2012年12月28日金曜日
みなさま,よいお年を。
きのうのブログについて
お問合せをいただいた。
そこでクイズ。
きのうのブログの真相はどれ?
A:UがMに譲った。
B:UがMに奪われた。
C:UがMになりすました。
わかりますか?
答えはのちほど。
ところで,新人Mくんをむかえて
われわれの雑談もパワーアップしている。
きのうの雑談から。
@ちくし法律事務所1F。
M:引っ越したマンション
ウォシュレットが故障してるんすよね~。
I:あれ,それは可哀そう。
一応,不動産屋さんに言ってみたら。
M:いいました。そしたら
「あれはサービスですから」ってことでした。
I:そっか。じゃ,しょうがないのかなぁ。
一緒に探してあげたのにねぇ。
U:(Mission Impossibleだねぇ。
M&Iだけに。)
M:たしかに,「ウォシュレット(サービス)」とは
書いてあったんすよね~。
U:サービスだから
故障していいということにはならないんじゃないの?
自動車を買ったときに,チャイルド・シートをサービス。
その不具合で怪我したら,やはり責任あるでしょう?
I:そっかー。
たしかに。
M:ほんとうに
困ってるんすよ!
I:(どっと,笑)
U:いやいや
ここで持病の告白なんてしなくていいから。
I:(どっと,笑)
M:用を足すまえから出るし
終わっても出つづけるんすよねぇ。
I:(どっと,笑)
U:そっちか~。
過剰サービスを受けてるってわけ?
I:(どっと,笑)
M:あんまり大家さんと喧嘩したくないし…
どうしたらいいんでしょう?
一同:う~ん。
(弁護士にとって自分の問題の解決は
いつも悩ましい)
てな具合で
楽しくやれそう…。
ことし1年おつきあいいただき
ありがとうございました。
みなさま
よいお年をお迎えください。
新年もよろしくお願い申し上げます。
(新年は7日からです。)
(答:C)
2012年12月27日木曜日
新人弁護士日記(1)~「ユヌス・ソーシャル・ビジネスの7原則」
新人弁護士のMです。
今週から当事務所でお世話になってます。
まだ右も左も分かりません
やっていけるかどうか不安で心配。
でも
なんとかがんばります。
みなさんも
応援してくださいね。
きのうは朝1で,専務さんたちが
会社設立のご報告に来られました。
当事務所が
設立のお手伝いをしたもよう。
その会社は
いままでの会社とはちょっとちがうようです。
いままでの会社は
営利を目的としていました。
でもその会社は
そうではないというのです。
「ユヌス・ソーシャル・ビジネスの7原則」
とかに基づいているらしい。
「ユヌス」というのは
ノーベル平和賞受賞者ムハマド・ユヌス博士のこと。
「ソーシャル・ビジネス」というのは
社会問題の解決を目的として収益事業に取り組む事業体のこと。
7原則というのは
ユヌス氏が提唱する新しいビジネスの理念・準則。
1.ユヌス・ソーシャル・ビジネスの目的は
利益の最大化ではない。
人々や社会を脅かす貧困,教育,健康,技術,環境
これら問題を解決すること。
2.財務的、経済的な持続可能性を
実現する。
3.投資家は、投資額を回収します。
しかし、それを上回る配当は還元されない。
4.投資の回収以降に生じた利益は
本理念の普及とより良い実施のために使われる。
5.環境へ配慮する。
6.雇用者は、より良い労働条件で給料を得ることが出来る。
7.楽しみながら。
以上の7原則。
へ~
新鮮。
マスコミも注目しているらしい。
先輩弁護士もうれしそうだ。
でも法的な枠組みだけで
すべてが解決するわけではないはずだ。
やはり
最後はそれを動かす人だろう。
ともあれ
何かの縁かも。
今後,ユヌスさんの理念が
日本でも普及していくといいな。
自分も,お手伝いができるといいな。
楽しみながら。
2012年12月26日水曜日
『完全黙秘の女』
法律家の書いた文章は悪文である
と,よく言われる。
そのとおり。
いやになる。
誤解を避けるためといわれる。
ほんとうだろうか。
弁護士には
本を書く人がおおい。
なかには
小説に手をだす人もいる。
でもなんというか
やはり準備書面調。
準備書面は民事訴訟にあって
当事者の主張を詳しく説明するもの。
弁護士の小説も説明であって
表現でないことがおおい。
自費出版の愛好家がおおいことと
相関関係にある。
弁護士としての能力と
小説家としてのそれは別ものだ。
そうしたなか
法坂一広さんの快挙だった。
『弁護士探偵物語 天使の分け前』(宝島社)
『このミス』大賞を受賞。
文章の実力により
本屋で平積みになった。
『完全黙秘の女』(宝島社)は
弁護士探偵物語の第2段。
文章は前作よりこなれて
ますます上手くなった。
1行ごとになにがなんでも
うんちくを語る。
その語り口はあいかわらずだけれど
くさみは減った。(慣れただけかもしれない)
シリーズものの強みで
作品世界に入っていきやすい。
福岡市とその近郊が舞台になっていて
なじみやすい。
弁護士や裁判官の生態,弁護士業界の現況
刑事裁判の問題など,いろいろ勉強になる。
半分ほど読んだところで
犯人がわかってしまうのが難点。
でも犯人がわかっても
人間愛で読ませる。
なにより新人女性弁護士
土田さんの成長物語なのがいい。
法坂先生,こっそり
土田さんのメルアド教えてください。
2012年12月25日火曜日
思いがけない冒険@中洲
思いがけず週末
中洲へいった。
ひさしぶりに
めくるめく冒険をしたかったから。
12時をすこし
まわっていた。
寒風ふきすさぶなか
少々ふるくなったビルの1階に入った。
事前にネットで
しらべてから行った。
この時間,好みのサービスを提供してくれるのは
この店だけだった。
かなり前だが
なんどか来たことがある。
漢字2文字の
和風の名前だ。
名前の割には
あまりあたたかくない。
入り口で
熟女2人に迎えられる。
中洲も高齢化社会だなぁ
かなり年輩である。
前金制,チケット制
しかも時間制だ。
むかしはよかった。
一度入れば好きなだけいれた。
奥に入る。
先客は1人だけだ。
その隣のテーブル席に座り
飲み物を注文する。
安くなるのかわからないが
セット料金にした。
飲み物がなくなったころ
そこを出た。
おなじビルの左手から
エレベーターで4階へ。
ここも
流行っているとはいいがたい。
年末のこの時期にして
ボクより年が上と思える客が3~4組。
若い人たちは
どこへ行ってしまったのか?
