2011年3月31日木曜日
つよく、先に咲く
英彦山は山岳信仰の霊山。山伏の修験場として
盛時には山麓に3800余の坊舎が建ち並んでいたとか。
明治以降は神仏分離で衰退し
おおくは夏草や山伏たちの夢の跡に。
銅の鳥居から奉幣殿までの石段の参道には坊舎跡が並び
雪舟の作といわれる旧亀石坊庭園などとともに往時をしのばせます。
参道の両側にはミツマタ(三椏)がたくさん植えられ
いまから花の季節です。
ジンチョウゲ科の落葉低木
そういわれれば、沈丁花に似ています。
多数の小花が球状に集まって花をなし
卵形で黄色の萼片が4枚、花弁のように開いています。
ミツマタの語源は、枝をみればわかります。
枝が3つ又にわかれているので。
山上のマンサクは「先ず咲く」でしたが
山下のミツマタもほかの花より先に咲きます。
万葉歌人はそれをサキサクと詠んでいます。
春されば まずさきさくの まさきくあらば
後にも逢はむ な恋ひそ吾妹(わぎも)
柿本人麻呂
ミツマタ=サキサクは
三枝(さいぐさ、さえぐさ)という姓の語源だとか。
皮は和紙の原料
社会科で、コウゾとともに覚えました。
ミツマタの和紙は良質でじょうぶ、しかも虫害を受けにくいので
お札などに利用されています。
それゆえ花言葉は「強靱」「壮健」「永遠の愛」「肉親の絆」
困難に遭い、強くありたいかたがたに贈ります。
2011年3月30日水曜日
2011年3月29日火曜日
まず咲く
マンサク(満作)
英彦山・南岳のクサリ場あたり。
落葉小高木で、葉に先駆けて花が咲いていました。
花弁は黄色で長さ1.5cmほどの細長いひも状です。
造物主は偉大な芸術家ですが、マンサクについては
遊び心がかちすぎたか幼稚園生の工作のようで、ほほえましい。
花言葉は「霊感」「ひらめき」「直感」「神秘」
むかし「まんさくの花」というNHK連続テレビ小説がありました。
東北に育った油絵志望の女子高生が、受験失敗、浪人生活
就職、失恋などの体験をとおして明るくたくましく成長していきました。
このようなストーリーの着想は花言葉から来ているのでしょうか?
名の由来は、早春に花が枝いっぱいにつく状態を豊作に例えたものとも
早春に咲くことから東北地方で「まんず咲く」が訛ったものとも。
マンサクが東北地方でもまず咲き
あたたかな春をもたらしますように。
2011年3月28日月曜日
英 彦 山
27日、いつものメンバーで英彦山に登りました。
ことし2度目の山会。
福岡県の添田町と大分県の山国町にまたがり、標高1,200m
岩崎元郎さんの新日本百名山、日本二百名山の一つ。
「日子山」が嵯峨天皇の勅命により「彦山」
霊元法皇の院宣により「英彦山」となったとか。
羽黒山(山形県)大峰山(奈良県)とともに「日本三大修験山」
とされる霊山。
ながいあいだ聖域として尊ばれ、守られてきたため
豊かな自然が残っています。
豊前坊→高住神社→望雲台→北岳→中岳(昼食)→英彦山神社上宮→南岳
→材木岩→大南神社→鬼杉→玉屋神社→奉幣殿→別所駐車場のコース
北側斜面、谷筋にはまさかのなごり雪が残っていたものの
南側斜面、尾根筋にはマンサクが咲き、冬と春が交錯していました。
高住神社、英彦山神社上宮、大南神社、玉屋神社、奉幣殿では
被災地のいちにちも早い復興を祈りました。
2011年3月26日土曜日
いろいろなことがありすぎた。
2011年3月25日金曜日
人生をやりなおす、おまじない
子どもが小さいころ、ドラえもんの映画を観るのが
わが家の年中行事で、至福のときでした。
ドラえもん映画でよくつかわれるプロットが
タイム・トラベル。
もともとドラえもんじしんが未来から来ているので
ドラえもん全体がタイム・トラベルものではあるのですが。
タイム・トラベルものは私にとって鉄板
タイム・スリップともいいいますが、すべることがまずない設定です。
すぐに思い浮かぶのはやはりハリウッド映画
「猿の惑星」「ターミネーター」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」。
最近では「きみがぼくを見つけた日(The Time Traveler's Wife)」
が好きでした。
日本映画では広末涼子の「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」
何を好きこのんでバブル時代へ?という作品。
SFの名品もおおい。「夏への扉」(ロバート・A・ハインライン)
「マイナス・ゼロ」(広瀬正)など。
「蒲生邸事件」(宮部みゆき)、「トムは真夜中の庭で」(F・ピアス)
「犬夜叉」(高橋留美子)などあらゆるジャンルでおもしろい。
なかでも一番すきなのはケン・グリムウッドの「リプレイ」
それこそなんども読んでリプレイしました。
