2011年11月10日木曜日
世界の共有
自分と他人が共有する世界はおなじものでしょうか?
ふだん人と話をしていて意識することは少ないのですが
ときおり共有する世界のズレが口をあけることがあります。
とくに講演などでは、市民、学生、宗教関係者など
背景の異なる多くの方々に話をするので、この問題が意識されます。
世界が共有されていないと
コミュニケーションが成立しません。
ハンセン病の元患者らの人権回復運動に取り組んだとき
各地に呼ばれて、運動の現状と目的について訴えました。
その際、まずはハンセン病を理解してもらわないと話がはじまりません。
ハンセン病と聞いて、みなさんは何をおもい浮かべますか?
私にとって、もっとも強烈なイメージは
ウイリアム・ワイラー監督の映画『ベン・ハー』の一場面。
映画は、チャールトン・ヘストンによる
ローマ時代の戦車競争の場面で有名。
物語は、ローマ帝国支配時代。
ユダヤ人貴族ベン・ハーの運命を描きます。
重要なポイントで
何度かイエス・キリストがかかわってきます。
ベン・ハーは無実の罪を着せられて
ガレー船のこぎ手という奴隷の立場に。
でも海戦の際、司令官の命を救ったため
彼の養子にとりたてられ、地位を回復。
ユダヤへ戻って家族を探したところ
母と妹はハンセン病に感染して、患者らの谷に。
イエス・キリストのもとに2人を連れて行ったところ
奇跡がおこり、ハンセン病が癒されます。
まことに感動的な場面です。
でも、さいきんの人たちは『ベン・ハー』を知りません。
ために、このイメージを援用して説明しようとしても
すべってしまいます。
ま、1959年の映画ですから
やむをえないですかね。
そこでさて歴史にくわしい人であれば
戦国時代、関ヶ原の戦いで西軍で戦った大谷吉継。
彼もまたハンセン病だったといわれ
外貌醜状を白い布で隠す姿として描かれます。
しかしながら歴女ならいざ知らず
一般には大谷吉継の名声もそれほど知られていません。
一部歴女の反応を除き、またまた滑ってしまいます。
これまた想定の範囲内。
さてどうしましょう?
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