インターネットやフェイスブックによる情報共有の力が
中東に民主化のうねりをおこしています。
ハンセン病訴訟や薬害肝炎をたたかうなかで
メールなどの威力は知っているつもりでしたが、ここまでとは…。
われわれの人生の後半になってこれらツールが普及してきたわけですが
若いころにあったら人生が変わっていたでしょうか?
これらツールによって知識がより豊富になり
人生が豊かになっていたでしょうか?必ずしもそうでないかも。
若い弁護士と山に登っていて閉口するのは
御嶽山の話をしていて
木曽節(木曽のなぁ~御嶽山はなんじゃらほい)を知らない!
羅臼岳にいっしょに登っていて、知床旅情(しれ~とこ~の岬に~
はななす~の咲くころ~)を知らない!
ことですね。
また若い弁護士+司法修習生と話していて、「夜目遠目傘の内」とか
「コタツのなかはなぜ赤い?」等の雑学を知らないのにもビックリ。
わたくしの冗談はよく滑るのですが、できが悪いのは甘受するとして
共通の素養が欠けているために滑ることが多いと勘ぐってもいます。
共有している(はずの)言葉の意味をズラすことによって生じる違和感を
笑いの源泉にしているのに、そもそも言葉を知らないでは話になりません。
インターネットってあんまり知識拡大には役立ってないのかなぁ?
とか思います。そんなときには。
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