北村薫さんの「スキップ」、「ターン」、「リセット」の3部作
解説のなかで、北村さんはグリムウッドに先を越されたと嘆いています。
タイムトラベルは人生をやりなおすのですから
人生を再生する強力なおまじないです。
しかしタイムトラベルの筋をおしていくと、いつも矛盾に横着します。
タイムパラドックスというやつです。
そのため、「歴史は変えられない」などいろいろな制約が科せられます。
これが苦くて切ない。
でも逆説的ですが、この制約がなければタイムトラベルものは
ずっとつまらないものになったことでしょう。
私たちにとって最初期のタイムトラベル体験は
NHKドラマ「タイムトラベラー」です。
1972年1月~2月の放映ですから、小学校6年の3学期
ほんとうに衝撃的な体験で、のめりこみました。
原作は筒井康隆さんの「時をかける少女」で
その後、何度も映画化されています。
実写では原田知世さん主演のもの
大林宣彦監督の「尾道三部作」のひとつ。
ちかいところで尾道出張の予定なので
その前におさらいをしておきたいと思っています。
アニメ版もだいすき
原作の出来事から約20年後が舞台になっていますが。
ところでタイム・トラベラーの大事なアイテムがラベンダー。
いまでもラベンダーと聞いただけで、タイムトラベルしそう。
ラベンダーは、シソ科の背丈の低い常緑樹
ローズマリー、セージ、タイムなどのハーブとおなじ仲間。
ホトケノザもシソ科ですから
シソの仲間にもいろいろあるものです。
花言葉は「あなたを待っています」「期待」「私に答えてください」
「疑い」「不信」(後半はかなり待ちくたびれ?)
実際には人生をやりなおすことはできないけれど
読書や映画でならすこし味わうことはできます。甘くて苦いですが。
2011年3月24日木曜日
再生のおまじない
イギリスにおける再生のおまじないが4種のハーブ
パセリ、セージ、ローズマリーandタイム♪
なら、日本における再生のおまじないは春の七草
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ
スズナ、スズシロ
七草がゆは邪気を払い万病を除く占いとして食べますし
パセリはセリの仲間なので。
古くからおこなわれてきたようです。
君がため 春の野に出て 若菜つむ
わが衣手に 雪は降りつつ
光孝天皇
日本のほうが数が多いのは日本人の7好きのせいでしょうか
でもラッキー7ともいいますね…。
いずれにせよ、数が多く、ラッキー7な春の七草のほうが
効能・効果がたかそう。
ナズナ、スズナ、スズシロはアブラナ科
ゴギョウ、ホトケノザはキク科、ハコベラはナデシコ科。
ナズナはぺんぺん草、ゴギョウは母子草とも呼ばれ
スズナは蕪、スズシロは大根です。
セリを探したものの見つからなかったので
ナズナの写真でご勘弁。
ナズナがペンペン草なのは実の形が三味線の撥に似ているから
ペンペン(擬音)。
花言葉は「すべてを捧げます」
ハーブ類に負けていません(激しい)。
後方の紫の花はホトケノザ(仏の座)
葉が仏の蓮華座のようなので(3月15日の写真参照)。
ただしシソ科のもので、七草のそれとは別種(ややこしい)
花言葉は「調和」。
原発が沈静化して、安心して七草を食べられる日が
一日もはやくくることを願ってやみません。
2011年3月23日水曜日
卒 業
(ローズマリー Rosmarinus は海のしずく 愛や貞節の象徴)
ビデオやDVDが普及するまえ、名画座というものが
いまのソラリアあたりや西新などにありました。
「ある愛の詩」や「ロミオとジュリエット」などの映画が定番で
ダスティン・ホフマンの「卒業」もそうでした。
卒業の音楽はサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」
で、「スカボロー・フェア」もそう。
「ノルウェイの森」のワタナベくんもこの映画を観ており
レイコさんはこの歌好きよと「スカボロー・フェア」を弾いてみせます。
「喪失と再生」の物語である「ノルウェイの森」において
「卒業」や「スカボローフェア」は何かを示唆しているようです。
スカボロー(ヨークシャー地方の交易場)の市というのですから
市がたっていたころの二日市みたいなものでしょうか。
歌詞は、恋人に捨てられた若い男が、スカボローの市にいくのなら
むかしの彼女によろしく伝えてくれというもの。
日本で言えば、「五番街のマリーへ」みたいな歌でしょうか。
男女のデュエット曲でもあるので「木綿のハンカチーフ」かも。
ただ伝言の内容は、縫い目なしでシャツを縫えだとか
それを乾いた井戸で洗えだとかいう無理難題ばかり。
それができれば、恋人どうしに戻るというのですから
裏返しの気持ちなのか、愛の深さを試しているのか?