天神の西側か
博多駅のほうなのか?
しばらくして
奥へ通された。
狭い通路を抜けると
奥は広々としていた。
まもなく照明が落とされ
いよいよだ。
期待に胸が
はりさけそうだ。
のっけから
宝石や金の話題だ。
なかでもゴールドのリングが
話の胆のようだ。
でてきた女性は
女神が1人だけ。
ケイト・ブランシェット似だ。
後光が射している。
あとは
男ばかり。
ま,たまには
こんなBLな雰囲気もよかろう。
むきむきの男たちが
故郷に帰りたがっている。
年末,帰省の
季節にふさわしい。
『ホビット 思いがけない冒険』
めくるめく冒険だった。
2012年12月21日金曜日
アルキメデスは足を汚さない?
アルキメデスの黄金の冠の話を調べていて
気になることがあった。
このエピソードには
疑惑があるという。
王冠の体積では水位変動の差が
小さすぎて測定できないというのである。
ガリレオ・ガリレイなども
そう考えていたようだ。
そもそもアルキメデスの著作には
書かれていない話である。
ウィトルウィルスという人が
書いているにすぎない。
アルキメデスの死後
200年もたっている。
いまから200年前といえば
江戸時代の話になる。
安井算哲が書いてもいないことを
冲方丁が『天地明察』で書くようなものだ。
う~ん
たしかに。
じゃ,なぜ
こんなエピソードがあるのか?
なぜ,わざわざ歴史的事実を歪曲してまで
アルキメデスにユーレカ!と言わせる必要があったのか?
なぜ,アルキメデスは風呂場から
素っ裸のまま通りに駆けだす必要があったのか?
龍馬の奥さんとなった
お龍さんのエピソードとかなら分かる。
彼女は入浴中に寺田屋事件に遭遇し
あられもない姿で龍馬に危急を知らせたという。
NHKの龍馬伝で,おりょうさんのキャストが
真木よう子に決まったときも,そう。
世の男性諸氏の関心はもっぱら
このシーンのできばえに集中したという。
「龍馬伝」×「おりょう」で検索したら,さらに
「入浴」というKWがレコメンドされるぐらいのものだ。
(のちに,みな,こう言ったらしいが
「真木さん、がっかりぜよ!」)
これに比べて
アルキメデスのエピソードはさっぱりだ。
わけがわからない。
(福○雅○くんの口調で)
いや
まてよ。
アルキメデスの死後200年もたってから
このエピソードを書いたウィトルウィルスさん。
彼はもしかしたら
BL派の作家だったのかもしれない。
※「真木さん,がっかりぜよ!」と
福○雅○くんも,言ったかどうかは論点である。
※※(福○雅○くんの口調で)の部分
湯川学@ガリレオの口調で言ったのか
素のまま言ったのかも論点である。
(福○雅○くんファンのみなさまには
ゴメンなさい。シャレですから。)
2012年12月20日木曜日
Eureka!
パソコンとかネットとかいうとたいそうだが
ブログの正体は絵日記である。
三日坊主の魔の手から
のがれられるわけではない。
本ブログも
例外ではない。
ときどき,いや,ひんぱんに
やめたくなる。
あ~今週いっぱいにしょう,
今月いっぱいにしよう,みたいな。
すると
まか不思議。
Mother Maryが
ボクのもとに来てくれるんですねぇ。
女性の読者が「読んでますよ。」とか
「面白いですね」とか言ってくれる。
これは励みになる。
よし,また明日もがんばろう,と。
(もちろん,男性の読者からも
声かけはあります。)
ときには「間違ってるわよ。」
といわれることもある。
これも
ウエルカム。
「読んでますよ。頑張ってね。」と
素直にいえない女性なんだなと善解する。
(「善解する」とは,法曹用語で
「わかりにくいけど,よきにはからうぞよ」という意味)
きのうの記事にも
ご指摘をもらった。
つーことで
あれこれ考え,調べてみた。
そうか!ユレイカ!
わかったぞ。
という部分。
さて,どこが問題でしょう?
「間違ってますよ。」とは言わず,婉曲に
「『ユリイカ』という雑誌とおなじ意味?」と訊かれた。
ボクもアホだから
上から,こう答えた。
「そう。ギリシャ語。
アルキメデスの言葉
黄金の王冠の体積を量る方法を
思いついたとき,こう叫んだらしい。
風呂場で叫んで
興奮のあまり裸で通りを走ったらしいよ。」
この黄金の王冠のエピソードは
こうだ。
王様が神殿に奉納するために
黄金で王冠をつくらせた。
王冠製作職人が銀の混ぜ物をして
ごまかしたという疑惑が浮上した。
王はアルキメデスに
その調査を依頼した。
密度を調べればよいが
それには体積を求める必要がある。
体積を簡単に求めるには
長方形に成形しなおさなければならない。
そうすると
王冠を壊して溶かすことになる。
それじゃいけないので
他の方法で体積を求める必要があった。
アルキメデスは,この問題の解決法を
入浴中にひらめいた。
浴槽に入ると
水面が高くなる。
王冠を水に沈めれば同じ体積分水面が上昇し
容易に体積を測ることができる。
王冠の重量をこの体積で除すれば
密度が求められる。
もし比重が軽い安物の金属を混ぜていれば
密度は同じ体積の純金より低い。
アルキメデスは,この方法により
王冠に銀が混ざっていることを示した。
ユリイカとユレイカのちがいは
ローガンがレーガン大統領になったようなもんじゃね?
