2011年7月28日木曜日
2011年7月27日水曜日
筑紫野市心配ごと相談員学習会
(東天狗岳@八ヶ岳)
昨日は筑紫野市心配ごと相談員さんの学習会でした。
筑紫野市役所の別館第5会議室で。
心配ごと相談員の先生方10名と筑紫野市社会福祉協議会の
事務局・川上さん、そして私が参加しました。
部屋に入るなり、先生方から、日焼けを山焼けと指摘され
図星ゆえに、返す言葉がありませんでした。
さて講師は、筑紫公証役場の難波尊廣先生。
公証人の実務についてお話していただきました。
先生は東京の法務省、法務局勤務が長く
筑紫公証役場に来られたのは昨年9月から。
テーマは「気楽に出かけよう! 公証役場へ」
参考資料が豊富なのがサービス精神を裏付けていました。
筑紫公証役場は、ちくし法律事務所から筑紫野市役所へ
行く途中にあります(やや迂回しますが)。
それに同じ法律家のお仲間ですが
やはり知らないことがいっぱいです。
民法の教科書に出てくる公正証書遺言はさることながら
離婚給付契約、任意後見契約などについての公正証書
さらには尊厳死宣言公正証書などのお話は
へ~という感じでした。
心配ごと相談員の先生方からも活発な質疑がなされました。
なかには、まさに遺言が必要だったですねぇというケースも。
また機会があれば
お話をうかがいたいと思いました。
なお、当ブログは明日から7月31日(日)まで
休筆させていただきます。
2011年7月26日火曜日
弁護士の仕事
(西天狗岳@八ヶ岳)
お客さまからよく、専門は民事か刑事か
訊かれます。
これに対し、刑事と答える弁護士は少数派でしょう。
私も民事とお答えしています。
国選事件を除けば
一般市民でも起こしがちな、自動車運転に関する犯罪が主ですから。
民事法というのは
債権の成立と実現に関することが決められています。
不動産の明渡し等の一部の例外を除けば
ほとんどの事件は最終的には「お金で解決」することになります。
ある精神科医の先生から批判を受けたりしているところですが
「お金で解決」せよ、というのは法の命ずるところです。
歴史をひもとけば、その昔は債務奴隷という制度もあったようですが
このような強制をすると、自由を侵害する恐れがありますから。
こうして弁護士の仕事は、簡単にいうと、代理人として
お金を請求したり、お金を請求されたりすることになります。
お金を請求する側にまわるのか、される側にまわるのかは
その時々の依頼人の立場によって決まります。
ある日、裁判所に出かけて、債権者側で弁論し
債務者側で証人尋問し、債権者側で判決を受けるなんてこともありです。
法律は強者(債権者)のための制度だなどと批判されることがあります。
たしかに、そういう面もあります。
しかし債権者側から見た法律は、いろいろなハードルでもあります。
最終的には財産に対する強制執行しかできないというのも制約です。
「お金を持っていない人がいちばん強い。」という言葉があります。
ほんとうの経済的弱者にとっては強制執行も怖くありません。
私も市民法律講座などで「経済的弱者のための法律論」など
というテーマで話をさせていただくこともあります。
正義の女神は、目隠しをして剣ををもつ怖い存在ですが
もう一方の手には秤(はかり)を持っています。
うまい具合に、債権者の利益と債務者の利益のバランスが
とれているように思います。
2011年7月25日月曜日
2011年7月22日金曜日
爺ヶ岳より
その日の山登りを終えて、夕闇につつまれながら
山小屋前で知らない者どうしでも談笑するのは至福のひととき。
誰かが登る山より、見る山のほうがいい!
などと言っていました。
そのときは、どういう意味かな?と疑問に思いましたが
翌日、爺ヶ岳に登って実感しました。
爺ヶ岳は、日本百名山からは選にもれているところ
そこからの景色は360°絶景です。
北は鹿島槍ヶ岳
先日ご紹介したところです。
西は立山連峰
向かって左が立山、右が剱岳です。
東はこちら。右(南)のほうに富士山が見えています。
わかりますか?