問題は、繰り返される「パセリ、セージ、ローズマリーandタイム」
という詩句の意味。
市場で売られているハーブ類の描写かとずっと思っていましたが
もっと象徴的な意味があるらしい。
パセリはセリ、セージ、ローズマリー、タイムはシソの仲間
いずれも穏和、辛抱強さ、愛・貞節、度胸などの象徴。
これら4つのハーブを並べて繰り返すことにより
愛の再生を祈願しているのでしょうか。
フィレンツェ、サンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂の傍らで
ストリート・ミュージシャンたちが演奏していました。
2011年3月22日火曜日
卒業式
被災地の映像はどれも胸をしめつけますが
とりわけ涙をさそうのは卒業式。
それまで慣れ親しんだ環境をはなれ、新しい世界に入っていく節目
ですから、ただでさえ不安がいっぱいです。
それでも、それまで慣れ親しんできた世界がそこに確固として存在し
新しい世界でへこんだらいつでも帰っていける…
そう思えばこそ、安心して新しい世界に入っていけるというところが
あったと思います。
震災・津波被害を受けた子どもたちは、そのような慣れ親しんだ環境
さえ根こそぎ奪われてしまい、二重三重の不安で押しつぶされそう。
ほんとうに頑張ってほしいと思います。
卒業式では、むかしの歌でのこっているのは
荒井由実の「卒業写真」(1975年)ぐらいでしょうか。
1975年は私の中学卒業の年
いま話題の2つのオイルショックのあいだの時期ですね。
新しいところでは先日も書いたレミオロメンの「3月9日」
これは子どもの誕生日がそうなので、知っています。
それから、ゆずの「栄光の架橋」
薬害肝炎、福岡訴訟の判決前集会で歌いました。
よい歌が被災地の子どもたちを少しでも励ましてくれることを
願っています。
2011年3月21日月曜日
彼岸桜
きょうは春分の日
国民の祝日に関する法律によるもの。
「自然をたたえ、生物をいつくしむ」趣旨で
国立天文台の算出する定気法による春分日をもとに閣議決定されます。
春分は24節気の第4
おひつじ座のはじまり
被災者にとってはまだまだ夜が長く感じられるでしょうが
夜と昼の長さがおなじになるといわれます。
春の彼岸の中日
その前後3日、計7日間が春のお彼岸です。
春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので
西方に沈む太陽を礼拝し、遙か極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりだとか。
彼岸とは、煩悩を脱した悟りの境地のこと
煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の此岸に対して、向う側の岸。
彼岸桜はちょうど春分のころ満開に
花言葉は心の平安。
2011年3月20日日曜日
2011年3月19日土曜日
春はあけぼの
契りきな かたみに袖を しぼりつつ
末の松山 波こさじとは
清原元輔
末の松山は宮城県多賀市
この歌はいまでは違う意味によめてしまいます。
清原元輔の娘は清少納言
清少納言の初婚の夫は陸奥守(陸奥国の長官)の橘則光
陸奥国は、畿内から見て山道と海道の奥に位置し
道の奥で「みちのく」とも呼ばれ、中国風に略して奥州。
概ね本州の北東部にあたる今日の福島県、宮城県、岩手県、青森県など
今回の地震・津波・原発の被災地とかさなります。
春は、あけぼの
やうやう白くなりゆく山ぎは
少し明りて…
枕草子・清少納言
被災者のかたがたはいまだ眠られぬ夜を数えておられるでしょう
すこしずつでも情況がよくなっていくことをお祈り申しあげます。
2011年3月18日金曜日
