎でした。
というわけで、ジョン・アップダイクの「ケンタウロス」
(古本ですが)ご一読ください。
2011年2月8日火曜日
C型肝炎とケンタウロスと射手座
弁護士をはじめてからすぐにお手伝いしたのは
水俣病の裁判でした。
被害者は、汚れた工場廃水が原因であることは分かっていたので
対策をとることができたと主張しました(汚悪水論)。
国や企業は、原因物質が工場廃水中のメチル水銀と確定するまで
対策をとることができなかったと反論していました(メカニズム論)。
薬害肝炎でも事情はおなじ。
C型肝炎はウイルス(HCV)が発見されるまで
血清肝炎・輸血後肝炎とか、非A非B肝炎と呼ばれていました。
被害者は、血清肝炎の時代から対策をとることができたと主張し
国や企業は、HCVが発見されるまで難しかったと反論しました。
C型肝炎ウイルスが発見されたのは1988年
アメリカのカイロン(Chiron)社によってでした。
HCVの発見は薬害肝炎の発生・拡大を防止するのに必要ありませんが
C型肝炎の病態の解明や治療薬を開発するのに役立つことは当然です。
ところで「ケンタウロス」の主人公は高校教師コールドウエルと
ギリシャ神話のケンタウロスのハイブリッド。
物語の途中で、いつの間にかケンタウロスになったり
いつの間にかコールドウエルに戻ったり。
ケンタウロスは人間と馬のハイブリッド
人間の上半身+馬の首から下の胴体という姿をしています。
小説&映画「ハリー・ポッター」の
「賢者の石」や「不死鳥の騎士団」に出ていたアレです。
馬優位か人間優位かでわかれるのか、ケンタウロス族にも2系統あり
好色で酒好きの暴れ者の一族と、そうではない賢者と。
「ケンタウロス」の主人公は後者、医学の祖とされるケイロン
と高校教師とのハイブリッド。
ん?ケイロン(Chiron)?どこかで聞いたことがあるような?
そう、HCVを発見したカイロン社は医学の祖ケイロンに因んで
名付けられたものだそうです。
ケイロンも医術の神アスクレピオスや
アキレウスなど数々の英雄を教育した教師でした。
物語のなかでも、ケイロンは薬剤師としての知識を
生徒たちを教えています(第3章)。
乱暴なほうのケンタウロスたちが婚礼の宴から花嫁を盗みだそう
とした際に、ケイロンはとばっちりを受け毒矢で負傷します。
型破りの弁護士と名前が一緒のために、別のおとなしい弁護士が
とばっちりを受け苦しむようなものでしょうか。
ケイロンは不死のため、毒矢のキズの痛みに苦しみながら
治るあてもなくずっと世界をさまよいます。
他方、主人公の子はピーター
やはりギリシャ神話のプロメテウスとのハイブリッドです。
プロメテウスは人類のために天の火を盗みだしたため
カフカスの山頂に張り付けにされ、生きながらにして毎日肝臓を
ハゲタカについばまれる責め苦を強いられました。
ケイロンは身代わりとして子の罪を引き受け
死にたいと願い出ます。
神々は彼の願いを聞き入れ
ゼウスは彼を輝く射手座の星にすえました。
C型肝炎ウイルスのせいで毎日肝臓を痛めつけられていた患者らに
カイロン社がHCV発見をもたらした話としても読めますね。
2011年2月7日月曜日
春の緑とリスとピツァ
春の話題をもうすこし。
北海道は洞爺湖の北に立つ百名山、後方羊蹄山(蝦夷富士)に登り
倶知安・半月湖へくだる森でのことです。
エゾリスが樹から降りてきて、山道にちょこんとすわって(ノル・ウェイ)
エゾマツの実をついばみ、食べ終わると去っていったことがありました。
まるで遠来の登山者に寸劇を披露して去ったという感じ
北海道のリスは芸達者でもてなし上手だなぁと感動しました。
今僕の前に座っている彼女はまるで春を迎えて世界にとびだしたばかりの
小動物のように瑞々しい生命感をほとばしらせていた。
(村上春樹「ノルウェイの森」第四章)
緑のことを思い浮かべると、羊蹄山のエゾリスのしぐさを思い出します。
さてそんな緑が父を亡くしたあとのデートでのことですが…。
僕がよく行くピツァ・ハウスに彼女をつれていって生ビールとアンチョビの
ピツァを注文した。僕はそれほど腹が減っていなかったので十二ピースの
うち四つだけを食べ、残りを緑が全部食べた。
(村上春樹「ノルウェイの森」第九章)
緑が残りを全部食べたのは、お腹が減っていたからでしょうか
それとも、ほかになにか意味があるのでしょうか?
