2011年11月2日水曜日
『柴引荒神』をめぐる一考察
『柴引荒神』は、おととい書いたとおり
阿蘇神社の長野・岩戸神楽の演目のひとつ。
お話は、荒神が柴(榊)を集めてきて神前に供える
という単純なもの。
ただし、5本ほど舞台に置かれた柴には、地元の子どもたちが
「土」として張りついています。
見どころは、抜かれまいと必死の抵抗をする子どもたちと
荒神さまとの柴の引き合いです。
荒神さまは、舞を踊りながら簡単に引き抜きにかかりません。
じらしにじらし…、子どもたちのバクバクが伝わってきます。
いざ抜くときは、聴衆と舞台が一体となって
かけ声をかけあいクライマックスを迎えます。
ん?このスペクタクル、この興奮、この緊張とカタルシスは
たしか、どこかでおなじみ…。
そのときは、小・中学校の運動会の綱引きかなぁ~
でも、ちょっとちがうなぁ~とおもっていました。
それが、村上さんの『おおきなかぶ、むずかしいアボガド』を
読んでいて、「あっ、そうか!」と謎がとけました。
『柴引荒神』の興奮とカタルシスは、綱引きよりも
ロシア民話の『おおきなかぶ』により近いものだと思います。
みなさん知ってますか?
ロシア民話の『おおきなかぶ』を。
作: A・トルストイ、絵: 佐藤 忠良、訳: 内田 莉莎子で
福音館書店から味わいのある絵本になっています。
子どもたちに何度もよんであげました。
大人的にはなんということはないのに、子どもに受けるんですねぇ。
子どもたちから
おおきなかぶが抜けたときの快感が伝わってきました。
村上さんが書いているように、幼稚園のお遊戯の定番です。
子どもたちの幼稚園でもやっていました。
こうして『柴引荒神』の興奮とカタルシスに関する
謎がとけました。
その結果、この謎解きに関するカタルシスもまた生じたのでした。
新幹線車中で、村上さんのエッセイを読みながら。
岩戸神楽と村上さんのエッセイという、おもわぬつながり
これがまた快感の質を高めたのでした。
さて、抜かれたあとの、おおきなかぶはどうなったでしょう?
それは村上さんのエッセイをお読みください。
さて、抜かれたあとの、荒神さんの柴(榊)はどうなったでしょう?
それは…地元の方々がもちかえり、家々に飾っているようです。
0 件のコメント:
コメントを投稿