ほんとうにそうか?
気になって,調べてみた。
アルキメデスが叫んだのは
「Eureka」。
古典ギリシャ語で
「私は見つけた」「わかったぞ」というほどの意味。
古典ギリシャ語では,ヘウレーカ、ヘーウレーカ
現代ギリシア語では,エーヴリカ。
英語では,ユリーカ、ユーリーカ、ユアリーカ
日本語では,ユーレカ、ユーリカ、ユリカ、ユリイカなど。
ん?
どこにも「ユレイカ」という表記がない。
どうも
「ユーレカ」と「ユリイカ」をチャンポンにしていたようだ。
ゴメン
間違い。
慎んでお詫びもうしあげます。
きのうのブログは訂正させてもらいました。
調べている途中
さらに気になる事実が判明。
…というところで時間切れ
つづきはまた。
(ちなみに,『ユリイカ』は青土社から刊行されている月刊誌
詩および批評を中心に文学,思想などを広く扱う芸術総合誌。)
2012年12月19日水曜日
ものはいいよう
三浦しをんの『桃色トワイライト』(新潮文庫)
を読んでいたら,驚いた。
彼女は,ホ○漫,ホ○小説を読みふけること
が唯一の楽しみだというのである。
高校生のころだったか,いきさつは忘れたが
本屋でホ○小説を手にとったことがあった。
たしか岸和田駅前の
木下書店だったと思う。
巻頭グラビアがついていて
プリプリお尻のおじさんが写っていた。
着衣は
フンドシのみ。
博多山笠のおじさんが
上半身も裸と思ってもらえばよろしい。
うわっ。
あわてて,本を投げ捨ててしまった。
なんちゅう
気色のわるいものがあるものよ。
そのとき,いたいけなボクは
そういう世界の存在に触れたのであった。
しをんさんが
そういう趣味をお持ちだとは…。とほほ。
彼女のエッセイも4冊めで
もう3年くらいつきあっているつもりでいた。
(実際は,本屋さんで待ち合わせしたことは
もちろん,おみかけしたこともないが。)
その壮絶な生活ぶりに
独身女性がそこまで赤裸々に書いてよいのか?
と,他人事ながら
心配もした。
それなのに
さらなる衝撃が待っていたとは。
さすが,しをん
奥がふかい。
と,感心していたが
いや,待てよ。
よく読むと,きのうきょうの話
ではないらしい。
物のあやめがわかるようになったころから
今日まで唯一の楽しみだったとな?
そんな人生の根幹にかかわる話
(おおげさ?)
それがこれまでのエッセイに
出てこなかったのはおかしい。
不自然だ。
なにか,裏がある。
つーことで
あれこれ考え,調べてみた。
そうか!ユーレカ!
わかったぞ。
ホ○漫=BL漫画
ホ○小説=BL小説だ。
そして
BL=ボーイズ・ラブである。
「BL」なら,『本屋さんで待ち合わせ』
(大和書房)にも出ていた。
最近のエッセイからはじめて古いものに
読みすすんでいるからなのか。
ホ○漫と書いてきたが,これからは
BL漫画と書く。とかいう説明はなかった。
なんの説明も
なかったと思う。たぶん。
まぁよい。たしかに,ホ○漫では
語感が悪すぎる。
しをんさんも
そう気づいたのであろう。
ボクも安心した。
BL漫,BL小説ラブ派なら許容範囲だ。
今後とも
おつきあいできそうだ。
あらためていおう。
お友だちからお願いします!
(えっと,その流派の人たちには
ゴメンなさい。)
2012年12月18日火曜日
できれば,幸せになりたいじゃないですか
奥田英朗の『噂の女』
伊坂幸太郎の『残り全部バケーション』。
どちらも
楽しく読みました。
どちらも短編集のような
中編のような。
雑誌に発表してきた短編をまとめたら
中編になったような。
赤レンジャー,黄レンジャー,青レンジャー…
メンバーがそろったら,戦隊になったような。
合体ロボになったような。
そんなつくり。
もちろん,登場人物をおなじにしたり
伏線をはったりして,つないではある。
でも,ひとつひとつのコマが
独立して楽しめるようになっている。
もともと雑誌に掲載されているので
当然なのであるが。
こんな作品にしあげるばあい
最初から全体の構想があるのかないのか。
気になる
ところである。
弁護士の書面のつくり方も
2派に分かれている。
稲村のばあい,全体の構想を頭のなかで練り
それをざっと書いていく感じである。
ボクのばあい,材料を書いていくなかで編集しながら
全体の構想が立ち上がってくる感じだ。
この違いは頭のつくりにもよるが
ワープロ世代か否かも関係していると思う。
稲村の修行時代は
和文タイプのころだ。
一度タイプを打って,気にいらないところを
書きなおすなどということはできない。
最初から
完成をめざさなければならない。
ボクが弁護士になったのは
1986年,昭和61年。
単漢変換(漢字を一個づつ変換・確定する方法)
ながら,ワープロが発売されたころだ。
ご存知のとおり
ワープロは訂正がいつでも可能だ。
最初のころは,ワープロも
清書する器械だった。
ボクが秘書に訂正を依頼すると
稲村から叱られたものだ。
かれの頭では,ワープロも
和文タイプとおなじなのであった。
ワープロで文章を作成するばあい
頭のなかで完成させておく必要はなくなった。
思いついた材料を
とりあえず打ちこんでいく。
材料を関連する論点ごとに
まとめていく。
まとまりのブロックについて
論理的に前後関係をつけていく。
すると最後には,ふしぎふしぎ
ちゃんと論旨の一貫した文章ができあがる。
これはいわば
ワープロ式KJ法である。
KJ法は,川喜田(K)二郎(J)さんが
データをまとめるために考案した手法。
データをカードに記入し,グループごとにまとめて
論文等にまとめていく方法だ。
いちいちカードをつくるわけではないが
入力したデータをまとめていく方法がワープロ式だ。
ボクらのばあい,最初からワープロに甘えてきたので
これ以外の文章作成は難しい。
というわけで
合体ロボット小説を書く方法が気になる。
先生がた,どんちなんです?