物語のはじめのほうに僕が好きな本が紹介されています。
18歳の年の僕にとって最高の書物はジョン・アップダイクの
「ケンタウロス」だった…。
(村上春樹「ノルウェイの森」第三章)
「ケンタウロス」は現代アメリカの田舎町の高校教師の親子愛を
ギリシャ神話をベースに、あるいは、混交させながら描いたもの。
そうであれば、緑と僕のピツァのエピソードも
ギリシャ神話をベースにしているはず…。
2011年2月5日土曜日
春立ちぬ
きのうは立春、「寒さがあけて春に入る日」
いわば春の初日、こよみどおり暖かくなりました。
丸谷才一さんの「新々百人一首」より春の歌。
雪のうちに 春はきにけり うぐひすの
氷れる泪 いまやとくらむ
二条后
うぐいすは春告鳥なので
春を告げます。
「法、法華経(ホー ホケキョ)」と鳴き
鳥ながら法を説きます。
法を説くのであれば、泣いて泪することもあるでしょう。
二条后は藤原高子(たかいこ)で
清和天皇の女御。
むかしのイケメン在原業平に略奪されて駆け落ち
許されぬ悲恋に生きます(伊勢物語)。
あなたにさらわれて~
センチメンタル・ジャーニー
むかしの松本伊代ちゃんのセンチメンタル・ジャーニーは
略奪愛に成功したのでしょうか?
業平は失敗し、「京にはあらじ、東の方に住むべき国求めに」とて
傷心のセンチメンタル・ジャーニー(東くだり)。
隅田川の河畔まで来た業平は
高子のことを想って歌を詠みました。
名にし負はば いざ言問はむ 都鳥
わが思ふ人は ありやなしやと
在原業平
(注:都鳥はユリカモメのこと)
ユリカモメのいる隅田川といっても、新橋~お台場のあたりではなく
もっと上流、浅草寺の東のあたり。
隅田川にかかる言問橋はこの歌にちなんで命名されたもの
一青窈さんの「一思案」の歌では、娘が初恋を落とした場所です。
花に鳴くうぐひす 水に住むかはづの声を聞けば
生きとし生けるもの いづれか歌をよまざりける(古今集・仮名序)
春の隅田川、名にし負う都鳥、娘が初恋を落とした言問橋とくれば
生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。
ちかくに東武伊勢崎線の業平橋駅があり
春ならぬ東京スカイツリーが立ちつつあります。
業平なら、高い塔をみて高い子を想い
もう一首歌を詠んだでしょうか?
2011年2月4日金曜日
今さらジロー(4)
「取り替え子(チェンジリング)」は、ヨーロッパの伝承として
たくさんあり、わが子が妖精の子と取り替えられてしまう話です。
できの悪い子をもった親の気持ちとして
どこかで妖精と取り替えられてしまったと考えたい気持ちも分かります。
わが家でも、子どもが聞き分けがなくなるといつも
「あなたは高崎山に連れて行ってから急に聞き分けがなくなった。」
(猿と取り違えた)とジョークを交えて叱っていました。
この主題はわれわれの心の深いところを刺激するのか
チェンジリング伝承を踏まえて新しい作品もつくられています。
C・イーストウッド監督の映画「チェンジリング」
主演のA・ジョリーが取り替えられたわが子に関する真相を追求していくと
できが悪いのは、わが子ではなくロサンゼルス警察という怖い話でした。
義兄・伊丹十三の自死をきっかけに
大江健三郎さんが書いた小説も「取り替え子」。
大江さんに比定される主人公・古義人は絵本を見ながら
伊丹十三に比定される吾良を思い出して、改めて悲しみに襲われます。
絵本はモーリス・センダックの「まどのそとのそのまたむこう」
(Outside Over There)。
すると窓からゴブリンたちがやってきて
氷の人形と交換に、妹をさらったのです。
驚いたアイダは、妹を取り戻すため
窓のそとのそのまたむこうへ出発しました。
兄弟の争いは神代のカインとアベル、海彦と山彦からのものでしょうが
弟らがチェンジリングを主張する争いはやはり最近のものでしょう。
兄は50代半ばで、亡き両親も実子だと信じていたというのですから
いまさら弟らから兄弟ではないといわれたほうもビックリしますよね。
自分じしんに照らしても、いまさら両親と血縁関係がないことがわかれば
アイデンティティが根底から否定されてしまいます。
血縁主義の原則といっても、例外はあります。
両親が生きていれば、養子縁組をするということもあり得たはずです。
これらの事情から、本件について東京高裁は
弟らの請求は権利の濫用であるとして、これを退けました。
私は判旨を読むかぎり、その結論でいいように思います。
みなさまはいかが?
