2025年2月12日水曜日

難所ヶ滝ふたたび

 

 難所ヶ滝を訪れた。ことし2回目。いちどめは怪鳥会の新春登山で。
 https://www.blogger.com/blog/post/edit/1946653490082323545/7435398540468685902

 そこでも書いたように、例年2月ころに最大になる。今季も寒気がつづいたため、SNS上で歓喜が報告されていた。それで今季最後かも知れぬと行ってきた。

 前回は宝満山頂→仏頂山頂から周回して訪れた。今回はうさぎ道からトラバースして訪れた。宝満山に登ることより、滝をみることが目的だからだ。

 竈門神社よこから北へ向かい有智山城跡をめざす。有智山城(内山城)は太平記に登場する由緒ある城である。太平記いわく。

 菊地は手合はせの合戦に勝つて、門出よしと悦んで、やがてその勢を卒し、少弐入道妙恵が立て籠もつたる内山の城へぞ押し寄せける。少弐宗との兵をば皆頼尚に付けて、その勢過半水木の渡しにて討たれぬ。城に残る勢わづかに三百人にも足らざりければ、菊地が大勢に可叶とも思へず。されども城の要害厳しければ、切岸の下に敵を見下ろして、防ぎ戦ふ事数日に及べり。・・・

 菊地は南朝がた、少弐は北朝がた。少弐親子は九州に落ち延びてきた足利尊氏を助けて菊地勢と戦った。水木の渡しは水城の渡し。城の要害もいまや堀跡がのこるばかり。

 有智山城跡からさらに進むと三合目水場からの道を右に集める。小川を渡り、林道を越えるとうさぎ道の登りになる。その登りの途中で、2グループがアイゼンを装着していた。そろそろ雪の道となってきた。

 しばらくは壺足で進む。ひと登りすると、仏頂山からの下り道とT字に合流する。そこは峠状になっていて、しばらくは左側が崖になったトラバースが続く。2つ目のてまえで用心のためチェーンスパイクを装着した。

 2つほど谷をトラバースすると、河原谷の上部にでた。T字路になっていた。左側が踏まれていると判断して、左に下る。河原谷の道と合流した。思っていたより下流だ。まだだいぶ登らなければならない。

 すごい人である。混雑と渋滞の連続。それでも30~40分ほど登ると、小つららに出た。撮影してい人もいたがやりすごし先をいそぐ。

 滝の手前でまた渋滞。滝のところで皆撮影をしているので、渋滞は遅々として進まない。細い登山道のほか他に道はない。しかたがない。

 ようやく順番が回ってきた。期待に違わぬ滝の勇姿。正月に訪れたときより、大きく成長していた。パチパチ。

 薬師寺東塔をみてフェノロサが氷れる音楽と評したという。ベートーベンの交響曲第5番の冒頭を氷らせると、こんな感じか。

 しばらく堪能してから下山する。ここでもまた渋滞である。


 帰りに小つららにも登ってみた。いままで下から眺めるばかりだったので、初である。これが意外とよかった。大より神秘的でロマンチック。ロマンチックといっても、こちらはブルックナーではなくリストな感じか。

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