と,問いたい。
ともあれ,奥田さんはいかにも奥田さんぽい
伊坂さんはいかにも伊坂さんぽい。
奥田さんはリアルなようでいて
最後は小説っぽい。
伊坂さんは小説っぽく書いていきながら
ちゃんと人間が描かれている。
奥田さんは,声高ではないが
人間っていいという読後感が残る。
伊坂さんは,行間から声高に
人間っていい!と聞こえてくる感じだ。
「俺も楽観的には考えていません。
…
だって,未来のことはその時にならないと
分からないんだし,人生は一度きりですからね。
できれば,幸せになりたいじゃないですか」
(『残り全部バケーション』「タキオン作戦」の岡田)
2012年12月17日月曜日
苦難にたちむかう
Sくんの投稿に映画『サンクタム』を推薦したとき
頭のなかには,あと2つオプションが。
キャメロン自身の『タイタニック』(1997)と
『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)。
前者はまだ解説不要だろうが
後者はもう解説が必要だろう。
大晦日の夜,豪華客船「ポセイドン号」には
行く年来る年を祝う多くの客が乗り合わせていた。
そのさなか、巨大な津波が押し寄せ船は転覆
船底が海上を向いた状態で停止。
生き残った乗客たちは,沈没しつつある船から
生還へ向けて脱出路を探し求める。
ジーン・ハックマン演じるスコット牧師の
リーダーシップとラストが印象的だった。
中学3年(1974)の文化祭のとき
BGMの提供を呼びかけたことがあった(前にも書いた)。
あこがれの彼女が提供したのは『レット・イット・ビー』と
この映画のサントラ盤だった。
当時の中学生にLPは高級品だったから
どのくらいヒットしたかを示しているだろう。
パニック映画のスタイルを
作ったものではなかったか。
その後,P・ニューマンとS・マックイーンの
『タワーリング・インフェルノ』(1974)が作られている。
こうして並べてみると,細部は異なるものの
どの映画もおなじ構造をしている。
ある日,危機や苦難に見舞われた主人公たちは
それにたちむかい,苦難を克服し,危機を脱する。
こういう構造じたいは
どの作品にも共通している。
V・プロップの『昔話の形態学』と
同じことか。
彼はいわゆる構造分析の先駆で
昔話はみな同じ構造だと主張した。
たくさんの昔話があるが,主人公が果たす機能を分析すると
ごくわずかな項目で分類できる。
そういえば
Sくんが応援してくれた薬害肝炎も同じ構造だ。
人生は多少なりともそういう構造があり
それに対するわれわれが挑戦が必要なようだ。
2012年12月14日金曜日
大量の水にたちむかう
薬害肝炎を応援してくれた後輩Sくんが
フェイスブックによく投稿している。
いつもするどい感性をきらめかせながら
人生の一コマをスケッチする投稿がおおい。
先日は,こんな投稿をしていた。
(無断で引用する。すまぬ,許せ。)
暗いところにある大量の水が苦手。
というか、怖い。
昨日の晩の夢
暗くて大きな誰も居ない実験室。
大きなプールに
満タンになった光景だった。
もう、夢の中ながら
猛烈に怖か
今日はそんなのが
出てきませんように。
脳内イメージを
つよく刺激される投稿だ。
頭にまず浮かんだのは
映画『サンクタム』。
『タイタニック』,『アバター』を手がけた
J・キャメロン監督の映画。
神秘的な大自然が広がる
南太平洋・パプアニューギニアの密林地帯。
どのトンネルがどこに通じているか把握できない
複雑に入り組んだ洞窟がそこにあった。
世界的に有名な探検家である
父と子やその他メンバーがこの洞窟にいどむ。
巨大サイクロンが襲来し
怒濤が洞窟内へ押し寄せる。
洞窟の唯一の出口は
完全に塞がれてしまう。
未到のトンネルが海へ通じている可能性に全てを賭けて
暗く冷たい洞窟を奥へと進んでいく…。
というアドベンチャー
×サスペンス映画だ。
Sくんの投稿にたいして
この映画を推薦しておいた。
大量の水という困難に立ち向かう
勇気をもらえるかもしれないから。
もちろん半分は
ジョークだ。
2012年12月13日木曜日
64(ロクヨン)
『64(ロクヨン)』(文藝春秋)
横山秀夫さんの新刊。
64といっても
昔懐かしいゲーム機ではない。
昭和の終わり,64年に発生した
誘拐殺人事件の警察内の符丁だ。
『陰の季節』,『動機』などとおなじく
D県警を舞台とする警察小説。
『クライマーズ・ハイ』などとおなじく
組織の不条理のなかで生きる個人を描く。
組織も地方新聞社ならぬ
警察組織ともなると,不条理もハンパでない。
警察庁と地方警察,警務と刑事,キャリアと現場
組織内組織どうしがギリギリと音をたててきしむ。
織田裕二主演の映画『踊る大捜査線』とおなじ
だけど,まったくちがう話題かと思うほどリアル。
きのう朝,兵庫県警の留置場で
連続殺人の容疑者が自殺した。
