2025年2月26日水曜日

倉敷~岡山城~尾道~福山城の旅(1)倉敷

 

 週末は東北雪山の山行を予定していたが、大雪予報のため断念。代わりに倉敷~岡山城~尾道~福山城を旅してきた。

 大寒波襲来でお隣の安芸の宮島などでも雪景色がニュースになっていたが、倉敷あたりはときおり雪まじりの雨が降った程度。

 三連休の中日だったが、思ったほどの人出にはあわず、新幹線も観光地もそれほどストレスなく旅することができた。

 倉敷旧市街は江戸幕府の天領。高梁川と児島湾を結ぶ運河として倉敷川が作られ内陸の港町として栄えた。

 倉敷といえば美観地区、美観地区といえば大原美術館だ。

 美術館は倉敷の実業家(紡績業)大原孫三郎(1880-1943年)が西洋美術等を展示するため1930年に開館。日本初の近代美術を展示する美術館である。イニシャルな作品群は洋画家児島虎次郎(1881-1929年)が収集した。

 残念ながら内部は撮影禁止なので外観のみ。本館は古代ギリシアのイオニア式柱を有する古典様式。和様の美観地区においてひときわ異彩をはなち目をひく。


 本館左右を守護するのは二体のブゾンズ像。向かって左は『洗礼者ヨハネ』。『考える人』で有名なロダンの作品。座って考えるのではなく、歩いて活動している。そしてイエスに洗礼を授けた。

 洗礼者ヨハネ像としてはダ・ビンチの謎の微笑みのほうが好きだ。どちらも天を指さしているのだが。



 向かって右は『カレーの市民 ジャン・ダール』。やはりロダン作。国立西洋美術館前にも6人の群像がある。こちらはその1人、ジャン・ダール。

 カレーの市民は1347年百年戦争のときの故事に基づく。百年戦争は英仏の王家を中心とする争い。英王エドワード3世はフランスの重要港カレーを1年以上包囲し、市のリーダー6人が出頭すれば人々の命は救うともちかけた。6人は処刑を免れないと覚悟を決めていた(実際には王妃の嘆願により助命された。)。


 美術館のあとは今橋を渡り、大原本邸へ。雛めぐりをやっていた。こちらは古代日本の王と王妃像。実際には「光る君へ」で描かれたように権力争いがあったはずだが、ロダンに比してなんとも優雅で平和な造形だ。

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