2011年11月29日火曜日
舟を編む
『舟を編む』(光文社)
三浦しをんさんの新作です。
『風が強く吹いている』『まほろ駅前多田便利軒』『仏果を得ず』
『神去なあなあ日常』など。
いずれも仕事・課題に取り組む男女を描いて
楽しい作品たち。
駅伝、便利屋、文楽、林業ときて
本作は辞書づくりに取り組む男女が描かれます。
『舟』というのは言葉の海をわたる辞書の意で
『編む』というのはその編集作業のこと。
辞書づくりという仕事のあまりの地味さに
最初は手がでませんでした。しかし、
知人に勧められて、井上 真琴さんの 『図書館に訊け!』(ちくま新書)
を読んだため、心理的障壁がなくなり、手にとってみました。
そもそも辞書そのものに
思いのほか、楽しいところが。たとえば
れんあい【恋愛】特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、
二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、
出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、
常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、
まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。
(『新明解国語辞典』)
出典をおしえられなければ
「笑点」の大喜利とみまごう語釈でせう。
さて主人公の名はそのもののズバリ
馬締(まじめ)さん。
その名のとおり真面目で退屈なストーリーと思いきや
そこは三浦さんの筆、わくわくする展開になるのでした。
個性的な登場人物どうしが
個性をぶつけあって火花をちらします。
表面的にはどこまでも軽い同僚・西岡と
馬締との火花。
「すみません。相手にも同等かそれ以上の真剣さを求めてしまうのが
俺の悪いところです」
いや、と西岡は曖昧に首を振った。なにかに本気で心を傾けたら、
期待値が高くなるのは当然だ。
愛する相手からの反応を、
なにも期待しないひとがいないように。…
駆け出しの辞書編集者として
不安いっぱいの岸辺さん。
そこまで考えた岸辺はふと、「そうか」と思った。取っつきにくく
感じられるまじめさんも、もしかしたら、若いころは私と同じ
だったのかもしれない。
ううん、いまも同じなのかも。
人間関係がうまくいくか不安で、辞書をちゃんと編纂できるのか不安で、
だからこそ必死であがく。言葉ではなかなか伝わらない、
通じあえないことに焦れて、だけど結局は、心を映した不器用な言葉を、
勇気をもって差しだすほかない。相手が受け止めてくれるよう願って。…
岸辺さんと馬締の語釈をめぐる激論も
また見もの。
「『あい【愛】の項目なんですが」
岸辺は校正刷りを馬締に見せた。
「語釈の①が、『かけがえのないものとして、対象を大切にいつくしむ
気持ち』というのは、まだわかります。
でも、その直後に置かれた単語の例が、『愛妻、愛人、愛猫。』
というのは、どうでしょうか」
「まずいですか」
「まずいですよ!」岸辺は声を荒げた。
「だって、…」
(以下は、読んでのお楽しみ)
辞書編集部の新人だった岸辺さんも
めきめき腕をあげ成長していきます。
辞書づくりに取り組み、言葉と本気で向きあうようになって、
私は少し変わった気がする。岸辺はそう思った。
言葉の持つ力。傷つけるためではなく、だれかを守り、だれかに伝え、
だれかとつながりあるための力に自覚的になってから、
自分の心を探り、周囲のひとの気持ちや考えを注意深く
汲み取ろうとするようになった。
岸辺は『大渡海』編纂を通し、言葉という新しい武器を、
真実の意味で手に入れようとしているところだった。
そして公私ともに充実にむかう岸辺さんは
晴れやかな気持ちに。
なにかを生みだすためには、言葉がいる。…愛も、心も。
言葉によって象られ、昏い海から浮かびあがってくる。…
というわけで、
言葉を武器とする仕事をする方々におすすめです。
なお、馬締が住んでいるアパートがお約束どおりボロアパートなので
『木暮荘物語』や『風が強く吹いている』のテイストも楽しめます。
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