ふつうなら,う~ん
真相が究明されず残念というところ。
しかし,この小説を読んだあとなら
それにとどまらぬ問題の構造がくっきりと理解できる。
この小説のミソは
主人公が警察組織の広報官だということ。
内部の争いだけでなく
外部との争いの潮目でもあるわけだ。
記者クラブ,マスコミ,犯罪被害者との間に
虚々実々の攻防が繰り広げられることになる。
ここらへんは
地方紙の記者出身の著者ならでは。
犯罪被害者,加害者との折衝も
広報官として立場ゆえ微妙。
他方で妻や娘との問題も抱えており
内憂外患。それがいっそう緊張をたかめる。
一気に読める,もっと読みたくなる
すばらしい作品だ。
2012年12月12日水曜日
ひさしぶりの少年事件
ひさしぶりの少年事件
当番付添人だ。
成人のばあい当番弁護士だが
少年のばあいは付添人だ。
中学生の男子で
ぐ犯だ。
ぐ犯というのは,ほおっておくと
非行(犯罪)を犯す可能性が高いということだ。
成人とちがって,そういう少年も
立ちなおりのため,矯正が必要かどうか判断される。
といっても,メニューはすくなく
主に少年院か保護観察かだ。
(あと一時的に
試験観察という処置がある。)
少年院となると,半年か1年自由を奪われるので
おおきな違いがある。
もうすこしメニューが増やせないものだろうか
いつも思う。
南区にある少年鑑別所まで
面会にいく。
少年マンガでの描かれかたと異なり
鑑別所は必ずしも矯正施設ではない。
読んで字のとおり
少年の性格等を鑑(み)て,判別する施設だ。
それでも逃亡防止のため
ものものしい場所であることにちがいない。
窓口で申込書を書き
待合室でまつ。
職員が呼びにきて
2か所の鉄の扉の鍵を開け,面会室へ。
面会室で待っていると,さらに鉄の扉のむこうにある
収容棟から少年が連れられてきた。
非行少年といっても
当然のことながら,まだまだおさない。
語尾もはっきりせず
コミュニケーションがむずかしい。
発達の遅れ
だろうか?
何の発達が遅れているかというと
状況の認識や対人関係に関する能力だ。
状況の認識とか対人関係能力とは
場の空気を読み,うまくコミュニケーションするということだ。
先輩と話すときは
へりくだる。
話相手が自分や身内の病気の話をするときは
同情する。
等々,ときと場合によって
多様な対応が要求される。
この「ときと場合」を読み分けるのが
状況の認識能力だ。
このような認識ができないと
対人関係に支障をきたす。
どうしても
他人に不快な思いや困惑をさせてしまうから。
友人は減り
ますます社会生活が困難になる。
こういうケースで出くわすと
人間というのは実に精妙にできていると痛感する。
ふだんなにげなく生活しているが
そこでは実に複雑な情報処理がなされているのだ。
ひるがえって考えると
これは彼らだけの問題ではない。
一時,KY(ケーワイ)
という言葉がはやった。
K=空気が,Y=読めない
ということだ。
名のとおった大学を卒業しても
KYな大人はいる。
むしろ名のとおった大学ほど
KY度がたかいような気もする。
大学入試で問われるのは
筆記試験の成績だけだ。
空気を読んだり,対人関係能力を
問われることはない。
だから…
あ~きのうにひきつづき
きょうもグチになりそう。
このへんで
やめときます。
2012年12月11日火曜日
人生はから騒ぎ
(皇帝ダリア
花言葉:乙女の真心、乙女の純潔)
先週3つ,今週3つ
忘年会シーズンである。
時間のやりくりが
むずかしい。
先週土曜は,司法試験受験時代の
サークルの忘年会が箱崎で。
それまでの時間調整に
ソラリアで映画をみた。
(というか,その時間にあうのが
ソラリアしかなかった)
ウッディアレン脚本・監督の
『恋のロンドン狂想曲』(2010年)。
親夫婦×娘夫婦2組がやらかす
4つ恋を描いたラブ?コメディ。
ラブ?なのは
ウッディアレンらしいアイロニカルな描きかただから。
原題は
You Will Meet a Tall Dark Stranger。
白馬の王子はきっと現れる(はずなのに,実際は…)
という感じか。
俳優は,アントニオ・バンデラス,アンソニー・ホプキンス
ナオミ・ワッツら。しっかりしている。
複数の人間模様が交錯する手法は
どこから来たのか?
ヒントは映画の冒頭に
示されたエピグラフか?
人生に意味はなく
ただのから騒ぎだ。
みたいな。
シェークスピアらしい。
(これが本作のテーマであることは
間違いない。)
そこで『から騒ぎ』を
小田島雄志訳(白水Uブックス)で読んでみた。
原題はMuch Ado About Nothing
さんまの番組でおなじみのフレーズだ。
本作もたしかに,複数のカップルのどたばたが
交錯するコメディだ。
複数の人間模様が交錯する手法の本家は
やはりシェークスピアのようだ。(あたりまえか?)
