ちくし法律事務所の日常ということで
ひさしぶりに原稿を2本書いてみた。
いきなりブログにアップすると
関係者から訴えられる可能性がある。
そこでまず事務所内のメーリングリストに流して
他の弁護士の反応をうかがってみた。
まず,「なぜあの味に惹かれるのか?」だが
ぼくについては,自分で書いた記事だから否やはない。
Iさんについても,よいことが書いてあるだけなので
文句のつけようがない。
問題はMくんとYくんだが
家族が悲しむかもしれないという反応だった。
そこで,この2人については次のとおり訂正したい。
Mくん→Mくん(匿名希望),Yくん→Yくん(匿名希望)
これで問題は解決だ。
めでたし,めでたし。
問題は「被害者の会の会長はきみだろ?」のほうだ。
これについては強い反発が予想された。
しかし,意外なことに,I弁護士の反応は
「これは、おもしろい。笑」だった。
この反応は意外,拍子抜け,ま,いっか。
ただし,意外なところに注文がついた。いわく。
タクシーのなかは,苦しかっただけじゃなく,楽しくもあった
そこを正確に書いてくれというのである。
たしかに,タクシーの窓から首を出し,「うっ,気持ち悪っ」
というだけではなく,高歌放吟していた場面もあった。
タクシーの運転主のにがりきった顔は
むしろその場面のほうが強かったかもしれない。
これはたいそう意外な反応である。
そこですか,つっこみどころは?
さすが芸術家の家系である,センスがちがう。
ぼくのまとめはそういうことであった。しかし,・・
きょうランチの際,その話をしたら
Yくんから意外な謎解きがなされた。
「先生,それは酒に全面的に負けたことを
認めたくないだけなんじゃないですかね?」
なるほど,たしかに。
そう考えれば,合理的な解になる。
こうしてきょうも真相が明らかにされたのであった。
めでたし,めでたし。
2015年8月27日木曜日
2015年8月21日金曜日
被害者の会の会長はきみだろ?
I弁護士のダンナの話を覚えておいでだろうか?
「3人とも不幸になった話」の,あの足が短いAくん。
といっても,覚えてないでしょうから,
当ブログの2013年6月21日の記事をご覧ください。
http://blog.chikushi-lo.jp/2013/06/blog-post_21.html
Aくんとぼくは誕生日が近い。
ともに8月上旬である。
かれの誕生日にメッセージを送った。
会長,誕生日おめでとうございます,と。
かれは返してきた。
会長は先生のほうでしょ,と。
ぼくもここはゆずれない。
いやいや,ぼくは事務局長だから。
この問題に決着をつけるために
まず会の歴史をふりかえっておきたい。
むかしある飲み会があった。I弁護士が酔っぱらってしまい,
ぼくがI弁護士の自宅マンションまでタクシーで送ることになった。
I弁護士は後部座席の窓を全開にし,「うっ,気持ち悪っ」
などといいながら,ずっと窓から首を出していた。
おりしも真冬である。車内にはぴゅーぴゅー寒風がふきすさんだ。
タクシーの運転主さんはもちろん,にがりきっている。
マンション前に着くと,寒空のもと
Aくんがガタガタふるえながら待っていた。
先輩弁護士に送ってもらったといって
とても恐縮していた。
ぼくも被害者だったが
Aくんを見たとたん,そんな小さな気持ちもふっとんだ。
Aくんはこれが日常なんだ。たまにタクシーで送って
寒いおもいをするぐらい,なにほどのこともない,と。
それ以来,ぼくとAくんは心の友だちである。
ふたりの関係はいつしか,被害者の会へと発展していった。
ぼくもAくんも,この被害者の会の構成員であることに争いない。
しかし,会長の座をめぐっては先にみたとおり争いがある。
ぜったいに会長にだけはなりたくないという
逆権力闘争,いわば権力逃走である。
会長の座はどうやって決めるのか?規約が存在しないため
いつもAくんとどうどうめぐりの議論になってしまう。
1対1である。
多数決で決められない。
しかし,Aくんは役場に例の届を出している。
これは世間様に対して,被害者代表と宣言しているようなものだ。
ここから,会長はAくん以外に考えられない。
ぼくが先輩であるがゆえに,Aくんが遠慮しているにすぎないのである。
なお,この会の名称をめぐっても争いがある。
ぼくらの理解では「I弁護士の被害者の会」。
ところが,I弁護士はただひとり
「I弁護士を支える会」でしょ,と言いはってゆずらない。
この点は,先の成り立ちからしてあきらかだと思うのだが
みなさんは,どう思います?