2011年3月17日木曜日
2011年3月15日火曜日
2011年3月14日月曜日
2011年3月11日金曜日
御池の氷
天狗ケ城の中腹から右手、凍結した御池が見えます。
池の中央まで行って遊んでいる若者たちの姿が見えました。
天狗ケ城(1,780m)に登るとぐるりと視界がききます。
振り返れば、久住山 (1,787m)と星生山 (1,762m)。
前(東)方に中岳 (1,791m)、左(北)方に三俣山 (1,745m)
右(南)方に稲星山 (1,774m)、白口岳(1,720m)が望めます。
稻星山の向こう側は南登山口
昨年、泊まった赤川温泉の硫黄くさいお湯が懐かしい。
記念撮影をおこない中岳へ。最近は韓国の方々のツアー登山が
増えていますが、この日はおみかけしません。
霧氷のなか中岳の山頂(1,791m)。
九重連山、ひいては屋久島を除く九州本土の最高峰です。
ラムサール条約登録湿地である坊ガツルが望めます。
その向こうには大船山 (1,786m)、平冶岳 (1,642m)。
この2山はミヤマキリシマの季節にピンクに染まりますが
まだまだ雪が残っています。
ここで昼食ののち
来た道を天狗ケ城への分岐まで引き返し、御池へおりていきます。
そのころには昼過ぎの日射に照らされ雪も溶け
氷の上に乗ると、ギシギシときしむ音がします。
冬のあいだ凍結していた御池の氷も
春を迎え、ようやく溶けようとしているようです。
2011年3月10日木曜日
九重山の霧氷
(九重山のつづき)
沓掛山(1,503m)から東へ向かいます。
阿蘇山の涅槃図からさらに右手に雲仙が見えています。
しばらくアップダウンすると、ながいゆるやかな登り
右手(南側)のどっしりした山塊が扇ケ鼻(1,698m)。
扇ケ鼻の北側斜面には霧氷がびっしり
キラキラした世界が広がっています☆
霧氷は、氷点下の環境で、空気中の水蒸気が樹木などに衝突して
凍結することでできる白色~無色透明の氷層の総称。
ふつうはそのまままっすぐ西千里を行きますが
左手に入り込み星生山(1,762m)を登ります。
1995年(平成7年)10月から1996年(平成8年)4月にかけて
北東側山腹の硫黄山付近で噴火活動が発生しました。
有毒ガスのために2002年まで立ち入り禁止でしたが
いまは入れます。
火山活動は、新燃岳のように人間に危害を加えることもあり
また温泉のめぐみももたらしてくれます。
山の北側には星生温泉があり
帰りに寄る予定です。
尾根筋から左手(北側)斜面には雪が残っているものの
南側斜面には残っておらず、春の訪れを感じさせます。
山頂からは、東に由布、さらにとおく冠雪した四国の山
北に涌蓋山、英彦山、古処・馬見、南に祖母・傾などが遠望できました。
岩場でアイゼンがガチガチとうるさいのではずすと
下りはすこし怖いぐらい。
久住分かれからは久住山に向かわず天狗ケ城へ。
途中やはり霧氷がきれいです。
2011年3月9日水曜日
「3月9日」
きょう、誕生日や結婚記念日などの人がおられると思います。
おめでとうございます。わが家も子どもの誕生日です。
レミオロメンの「3月9日」がヒットしてから
いい日度合いが急激にアップした感があります。
「3月9日」はさいきんコマーシャルでもつかわれ
こんな歌詞です(作詞 藤巻亮太さん)。
瞳を閉じれば あなたが
まぶたのうらに いることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私も そうでありたい
もとは友人の結婚記念日を祝うために作られたそうですが
ドラマで使われた影響で、「定番の卒業ソング」に。
ドラマは「1リットルの涙」、うわさの沢尻エリカさんが主演
実話に基づくものです。
亜也さん(1962年7月19日~1988年5月23日)は中学3年の時