それはともかく,あらためて小田島訳で読むと
シェークスピア作品もダジャレだらけだということだ。
和歌や平家物語の世界で,掛詞という名の
ダジャレが多用されていることは前に書いた。
洋の東西,古今をとわず
ダジャレは大人の遊びなのだ。
いやいや,シェークスピアは言葉遊びであって
ダジャレとは失礼な!とのご批判もあるだろう。
しかし,こんだけ量産すると
質の維持も難しい。
はっきりいって,われわれのダジャレのほうが
すぐれているのでは?と思うものも少なくない。
一方で,シェークスピアのダジャレを
ありがたがって,高いお代を払って見にいく。
他方で,われわれのダジャレを
さむ~とかいってスルーする。
これって
ほんとうにただしい態度なのか?
おおいに
疑問である。
(…と,ついつい日ごろのうっぷんで
あつくなってしまった。)
2012年12月10日月曜日
大峰講
『神去なあなあ夜話』について
もう1話。
神去村の人たちはいい人たちだが
なぜか口がおもいところがある。
原因をたぐれば
かって村を揺るがした大事件にいきあたる。
大峰講に
関連している。
大峰講というのは
大峰山にのぼる講である。
講とは,同一の信仰をもつ人々による結社・行事のこと。
転じて,相互扶助的な団体や行事のこと。
いまなら旅行互助会の積立金というところか。
その元祖である。
大峰山は
奈良県南部にある百名山。
広くは,大峰山脈のこと
狭くは,山上ヶ岳(1719m)のこと。
いまなお女人禁制となっている
唯一の山らしい。
吉野から熊野に至る大峯奥駈道の
中程にある。
大峯奥駈道などこの一帯は
世界に知られる霊峰である。
2004年,ユネスコの世界遺産に
登録された。
これまでに2度
のぼったことがある。
近鉄奈良駅から
バスに乗る。
天川村の峡谷を
くねくねと洞川温泉まで行く(泊)。
登山前日には
竜泉寺にて護摩焚き。
赤褌ひとつになって
身を切られるような滝行。
滝行などとおもわれるかもしれないが
頭がすっきりしてすがすがしい。
夕暮れ洞川温泉街を散策すると
風情がただよう。
翌朝暗いうちから
大峯大橋をわたる。
すぐに,その名も
女人結界門をくぐる。
そこから
ながく厳しい登山道である。
一ノ世茶屋,一本松茶屋を経て
洞辻茶屋で奥駈道と合流。
鐘掛岩,西・東ノ覗岩など
修行場がつづく。
足をすべらせると,命にかかわる
岩場をひいひいのぼる。
半身を谷底に押し出されながら
神への誓いを叫ぶ。(よう強要される。)
本来なら,脅迫による意思表示だから
無効なところだ。
朝もやのなか,山上には
大峯山上権現が鎮座。
ここでもやはり
頭がすっきりしてすがすがしい。
2日かぎりの付け焼き刃の修行だが
なんか悟りにちかづいた気がする。
山上ちかくの
宿坊にて朝食。
あたたかい味噌汁とにぎり飯に
感動,感謝。
(中略)
ふたたび女人禁制門をくぐって
俗界に還る。
修行の効果も
たちまち消失…。
2012年12月7日金曜日
物語のつながりとかさなり
三浦さんの『神去なあなあ夜話』は
村の創世神話からはじまり
これまでそこに生きてきた人たちの息づかいが
めんめんとつながっている物語。
それら神話や物語によると
神去山の神はオオヤマツミ。
そのブ○でないほうの娘が
木の花咲くや姫。
木の花咲くや姫は
天孫ニニギの妻。
村の人々はそれら神々を
いまもなお畏れ敬っているのだ。
木の花さくや姫ときいて
おや,とおもう?
さいきん出てきた。
どこだったっけ?
そう,芭蕉が『おくのほそ道』で
室の八島明神を訪ねた段。
同行の曽良いはく,室の八島の神は
木の花咲くや姫の神と申して,富士一体なり。
無戸の室に入って焼きたまふ,誓いのなかに
火々出見(ホオリ)の尊生まれたまひし。
これにより
室の八島と申す。
木の花咲くや姫は
富士山の神さま(浅間神)とされる。
室の八島明神の神さまは
やはりこの姫だというのだ。
芭蕉らが江戸を出るとき
富士の峰がかすかに見えていた。
室の八島(栃木県)で
曽良の解説を聞いた芭蕉の脳裏には
富士のイメージのつながり
があったろう。
コノハナサクヤ姫はニニギと結ばれて
たった一夜で懐妊してしまった。
ために,ニニギに疑いをかけられ
これをはらす必要に迫られた。
そこで出口のない(無戸の)部屋に入り
火をかけた。
言っていることが嘘なら焼け死ぬし
ほんとうであればそうならない。
むかしは近代的な裁判制度がないので
こんな形で真否を占ったわけです。
結果,姫はみごとに生還
証言の真実性が証明されたのだった。
すなわち
懐妊した子はニニギの子。
火のなかから生まれたのは3子で
うち2人は有名な海幸・山幸だ。
この神話上のエピソードから
室の八島(竈のこと)と呼ばれているわけ。
と,曽良が芭蕉に解説した。
さらに
また煙をよみならはしはべるも
このいはれなり。
と,うんちくを語る。
これは藤原実方の歌を指す。
いかでかは 思ひありとも 知らすべき
室の八島の 煙ならでは
コノハナサクヤ姫が室に火をかけた
エピソードを踏まえている。
また,このしろという魚を禁ず
というしきたりもあるという。
このしろを焼くと人体を焼くような悪臭がすることから
姫のエピソードを踏まえ,食を禁じられているのだとか。
江戸時代のことゆえ
「この城を喰う」というダジャレと関連も指摘されている。
芭蕉は江戸出立時の富士のイメージを再起しつつ
