(黒部湖・黒部ダムより)
(那古の浦、放生津八幡宮)
(藤波、波のように花がゆれるたとえ)
(那古の浦から有磯海を臨む。向こうは能登半島・氷見)
黒部四十八が瀬とかや、数知らぬ川を渡りて、那古といふ浦に出づ。担籠の藤波は、春ならずとも、初秋のあはれ訪ふべきものをと、人に尋ぬれば、「これより五里磯伝ひして、向かうの山陰に入り、蜑の苫葺きかすかなれば、葦の一夜の宿貸すものあるまじ」と、言ひおどされて、加賀の国に入る。
早稲の香や分け入る右は有磯海(ありそうみ)
市振の関をでると越中の国、富山県。まずは黒部四十八が瀬という難所です。
黒部川は、北アルプス(飛騨山脈)の最深部・鷲羽岳に発し、3,000m級の山々の間を急流となってかけくだり、山々を削ってV字の黒部渓谷となし、途中、黒部湖・黒部ダムや宇奈月温泉を経て、富山平野に出て扇状地を形成しています。
黒部川をかけくだる水や土砂の量が膨大であることから、平野部にでてから川はしょっちゅう流れを変え、かつ、多数の川筋となっています。そこで黒部四十八が瀬と呼ばれていました。四十八あったわけではなく、たくさんの意味です。
黒部ダムは、『黒部の太陽』という石原裕次郎の映画で有名です。最近では(もう最近でもないか)中島みゆきが「地上の星」を歌ったところとして記憶に新しい。
宇奈月温泉は、民法の教科書の最初にでてきます。温泉を引く管がわずかに地所を通っていた地主がどけろと言ったことに対し権利の濫用だから許さないとした大審院(いまの最高裁)判決があります。
那古の浦は、歌枕。
港風寒く吹くらし奈呉の江に つま呼びかはし鶴さはに鳴く
万葉集の編者とされる大伴家持が越中の国司として赴任し、たくさんの名歌を詠んだ地として有名です。
あゆの風いたく吹くらしなごの海士の 釣する小舟漕ぎかくる見ゆ
石巻、金華山の段で、大伴家持が「こがね花咲く」と詠んだと紹介しましたが、あの歌はこの地で詠まれたものです。奈良時代にもニュース速報みたいなものがあったのでしょうか。
担籠は藤の名所、やはり歌枕。
担籠の浦の底さへにはふ藤波を かざして行かむ見ぬ人のため
有磯海は富山湾西部、高岡から氷見にかけての海。やはり歌枕。早稲の香やの句をどこで詠んだのか、説が分かれています。越中と加賀の国境である、倶利伽羅(くりから)峠で詠んだと解したいと思います。早稲の香からはやや時間が経ってしまいますが、そのほうが句のスケールが大きいですから。
那古の浦(新湊)へは高岡駅から万葉線株式会社・新湊港線の路面電車でトコトコ行きます。高岡の名は『詩経』の一節、「鳳凰鳴けり彼の高き岡に」から。これもスケールの大きな命名です。
高岡は高岡早紀の出身地かと思いきや、風吹ジュンの出身地でした。そして藤子・F・不二雄のふるさとでもありました。高岡駅や路面電車にはドラえもんやドラみちゃんのフィギュアやアニメがあちこちにありました。家持がやきもちを焼いているかも。
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