2012年11月26日月曜日
行き行きて
山仲間のM・K夫婦が
立石寺を訪ねたと聞いた。
MKはタクシー会社ではなく
MさんとKさん。
破天荒なMさんをKさんがけなげに支える
おしどり夫婦だ。
立石寺は
みちのく山形にある山寺。
創始者は慈覚大師=円仁
天台宗の開祖・最澄の高弟…。
というより,岩にしみいる蝉の声
の句で有名だ。
『おくのほそ道』
の不朽の名句だ。
閑寂な宇宙
のひろがり。
わずか5・7・5文字で表現するとは。
すばらしい。さすが。
『おくのほそ道』は春から秋にかけて
東北から北陸を経て中部・大垣までの紀行文。
旅をすみかとした芭蕉の傑作
古典では一番好きな作品だ。
同行者は
弟子の曽良。
温厚篤実で
すぐれた秘書。
コースの下調べ,資料収集,旅費の会計
などを担当し,『随行日記』を書きのこした。
(例により角川文庫
ビギナーズ・クラシックス参照)
夫婦の旅のたよりに誘われて
漂白の思ひやまず『おくのほそ道』を再読。
月山に登り,湯殿に下ったくだりまで読んだところで
ことしの山の会の納会が開かれた。
場所はMK夫婦のご自宅
Kさんの手料理によるもてなしだ。
電車でいっしょになったSさんと
訪れると,さっそく読書談議となった。
Kさんが読んでいるのは『平家物語』
やはりダジャレがいっぱいだ!だとか。
Sさんは『本屋さんで待ちあわせ』。
この話はのちほどまた。
ボクは『おくのほそ道』を読んでいて
月山から湯殿さんへ下ったところだと披露した。
Kさんは意外にも
曽良に思い入れを感じると応じた。
えっ!『おくのほそ道』って
芭蕉に感情移入して読むものでは?
でも,よく考えると意外でも何でもない。
Mさん=芭蕉,Kさん=曽良の構図だから。
そうか
そうか(納得)。
そういえばこの話
どっかでもあったなぁ…?
そう。
『ニュー・シネマ・パラダイス』!
ローマ在住の大物映画監督サルヴァトーレは
故郷の母からある訃報を受ける。
そこから彼は,映画に魅せられた少年時代
~青年時代の恋愛へ思いをはせる。
この流れからして,この映画
サルヴァトーレに感情移入するようにつくられている。
でも,ある女性(1男の母)は
故郷の母に感情移入してしまうらしいのだ。
ふつう小説や映画,お芝居は主人公がいて
そこへ感情移入するようつくられている。
これがうまくいかないと
作品にのめり込めない。
よい作品ほど主人公に感情移入しやすい
つくりになっている。
だから,主人公以外の登場人物に
感情移入することはむずかしい。
でも,たしかに作品の鑑賞のしかたは
ひとさまざま。
母や曽良に感情移入したって
いっこうにかまわない。
“自分が”生きる意味を見つけたり
確認したりすることこそが大事だろうから。
行き行きて倒れ伏すとも萩の原
曽良
0 件のコメント:
コメントを投稿