神話からこんにちまでの物語のつらなりを記す。
そのうえで
縁起の旨,世に伝ふこともはべりし,と結ぶ。
神去山の神さまはオオヤマツミで
姫の父だから,さらにえらい話だ。
三浦さんも,オオヤマツミから現代にいたる
神去村の物語のつらなりを語っている。
そうとすれば,ふたつの作品は
共通の構造をもっているわけだ(強引か?)。
三浦さんの父は三重県出身で
立正大学教授の三浦祐之氏。
『口語訳 古事記』(2002年)
がベストセラーになっている。
神去村の物語に父娘の物語の層も
隠れているのでせう。
2012年12月6日木曜日
『神去なあなあ夜話』
きのうジュンク堂にいったら
驚いた。
奥田英朗,伊坂幸太郎,吉田修一,村上龍ら
各氏の新刊(単行本)が平積みにされていた。
いずれ劣らぬ
好きな作家ばかり。
そのまえにも三浦しをんの新作を買い
読み始めたばかりなのに。
うれしい悲鳴をあげつつ,とりあえず
奥田さんと伊坂さんの新刊を買ってきた。
本の世界にも
クリスマス商戦なるものがあるのだろうか。
映画や音楽ではあったが
本ではなかったような気がする。
ま,12月はだれしも財布のひもがゆるむし
プレゼント月間であることも関係しているのだろうか。
ボクとしては夏枯れ期間をおかないで
みなで話あって出版をならしてほしいと思う。
1月は三浦さん,2月は奥田さん,3月は伊坂さん
…という具合に。
そのほうが
年中楽しめる。
さて,三浦さんの新刊は
『神去なあなあ夜話』(徳間書店)。
題名からあきらかなとおり
『神去なあなあ日常』のつづき。
平野勇気,18歳。
高校を出たらフリーターになるつもりが
三重県の山奥・神去村で
なぜか林業をすることに。
なれない林業に悪戦苦闘するうち,いつしか
なあなあな生活スタイルになじんでいく…。
という話でしたが,期待にたがわず『夜話』でも
それがなあなあとつながっていくのでした。
ちがいといえば,『日常』に対する『夜話』だけあって
セクシー感(広い意味。誤解なく)が加味されていることだろうか。
縦糸に,学校の先生・直紀さんとの
かたつむりの歩みのような遅々とした恋の進展。
横糸に,神去村の創世神話,山の神,ご先祖さまたちの霊
など神秘的・非日常的な世界との交歓が描かれている。
前者は三浦ワールドではめずらしくないが
後者はあれ?
これまで
こんなこと書いてたっけ?
山の神は山にのぼればどこにでもおわすが
その名もオオヤマツミさん。
オオヤマツミというのは,大山の神
大いなる山の神という意味で,そのまんまである。
日本神話(古事記,日本書紀)にでてくる
由緒ただしき神さまだ。
オオヤマツミは
木の花咲くや姫(コノハナサクヤビメ)の父。
彼女は天孫降臨したニニギの妻だから
天孫の義父にあたることになる。
オオヤマツミはコノハナサクヤヒメだけでなく
磐長姫(イワナガヒメ)も妻に差し出した。
ところが,イワナガヒメがブ○だったことから
ニニギは受けとりを拒否。
そのため,天孫の寿命が
磐のようにではなく,花のように短くなったという。
イワナガヒメがブ○だったという神話
神去村では,いまもいきいきと生きている。
実際,これをめぐって
村人が騒動をひきおこす。
ブ○と伏せ字にしておかなければならない理由は
読めばわかります。
ご一読ください。
(つづく)
2012年12月5日水曜日
絶食系男子が増加ちう?
さいきん法律相談をしていて
気になることがある。
異性と交際してきたけれども
さいきん別れた。
ついては
①慰謝料を請求したい。また
②交際中にわたした
品々を返してほしい。
だいたい
こういう相談だ。
答えは
こうだ。
①の慰謝料を請求するには
暴行,暴言を受けたとか
相手方による
不法行為が必要である。
それがなければ(かつ,証明できなければ)
慰謝料の請求はできない。
②の交際期間にわたした品々の返還も
一般には贈与(プレゼント)
なので
返還請求はできない。
一般の弁護士であれば
そう回答すると思う。
ま,回答内容はさておき
問題はその相談者の性別だ。
さいきん,この手の相談者に
男性が混じるようになった。
もともと男女のあいだの別れ話だから
別に弁護士に依頼する必要はない。
あなたのこれまでの振る舞いは
許せない。
自分は精神的に傷つけられた。
だから,慰謝料を払ってよ!
と,まずは自分たちで話をすればよい。
弁護士に相談するのはそのあとだ。
だから従来,この手の相談をするのは
女性だった。
男性がこの種の相談をするようになったのは
やはり力関係の逆転が反映しているのだろうか?
草食系男子の存在,増加がいわれて久しいが
法律相談にもそれが現れているのか?
などと思っていたら
こんな調査結果がネットに流れていた(オーネット)。
「25~34歳の独身男性に聞く,
恋愛経験ありますか?」
「恋愛に興味はあるが,交際経験も乏しくさまよい続ける」
迷走男子が29.3%で,一番おおい。
「恋愛に興味はあるが,女性に積極的になれない」
優柔不断男子が27.0%で,ついでいる。
う~ん,こんなに多いのか
草食系男子。
他方,「恋愛に興味旺盛で,女性に果敢に攻める」
という(笑える定義の)肉食系男子は
25~29歳で17.0%
30~34歳で11.1%。
あれま。
草食系男子に比べ寒々とした数字。
これでは絶滅危惧種ではなかろうか?
環境省はレッドデータブック搭載を検討すべきだ。
いや,それは厚生労働省の管轄では?