アップすればよくわかります。
台風接近の影響か、雲の帽子を被っています。
向かって左手が八ヶ岳
右手が南アルプスです。
そして南が北アルプスのランドマークの槍ヶ岳
と穂高岳です。
(その手前、近い順に
蓮華岳、常念岳)
こうしてみると、爺ヶ岳からは
剱のほか槍が3本見えることになります(鹿島槍を2本として)。
2011年7月21日木曜日
山の聖と俗
九州から鹿島槍ははるかに遠く
東海道を名古屋まで、木曽路を松本まで行きます。
そこから安曇野へ入り一泊。翌日は信濃大町駅から
黒部立山アルペンルートの東玄関である扇沢へ。
そこから15分ほど下ったところに登山口が。
柏原新道というコースです。
扇沢、その向こうに針ノ木岳などを臨みながら
尾根の西側をうかいする感じで登っていきます。
種池山荘にたどり着くと
そこはもう後ろ立山連峰の稜線。
足下にはコバイケイソウの花畑
西側を見あげると、立山や剱岳が聳え立っています。
そこからは稜線沿いに爺ヶ岳を越え
北に鹿島槍ヶ岳、西に立山連峰を臨みながら、冷池山荘まで。
当初の計画では山中第1日の行程はそこまででしたが
台風接近が気になり、頂上往復をしておくことにしました。
おかげで、冷池山荘に泊まった翌日は下山するのみ
計画にゆとりができました(それでも下り5時間のコースタイム)。
山小屋で部屋に案内されると、トップシーズンゆえ
1畳のふとんに2人寝るよう指導されました。ぐはっ。
夕食後、同室のみなさんと山談議となり、山の状況などのほか
昨今の山ガールブームについても話題になりました。
山ガールはいない方がいいという硬派もおられましたが、少数派。
おじさん達はブームに終わらないことを期待していました。
でも山小屋のこの状況に耐えられる女子はそう多くないよね?
とみな、あきらめ顔。
山の夜は早く午後8時には就寝
…
浅い眠りの中
午前3時…、午前4時…と早立ちの人たちが出て行きます。
私は前日頂上まで行っていたので
午前4時半ころ、起き出しました。
小屋の前に出ると、もうみなさん、ご来光を待っていました。
気温はそれほど低くなく、風もありません。
まつこと10数分
でたー。
山には自然と厳しさ、山小屋の窮屈さなどいろいろありますが
この自然の神々しさに触れると、すべてが吹き飛びます。
このために来たのだ!と。
2011年7月20日水曜日
ライチョウの親子
山を登っていると、知らない者どうしながら
挨拶をしたり、情報交換したりします。
山の上の天候・視界、登山道の様子、山小屋の混み具合
などなど。
こんかい、よく耳にしたのは
コマクサの咲いている場所とライチョウの目撃情報でした。
どちらも登山者にとっては
珍しくもあり、吉兆なのでしょう。
私自身も冷池山荘から布引山に登る途中の尾根のハイマツ帯で
他の登山者から教えてもらいました。
小鳥を2羽ほどしたがえた親子でした。
保護色のせいか、腕が悪いせいか、分かりにくい写真ですみません。
もっと近づけばよいのでしょうが
登山道から外れることは許されていませんので、こんな感じです。
ライチョウ(雷鳥)の名は
雷の鳴るような空模様で活発に活動することから。
雷鳥といえば、テレビドラマの国際救助隊を思い浮かべますが
あのサンダーバードとは違うのかも。
キジの仲間で、特別天然記念物。長野県・岐阜県・富山県の県鳥。
冬でも高山で暮らす日本で唯一の鳥です。
日本にやってきたのは2万年前の氷河期。
氷河期が終わり、大半は北へ帰っていきました。
ごく一部が日本の高山に残りました。
おおくの高山植物と運命をともにしたわけです。
ふるくから山岳信仰登拝者に知られ
神秘性を帯びた「神の使者」とされていました。
サンダーバードは、カナダ西海岸部やアメリカに先住する
インディアンの間でも神鳥とされているので、なにか関係があるのかも?
