英彦山は山岳信仰の霊山。山伏の修験場として
盛時には山麓に3800余の坊舎が建ち並んでいたとか。
明治以降は神仏分離で衰退し
おおくは夏草や山伏たちの夢の跡に。
銅の鳥居から奉幣殿までの石段の参道には坊舎跡が並び
雪舟の作といわれる旧亀石坊庭園などとともに往時をしのばせます。
参道の両側にはミツマタ(三椏)がたくさん植えられ
いまから花の季節です。
ジンチョウゲ科の落葉低木
そういわれれば、
沈丁花に似ています。
多数の小花が球状に集まって花をなし
卵形で黄色の萼片が4枚、花弁のように開いています。
ミツマタの語源は、枝をみればわかります。
枝が3つ又にわかれているので。
山上のマンサクは「先ず咲く」でしたが
山下のミツマタもほかの花より先に咲きます。
万葉歌人はそれをサキサクと詠んでいます。
春されば まずさきさくの まさきくあらば
後にも逢はむ な恋ひそ吾妹(わぎも)
柿本人麻呂
ミツマタ=サキサクは
三枝(さいぐさ、さえぐさ)という姓の語源だとか。
皮は和紙の原料
社会科で、コウゾとともに覚えました。
ミツマタの和紙は良質でじょうぶ、しかも虫害を受けにくいので
お札などに利用されています。
それゆえ花言葉は「強靱」「壮健」「永遠の愛」「肉親の絆」
困難に遭い、強くありたいかたがたに贈ります。
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