(え~い,ナワバリをいっているばあいか!)
「女性なしでも人生を楽しめる」
という(ここまで来ると笑えない定義の)絶食系男子は
25~29歳で12.1%
30~34歳で16.1%。
年齢があがるにつれて
肉食系種族が絶食系種族に取って代わられている。
これまでに女性との交際経験がないのは
全体の28.8%。3割におよんでいる。
性経験については…
いや,やめておこう。
今年の流行語大賞は「ワイルドらろぉ」らしいが
ちっともワイルドぢゃない。マイルドである。
こうなっている原因を示唆するのが
職種によって構成比に差があることだ。
肉食系の割合は
営業職:28.6%,SE・プログラマー:4.8%。
毎日パソコンとにらめっこしている男子は
リアルな女性に魅力を感じなくなるのだろうか?
それとも,リアルな世界が苦手な男子が
SE・プログラマーになっているのだろうか?
そういえば,ゲームにでてくる女子のほうが
可愛いくて素直だ。
…いやいや,誰かがそんなことを言っていた。
(ということにしておこう。)
2012年12月4日火曜日
追悼・池永満先生(2)
薬害肝炎をやっている若手は
K賀K重弁護士から話しかけられるのを恐れている。
しんどいけれど誰かがやらなければならない
そういう課題をふってくるからだ。
しかしその恐怖は,池永先生から
話しかけられるのに比べるとまだまだだ。
95年のこと,裁判所の坂をのぼっていると
背後に気配を感じた。
ふりかえると
池永先生であった。
すると,唐突に
こういわれた。
月30万円の保障で
どうかな?
これは
そうとうやばい話である。
いつものAかBかという
選択肢が示されていない。
いきなり
条件の話である。
しかも
月30万円の保障?
なんの話でしょう?
(あっ,また術中にはまっている)
薬害エイズ福岡訴訟の
事務局長を引き受けてくれないか。
これが池永先生の
依頼であった。
医療被害の救済という場合
当然,薬害被害の救済もそれに含まれる。
当時,やっていた南九州税理士会訴訟や
水俣病訴訟などはいずれも未解決の時期だった。
それらを理由にお断りをしたが
ムダな抵抗であった。
薬害エイズ事件というのは
他に例をみないほんとうに悲惨な事件だった。
訴状の原告目録をつくるだけで
涙がとまらなかった。
原告の半分が鬼籍に入っており
ほとんどが10代で亡くなっていた。
それまでこの事件に関与していなかったことに
罪悪感をおぼえたほどだ。
薬害エイズは,東京・大阪訴訟が先行し
解決局面を迎えていた。
池永先生のお考えは,福岡でも提訴し,解決水準の
さらなる上積みを目指すというものだった。
しかしその後,方針をめぐって大激論となり
必ずしもこのような方針どおりにはいかなかった。
しかしこれにより,わが弁護士人生の
後半の活動分野がおおきく変えられた。
それまでどちらかというと
公害・環境型の事件がおおかった。
それが以後,大規模医療被害事件に
つぎつぎと取り組むことになった。
薬害エイズ訴訟の延長上には
ハンセン病訴訟,薬害肝炎訴訟が待っていたから。
こうして私も他の人々の例にもれず
池永先生の奔流につぎつぎとほんろうされた。
それは極めてたいへんではあったが
豊かな意味のあるほんろうでもあった。
このことは,おなじ立場におかれた
すべての人が認めているところである。
池永先生
ありがとうございました。
2012年12月3日月曜日
追悼・池永満先生
12月1日
池永満弁護士が亡くなられた(享年66歳)。
昨日通夜がおこなわれ
今日葬儀がおこなわれる。
故人の生涯を一言でいえば
「奔流」というこであったろう。
いくつもの
大きな流れをつくりだされた。
われわれはそれらの流れに
巻き込まれ,ときに翻弄された。
そもそも私が弁護士になったきっかけも
かれの後進養成ゼミに負う。
このきっかけがなければ,いまごろ
どこかでサラリーマンをしていたかもしれない。
このブログを
書くこともなかったわけだ。
そのゼミの世話になった者は
3桁におよぶであろう。
池永先生は数多くの課題を見つけだし
取り組まれた。
まるで課題を量産されている
かのようであった。
次々と課題をみつけては,問題提起し
若手に投げ与えるというふうであった。
しんどいけれども誰かがやらねばならない
そんな課題がおおかった。
通夜で盟友の辻本育子弁護士もいわれたが
課題AとBの選択を迫られることがおおかった。
池永弁護士のライフワークの柱は
なんといっても医療の民主化であった。
医療被害救済,患者の権利の確立
医療オンブズマン等次々と取り組まれた。
わたくしの腕もすこしは評価されていたのあろう
難事件の救助をもちこまれることが時々あった。
ある日,池永先生が近づいてきて
こう尋ねられた。
「久留米の事件と北九州の事件
どっちする?」
これは質問の構造からして
誤導である。
この質問をするには
必ずどちらかをしなければならない
という前提が論証されていなければならない
はずだから。
法廷であれば,すかさず
異議!というところだ。
しかし,そこは先輩・後輩の立場ゆえ
そうはいえない。
それぞれどんな事件なんですか?
と,訊いてしまった。(もう相手の術中にはまっている)
久留米の医療被害者は
腹立ちのあまり医者を足蹴にするらしい。
北九州の医療被害者は
弁護士との打合せのあと,病院前でビラを撒くらしい。
いわく。
○○弁護士は必ず勝つと断言した。云々とか。
…。
甲乙つけがたい難事件に絶句した。
数秒,あたまをフル回転させたが
逃げ場はなかった。
久留米の事件を選択した。
近い,という以外に理由はなっかったけれど。
(つづく)