江戸時代には、火難よけ、雷難よけとして信仰されたらしい。
温暖化に伴い、ニホンジカやキツネ、ニホンザルが高山帯に勢力拡大
餌の競合や、キツネに捕食されることにより生息数が減少しているとか。
しら山の 松の木陰に かくろひて
やすらにすめる らいの鳥かな
後白河法皇
保元の乱から源平の盛衰する激動のなかを生きた後白河法皇としては
白山の松陰に隠れて安らかに生活していた雷鳥が羨ましかったのかも。
その雷鳥も温暖化のなかで、やすらにすめなくなってしまいました。
なんとかがんばってほしいものです。
2011年7月19日火曜日
2011年7月15日金曜日
ムハマド・ユヌス氏とソーシャル・ビジネス
読書の師匠の薦めで、グラミン銀行を創始した
ムハマド・ユヌス氏の自伝を読んだことがありました。
グラミン銀行は、バングラデシュで、貧困層を対象にした無担保融資を
主に農村部で行い、高利に苦しむ女性の自立をたすけています。
ムハマド・ユヌス氏はこの活動が認められ
ノーベル平和賞などを受賞されています。
福岡県中小企業家同友会のNPO交流・ソーシャルビジネス特別委
(第2回)で、九大の岡田昌治教授のお話をうかがいました。
ムハマド・ユヌス氏と親しい岡田教授のお話ですから
本から得られる知識とはちがう、生きた情報というのが得られました。
今回、ムハマド・ユヌス氏は来日され
7月21日~23日にソーシャル・ビジネスのフォーラムを開催。
23日(土)13:00~九大でも
公開シンポが開かれるようです。
テーマは、「ソーシャル・ビジネスを活用した東日本大震災の
被災者の自立復興支援」です。
ソーシャル・ビジネスとは、政府の財政が逼迫するなか、社会的な課題を
ビジネスの手法で解決していこうというもの。
東日本大震災の被災者の方々の自立復興支援を政府だけでやっていくのは
限界もあるでしょうし、不都合もあるでしょう。
それを補完するような素晴らしい方策が熱心に議論されることを
願ってやみません。
2011年7月14日木曜日
宝満山の風景
きのうのつづきです。山頂から北西に
宇美町・志免町方面、博多湾を臨んでいます。
博多湾の中央に浮かんでいるのが志賀島
その右側に延びているのが海の中道。
志賀島の左奥に浮かんでいるのが玄海島
左手前が能古島。
その奥は糸島方面が
見えています。
左下の屋根は竈門神社の上宮
屋根から中央部にかけての緑の固まりが四王寺山(大野城)です。
四王寺山の向こう側が春日市、福岡市
拡大すると、志賀島と能古島の下あたりに空港が見えています。
その左側にはさらに、福岡タワー、ドーム、シーホークなども
見えています。わかりますか?
歴史で習ったとおり、大野城・水城が築かれたのは
白村江の戦い(663)に日本が敗れてから。
太宰府側の防衛線として水城が築かれたというけれども
粕屋・宇美側の防衛線はどうなってたんだろうと思います。
平安時代、最澄が渡唐する(804)まえにも
宝満山にこもって修行をしたといいます。
彼らもおなじ風景をみたのでしょうか。
2011年7月13日水曜日
梅雨明けの宝満山
2011年7月12日火曜日
結婚披露宴
厚生労働大臣の定期協議後、浜松町で一泊して
翌日は帰福して同僚(後輩)の結婚披露宴でした。
新郎・新婦とも弁護士、美男・美女で
ひともうらやむカップルです。
友人らも現在の同僚弁護士か
ロースクール時代の同期のようでした。
式場はグランド・ハイアットで
料理もおいしい。
少し切なかったのは、自分が新郎新婦たちの世代ではなく
むしろそのご両親の年代に属してしまったという感慨ですね。
自分の年齢は日々自覚しているつもりですが
それでもどこかで、いつまでも若いつもりになっています。
ですが、結婚披露宴となると、急に座標のはっきりした空間に
投げ込まれたようで、自分の立ち位置が否応なく明らかになります。
自分が駆け出しの弁護士だったころ
先輩弁護士はこんなふうに見て感じていたのか~などとも思います。
先輩から受けたご恩やご指導を
後輩にも伝えていかなければいけないなぁとあらためて感じました。
2011年7月11日月曜日
厚生労働大臣との定期協議
去る金曜日は、薬害肝炎原告団・弁護団と
厚生労働大臣との定期協議でした。
構造的な加害行為である薬害によって多数の被害者が発生
その被害回復は大規模集団訴訟という形をとります。
その被害回復は
賠償一時金をもって終わりというわけにはいきません。
①薬害被害の実態調査、被害者全員の救済
②肝炎患者が安心して暮らせる医療・福祉体制づくり
そして、③薬害の検証と
それに基づく再発防止が必要となります。
これらの課題は、毎年おこなわれる厚生労働大臣との
定期協議において解決されるべき課題です。
定期協議については、解決の際に締結した
基本合意に明確に約束されています。
2008(平成20)年の解決から数えて今年は早くも5回目。
大臣は、桝添、長妻の各氏をへて細川律夫氏。弁護士です。
3.11後、政治も安定していませんが、課題は待ったなしであり
一歩一歩着実に前進していく必要があります。
2011年7月8日金曜日
いまはもう秋…?