親子鑑定についての最近の事件としては
3件ほど思い浮かびます。
1件目は、養育費の請求事案
不倫関係にあった女性の子(婚外子)につき養育費を請求したところ
「父」が自分の子ではない(他の男の子かもしれない)と争ったために
親子鑑定が必要になりました。
2件目は、相続権に関する事案
「父」が亡くなったのち、婚外子として相続権を主張するために
親子鑑定をしようとしたところ、「父」のDNAに関する鑑定資料が
残っていなかったために断念したケース。
3件目は、やはり相続に関する事案
ずっと親子として生活をしてきたのに、両親の死後に
戸籍上、親子でなかったことが判明したという事件
民法を単純に適用すると「両親」の兄弟姉妹
が法定相続人となり、依頼人には相続権がありません(889条)。
「両親」の兄弟姉妹のかたがたと話しをしたところ、みなさん
相続持分の譲渡に快く応じていただき円満に解決することができました。
これまでの親戚づきあいがちゃんとしていたのでしょう。
DNA鑑定も法律も限界があります。
紛争を起こすのも解決するのも、最後は人です。
「もう死んでしまった者らのことは忘れよう
生きている者らのことすらも。
あなた方の心を、まだ生まれて来ない者たちにだけ向けておくれ」
(ウォーレ・ショインカ「死と王の先導者」から)
2011年2月3日木曜日
今さらジロー(3)
日本百名山の一つ、北アルプスの鷲羽岳に源を発し
黒部川は一路北へ日本海をめざします。
川が削った黒部峡谷はV字谷となり
日本の秘境100選のひとつです。
途中、雲ノ平、薬師岳を迂回して黒部湖・黒四ダムに至ります。
その難工事は「黒部の太陽」として、小学校の教科書に載っていました。
立山・黒部アルペンルートがここを東西に横断し
みどころの一つですから訪れたことがあるという方もおおいでしょう。
黒部ダムからさらに西に剣、東に鹿島槍、五竜、白馬などの山塊を削って
富山湾のほうへ下ると、欅平、黒薙温泉をへて宇奈月温泉にいたります。
昭和のはじめ、この温泉場で熱いたたかいがくりひろげられ
大審院(当時の最高裁)判決が形成されました(宇奈月温泉事件)。
民法判例百選のはじめに紹介されている判例であるため
3日ぼうずの法学部生でも一度は読んだことがあるものです。
宇奈月温泉は7.5Km上流にある黒薙温泉から
引湯管を使いお湯を引いていました(いまもそう)。
引湯管は黒部峡谷の急傾斜地につくられていたところ
2坪だけ利用権を得ていない他人の土地を横切っていました。
その土地の所有者が引湯管の持ち主に、土地を高額で買い取るか
所有権に基づく妨害排除として引湯管の撤去等を求めた事件。
これに対し、大審院は
①所有権が侵害されてもこれによる損失がいうに足りないほど軽微
②撤去することが著しく困難で莫大な費用を要するような場合
③不当な利益を獲得する目的で、その除去を求めるのは
権利の濫用にほかならないと判示しました。
その妥当な結論に誰もが「うなづき」ました。
この結論を導いた法律論が権利の濫用の法理です。
戦後の民法改正のとき、権利の濫用はこれを許さない。
と明記されました(民法1条3項)。
法を適用する裁判所が判例という形で法を形成し
法をつくる国会が後追いした例です。
とはいっても、民法は基本的には権利の行使を擁護する法律ですから
権利の濫用が認められることはきわめて例外的とされています。
司法修習生時代、研修所の民事裁判のK教官が
「権利の濫用を言い出したらそちらの当事者の負けだ」
と断言されていました。
そうはいっても弁護士たるもの
権利の濫用を主張せざるをえないこともあります。
K教官はしばらく福岡地裁で部総括(部長)判事をされていましたが
もちろん、その時でさえも。
(つづきはまた明日)
2011年2月2日水曜日
今さらジロー(2)
「おまえとは父でもなければ子でもない。」
ドラマで親子喧嘩のさいによくあるセリフです。
実際、不良の息子と縁を切りたいとの相談は
少なくありません。
しかしむかしのような勘当という制度は現行法にはなく
実親子関係を破棄することはできません。
実親子関係をどうしても否定したければ
嫡出否認か親子関係不存在確認訴訟によるほかありません。
むやみに訴えを許すと子の立場が不安定になってしまうので
嫡出否認の訴えは子の出生を知ってから1年内という期間制限があります
(民法777条)。
婚姻中又は離婚後300日以内に生まれた子どもの場合
嫡出否認の訴えによることが原則です。
嫡出の推定が働く場合に、親子関係不存在確認訴訟をおこしても
不適法として却下されます。
(そうしないと、嫡出否認を限定的に認めた趣旨が没却されるので)
本件東京高判ケースの場合、婚姻中に生まれているので
本来であれば、不適法として却下されるべき事案だったようです。
それではなぜ判決がなされたのか?
