2010年10月17日日曜日
トライアングル
江口洋介さん、広末涼子さん、稲垣吾郎さん、相武紗季さんらが出演する「トライアングル」というサスペンスミステリーをやってました。
堺雅人さん、北大路欣也さん、大杉漣さんなどキャラのたった出演者のほとんどが容疑者として次々に浮上し、毎週ハラハラドキドキさせられました。
最後はもっともありそうになかった小日向文世さん(あの虫も殺さぬような笑顔がくせ者)が真犯人と判明する結末。
そのルーツは芥川の「藪の中」?
多襄丸が殺人を自白し、いったんはやっぱり。
ところが、被害者の妻・真砂が殺したのは私ですと、びっくり告白。
えーっと思っていると、さらに被害者本人(死霊)が自殺だったと打ち明ける、どんでん返し。
3人の供述はまったく別方向を指し示し、真相(真犯人)が2転3転します。
容疑者全員が犯行を否認するのが普通ですが、3人ともが犯人だと主張するところも異色。
このように供述証拠・自白に基づく事実はまことに不安定。
サスペンスやミステリーとしては面白いものの、実際の事件となるとたまりません。
供述証拠・自白の偏重は誤判・えん罪の誘因となります。
「藪の中」を題材にしたのは供述証拠・自白の不安定さを実感してもらうためです。
誤判・えん罪をふせぐため、憲法と刑事訴訟法は供述証拠・自白の取扱いにしばりをもうけています。
検非違使の「見立て」は多襄丸が犯人だということのようですので、以下、多襄丸を被告人と呼びます。
被告人の自白調書には「いくら拷問にかけられても、知らない事はもうされますまい。」という気になるくだりが。
憲法38条2項は「強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。」と定めています。
本件自白が拷問によるものであると認められれば、この自白調書は証拠能力を制限され、証拠から排除されます。
しかし、密室での取調べですから、これまで拷問を立証することは困難でした。
そのため最近議論されているのが取調べの可視(録音・録画)化の問題です。
憲法38条3項は「何人も、自己に不利な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科されない。」とし、いわゆる補強証拠の原則を定めています。
被告人が殺人を犯したことを裏付ける証拠は、本人の自白しかありません。
放免や真砂の母(媼)も被告人が犯人であるかのようなことを言っているものの、実際に目撃したわけではないので補強証拠にはなりません。
弁護人としては真砂や武弘(被害者)の供述を法廷に是非とも提出したいところ。
しかしながら、被告人に有利な証拠は検察官がにぎってしまってなかなか弁護側にはその存在が把握できません。
検事は真実(真犯人)をあきらかにするのが仕事のはずですが、往々にして自己の「見立て」にこだわってしまうからです。
いま世間を騒がせている特捜検事による証拠の改ざんは、そのような逸脱が行き着くところまで行ったという事件。
弁護側としては証拠開示という手続きにより、検察官の手元にある被告人に有利な証拠をさぐることになります。
これまたこれまではごくごく例外的にしか認められてきませんでした。
この点も裁判員裁判をきっかけに改善の兆しがみられます。
それでも武弘の供述を法廷に提出することはできません。
死霊による供述であることは措くとしても、「巫女の口を借りたる」点が問題です。
憲法37条2項は「刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。」と定めています。
ここから反対尋問にさらされない供述は伝聞証拠として証拠能力を制限され、証拠から排除されるという、いわゆる伝聞法則が導かれます。
巫女に対する反対尋問はできるとしても武弘本人に対する反対尋問はできませんから、伝聞法則により証拠能力がありません。
いずれにせよ、補強法則により、小説中の証拠関係だけでは、被告人は無罪となりそうです(強姦事件は別)。
誤解のないように付言しておくと、憲法や刑事訴訟法はよくいわれるように殺人犯を野放しにしてよいとはいっていません。
供述証拠・自白を偏重しないで物証・客観証拠を重視せよということをいっているわけです。
本件でも凶器をさがすことが先決でしょう。
被告人の自白によると凶器は太刀。
これに対し真砂と死霊の供述によると小刀。
被害者の「胸もとの突き傷」と照合すれば、誰がほんとうのことを言っているか判明するかもしれません。
というけで真犯人は誰かという「小説解釈の」問題は次回に持ち越しです。
ではまた。
藪の中という本文を読んでいて正に世間で問題になっている検察官による証拠隠滅・犯人隠避のことを考えました。
返信削除前特捜部長らは犯人隠避を否認しており、結局「藪の中」、村木さんの時と同じように関係者の証言が決め手(この場合は前田容疑者)となり、法的には立証困難、といった社会部記者のコメントがあります。
でも、そうなのでしょうか。本件に関しては、前田容疑者の「告白」を聞いた検事がおり、その後、検察内部において前特捜部長らの言動を見聞きした複数の関係者がいます。最高検は彼らから立証に必要な証言を十二分に積み上げているはずです。しかも彼らが証言を覆すことは120%ありません。なぜなら、証言を覆すことは、彼らの正義に反するはずですし、何より「検察官としての将来」を棒に振ることになるからです。
これ位のことは前特捜部長らも分かっているはずです。にも関わらず、否認を貫くというのは何かトンデモナイ逆転の事実を握っているのでしょうか。
不思議な不思議な展開です。