なお,8月上旬生まれの人間は被害者になりやすい。
これは疫学的事実だ。
8月上旬生まれのあなた
被害に遭わないよう気をつけてね。
「3人とも不幸になった話」の,あの足が短いAくん。
といっても,覚えてないでしょうから,
当ブログの2013年6月21日の記事をご覧ください。
http://blog.chikushi-lo.jp/2013/06/blog-post_21.html
Aくんとぼくは誕生日が近い。
ともに8月上旬である。
かれの誕生日にメッセージを送った。
会長,誕生日おめでとうございます,と。
かれは返してきた。
会長は先生のほうでしょ,と。
ぼくもここはゆずれない。
いやいや,ぼくは事務局長だから。
この問題に決着をつけるために
まず会の歴史をふりかえっておきたい。
むかしある飲み会があった。I弁護士が酔っぱらってしまい,
ぼくがI弁護士の自宅マンションまでタクシーで送ることになった。
I弁護士は後部座席の窓を全開にし,「うっ,気持ち悪っ」
などといいながら,ずっと窓から首を出していた。
おりしも真冬である。車内にはぴゅーぴゅー寒風がふきすさんだ。
タクシーの運転主さんはもちろん,にがりきっている。
マンション前に着くと,寒空のもと
Aくんがガタガタふるえながら待っていた。
先輩弁護士に送ってもらったといって
とても恐縮していた。
ぼくも被害者だったが
Aくんを見たとたん,そんな小さな気持ちもふっとんだ。
Aくんはこれが日常なんだ。たまにタクシーで送って
寒いおもいをするぐらい,なにほどのこともない,と。
それ以来,ぼくとAくんは心の友だちである。
ふたりの関係はいつしか,被害者の会へと発展していった。
ぼくもAくんも,この被害者の会の構成員であることに争いない。
しかし,会長の座をめぐっては先にみたとおり争いがある。
ぜったいに会長にだけはなりたくないという
逆権力闘争,いわば権力逃走である。
会長の座はどうやって決めるのか?規約が存在しないため
いつもAくんとどうどうめぐりの議論になってしまう。
1対1である。
多数決で決められない。
しかし,Aくんは役場に例の届を出している。
これは世間様に対して,被害者代表と宣言しているようなものだ。
ここから,会長はAくん以外に考えられない。
ぼくが先輩であるがゆえに,Aくんが遠慮しているにすぎないのである。
なお,この会の名称をめぐっても争いがある。
ぼくらの理解では「I弁護士の被害者の会」。
ところが,I弁護士はただひとり
「I弁護士を支える会」でしょ,と言いはってゆずらない。
この点は,先の成り立ちからしてあきらかだと思うのだが
みなさんは,どう思います?
なお,8月上旬生まれの人間は被害者になりやすい。
これは疫学的事実だ。
8月上旬生まれのあなた
被害に遭わないよう気をつけてね。
2015年8月18日火曜日
なぜあの味に惹かれるのか?
ある日,弁護士4人(ぼく,I,M,Y)でランチへ。
どの店に行くかなぁ,むかしは二日市にもMSとかMcとかもあったなぁ・・・。
というところから,ハンバーガーの銘柄選びの話になりました。
MS派とMc派のまっぷたつに分かれました。
ぼくとIさんがMS派,MくんとYくんがMc派に。
よくよく聞くと,Mcはリーゾナブルだからというので,MくんはいちおうMS派のお仲間にいれてあげました。
YくんはそれでもMcのほうが美味しいというので,味の分からんヤツということになりました(Mcだって,自分ところが経営戦略として「安かろう,味はそこそこだろう」路線をとっていて,味はMSに及ばないことは認めると思いますよ。)。
つぎの話題は,Yくんだけが,なぜそうなのか?
みなさん,分かりますか?
Yくんは,子どものころからよくMcへ家族で外食に連れていってもらっていたらしい。そのためMcの味をおいしく感じるように慣らされてしまったよう。
Mcの長期ファミリー戦略おそるべし。
それでは,なぜ,他の3人はそうならなかったのか?(ふつうの味覚のままなのか?)