法律にはかならず例外があります。
夫の長期海外出張、受刑、別居など
妻が夫の子を妊娠する可能性がないことが客観的に明白である場合は、例外
夫の子であるとの推定を受けないことになるからです。
ただし本件の場合、夫の長期海外出張、受刑、別居などでもなさそう
産院での取違えとありますが、これを主張・立証したわけでもなさそう。
それではなぜ??
嫡出否認の訴えの制限は子の立場を守るためのもの。そうだとすると
関係者が了解しさえすれば裁判を認めてもよいと考えられます。
本件では兄が了解したために、1審で親子鑑定を実施したもよう
兄としても真相を知りたかったということでしょう。
そもそも弟らがなぜ血縁関係がないと考えたのか?
判旨からは不明です。
血液型のちがい?それとも外貌が著しくちがったのでしょうか?
性格や能力などのちがいからはいえないと思うのですが…。
ともあれ遺伝子鑑定の結果、実子でないことが判明しています。
(産院での取違えというのは、この結果からの推測のようです)
こうして一審・東京家裁は親子関係を否定し、弟らの勝訴。
そこで兄は控訴しました。
(つづきはまた明日)
2011年2月1日火曜日
今さらジロー(1)
判例集にきょうみぶかい判決が掲載されていて
わが事務所でも話題になったので、ご紹介。
東京高裁の平成22年9月6日判決。そのタイトルは
以下のとおり、まるで小説の帯に書かれたあらすじのよう。
「産院で取り違えられ生物学的な親子関係がない夫婦の実子として
戸籍に記載され実親子と同様の生活実体を長期間形成してきた兄に対して
両親の死後、遺産争いを直接の契機として戸籍上の弟らが提起した
親子関係不存在確認請求が権利の濫用に当たるとされた事例」
1審(東京家裁)では弟らが勝訴していたところ
本高裁判決は兄の勝訴となっています(弟ら上告中)。
「血は水よりも濃し」「血の争い」「血族」など、親子関係については
むかしから血のつながりが重視されてきました(血縁主義の原則)。
最近では遺伝子(DNA)鑑定が10万円前後でできるようになり
ドーキンス流の「利己的な遺伝子」が紛争を呼んでいます。
むかしは血液型に関する知識や遺伝子鑑定などありませんから
婚姻という外形事実から、民法は親子関係を推定しています。
妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定されます(722条1項)。
婚姻関係にある男女から生まれた子は嫡出子ですから、嫡出の推定です。
婚姻成立の日から200日を経過した後 または
婚姻の解消・取消しの日から300日以内に生まれた子は
婚姻中に懐胎したものと推定されます(同2項)。
受精後平均266日で生まれるという
人間の生物学的事実に基づく推定です。
この推定が働く婚姻中であっても、妻が浮気をして
他の男性との間の子が生まれることもあります。
(夫の浮気のばあい、婚外子という別の問題になります)
もちろん夫は「俺の子じゃない。」と訴えることができます
民法の定める嫡出否認の訴えです(774、775条)。
これに対し、親子関係不存在確認訴訟については
民法の定めがありません。
ローマ法→大陸法(ドイツ法、フランス法)を継受して立法された
民法ですが、穴はあります。穴は解釈で埋めることになります。
三権分立というのは、国会が法をつくり、裁判所が法を執行するという
役割分担により、国民の自由を守る仕組みです。
(「わたし作る人、ぼく適用する人」)
法に定めのないことを解釈で認めることは、ある意味
裁判所が法をつくったことになり、三権分立に反するおそれがあります。
それゆえ、立法者が書いていないことはそれを認めない趣旨だ
と一般には解釈されます(反対解釈)。
ただし、民法に定めがないけれど認めないと正義に反するばあいには
それが民法の穴であり、立法者の書き忘れと解釈されることがあります。
こうして
親子関係不存在確認訴訟はむかしから認められてきています。
(つづきは明日)