2011年1月18日火曜日
「武士の家計簿」と貧困対策
「武士の家計簿」は江戸時代後半~維新における
加賀藩の下級武士とその家族の生活を描いたもの。
原作は同名の新書
実話をベースにしています。
主役の堺雅人さんは加賀藩で代々の御算用者
いまでいえば石川県の県庁マン、会計課職員です。
江戸時代の幕藩体制は軍人政権で
職業技能は武道、仕事道具は刀だったわけですが
御算用者のばあい、会計学とソロバンが生計の道具です。
私も昔岸和田にいたころ
ソロバンを習っていたので懐かしかったです。
森ブーというあだ名の人がいて
ソロバンをはじいている間
しょちゅう屁をこくのに閉口(へいこう)しました。
堺さんの妻は仲間由紀恵さん
父、母は中村雅俊さん、松坂慶子さん
みなさん達者です。
加賀藩の祖は前田利家
NHK大河「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」(02年)の
唐沢寿明さんです。
前田家は外様ながら徳川将軍家との姻戚関係が強く
江戸藩邸は本郷に上屋敷があり
現在、東京大学本郷キャンパスになっています。
東大の赤門はこの上屋敷の御守殿門で
1827年に、第12代藩主前田斉泰が徳川将軍家斉の娘
溶姫を迎える際に造られました。
堺雅人さんの父・中村雅俊さんは、このときの責任者
この造作にあたり、藩財政が窮迫していたことから
門の表側だけ赤に塗って経費を節減したことが手柄となり
いつも食事のときに自慢話をして家族に煙たがられています。
赤門建造の6年後は1833年(天保4)、天保の大飢饉がはじまり
1837年まで続きました。
(坂本龍馬はこの間、天保6年に生まれています)
享保・天明に続く江戸三大飢饉の1つ。
主な原因は洪水や冷害で、各地で餓死者を多数出しました。
幕府は救済のため、江戸では市中21か所に5800人収容の御救小屋
を設置し、救済者は70万人を越えたとされます。
現代でいえば、生活保護その他の社会保障制度がこれにあたるでしょう。
それでも米価急騰も引き起こしたため、各地で百姓一揆や打ちこわしが頻発
大阪では大塩平八郎の乱の原因にもなりました。
こうしたなか、加賀藩でも救済米を供出するわけですが
藩の役人には悪いヤツがいて、何割か抜いて横流ししています。
堺さんは御算用者のなかでも誰より数字に忠実で
数字があわないことが許せない性格(ときに妥協を知らぬKYな性格)から
不正を告発します。
演技がコミカルなのでつい笑ってしまいますが
実話だとすると、実際はそうとう勇気ある行動だったでしょう。
現代でいえば、特捜部内での証拠ねつ造を告発した検事の勇気にあたる
でしょうか。
しかし告発は握りつぶされて、新婚早々、輪島に左遷されることに…
その寸前、別ルートで悪事が摘発され、事なきを得ます。
それどころか、この功が認められて御蔵米勘定役に大抜擢
さすが、加賀藩、度量があります。
ところで、飢饉の原因は洪水や冷害(天災)なので
多数の餓死者を出したことはやむを得なかった=不可抗力と
いえるでしょうか?
裏を返せば、政府や藩の施策に過失(落ち度)があったかどうか?
過失とは、結果予見可能性(予見義務)+結果回避可能性(回避義務)
からなります。
天保の大飢饉は文字どおり江戸3大飢饉の3番目の飢饉ですから
享保・天明に続き「2度あることは3度ある」ということで
結果を予見することは可能でした。
それでは結果を回避することが可能だったかというと
不可能ではなかったようです。
結果回避措置のメニューとしては、役人の綱紀粛正と倹約、給与改革
義倉の整備、救荒食の手引書配布など。
実際、救荒対策をきちんとやって犠牲者を一人も出さなかった藩も
あるようです。
こうしてみれば、救荒対策をきちんとやっておけば
被害の拡大を防げたという意味で、人災の側面もあったでしょう。
(ただし、江戸時代に国賠責任は問えません。憲法17条参照)
薬害肝炎でも薬害の発生はともかく
その後の行政の無為・無策が被害を拡大した点に憤りを覚えました。
現代日本の会計簿も赤字がいっぱいですが
政府の無為・無策ゆえに餓死者が続出する事態は
願い下げにしたいと思います。
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