2011年2月14日月曜日
「漂砂のうたう」
「あんた『自由』ってぇ新語をどう思うえ」
(「漂砂のうたう」より小野菊)
われわれのころの司法試験には、いまとちがって
教養選択科目というのがありました。
法律学ではない社会学、教育学や心理学などの教養科目なかから
1科目を選択して受験するのです。
私が選択したのは政治学。
憲法、民法、刑法、商法、刑事訴訟法、行政法と法律科目だけでも
膨大な勉強量になるので、教養選択まではなかなか手が回りません。
対処法として先輩から伝授された受験術が
「砂粒(すなつぶ)理論」のマスター。
19世紀はじめ市民社会が成立し、自由と平等という普遍的価値が
各国に普及しました。
その後、産業化(階級分化)・政治の平等化(普通選挙)がすすみ
財産をもたない大衆が政治に参加する大衆社会が成立。
大衆は自分のことを砂粒のように感じ、無気力・無感動(アパシー)
孤独で匿名で操作されやすいという負の特性をもつというのが砂粒理論。
どんな問題が出されてもまず砂粒理論を展開し、そのうえで出題に対する
答えらしきものを書けば、及第点をもらえるーとかいう受験術でした。
「漂砂のうたう」(木内昇さん、集英社)の舞台は根津遊郭
時代背景は明治初年です。
刻々と西南戦争の報が入ってくるので
明治10年ころのことです。
八幡製鉄が創業を開始したのが明治34年、成年男子による普通選挙法が
成立したのが大正14年ですから、いまだ大衆社会とはいえません。
ですが、維新により旧来の価値観は崩れさり、新しい価値である「自由」
は空疎でなじめないーそんな登場人物たちの気持ちが「漂砂」です。
「『自由』なんぞといきなり言われても、のう」
「へぇ。かえって厄介でさぁね。
わっちの身にもなんの係り合いもありません」
いくらでも滑り落ちることはできる。
だが、今よりわずかでもマシな場所に上ることはできない。
横に流れるのがせいぜいだ。
漂砂のなかでも底の底を漂っていたのが遊女たち。そのなか
なんとか「うたう」ことを指向していたのが花魁・小野菊です。
「わちきら花魁にとっちゃ、『自由』ってのは路頭に迷うのと同じことさ。
生きる場を無くすってことだ。
でもね、花魁が籠の中の鳥なのは、廓に閉じ込められてっからじゃあない
んだよ。外の世界を信じてないからさ。…」
では、いかに「自由」にむかって「うたう」のか?
ご一読ください。
なお、「漂砂のうたう」のカバーは小村雪岱の「春告鳥」
ウグイスが小野菊に春を告げる(うたう)という趣向でしょうか?
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