(きのうのつづき)
きのう、はかたタクシーに乗ったら
運転手さんがしきりに話しかけてきました。
今年は雨が多かですね~
でも梅雨が明けると夏が来ますもんね~
また去年みたいに暑いのもね~
(どっちやねん!)
梅雨が明けると夏が来るというのが前提ですが
和歌の世界では、七夕はもう秋。
これもグレゴリオ歴だと立秋以前だけれども
旧暦の7月7日はほとんど立秋以降だから。
かの藤原俊成もこう詠んでいます。
七夕の 門渡る舟の 梶の葉に
いく秋書きつ 露の玉づさ
当時、七夕祭りには、草の露を集めた水で墨をすり
その墨で梶の葉に願い事を書いて祈る風習がありました。
みなさんも織り姫さまに恋の成就を願いましたか?
うかうかしていると、いつのまにか秋になっちゃいますよ。
2011年7月7日木曜日
明治維新のとばっちり
きょうは七夕
あいにくの雨です。
遠距離恋愛中の彦星と織姫が年に1度だけ会える
デートの日なのに。
なぜ、こんな梅雨のどまんなかに
デートの日を定めたのでしょう?
実はふたりに責任はありません。
明治維新のとばっちりです。
先日、ドラマ「JIN-仁」が最終回を迎えました。仁先生と咲さんは
幕末の動乱のなか、結局むすばれることはありませんでした。
なかで坂本龍馬らが追い求めた明治維新ですが
彦星と織姫の年に1度のデートを邪魔することにもなりました。
というのも明治維新により、歴が太陰太陽歴(旧暦)から
グレゴリオ歴(新暦)に切り替えられたからです。
旧暦といえば、本屋大賞を受賞した『天地明察』(冲方丁)が
江戸時代の天文暦学者・渋川春海の生涯を描いていた、あれです。
七夕も江戸時代までは旧暦でおこなわれ
旧暦の7月7日はいまでいえば8月7日ころです。
もともと七夕はお盆の一環ですので
東日本などではいまでも月遅れでおこなわれているところもあります。
8月7日ころであれば、梅雨も明け
彦星と織姫がデートできる確率も高まります。
それが新暦によると、梅雨のどまんなかなため、涙雨になりがち。
明治維新による改暦のとばっちりたるゆえんです。
七夕に降る雨を「催涙雨」と呼び
彦星と織姫が流す涙なのだそうです。
2011年7月6日水曜日
あなたなら、どうします?
「新婚なのに、家に帰りたくなくなった。」
あなたなら、どうします?
「どうやら夫は仕事ができないらしい。」
あなたなら、どうします?
「どうやらうちの両親は離婚したがっているらしい。」
あなたなら、どうします?
「夫がUFOを見たと言い出した。」
あなたなら、どうします?
「結婚して初めてのお盆休み、それぞれの実家に帰省することになった。」
あなたなら、どうします?
「妻がランニングにはまった。」
あなたなら、どうします?
ちくし法律事務所に駆け込むほどではないけれど
それなりに深刻な我が家の問題の数々、あなたなら、どうします?
同僚、友だち、家族など身近な人たちと相談し、知恵を借り
あるいは、励まし合って解決策を模索しますよね?
