2011年11月30日水曜日
三四郎はそれからいかに門を出たか?
『門』夏目漱石著(新潮文庫)
をなぜか再読。35年ぶりぐらいか。
なぜ再読することになったのか
思い出せません。歳だ~。
再読しようと積ん読していたら
他の本に目うつりしてしまい、気づいたら時間が経過…。
その結果、なぜ再読することになったのか
わからないまま再読。
夏目漱石の前期3部作の掉尾を飾る作品
(のはず)
三浦しをんさんが『三四郎はそれから門を出た』(ポプラ社)
と、うまくタイトル化しているとおり。
でも正直、『三四郎』、『それから』を読まずに
これだけを再読するとなんのことやらという感も。
過去については略奪愛を示唆するのみで
詳しい記述はありません。
現在については叔父夫婦との間の遺産問題、弟の扶養問題など
せいぜいが気がかり程度の事件が生起するだけ。
崖の上のポニョならぬ大家さんとの親交といった伏線を
ひろっていくうち、ついに略奪愛の被害者・安井との対決か!?
とおもいきや、主人公・宗助は問題の解決をもとめて
禅寺の「門」をくぐる。
しかし、そこで宗教的な解決が得られるわけでもなく
娑婆に戻ると、安井は蒙古へと帰ったあと。
かくて危機は回避され、宗助夫婦に春が訪れ
「本当に有難いわね。漸くの事春になって」(妻・御米)。
よかない!宗助もそう思ったのか
「うん、然し又じき冬になるよ」で幕。
対決を回避し、時間による解決に身をゆだねる
このような手法はわれわれの実務ではよくおこなわれます。
しかし、小説としては
どうなん?
『門』が緊張を回避し、このような微温的な解決になったことにつき
漱石の体調悪化が取りざたされています。
われわれがとる解決方法も体調に左右されることがあるので
このような指摘も一定あたっているのでしょう。
(もちろん、いや、あれはあれでいいんだ!
という漱石擁護派の方もいらっしゃいます。)
漱石が『門』を書く際にモデルとした寺は
鎌倉の円覚寺とされています。
ところが、漱石自身がその後むかったのは伊豆の修善寺
そこで大吐血し生死の間を彷徨う危篤状態に(「修善寺の大患」)。
この時、一時的な「死」を体験したことは
その後の作品に影響を与えることとなったとされます。
漱石は後期三部作と呼ばれる『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』
へと立ち向かっていきます。
病気にかぎらず、われわれもいろいろな問題に遭遇して
人生の門をくぐらざるをえません。
それは人生である以上
避けられないものです。
問題はそこからいかに出るか
出てからなにをなすか、ではないでしょうか?
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