昨日の記事はAIくんの手になるもの。カジュアルにと注文すると若者ふうの文体になるようだ。ユーモラスにと注文するとジョークを入れてくる。ジョークの出来はどうだろう?
『日の名残り』で、主人公の執事スティーブンスは、第二次世界大戦後、アメリカの富豪に仕えるようになり、アメリカンジョークを覚えようと努力する。しかし格式に殉じてきたスティーブンスには、そのようなセンスが致命的に欠けている。
いまのところAIくんのジョークはスティーブンス流である。すこしすれば、われわれが驚くようなジョークを言うようになるだろう。
写真では分かりにくいが、彩雲である。雲が虹のように輝いている。
山頂からは丸川峠を周回して下山した。こちらは丸川峠ふきんにいたシカの群れ。さきの群れとは別ものだ。死んだシカも生きているシカも自然の豊かさを感じさせてくれた。
そうすると、最後まで違いとして残るのは、人間的な大自然に対する畏敬の念だろうか。ブナの大木をみて感じる懐かしさだろうか。
AIくんの記事には出てこなかったが、われわれは登山道でシカと思われる骨に出くわした。ゾウなどは人に知られぬ場所に行って死ぬという。屍をさらすという言葉もある。たしかに、みだりに他人には見せたくない姿だ。道で死骸や骨に出会うと、自然界の厳しさを教えられたようで粛然とする。さすが名にしおう大菩薩だ。
ふつうの山であれば富士山と呼んで終わりである。しかし、大菩薩だけは大菩薩峠&大菩薩嶺である。なぜか。日本百名山など山として考えれば、大菩薩嶺である。そこに最高点があるから。
しかし、大菩薩は大菩薩峠のほうが有名である。武蔵と甲斐を結ぶ甲州裏街道であった青梅街道がここを通っていたからである。
さらに、中里介山の長編時代小説『大菩薩峠』のはじまりの地となったから。幕末を舞台に、虚無にとりつかれた剣士机竜之助を主人公とし、大菩薩峠にはじまる彼の旅の遍歴と周囲の人々の様々な生き様を描く(未完)。
ときどき書店で挑戦しようかと思うが、あまりの大部さに、いつも尻込みしてしまう。
峠からは甲府盆地の向こうに南アルプスを望むことができる。登りたかったなぁ。
大菩薩嶺は峠からさらに登ったところである。ご覧のとおり、樹林帯のなかにあり視界がきかない。
峠からは大菩薩湖の向こうに富士山を望むことができる。この日は残念ながら、雲に隠れていた(中央の写真)。参考までに、以前撮影したものを掲載しておこう(下の写真)。
写真では分かりにくいが、彩雲である。雲が虹のように輝いている。
山頂手前で、シカの群れに出会った。人慣れしているようだ。間近での撮影に応じてくれた。
山頂からは丸川峠を周回して下山した。こちらは丸川峠ふきんにいたシカの群れ。さきの群れとは別ものだ。死んだシカも生きているシカも自然の豊かさを感じさせてくれた。
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