頻繁に転ぶなどの症状を発症し、受診。
脊髄小脳変性症と診断されます。同病は、手足や言葉の自由を
徐々に奪われ最後には体の運動機能を全て喪失してしまう難病。
原作は、彼女が闘病中に手が動かなくなるまでの闘病体験を
書き綴った日記。
「3月9日」は学校の合唱の課題曲として使用され
「粉雪」とともにヒットしました。
日々のつまづきを自然のなかで小さいことととらえ直したり
二人で春を待つ心の幸せを噛みしめる歌詞になっています。
欲をいえばきりがないけれど
いまある幸せを充分に生きたいものです。
2011年3月8日火曜日
九重から阿蘇山を望む
(九重山から望む阿蘇五岳。左から根子岳(1408m)
最高峰の高岳(1592.3m)、噴煙の中岳(1506m)
烏帽子岳(1337.2m)、杵島岳(1270m))
晴さんとその子とその友だちの4人で
なごり雪の残る九重山に登りました。
高速基山SAで晴さんらと合流
同SAには登山姿の方々がちらほら。
九重インターあたりから雪をのこした九重の山々がちかくに見え
きょうの空気の透明感と好天を約束してくれました。
長者原から牧ノ戸へ
心配した凍結も峠ふきんでわずかばかり。
登山口付近から雪があり
沓掛への登りはアイゼンがないと、すべります。
沓掛山に登ると、西方に阿蘇の涅槃図※がくっきり
まさしく西方浄土!みなさまの幸せを願いました。
※写真左の根子岳が仏さまの顔、中央の高岳が胸、中岳がお腹
右の烏帽子岳と杵島岳が足です。
※※お腹から白煙を出しているのは、仏さまがヘソで茶を沸かされている
のでしょうか?
2011年3月7日月曜日
雨のなか、曲水の宴
3月5日(日)太宰府天満宮で曲水の宴でした。
太宰府ロータリークラブで在福の留学生をご招待する行事として
われわれも参加しました。
国際交流をはかる趣旨で、アジアはもちろん
カナダ、ベルギー、メキシコなどの留学生も参加されました。
宴は毎年、梅花さきほこる曲水の庭でおこなわれます。
庭には小川がつくられていて、流れてくる盃が通りすぎないうちに
詩歌をつくり盃を戴く雅な祭事。
起源は中国「秦」時代とされ、清らかな水の流れに盃を流して
禊祓(けがれをはらう)の儀式として行われたのが始まりだとか。
和歌のみならず、舞、雅楽、琴、朗詠など
和風文化の総合芸術の趣があります。
今年はあいにくの雨にたたられ、文書館にて催行。
室内でおこなうのは48年の歴史ではじめてだとか。
1700年前に起源をもつ行事ながら
歴史のなかでの変容もあります。
姫役はかつてはミス福岡がされていましたが
男女共同参画社会のいまは親善大使と名を変えています。
気になるのは歌の出来栄え
その場でつくっているのでしょうか?
小倉百人一首のなかの赤染衛門の和歌
やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて
かたぶくまでの 月を見しかな
赤染衛門の姉妹のもとに通っていた藤原道隆(中宮定子の父)
が訪れなかったため代作した歌とされています。
平安時代から代作OKの世界なら
現代日本でも推して知るべきでしょうか?
京大入試の代作問題の行方が気になるところです。
2011年3月6日日曜日
紅 梅
むかし源氏物語を与謝野晶子さんの現代語訳で読みました。
心ありて 風の匂はす 園の梅に
まづ鶯の 訪はずやあるべき
按察(紅梅)大納言
按察大納言は、頭中将の次男(柏木の弟)
頭の中将は、光源氏の義兄、政敵、恋の競争相手。
按察大納言は、紅梅の帖の中心人物であることから
後の世の人から紅梅大納言と呼ばれました。
按察大納言は、三人の姫君をもち、
匂宮を中の姫君の婿に迎えたいなぁと思案。
すると風にのって梅の香が…よし、紅梅を匂宮に送ろう!
