2010年11月9日火曜日
汗だくの裁判ウオッチング
性的な事件で弁護人をやっていたら
高校生の男女が裁判ウオッチングにやってきて
傍聴席が満席
なんちゃないふりをするのに汗だくでした。
最近は裁判ウオッチングがさかん。
私も何度かツアーガイドをつとめたことがあります。
筑紫野市の心配事相談員のみなさんと
学習会をさせていただいているところ
改選の後などに裁判ウオッチングにご案内します。
博多座の演目とちがい
当日実施される事件の内容は事前にわかりません。
わざわざ裁判所までおこしいただいたのに
適切な事件が係属していなくて
空振りということもあります。
一度などは連続強姦事件の法廷しかなく
女性の先生がたは強いショックを受けられたご様子で
もうしわけない気持ちになりました。
将来弁護士になりたい中学生たちをご案内したこともあります。
とりわけ神経をつかい、業務上過失傷害の事件をチョイス。
いわば交通事故なので交通教育上もいいし
これなら不都合な真実はなかろうとの判断でした。
ところが審理がすすむうち
注意義務違反の内容が
助手席の彼女による性的な行為であることが明らかに。
審理途中で席をたつわけにもいかず
このときも汗だくになりました。
なお、この法廷は裁判官も検事も弁護人もみな女性。
中学生が傍聴しているので
放送禁止用語は婉曲な表現で尋問してくれることを期待したものの
激しい応酬でモロな表現が続出…。
真実追求にかける女性たちのあつき心意気に脱帽。
私たちがこのように汗だくになりながらも
裁判ウオッチングに力をいれているのには理由があります。
憲法82条1項は
裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
憲法37条1項は
すべて刑事事件においては、
被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
と定めています。
公開の裁判とは、国民が自由に傍聴できる裁判のこと。
多くの人が誤解しているのですが、裁判は自由に傍聴できます。
弁護士の案内は必要ありません。
憲法がこのように定める理由は2つあります。
ひとつは、歴史的に、密室裁判、秘密裁判において
恣意的で政治的な裁判が行われがちであることから
これを抑止すること。
もうひとつは、裁判は三権のひとつであることから
民主主義の下では
国民の参加、監視のもとで行われることが必要だということ。
裁判員裁判のときにいつも引き合いに出される
映画「十二人の怒れる男たち」のなかで
ある陪審員が有罪・無罪について激論することについて
「これが実は民主主義の素晴らしいところだ」
と語る名シーンがあります。
小沢事件に関する検察審査会の起訴強制や
尖閣ビデオ公開問題をめぐり
国民に対し司法情報を公開したり
国民に司法判断の一部をゆだねることについて
「素人になにがわかる」との価値観から
より制限的に解しようという言説があります。
こんなことを言っている人たちは
もう一度、「十二人の怒れる男たち」を観てほしいと思います。
※なお「十二人の怒れる男たち」はなぜ「男たち」なのでしょう?
当時の陪審員には男たちしかなれなかったからでしょう。
ことは権力の一角に対する国民参加の問題ですから
選挙権とおなじ扱いだったと思われます。
女性が参加していればもっと激しく真実追求がなされたはず。
ヘンリー・フォンダにはまずその点から
ラディカルな問題提起をしてほしかったと思います(笑)。
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