2024年7月18日木曜日

虎に翼(3)ー選挙権・投票価値の平等

 

 最高裁は、国会が制定した法律を違憲と判断することに、基本的に消極的である(司法消極主義)。しかし、いつも、どの分野でもそうであるわけではない。

積極的に違憲判断を行っているのは、選挙権・投票価値の平等問題である。昭和51年の最高裁判決はこういっている。

 選挙人の投票価値の不平等が、国会において考慮している諸要素を斟酌してもなお一般的に合理性を有すると考えられない程度に達しているときは、国会の合理的裁量の限度を超え、不平等を正当化すべき理由が示されない限り違憲である。
 本件においては、各選挙区の議員一人当たりの選挙人数と全国平均との比率の偏差が上限と下限で1対4.99の開きがあり、もはや国会の合理的裁量の限界を超えて選挙権の平等の要求に反する程度に至っているものといわなければならない。

約5倍もの差ががあるのだから、司法積極主義と呼べるかどうか疑問も残るが、選挙権・投票価値の平等の分野では、最高裁は司法積極主義であるといわれている。

その理由は、次のとおり。
司法が立法府の判断を尊重するのは、そこでは民主的な決定がなされているからであるとされている。ところが、選挙権・投票価値に不平等が生じてしまうと、立法府での判断が民主的な決定といえなくなってしまうから。

いわゆる投票箱と民主政の過程というやつ。投票箱と民主政の過程が健全に機能しているうちは、そこでの判断を尊重する、それが機能不全に陥ったときは、司法が介入するという考え方である。それなりに合理的な考えである。

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