こっち(梅の園)がその気なのだから鶯(匂宮)はきっと来るよね、と。
時代はぐっとくだって江戸時代
かの俳聖も紅梅の魅力のあまり、女主人を見もしないで恋しています。
紅梅や 見ぬ恋つくる 玉すだれ
芭 蕉
どうも紅梅には男心を狂わす魅力があるようです。
2011年3月4日金曜日
JR博多シティ走りぬけ
きのうは東区で医師に対する出張尋問がダブルでありました。
チームH江弁護士でY尋(光)さんと私がバックアップ。
攻める材料に乏しい困難な尋問でしたが
4回におよぶ会議の成果か、なんとか獲得目標をクリア。
博多駅で待ち合わせたので、ちょっと待ち時間が生じ
やむなく?新しい駅ビルJR博多シティを見学。
ちょうどグランドオープン初日、22万2千人が訪れたとか。
ひるどきだったけれど、それほど並ばずに入れました。
どこからでも入れるわけではなく、TDLのアトラクションのように
博多口前をぐるっと1周並びエスカレーターで2階へ上がってから入場。
すぐ左手に東急ハンズがあります。
東急ハンズといえばほろにがい思い出が。
司法修習生は実務修習を、出身地にかかわらず各地でおこないます。
福岡修習は当時20数人でした。
修習終了にあたり、福岡で修習した友人に福岡で一緒に弁護士をやろうよ
と声をかけたところ、「福岡には東急ハンズがないからなぁ」との回答。
非常にくやしい思いをしました。
それから25年、やや遅きに失した感はありますが、とりあえず歓迎。
H江さんは地下1階に出店した、明太子屋さんの話をされていました。
時間がなかったので寄ることができませんでした。確認してまた書きます。
人生さまざま、人さまざま。Y尋さんは東急ハンズにはまったく興味がなく
加賀屋の若女将がなんたらの話題に熱中。
なにはともあれ、天神だ博多だと狭い商圏での客の取り合いに終わらず
広くアジアからおおくの顧客を呼び込んでほしいと思います。
2011年3月3日木曜日
岩手山の「終わらざる夏」
「終わらざる夏」の主人公たちは岩手県出身
物語の序盤、彼らが理不尽な戦いに召集されるさまが描かれます。
岩手の県民性である純朴・忍従性が心にしみます。
浅田次郎さんの「壬生義士伝」の主人公である新選組隊士・吉村貫一郎も
南部盛岡藩の脱藩浪士で義理と愛を貫きましたが、あの姿です。
それを象徴するのが日本百名山の一つ、岩手山(2,038m)
宮沢賢治や石川啄木の心の支えでもあります。
ふるさとの山に向ひて言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな (石川啄木)
われわれも2008年に登りました。
メンバーは、いつものS田夫婦と当時新人だったI井くんと4人。
仲居さんが帰ってしまうので18時までにはチェックインをといわれ
仙台での会議を終えるや、秋田新幹線にとびのりました。
岩手山を北にのぞみつつ盛岡から西へ向かい
田沢湖で下車して、タクシーで乳頭温泉に向かいました。
校舎を改造したような宿で山菜料理をいただき
ほぼ貸し切り状態の露天温泉で疲れを癒し鋭気をやしないました。
翌朝、馬返しの登山口から登ると地元の子どもたちがいっぱい
地元の人たちに愛されている山だなぁと実感。
山頂からはやはり百名山の一つ、八幡平がきれいにみえました。
また岩手山はコマクサの群落で有名
これほどたくさんの高山植物の女王をはじめて見ました。
山頂で食べた、あきたこまちのおにぎりは絶品
それまで不定期だった山行が定期的になるきっかけとなった感動でした。
2011年3月2日水曜日
コマクサの「終わらざる夏」
浅田次郎さんの「終わらざる夏」
何度も泣けます。電車のなかでは読めません。お薦めします。
北方4島をめぐり、きなくさいきょうこのごろですが
千島列島最北端の占守島における終戦秘話が切々と語られます。
以前、北方領土返還を訴える国会議員がテレビに出演し
北方4島の位置関係を問われて答えられず醜態をさらしていました。
こんな人たちにとんでもないところへ連れて行かれてはたまらない
と感じました。まずは正確な事実を知ることからはじめなければ。
「終わらざる夏」は声高な反戦小説ではありません。
ですが
終戦期、ひとりひとりの日本人がどう生きたかという姿をとおして
戦争の愚かさと平和の貴さを伝えています。
ラスト、シベリア抑留で死線をさまよっていた菊池軍医は
亡くなった中村末松伍長から託されたノートをぐうぜん開きます。
ページをめくったとたん、終わらざる夏の光と風が
耀い吹き上がったのだった。
ノートのなかみは故・中村伍長がつくっていた捺し花です。
ハマナス 採取地 占守島竹田濱
エゾトリカブト 大観臺
コマクサ 同
チシマフウロ 山田野
イヌタデ 三塚山
レンゲショウマ 三好野飛行場
チシマキンバイ 別飛沼湿地
山に登る人間からすると、ここに並んだ花々はどれも
ちかしい名前たちです。
なぜなら、ほとんどが高山に咲く花でもあるからです。
なぜ、そうなのでしょう?
