2011年11月11日金曜日
オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ
きのうのブログについて
さっそくメールをいただきました。
私にとっても、ベン・ハーは強烈な思い出です。
もっともあの病気がハンセン病であったことを知るのは
ずっと後になってからですが。
次は『砂の器』です。
加藤嘉の顔が忘れられません。
ありがとうございます。
励みになります。
やはりハンセン病といって次に思いうかべるのは
『砂の器』でしょう。
松本清張の原作。執筆は1960年からですから前年に放映された
『ベン・ハー』の映像が、先生の頭には去来していたかも。
(以下、ネタバレあり)
ハンセン病患者を身内にもつものの
宿命と苦悩を背景として生じた殺人事件の捜査過程を描いています。
私が高1のときに映画化され
話題になりました。
ハンセン病患者の父子が差別・偏見をのがれるため
放浪する姿が印象的。
(ハンセン病の差別・偏見を助長するおそれがあるとして
元患者団体が映画化に懸念を表明した経緯があります。)
そして加藤剛の指揮したピアノ協奏曲
「宿命」を背景としてクライマックを迎えました。
テレビでもくりかえしドラマ化され、スマップの中居くんや
ついさいきんでは玉木宏さんの映像で見た方もいるでしょう。
(もっとも中居くんのでも2004年ですから、2001年5月に
解決した訴訟の説明としては援用できませんでした。)
こう書いてくると、世界の共有などとはおおげさな、ハンセン病
に関する知識の共有の有無ではないか、とのお叱りもありましょう。
ですが、私たちにとっては単なる知識の断片ではなく
これにまつわる経験や思い出の総体をなしているのです。
松本清張の原作(新潮文庫)を知ったのは
大阪から唐津まで遊びにきていた際の従兄弟の家でした。
加藤剛が主演する映画は、高校の授業を抜け出して
ダブル・デートで観に行きました。
ダブル・デートのあいかたが、映画がまちどおしくて
教科書に『砂の器』の画を描いていたときには、笑いました。
加藤嘉が演じたのが、父であるハンセン病患者ですが
その悲哀をわすれられないような表情で表現したのでしょう。
メールをくれた方は、『砂の器』体験を
その顔に集約、象徴させて想起されるわけです。
われわれが『ベン・ハー』や『砂の器』を想起する際には
こうした総体としての経験がたちまち脳裏に立ち上がるわけです。
それを欠く人々との間で、世界を共有し、コミュニケーションを
なすことは、かなりの困難を覚悟せざるをえません。
それでは、それができないか?
というと、そうでもないんですねぇ。
元患者の人権回復運動に参加した経験からいえることは
よりおおきなところで世界を共有できれば、いいんです。ほんと。
(〆のところ、ちょっと尻切れトンボですが
きょうはこれから熊本出張。失礼。)
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