まず,Iさん。
Iさんの家は母親が料理上手で外食なんてしなかったらしい。そのためやはりMcの味に慣らされる余地がなかったようだ。なるほど。
つぎに,Mくん。
世代的にはYくん,Iさんとほぼ同じ。それなのに,なぜ?
答えはMくんの出身地のようだ。信州の北部で,Mcの進出が遅れた。そのため,やはり子ども時代にMcの味に慣らされることがなかったらしい。なるほど。
問題は,ぼく。
大阪育ちだから,Mcの進出が遅れたわけではなからろう。
しかし,50代のぼくのばあい,子ども時代にMcなんてなかった。だからMcの味に慣らされる余地がなかった。なんかくやしい。
こうして弁護士たちは,ハンバーガーに対する嗜好の違いという,どうでもいい謎についても原因を追求し,真相を明らかにしたのであった。
めでたし,めでたし。
どの店に行くかなぁ,むかしは二日市にもMSとかMcとかもあったなぁ・・・。
というところから,ハンバーガーの銘柄選びの話になりました。
MS派とMc派のまっぷたつに分かれました。
ぼくとIさんがMS派,MくんとYくんがMc派に。
よくよく聞くと,Mcはリーゾナブルだからというので,MくんはいちおうMS派のお仲間にいれてあげました。
YくんはそれでもMcのほうが美味しいというので,味の分からんヤツということになりました(Mcだって,自分ところが経営戦略として「安かろう,味はそこそこだろう」路線をとっていて,味はMSに及ばないことは認めると思いますよ。)。
つぎの話題は,Yくんだけが,なぜそうなのか?
みなさん,分かりますか?
Yくんは,子どものころからよくMcへ家族で外食に連れていってもらっていたらしい。そのためMcの味をおいしく感じるように慣らされてしまったよう。
Mcの長期ファミリー戦略おそるべし。
それでは,なぜ,他の3人はそうならなかったのか?(ふつうの味覚のままなのか?)
まず,Iさん。
Iさんの家は母親が料理上手で外食なんてしなかったらしい。そのためやはりMcの味に慣らされる余地がなかったようだ。なるほど。
つぎに,Mくん。
世代的にはYくん,Iさんとほぼ同じ。それなのに,なぜ?
答えはMくんの出身地のようだ。信州の北部で,Mcの進出が遅れた。そのため,やはり子ども時代にMcの味に慣らされることがなかったらしい。なるほど。
問題は,ぼく。
大阪育ちだから,Mcの進出が遅れたわけではなからろう。
しかし,50代のぼくのばあい,子ども時代にMcなんてなかった。だからMcの味に慣らされる余地がなかった。なんかくやしい。
こうして弁護士たちは,ハンバーガーに対する嗜好の違いという,どうでもいい謎についても原因を追求し,真相を明らかにしたのであった。
めでたし,めでたし。
2015年8月6日木曜日
卒業
事務局の原さんが定年を迎え、7月末に退職されました。
原さんは昭和63年に入所。
平成10年まで事務局長として事務所全体の仕事もしていただきました。
スイミングでからだを鍛えてあるからでしょう。
原さんが風邪や体調不良で事務所を休まれたことはほとんどありません。
28年間体型もちっとも変わらず、若々しい。
原さんといえば、
負債事件が多かったころ、
サラ金に電話して、
ひるむことなく値切り交渉をしていた頼もしい姿を思い出します。
我が事務所では少数派のA型(血液型)で、
真面目で几帳面な原さんですが、
事務所旅行の飛行機に1人だけ乗り遅れたことがありました。
でもその後の行動力はさすがでした。
ちゃんと追いついてこられましたから。
海外だったのに。
元気はつらつ、明るく楽しく、事務所のムードメーカー。
食事会や旅先でいつも場を盛り上げてくれました。
先日原さんの送別会が開かれました。
後輩たちが、
思い出のアルバム帳や、
事務所OBからのビデオレターを製作編集してくれて、
原さんに贈りました。
自分の送別会なのにやっぱり原さんは盛り上げ役で、
みんなの前では最後まで笑顔でした。
さっそくマチュピチュとイグアスの滝を観に行かれるとのこと。
原さんは事務局としても人生の先輩としても、見習いたい人です。
原さん、28年間お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
旅から戻られたら、土産話を聴かせて下さいね☆(^o^)