奥田英朗さんの最新作・短編集「我が家の問題」(集英社)
は、そんな人々の奮闘をユーモラスにあたたかく描いています。
奥田さんには以前「家日和」という短編集がありましたが
その続編という感じですね。なかでも、
「どうやらうちの両親は離婚したがっているらしい。」
問題に取り組んだ「絵理のエイプリル」。それから
「妻がランニングにはまった。」問題に取り組んだ
「妻とマラソン」が涙を誘われて、よかったと思います。
お薦めします。
みなさまもご一読ください。
2011年7月5日火曜日
結婚と離婚
結婚式の乾杯の挨拶を頼まれて思案中
仕事がらどうしてもネガティブ思考になってしまいます。
うまくいかなかったらどうする?
みたいな挨拶はできませんので、思考は空回り。
そんななか離婚調停
離婚はやはり難事業です。
人生で経験するストレスのなかでも
トップクラスでしょう。
離婚をするのかどうか
離婚原因があるのかないのか
別居をしているのか、どこに別居するのか
家財はどうするのか
いまの仕事をつづけるのか
あたらしい仕事をさがすのか
親権をどうするのか
子どもとの面接交渉をどうするのか
子どもの連れ去りの心配は
子どもの学校はどうするのか
話し合いができる相手なのか
DVはあるのかないのか
慰謝料をどうするのか
財産分与をどうするのか
夫婦で購入したマイホームをどうするのか
その住宅ローンをどうするのか
離婚までの婚姻費用をどうするのか
養育費をどうするのか
調停がまとまらなかったらどうするのか
裁判をするのか、しばらく別居して様子をみるのか
考えなければならないこと
決めなければならないことがたくさんあります。
どれもなかなかに難しい問題
交通事故や売掛金回収の事案ではないことです。
そもそも結婚とはなにか、夫とはなにか、妻とはなにか
家族とはなにか、親子とはなにか…にも考えがおよびます。
さて、こうした厳しい情況のなかにおいても
明日への希望をつかみとっていかねば。
2011年7月4日月曜日
傾 山
大分で会議があったので、JR豊肥線で緒方まで足を伸ばし
傾山(1,605m)に登りました。
文字どおり山が傾いて見えるので
かたむき山。
九折→九折越→山頂→水場→三つ尾→九折
標高差1300m、コースタイム8時間のコースです。
学生のころに登ったことがあるはずですが、コースもちがうし
悪天だったので、まったく覚えのない場所でした。
こんかいは雨までは降りませんでしたが
湿度が湿度が高く、山頂付近はガスっていました。
行き交う人もほとんどなく
ひたすら高度をかせぐと、汗がぐっしょり。
どの山も登りはじめは、登れるか不安になりますが
山頂に立つと、達成感にはればれとします。
三つ尾から林道に下ったあと、九折までの道が分からず
右往左往しました。これが一番疲れました。
2011年7月1日金曜日
ホオノキ
ホオノキ(朴の木)@越後駒ヶ岳
駒ノ湯の登山口ふきんから小倉尾根にかけて咲いていました。
日本料亭などでホオの葉に包んだ料理が出されることがあるので
大きな葉っぱのほうはご存知でしょう。
葉は芳香があり、殺菌作用があり、落葉も火に強いため
味噌や他の食材をのせて焼く朴葉焼きの材料として利用されています。
古くから食器代わりに食物を盛るのに用いられてきたようで
6世紀の王塚古墳では、玄室の杯に葉が敷かれていたとか。
駒ノ湯温泉のまわりにもいっぱい生えていたので
宿では朴葉料理が供されるのでしょうか。
葉っぱに比べて
花のほうは知らない人が多いのでは?
モクレンの仲間らしく
無人島に咲いていそうな、大きくて原始的な趣きです。
大きな木の上のほうに咲いていたので
私のデジカメと腕ではこれくらいの写真が限界です。
辻邦生さんの「西行花伝」(新潮社)に
西行が出家前、花の美に目覚める場面があります。
…白梅が鋭く差し交わす枝に清らかな花を咲かせていた。
私は息を呑んでそこに立ちつくした。
それは春ごとに咲くただの白梅であった。しかしその瞬間の私には
いつもの梅と違うもの、梅という名前さえ持たないものに思えた。
それほど、その梅は、異様に清らかに見えた。
冷たい朝の空気のなかで、花は高貴な、香しい、凛とした白さであり
地上から抜き出た気品のなかに
清雅に、簡素に匂っていた。…
山で花に出会うと、一瞬、そのような気持ちになることがあります。
普段の花とちがう出会い、山歩きの楽しみのひとつです。