ひとつは、高山の厳しい環境が千島のそれと似ているということでしょう。
山を登ると、森林限界という一線があり、そこを越えると
意外にもお花畑が広がっています。
低温、風雪など厳しい自然環境により針葉樹でさえ生きていけない世界
それが森林限界より先の高山です。
ところが逆に針葉樹など他の植物がいない環境であることが
高山植物が生きる条件にもなっているわけです。
強風雪や乾燥に強い、栄養を備蓄する、短期間に花を咲かせ実をつける
などのそれぞれの個性を発揮してけなげに花を咲かせています。
環境が似ているのはいいとして種はどうしたのでしょう?
千島から風や鳥が運んできたのでしょうか?
この答えは、氷河期に日本の中央まで進出していた植物が
高山で現在まで生き残ったものだといわれています。
氷期が終わったのが1万年前とされていますから
高山の花々は1万年前から厳しい環境に耐えてきたわけです。
赤、白、黄色、青、紫。
捺し花は夏の匂いとともに命をとどめていた。
2011年3月1日火曜日
風が強く吹いていた
(九州新幹線・新大牟田駅ロータリーにてロータリーメンバーと)
人生ではじめて駅伝なる種目に参加しました。
九州新幹線の全線開業(3月12日)を記念した
「ロータリークラブ320キロ駅伝」です。
26~27日の2日間で、博多から熊本まで
タスキをつないで走るというもの。
新幹線の駅づたいに走ります。
文字どおり、「駅」「伝」。
昨年末ころ話があったのですが、故障を心配して
手を挙げませんでした。
ところが、参加者のうち1人の方が故障されたため
急遽ピンチヒッターで参加しました。
いや、ピンチランナーか?どこかで聞いたような?と思って検索すると
モーニング娘の映画がありました。
私も大学時代は部活で何キロかは走っていました。
大濠公園で福岡市内の大学があつまり、リレーをしたこともあります。
そのときは、先頭ランナーで
走ったあとに、短大の子から告られたこともありました。
(中略)
社会人になってからはどんどん運動量が減っていき
最後に長距離を走ったのは子どもが小学生のときの学校周囲マラソン。
それから10年は100メートル以上走っていません。
正月に箱根駅伝を応援するか、三浦しをんさんの小説を読むのがせいぜい。
そんななか、こんかいのお声がかり。
いちばん心配したのは、故障してみなさまに迷惑をかけることでした。
個人マラソンは自分が参加できなくて残念で終わりですが
駅伝はそうはいきません。なんとしてもタスキをつなげたい。
参加決定から本番まで17日間。それまで虎の穴の猛特訓!
といきたいところですが、故障しないというのが第1の課題。
少しはやめに仕事をきりあげて
夕方の街を5キロ弱ほどジョギングして調整しました。
けっこう走っている人が多いのにビックリ
どの時間帯でも5人くらいは出会います。
散歩の人となると、その数倍。年配のご夫婦がいっしょに歩いているの
を拝見すると気持ちがほっこりします。
こうして当日、なんとか天気にもめぐまれ
私は新大牟田駅あたりを6.5キロメートル走りました。
駅伝の醍醐味をすこし知りました。
心のなか、風が強く吹いていました。