2011年1月14日金曜日
「ロビン・フッド」と憲法
「ロビン・フッド」と十字軍の関係について
先週書きましたが、きょうはそのつづき。
映画「ロビン・フッド」と憲法との関係?
なさそうですが、あります。
先に書いたように、リチャード獅子心王は
十字軍(第3回)としてながらく遠征していました。
遠くパレスチナの地でイスラム軍と戦うのですから
莫大な軍事費がかかりました。
ロビン・フッドもこれに従軍し
弓の名手として戦っていたとされています。
リチャードが戦地で死んだ後、王位を継いだのは弟のジョンですが
彼が王位を継いだ時点で、国民はかなり疲弊していたわけです。
ジョン王は1点をのぞき、イングランド史上最悪の暗君と評され
シェークスピアの歴史劇にもなっています。
リチャードのあだ名は獅子心王とかっこいいのに対し
ジョンのあだ名は失地王(フランスに敗れて大陸領土を失ったため)。
文字どおり失地回復のため
フランスと戦争するも、ふたたび敗れます。
ジョン王は議会を招集しないまま
戦争協力金などの名目で重税を課しました。
諸侯(貴族)・庶民の高まる不満を弾圧し
法律・裁判によらないで、国民の自由・生命や財産を奪いました。
映画でもロビンの恋人マリアンたち国民が重税と弾圧にあえぐ姿が
描かれていました。
こうした圧政に、貴族たちの怒りが爆発
彼らはジョン王の廃位を求めて団結しました。
ジョン王は1215年6月15日、王の権力を制限する文書を受諾し
これにより事態の収拾をはかりました。
映画では、父の遺志をついだロビン・フッドが
諸侯とともにジョン王にこれを迫っていました。
憲法の教科書に書かれていることがリアルに映像化されており
ハリウッド映画はやるときはやるねーと感心しました。
この文書は「マグナ・カルタ(大憲章)」と呼ばれ
その前文は現在でもイギリス憲法を構成する法典の一つ。
これがジョン王の治世で1点だけ評価されている事績です。
王の首をはねたり退位させたりというドラスチックな解決ではなく
より平和的なオプションを示した点が政治的に斬新。
王といえど法の下にあり(法の支配)権力を制限される
このことが文書で確認されたという憲法的な意義が画期的です。
海外侵略戦争、重税・弾圧、敗戦、海外領土喪失をきっかけに
憲法が制定され、国民の人権が保障されるようになるのは
歴史の皮肉なめぐりあわせ。
マグナ・カルタの理念は、イギリスの清教徒革命(1641~1649)
アメリカ合衆国の独立革命(1775~1783)をへて
日本国憲法にも引き継がれています。
マグナ・カルタにはつぎのような定めがあります。
王の決定だけで戦争協力金などの名目で税金を集めることができない
王は一定の場合に議会を召集しなければならない
国法か裁判によらなければ自由・生命や財産をおかされない
など。
これらは日本国憲法にも「人類普遍の原理」として定められています
(憲法84条、52条等、31条)。
かくてロビン・フッドに描かれた13世紀イングランド諸侯は
「人類の多年にわたる自由獲得の努力」(憲法97条)をおこなった
大先輩なわけです。
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