えっ!『おくのほそ道』って
芭蕉に感情移入して読むものでは?
と書いたが,芭蕉は
それを意図していなかったかもしれない。
岩にしみ入る蝉の声
その上5音はつぎのどれ?
1 さびしさや
2 閑かさや
こたえは2だけれども
1がありえないかというと,そうでもない。
2が確定する前は
1だったようだ。
どうちがうのか?
1は,自分ひとりの心情に執着。
2は,自己を超えた
広がりのある世界の静寂感を指向。
(例によって角川文庫
ビギナーズ・クラッシクスより)
われわれはどうしても自分ひとりの心情に執着しがち
自己チュウというやつだ。
それを一歩つきはなして
広がりのある世界を指向できるかどうか。
天才芭蕉にして最初から到達しているわけではなく
苦吟のなかからようやくつかみとっていったようだ。
まさしく
『おくのほそ道』なわけだ。
なんだか
励まされる。
芭蕉の句作というと,最初から
即興的にひらめいたように考えてしまう。
でも,やはり複数の選択肢のなかから,あーでもない
こーでもないと考えぬいたすえ確定したのだ。
そう思うとやはり創作というのは
感性だけでなく理性のはたらきが必要なようだ。
というわけで
『おくのほそ道』の読み方である。
それが自己を超えた世界を指向していたとすれば
芭蕉に感情移入して読まなくてもよいのかもしれない。
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