2011年12月26日月曜日
『クライマーズ・ハイ』(9)
(羽田着陸前、東京湾、右手前はディズニー・ワールド)
『クライマーズ・ハイ』というタイトルのもと
思いつくまま書き連ねてきました。
(8)で終わったかと思ったかたもいるかと思いますが
残念でした。明日の(10)で完結予定です。たぶん。
2007年12月23日、福田自民党総裁が全員救済を表明
議員立法による解決を与党に指示しました。
議院内閣制のもとでは、国会で多数派をしめる与党の代表者が
内閣総理大臣になります。
当時、福田康夫さんが、自民党の総裁であり
内閣総理大臣でした。
薬害肝炎被害者の全員救済を政治決断するばあい
総理として決断するのが自然でしょう。
ハンセン病訴訟の際、控訴断念の政治決断は
総理としての小泉純一郎さんがおこないました。
ところが、薬害肝炎事件では、官僚筋の抵抗がつよく
福田さんは総理としての決断ができませんでした。
そこで、自民党の総裁として、当時の自民党・公明党に対し
議員立法をつくって解決するよう指示したわけです。
その意味で、政権にとって、ハンセン病訴訟の解決より
さらに困難な決断であったことがうかがえるわけです。
さて、われわれはすでに各地に帰参し
原告のみなさんはそれぞれのクリスマスや歳末準備中でした。
福田総裁から思いがけぬクリスマス・プレゼントを受け
われわれは翌24日、東京にふたたび集結しました。
福田総裁は全員救済を表明したものの
事前にわれわれとの協議もなく半信半疑の心持ちでした。
そこで会議をひらき、福田総裁が指示した議員立法の趣旨・内容について
原告・弁護団の意見を急遽とりまとめました。
本件が1万人以上もの被害者を発生させた薬害であり、国の責任・反省に
基づき、被害者全員の一律救済を求める内容でした。
これをもとに、われわれ弁護団の代表は与党(自・公)の政策責任者と
都内某所で議員立法の方向性について協議をおこないました。
与党政策責任者の先生方も戸惑っておられましたが
われわれの意見と見解がおおすじ一致しました。
このとき、おたがいの携帯電話番号を交換したので
いまでも谷垣禎一先生や与謝野馨先生の番号が電話帳に残っています。
年末もおしせまっていましたが翌25日、福田総理は原告団と面談
お詫びされ、翌26日から立法作業が開始されました。
年内合意にむけて、4年前のきょう26日から28日にかけ
われわれは与党プロジェクトチームから4度、ヒアリングを受けました。
与党PTのメンバーは川崎二郎先生、阪口力先生らでした。
マスコミに知られないよう、これも都内某所でおこなわれました。
裁判上の和解と立法との関係、金員の名目、金額、給付手続、請求期間など
立法をするうえで必要な論点について、当方の意見を訊かれました。
それぞれ難しい論点について、われわれも
急ピッチで議論を重ね、決断をくりかえしていきました。
われわれとしては全員救済による賠償金の増額がいちばん難しかろうと考え
総額が大阪高裁の和解案とおなじになるよう配慮しました。
しかし、そこはあまり問題にされず
明日述べる論点がいちばん問題になりました。
いずれにせよ
貴重な経験と勉強をさせてもらいました。
ま、間違いなく
クライマーズ・ハイ状態だったでしょうね。
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